100.兄妹の再会
100話達成になります。
皆様の応援に心より感謝を申し上げます!
「あら……フォッシュベルがついてきていませんわ。どうしたのかしら?」
部屋から出たミリーシアは兄の執務室に向かっていたが、ふと背後に老年の執事がいないことに気がついて首を傾げた。
「ついてこなくて良いですわ。あんな男! カイム様を刺そうとするだなんて……許可をいただけるのなら、すぐにでも八つ裂きにしてやるところですの!」
「落ち着くんだ、ティー。フォッシュベル殿はこの城の使用人の頂点に立つ御方だ。刃傷沙汰など起こそうものなら、姫様でもかばいきれないぞ」
怒りも冷めやらぬ様子のティーをレンカがたしなめる。
「それにしても……本当にどうしたのだ、フォッシュベル殿は。てっきり、あの方が案内してくれるとばかり思っていたのだが……?」
「腹が痛くてトイレにでも籠ってるんじゃないか? 放っておけよ」
不思議そうな顔をしているレンカに、カイムが嘲笑するかのように言った。
「案内がなければ行けないわけじゃないんだろ? だったら、さっさと行こうぜ」
「そうですね……フォッシュベルも忙しいのかもしれませんし、兄の執務室ならば場所はわかっています。行きましょうか」
足を止めていたミリーシアが再び歩き出して、アーサーの執務室へと向かう。
途中で頭を下げてくる騎士や使用人とすれ違いながら王城を歩いていき、十分ほどかけて目的の場所に到着した。
同じ建物の中を移動しているのに十分以上もかかるだなんて、さすがは帝国の主城である。とんでもない広さだった。
執務室の扉の前には左右に騎士が立っている。
騎士はジロリと一行を睨みつけるが……ミリーシアの姿を認めて、恭しく頭を下げた。
「アーサー殿下がお待ちです。どうぞお入りください」
「…………」
どうやら、ミリーシアの来訪を騎士も聞かされているようだ。扉を開けてくれて、ミリーシアを中に通す。
レンカはともかくとして、同行してきたカイムとティーは止められるのではないかと思ったが……問題なく部屋の中に通してくれた。
「……失礼いたします、ミリーシアです」
「ああ、よく来たな」
部屋の奥にいる男が短く答えた。
執務室に足を踏み入れると、そこには数人の男性がいた。
一人の男が机の書類に向かって作業をしており、隣の机では補佐らしき文官風の男が同じく書類仕事をしている。
左右の壁際には護衛らしき騎士が立っており、威圧感のある視線をカイムらに向けてきていた。
正面の机にいるのは二十代ほどの年齢の若い男である。
無駄のない筋肉を全身に付けており、巌のような印象を受ける大柄な男だ。机に向かってデスクワークをしているよりも、剣を振るっている方がはるかに似合う。
この男こそがアーサー・フォン・ガーネット。
次期皇帝の椅子にもっとも近い男。ミリーシアの長兄なのだろう。
「戻ったか」
ミリーシアの来室に気づいていないわけもなかろうに、男は机に落とした視線をあげることもせずに口を開く。
「侍従が心配していた。長い旅行だったな」
「……はい、ご迷惑をおかけしました」
緊張した面もちでミリーシアが答えた。
覚悟を決めてここに来たはずの彼女の額には汗が浮かんでおり、いかに気を張っているのかが傍目にも伝わってくる。
「構わん。どうせランスが手引きしたのだろう? 奴の悪戯にも困ったものだな」
「…………」
「それと……そちらの客人にも迷惑をかけたことを謝罪しよう。妹が世話になった。先ほどは執事が無礼を働いたことを許してくれ」
「……フン」
アーサーの謝罪に……否、謝罪のように取り繕った「許せ」という命令にカイムは鼻を鳴らした。
(なるほど……強いな)
単純な腕っ節の強さではない。
アーサーの全身からは自信がにじみ出ており、我こそが頂点に君臨する者だと疑ってもいない強者のオーラを纏っている。
