101.宣戦布告
書籍化作業もろもろがあって更新が滞ってしまい、申し訳ございません。
作業に目途がついたので、これから週1は更新させていただきます。
これからも本作をよろしくお願いいたします。
「無礼な!」
「アーサー殿下に何ということを……!」
小馬鹿にするようなカイムの口調に護衛として控えていた帝国兵士がいきり立つ。
腰の剣に手を伸ばして一触即発になる兵士であったが……瞬間、カイムの身体から濃密な殺気が放たれる。
「五月蠅せえ、黙ってろ」
「…………!」
カイムが短い恫喝を口にする。
それだけで兵士が凍りついたように動きを止めた。
臆したわけではない。彼らは帝国のため、そしてアーサーのためならば命すら捨てることを厭わない忠臣である。
たとえ勝機ゼロの圧倒的強者が相手であったとしても、彼らは果敢に剣を向けることだろう。
「ッ……!」
だが……そんな帝国兵士が立ちすくんでカタカタと小刻みに震えている。
カイムは何もしていない。ただ睨みつけているだけだというのに、先ほどのアーサー以上の威圧感を身に纏っていた。
「ほお……気を放っただけで予の護衛をすくませるとは、予想以上にやってくれるではないか」
アーサーが感心したように顎を撫でる。
カイムに睨まれた兵士が凍りついたように動きを止めているのは、純粋にして純然たる殺気を浴びせられたからだった。
いかに勇敢な兵士であれど、カイムの殺気を浴びてしまえば本能で悟ってしまう。相手が生態系において自分達の上位に立つ存在であると。
『蛇に睨まれた蛙』という言葉があるが、生物はどうしようもない天敵を目の前にすると身動きすらできなくなってしまう。戦うことはおろか逃げることさえ不可能になってしまい、生きることを諦めてしまうのだ。
「それくらいにしておいてもらえるか。そんなに睨まれては予の兵士が死んでしまう」
「フン……」
「カハッ……!」
カイムが殺気を解くと、兵士が膝をついて荒い息をつく。
あのまま殺気を浴びせ続けていれば、肉体が殺されたと錯覚して生命活動そのものを停止させていたことだろう。
「ミリーシア、お前はそれでいいのか?」
「え……?」
カイムが呆けたような顔で突っ立っているミリーシアに問いかける。
「お前は覚悟を決めてここに来たはずだ。道中、考える時間はたっぷりとあった。くだらん説教で失われるほど、お前の覚悟は生温いものだったのか?」
「…………!」
「言ってやれよ。俺はそんな弱い女に惚れた覚えはないぞ」
「はい……わかりました。カイムさん!」
カイムの言葉に喝を入れられたのだろうか、ミリーシアが顔を上げた。
先ほどまでは反論もできずに気圧されていたというのに、今度は真っ向から兄のことを睨みつける。
「アーサーお兄様、貴方に申し上げることがあります」
「……言ってみろ」
「貴方は次期皇帝としてふさわしくはありません! 戦争を望み、帝国に混乱をもたらそうとしている貴方を皇帝と認めることはできません!」
はっきりと、きっぱりと断言した。
第一皇子である兄に対して、公然と失格の烙印を押して見せた。
面と向かって喧嘩を売るようなことは、アーサーと対立している第二皇子ランスでさえしなかっただろうに。
「……言ってくれるではないか。何も力を持たぬ皇女の分際で」
「私は何もできぬ女ですが、女であるがゆえにできることもありましょう」
「そんなお前の目から見て、俺という男は皇帝にふさわしくないわけか。なるほど……面白い」
瞬間、アーサーの気配が膨れ上がる。
先ほどのカイムと同じように、これまで隠していた殺気を解放させたのだ。
「それで? 俺が次期皇帝にふさわしくないというのなら、どうするつもりだ?」
「……ランスお兄様に味方をして、あの方の後押しをします。つまり、今より私達は敵同士というわけです」
「そうか、そうか。なるほどな…………舐めるなよ? それを宣言した貴様がこの城から出られると思っているのか?」
アーサーが執務机を拳で叩いた。
すると扉が開いて兵士が部屋になだれ込んできて、カイムらを包囲する。
素早くも静かな動き。カイムの殺気に怯えて身動きが取れなくなっていた兵士らよりも、明らかに格上の騎士のようだ。
「大言壮語を吐くのは結構。妹の成長が誇らしいものだ。しかし、その言葉を口にするだけの力がお前にあるかな?」
「私にはありません。しかし、私の夫になるべき方にはそれがあります」
「ほう?」
アーサーが興味深そうに目を細めて、同時にカイムが立ち上がる。
「おおむね予想通りの展開だな……交渉決裂すると思っていたぜ」
カイムは苦笑しながら、体内の魔力を練り上げる。
アーサーを一目見たときから、こうなることはわかっていた。この男は言葉で止まるような人間ではない。
善人か悪人かは知ったことではないが……この男には信念と野心がある。納得させるのであれば、心を折るしかない。
「弱肉強食。強い者が正しい……それがお前の正義だというのなら、わかりやすくて結構なことじゃないか。腕っ節で解決できる問題は俺も大好きだ」
