99.老執事の意地
ミリーシアの部屋で行われた小さな茶会が終わった頃、まるでタイミングを見計らっていたかのように部屋の扉が叩かれた。
「入室を許可します」
「ミリーシア殿下、失礼いたします」
許可を得て入ってきたのはこの城の侍従長――フォッシュベルという名前の執事服の老年男性だった。
フォッシュベルはミリーシアに恭しく頭を下げた後、苦々しい表情でカイムを一瞥する。
何か言いたげな顔をしたのは一瞬のこと。すぐに真面目な顔つきに戻ってミリーシアに恭しく告げた。
「アーサー殿下の準備ができたとのことです。執務室にお通しするように言伝を預かって参りました」
「はい、どうもありがとう……皆さん、楽しいお茶会もこれで終わりです。行きましょうか」
「ああ」
ミリーシアに促されて、カイムはカップに残っていた紅茶を一気飲みする。ついでにお茶請けの菓子を掴んで口に放り込んだ。
「うむ、美味だな……それじゃあ、戦争好きの皇子様の顔でも拝みにいくか」
「…………」
ミリーシアの後に続いて部屋から出ようとすると、フォッシュベルの瞳が鋭く光った。
ごく自然な動作で執事服の袖から小さなナイフが飛び出る。銀色の光沢がキラリと光って、切っ先がカイムの首に伸びてくる。
「カイムさん……!?」
「なっ……!」
ミリーシアとレンカが息を呑む。
次の瞬間、ナイフの切っ先がカイムの首に突き刺さった。
「……何の遊びだ、これは?」
……かのように思えた。
実際にはカイムの首に命中する前にナイフは中ほどで折られており、切っ先の部分が絨毯の上に落ちる。
ナイフを突き立てられる寸前、カイムが目にも止まらぬ早業でナイフに手刀を叩きこんで切断したのである。
「……これは失礼いたしました。よもや不意打ちの一撃をここまで鮮やかに防がれるとは思いませんでした」
「フォッシュベル! 何をしているのですか!?」
「申し訳ございません。案内をする前に、お連れ様を試すように命じられたもので」
ミリーシアの詰問にフォッシュベルがしれっとした顔で答える。
「客人に無礼などしたくはなかったのですが……アーサー殿下の命令で仕方がなく、ナイフを向けさせていただきました。申し訳ございません」
「嫌々やらされたようには見えないけどな……随分な殺気をまき散らしやがって。俺に恨みでもあるのか?」
「…………客人に対して私情はございません。私はあくまでも使用人の一人にすぎませんので」
言葉とは裏腹に、フォッシュベルがカイムを見る目はまるで仇に向けるようなものだった。
得体の知れない男が王城を我が物顔で歩いているのが許せないのか。それとも……大切な皇女様を汚した男が許せないのだろうか?
(多分、後者だろうな……やれやれ、ミリーシアが余計なことを言うから)
わざわざ、ただならぬ関係であることをばらさずとも良いものを。まるで外堀を埋められているような気分だ。
「それで……試験は合格ということで構わないのかな?」
カイムが刺されそうになった首を撫でながら訊ねると、フォッシュベルが渋々といったふうに頷いた。
「ええ……非常に遺憾なことではありますが、貴殿が両殿下の会談に同席することを許します」
「そうかよ。それじゃあ、遠慮なく同席させてもらおうか……許可なんてもらえずとも、最初からそのつもりだったけどな」
カイムは鼻を鳴らしてフォッシュベルの横を通り過ぎ、部屋から出て行った。
「ムウ……カイム様に失礼な男ですわ。ハルスベルク家の連中といい、執事にはまともな男がいないですの?」
「……失礼する」
続いて、ティーとレンカも後に続いて部屋から出る。
フォッシュベルが部屋に残って、直立不動のまま四人を見送り……やがて、崩れ落ちるように倒れて膝をついた。
「グウ……まさか、私がこのような反撃を喰らってしまうとは……」
脇腹を抑えてうずくまるフォッシュベルの顔にブワリと脂汗が流れていく。
カイムをナイフで突き刺そうとしたフォッシュベルであったが……彼は思わぬ反撃を喰らってしまい、ダメージで身動きが取れなくなってしまった。
カイムは自分の首にめがけて突き出されたナイフを手刀でへし折り、反対の拳をフォッシュベルの腹部にめり込ませていた。
肝臓へのカウンターをまともに喰らってしまい、フォッシュベルは肉体が内側から破裂しそうなほどの苦痛を感じている。
ミリーシアらを穏やかに見送ったのはせめてもの意地。本当は立っているのもままならない激痛に襲われていた。
「この私が……かつては皇帝陛下の影として生きていた私が一方的にやられるとは……あの男、いったい何者なのだ?」
フォッシュベルの脳裏にカイムと呼ばれていた青年の顔が浮かぶ。
精悍な若者だった。顔立ちも良いし、細身の身体にもしっかりと筋肉がついていた。
それでも、帝国でもっとも尊い血筋を引く女性の伴侶としては相応しくない。
だからこそ、フォッシュベルは客人を試すようにとのアーサーの命令を快諾して、あわよくばナイフで突き殺そうとしたのだから。
「ミリーシア殿下はどこであのような男を……あわよくば皇女殿下を汚した痴れ者を始末するつもりだったのだが、これは認めざるを得ぬか……」
帝国は実力主義者の国。
相応の力を持っていれば、平民だろうと認められる。
フォッシュベルは悔しそうに表情を歪めて、カイムという男が示した結果に奥歯をギリギリと鳴らすのであった。




