102.双翼
カイムが膨大な魔力を発し、身体の表面に圧縮させる。
『毒の女王』から引き継いだ魔力は、その気になれば王宮を吹き飛ばせるほどの量があった。
それを鎧のようにまとったカイムの姿は人界に降臨した魔神のようである。並の精神の者であれば、目にしただけで戦意が挫かれてしまうだろう。
「…………」
しかし、ガウェインの顔に臆した様子はない。
それどころか、わずかに表情を揺らす様子もないのだから、どれほどの胆力が有しているのか目を疑うほどである。
(本当に大した戦士だな……じっくり戦うことができないのが残念になってくるな)
本来であれば時間をかけて戦いを愉しみたいところだったが、ミリーシアらが先に逃げている。早めに追いかけなければいけない。
「紫毒魔法――【蛟牙】」
「おお……!」
「これは……!」
カイムが両手を蛇の顎のように構えた。
両手の間に魔力が集約していく。噴火直前の火山のような破壊力を感じ取ったガウェインとマーリンが主君の前に立って盾となる。
「フッ!」
カイムの両手から放たれた猛毒の魔力が竜のような姿となって敵に襲いかかる。
莫大な魔力を込められたその一撃はまさに必殺。並の人間であれば骨も残さずに溶かしてしまうほどの力が込められていた。
「最上位防護魔法【アイギスの盾】!」
しかし、マーリンが杖をかざすと、三人の前方に魔方陣の円環が出現して盾になる。
光り輝く魔法の盾と毒の龍が正面からぶつかり合い、ギチギチと金属をこすり合わせるような音が鳴り響く。
「おいおい、マジか……!」
カイムは表情を歪めた。
今のカイムが使うことができる最高威力の紫毒魔法だというのに貫けない。なんて固い障壁なのだろう。
「嘘でしょお?」
マーリンもまた表情を歪めている。
彼女が使用した防護魔法はありとあらゆる攻撃を弾き、跳ね返すというもの。それなのに……カイムのゴリ押しに力負けしており、打ち返すことができなかった。
「ッ……!」
「んんっ……!」
衝突した二つの魔法が数秒の均衡の後、強烈な衝撃波を生じさせた。
破裂した毒の竜が霧散して紫色のガスとなり、辺り一面に広がっていく。
「フッ!」
瞬間、カイムが力強く床を蹴った。姿勢を低くして床を滑るように駆ける。
紫色の霧に身を隠すようにしてアーサーに接近して、圧縮魔力で作った刃で斬りつける。
「闘鬼神流――【青龍】!」
「…………!」
遅れて、アーサーがカイムの攻撃に気がついた。
身構えて防御しようとするが……わずかに間に合わない。魔力の刃がアーサーの胴体に肉薄する。
「ヌウンッ……!」
「ッ……!」
しかし、割り込んできた黒鉄の剣が魔力の刃を受け止めた。
不意を突いた一撃を防御し、主人を守ってみせたのは漆黒の鎧に身を包んだ騎士――ガウェインである。
「迅いが……直線的過ぎるな。天性の才覚に経験が足りていないようだが、師が早逝したか?」
「……耳に痛いことを言ってくれるじゃねえか。何も知らないくせによ」
攻撃を止められただけではない。たった一合の斬り合いの中で、ガウェインはカイムの技の欠点を見抜いていた。
カイムは見よう見まねの独学で闘鬼神流を会得して、『毒の女王』と融合したことで眠っていた才覚を開花させている。
まともに技を教えてくれた師匠がいないため、格上の相手との実戦経験が圧倒的に足りていない。
ここに来るまでの旅の中で多少は経験を積むことができたものの、ほとんどが格下の相手である。はっきり自分よりも強かったと断言できるのは魔狼王くらいのものだろう。
「闘鬼神流――【応龍】!」
死中に活あり。カイムはあえてガウェインとの距離を詰めて、一気に決着を付けることに決める。
闘鬼神流基本の型――【応龍】。ゼロ距離から発剄とともに衝撃を叩きこむ、最高威力の一撃を繰り出した。
カイムの選択は間違っていない。多勢に無勢の状況、武器と素手のリーチの差を考えれば、合理的な判断と言えるだろう。
「ヌッ……!」
「ッ……!?」
しかし、予想外だったのはガウェインの力量である。
ガウェインはカイムの打撃を避けることなく、鎧の胸部分で受け止めた。
【応龍】は掌底によって相手の体内に衝撃をブチ込み、身体の内側から爆散させる技である。いかに固い鎧に身を包んでいたとしても、装甲を貫通して威力を通すことができるはずだった。
しかし、ガウェインは強く両足を踏みしめて攻撃を受け止め、とんでもなく卓越した重心操作によって衝撃を地面へ受け流した。
王城の床が大きくひび割れて破壊されるが……肝心のガウェインに目立ったダメージはない。
「カアッ!」
「チッ……!」
ガウェインが黒剣を振り下ろしてきた。
攻撃を視認するよりも先に、カイムはバックステップで後退する。