他者に命令することが日常となっており、初対面の相手であろうが自然体で見下すことができる……まさしく『覇王』であった。
(この男ならば、平気で他国に攻め込むことくらいやってのけるだろうな。大陸統一だって成し遂げるかもしれない。その過程でどれほどの屍山血河が築かれようとも、髪の毛ほども心を痛めることはないだろう)
敵も味方も、戦場で無数の骸を積み重ねることを躊躇わない。
命を軽んじているのではなく、世界中の恨みと憎しみを背負うだけの覚悟を持っている。
時代の英雄か、はたまた歴史的な暴君か。
どんな形であるにせよ……目の前の男は何らかの爪痕をこの時代に刻むはずだ。
(軍事国家の帝国の主としてはふさわしいのだろうが……友人になれそうなタイプではないな)
「謝罪する気があるのなら、こちらの顔くらい見るべきじゃないのか? 目玉が机に張り付いているわけじゃないんだよな?」
「カイムさん!」
「…………!」
揶揄するような口調でカイムが言うと、ミリーシアがあわてたように声を上げる。同時に、部屋にザワリと殺気が生じた。
殺気を放ったのはアーサーではなく、壁に控えている護衛の騎士である。目の前で主君を侮辱され、剣に手を掛けていた。
「控えよ」
しかし、アーサーが机から顔を上げて、短く言葉を発した。瞬間、部屋を満たしていた殺気が霧散する。
騎士がビクリと肩を震わせて、柄を握りしめていた手を離す。
「……一瞬で散らしたか、やるな」
カイムが感嘆の声を漏らす。
左右の騎士はそれぞれが武芸を極めた精鋭に違いない。
それを一言で威圧して、殺気を消し去って見せた。並の胆力でできる所行ではあるまい。
支配者としてだけではなく、戦士としてもかなりの腕前であることがわかる。
「そちらもやるではないか。予の殺気を受けて、汗一つかかぬか」
そして、アーサーもまたカイムに対してそんな評価を口にする。
先ほどの威圧はカイムらにも向けられていた。ミリーシアはビクリと身体を震わせて顔を青ざめさせており、レンカやティーでさえも緊張に表情を硬くさせている。
無反応、威圧を意にも介していないのはカイムだけだった。
「何らかの武芸の達人か? 帯剣はしていないようだが、武器を使わぬ格闘家か?」
アーサーは日頃から訓練・実戦を問わず大勢の戦士と剣を合わせていた。
そんなアーサーの目から見ても、カイムは凄まじい使い手であると理解できてしまう。
荒削りな部分もあるのだろうが……潜在能力だけならば、同じ天秤に乗せられる人間がいない。アーサーがこれまで出会ったあらゆる人間を凌駕している。
「…………」
「…………」
カイムとアーサー。
立場はまるで違うものの、両雄は同時に相手の力量を察知した。
しばし無言のまま視線を交わしている二人であったが……やがてアーサーが鼻を鳴らして、口を開く。
「気に入った。ミリーシアに雇われたそうだが……今この時より予に仕えろ。ふさわしい地位を用意してやる。そうだな……侯爵位でどうだ?」
「なっ……!?」
アーサーがカイムに向けて放った言葉に、部屋にいるほぼ全員が驚きの表情をする。
侯爵は皇家の血族しかなれない公爵を除けば、最高の爵位である。それを出会ったばかりの素性の知れない人間に与えるなど、とてもではないが正気の沙汰ではなかった。
「不服ならば公爵でも構わんぞ? 現在の法に背くことにはなるが……そうだな、ミリーシアを娶らせて皇族の配偶者にしてやれば道理は通るだろう」
「ええっ!?」
さらなる譲歩にミリーシアが顔を赤くして叫ぶ。
もちろん、ミリーシアもいずれはカイムを伴侶にと考えていたものの、それを直接的に兄の口から言われるとは思ってもみなかったのだ。