「自分にできないことは夫にやらせる。なるほど、確かに女の武器だな。予には出来ぬやり方だ」
全身から魔力と闘志をほとばしらせるカイムを見て、アーサーは苦笑した。
カイムの身体から放出される魔力量は一般的な魔法使いの十倍以上。圧倒的な力の奔流を目の当たりにしながら、アーサーの目には恐怖の色はまるでない。
先ほど殺気をぶつけた時も怯んだ様子はなかったし、目の前の皇子は地位だけでなくかなりの修羅場をくぐっているのだろう。
「それでは、見せてもらおうか。お前が選んだ男の力とやらをな!」
「そうするさ。存分に堪能しやがれ!」
帝国兵が一斉に跳びかかってくる。
カイムは毒の魔力を身体にまとわせ、ムチのように足をしならせた。
「フッ!」
「ぐわあっ!?」
騎士が鋭い襲撃を受けて吹き飛ばされる。
屈強な騎士は床を転がりながらも立ち上がろうとするが……そのまま崩れ落ちて、動かなくなった。
死んではいない。麻痺性のある毒の魔力を浴びて、身動きが取れなくなったのだ。
「なるほど、面白い技を使う」
倒れている自分の護衛を見下ろし、アーサーが興味深そうに瞳を細めた。
「圧縮した魔力をまとって戦う格闘技。己の身体を極限まで研ぎすませ、武器を必要としないその技は『闘鬼神流』。東方に伝わる武闘術か。それにその魔力は……呪いの類か? 見たことのない魔法だ」
「慧眼だな。しかし……この状況で、少し暢気すぎるんじゃないか?」
敵を前にして逃げもせずに分析しているとは、勇敢を通り越して愚かである。
アーサーとランス。二人の皇子の争いを止めたいカイムとしては、ここでアーサーを亡き者にしてしまうのがもっとも簡単な手段なのだ。
(いっそのこと、本当にこのまま殺ってしまうか……?)
などと頭によぎるカイムであったが、さすがに兄が目の前で殺されるのはミリーシアも望んではいないだろう。
平和のために兄と争う覚悟を決めたとはいえ、ミリーシアが善良な性格の人間であることに変わりはないのだから。
「とりあえず……折らせてもらおうか!」
カイムが床を蹴り、アーサーめがけて飛びかかった。
そのまま毒と打撃によって再起不能にしてやろうとするが……直前、アーサーの前方に半透明の壁が出現する。
「…………!」
「気が早いわねえ。そんな簡単に王は取らせる私達じゃないわあ」
耳朶を震わせる女性の声。
まるで虚空からにじみ出るようにして、アーサーの傍らに二人の人物が現れる。
「ガウェイン将軍。それに、大賢者マーリン……!」
ミリーシアが畏怖を込めた声で彼らの名前を呼ぶ。
どこからか転移してきたのは鎧を着た大柄の男性。そして、いかにも『魔法使い』といった格好をした女性である。
女性がカイムの顔を見て、面白そうに唇を釣り上げた。
「愉快ねえ。久しぶりよ、私の『ラプラスの予言』が外れるだなんて」
「……誰だ、お前は」
「『左翼』のマーリン。ここにいるアーサーの側近よ。大賢者、あるいは預言者と呼ぶ人間もいるわね」
どうやら、見た目の通りの魔法使いであるらしい。
先ほど、カイムの攻撃からアーサーを守った半透明の壁は彼女が生み出したバリアーなのだろう。
「そして、こっちにいるのが『右翼』のガウェイン。アーサー殿下配下の兵士を統括している将軍よ」
「…………」
半透明の壁が消えて、鎧を着た男が一歩前に進み出てくる。
途端、カイムの肌を刺すような威圧感が包み込む。
(強い……!)
一瞬の対峙。目を合わせただけで理解する。
ガウェインと呼ばれていたその男が類まれな達人であることを。
大柄で屈強な肉体は数えられない敵を打ち倒し、仲間の屍を踏み越え、傷を負いながら歩き続けることで鍛え上げられたのだろう。
ひとたび腰の剣を抜けば、目の前にいる敵は残らず両断されるに違いない。
(格闘家と剣士という違いはあれど、『拳聖』に匹敵する戦士に違いないな。ここで闘るのは分が悪いか?)
「仕方がない……引くか」
「逃がすと思っているのか? アーサー殿下に敵対することを口にしておいて」
初めて、ガウェインが口を開く。
重厚感のある低い声音が決して逃がさないと言外に告げてくる。
「ティー、退路を作れ。レンカはミリーシアを。殿は俺が勤めよう」
「わかりましたの」
「……承知した」
「よし……征け!」
カイムが合図を出すと、仲間達が一斉に動き出した。
ティーを先頭にして、来た道を引き返して王宮を逆戻りする。
幸い、この部屋にいた騎士はカイムが蹴散らしていた。他の騎士や兵士が集まってくるよりも先に逃げることができれば、捕まることなく王宮を出ることができるだろう。
「カイム様もどうかお気をつけて……!」
レンカに連れられたミリーシアが必死な様子で言ってくる。
カイムは振り返ることなく右手を挙げながら、視線は目の前にいるガウェインから逸らさない。
事前に話し合って、万が一の時が起こった場合の合流ポイントについて決めてある。
遠慮することなく、存分に戦うことができるだろう。
「さあ、闘ろうか」
カイムは好戦的に牙を剥いて、眼前の敵を睨みつけた。