最速で回避したはずだったのだが、カイムの右肩から腰に掛けて袈裟懸けの斬撃痕が刻まれた。
「剣は避けたはずだが……魔力か!」
ガウェインは黒鉄の剣の表面に濃密な魔力をまとっていた。おそらく、闘鬼神流にも届きうる練度の圧縮魔力を。
実体のある剣は避けることができたものの、その表面に纏っていた魔力の斬撃まで躱すことはできず、手傷を負ってしまった。
「……魔狼王と戦っていなかったら、胴体を両断されていたかもな」
カイムが傷口を撫でて、身体から流れた血を払う。
斬られたのは服と皮一枚のみ。見た目の出血ほどダメージはなかった。
ギリギリではあるが回避が間に合ったおかげだ。帝都に来るまでに魔狼王という格上の敵と戦闘して、能力が底上げされていなかったら終わっていた可能性もある。
「あらあら、私を忘れてないかしら?」
どうにかガウェインの斬撃を避けたカイムであったが、相手は黒鎧の騎士だけではない。
ローブを身に纏った魔女……マーリンが悪戯っぽく笑うと、カイムの足元から植物の蔦が生えてきた。
蔦の触手がカイムの手足に絡みついて身動きが封じられる。
油断をしたわけではなかったのだが、ガウェインの一撃を受けたばかりで魔法まで避ける余裕がなかったのだ。
「クソ、これは流石に……」
「無理であろう。詰みのようだな」
蔦を引きちぎろうとするカイムへとアーサーが決着を告げる。
淡々とした口調で言い放ち、腰の剣を抜き放ってカイムの首に突きつけた。
「悪くはなかった。むしろ、よくぞ我が両翼を相手にここまでやったと褒めてやりたいくらいだ……しかし、判断を間違えたな」
「……何の話だよ、ミリーシアの側についたことが間違いだったとでも言いたいのか?」
「他人の色恋沙汰に口を挟むつもりはない。間違っていたのは、お前が殿になったことだ」
アーサーは廊下の奥に目を向ける。
いまだ毒の霧が立ち込めており、アーサーの配下である帝国騎士が何人も倒れている廊下にはすでにミリーシアらの姿はない。レンカとティーと一緒に逃げおおせている。
「ミリーシアが予に勝利することができるとすれば、貴様という持ち駒があってのことだった。それなのに、鍵となる戦力の貴様がもっとも危険な役割を引き受けるなど不合理極まりないことだ。時間稼ぎはレンカか、あの獣人の女にでもやらせるべきだったのだ」
「…………」
「女への情けで目を曇らせたようだな。王道とは即ち合理の追求である。情に流されるような軟弱者に勝てるほど戦は甘くはない」
「……言ってくれるじゃねえか。側近に守られていただけのくせによ」
アーサーの言葉はおそらく正しいのだろうが、カイムにとっては受け入れがたいものである。
仲間を、恋人を犠牲にして自分が逃げるという選択肢はない。
情に流されているつもりはなく、あの三人はカイムにとって心臓に等しい存在。斬り捨てるという発想そのものが存在しないのだ。
あくまでも自分の言葉を認めようとしないカイムに、アーサーが小さく溜息をついた。
「……それが貴様の信念だというのならば好きにすればいい。我が妹の夫、予にとっては義弟ということになるか? このまま大人しく投降するのであれば命までは取らぬ。貴様を押さえればミリーシアも自分から戻ってくるだろう」
「……寝言は寝て言え。以上だ」
「残念だ」
「…………」
カイムはアーサーの隙を窺うが……剣を突きつけてくる皇子の左右には『両翼』が並んで立っていた。
カイムが蔦の拘束を千切り、反撃に転ずるまで少なくとも一秒はかかる。地上最高峰の戦士と魔法使いを相手にこの場を切り抜けるには、永遠ほどに長い時間だった。
(これはもしかして……死んだか?)
背後に立っている死神の気配を感じて、カイムは背筋に冷や汗をかく。
今度こそ、本当に終わりかもしれない……そんな諦観が頭をよぎるが、カイムの天運はまだ尽きてはいなかった。
「…………!?」
『それ』に最初に気がついたのはカイムだった。
人は死ぬ寸前にもっとも脳が活発に働くという説があるが、極限まで研ぎ澄まされたカイムの五感が天井に貼りついた『それ』の存在を認識する。
(コイツ……いつからそこにいやがった!?)
誰かが天井に貼りついている。
小柄な影である。影のような黒い衣装を身に纏っており、この場にいる幾人もの猛者に存在を覚られることなく息を潜めていた。
カイムが気がついたことに、『それ』も気がついたのだろう。
これ以上、息を潜める必要がなくなって動き出した。
「首を狩るわ」
天井を蹴って、彼女が頭上からアーサーめがけて襲いかかる。
首狩りロズベット。
指名手配中の犯罪者であり、ここに来るまでにカイムが二度も遭遇した殺し屋の女性であった。