「貴様は予の剣となって働け。ミリーシアはランスではなく予を皇帝として認めて、補佐をしろ。お前は大した力は持っていないが、民からの人望はあるからな。予が上手く使ってやろう。つまらぬ企みは捨てろ」
「それは……!」
「どうせランスと争わないように説得にきたのだろう? すでにお互い、剣は抜いている。今さら言葉では止まらぬの。おとなしく勝ち馬に乗って、その男と添い遂げれば良い。反対する者がいたら潰してやるから、素直に従っておけ」
「……気づいていたのですね、私が会いに来た理由に」
「この情勢下だ。他にはあるまい」
アーサーがまっすぐ、射抜くような鋭い視線を妹に向ける。
「戦争はやめろ、兄弟で争うな……お前はそう言いたいのだろう? だが……予が止めたとしても、ランスは止まらぬよ。奴も帝国の男子だ。予を皇帝として認める意思がない以上、必ず戦うことになる」
「……ランス兄様は私が説得して見せます。ですから、どうか矛を収めてください」
「無理だな。出来もしないことを軽々しく言うな」
「無理だなんて……!」
「不可能なのだよ。ランスは滅多なことで牙を見せぬ男だが、振り上げた拳をただで下ろすほど惰弱ではない。それに反逆のために兵士を集めておいて、あっさりと挙兵をやめるような優柔不断なことをすれば、臣下からの支持を失うことになる。奴もまた引き下がれぬところまできている。戦いは避けられない」
「そんな……!」
有無をいわさず放たれる断定に、ミリーシアが表情を歪める。
否定することを許さない言葉の数々は、いずれもミリーシアを的確に貫いていた。
アーサーはミリーシアが来室した理由を予想した上で、完全に論破して見せたのである。
「『だったら、ランス兄様に味方する』……などと口にしてくれるなよ。面倒だ」
「…………」
「貴様が命を捨てれば、貴様に従うものの命運もまた尽きることになる。情で臣下の命を左右させるな。ランスと戦いたくないのであれば、戦いが終わるまで静観していれば良い。予に妹を殺させるなよ」
「アーサー、兄様……」
ミリーシアが弱々しくうめく。
アーサーを説得するためにきたはずなのに、反論も許されず一方的に説き伏せられてしまった。
完全な独壇場。兄妹喧嘩にすらもなっていない一方的な展開である。
「…………」
ミリーシアは押し黙り、唇を噛むしかできなかった。
彼女に思いが足りなかったというわけではないだろうが……とっくに弟を斬る覚悟を決めているアーサーを言葉で止めることはできなかった。
話し合いはすでに終わっていた。
この場にいるのが、ミリーシアだけだったのであれば。
「いや、俺を放っておいて勝手に話を進めるなよ。不愉快だぞ」
「む……?」
「カイムさん……?」
カイムが不快そうに声を発した。
アーサーとミリーシアの視線が集まる。
「俺はお前の手下になるなんて言った覚えはないぜ。公爵にする? ミリーシアを娶らせる? どっちもお断りだな」
カイムは『毒の王』。すでに王なのだ。
誰かに一方的に命令されて、運命を握られるなどまっぴら御免である。
「ミリーシアはとっくに俺の女だ。お前に与えられる筋合いなどない。それに金や地位が欲しかったら自分で手に入れる。初対面の相手に施される覚えはないんだよ」
「……予の提案を蹴るということか? それがどういう意味だか理解しているのか?」
皇帝が臥せっている情勢下において、アーサーはこの城の最高権力者。敵対すれば、全ての騎士が一斉に敵となるだろう。
この王城にどれほどの戦力がいるかは知らないが、百や二百ではあるまい。
それら全てを敵に回すつもりか……アーサーは確認するように問うた。
「俺の返答は簡単だ。『気に入らないならかかってこい』……以上だ」
カイムはこともあろうに中指を立てて、帝国で二番目に尊い男に向けて言い放ったのであった。




