96.王城への帰還
宿屋で旅の疲れを癒やして、翌日。カイムら一行は王城へと向かった。
先頭を歩くのはレンカ。彼女に守られるようにしてミリーシアが続いていく。
本来であればカイムが先陣を切るべきなのだろうが、帝国とは無関係な人間であるカイムが先頭では城に入れない可能性がある。そのため、先頭をレンカに譲ったのである。
大通りを進んでいくと古く重厚な雰囲気がある城が徐々に近づいてきて、城の正門が眼前に現れた。
大きな門の左右には屈強な兵士が立っている。大柄な兵士は十分な訓練を受けているようで、熟達した兵士であることが遠目にも伝わってきた。
カイム達が正門に近づいていくと、兵士が警戒した様子で槍を向けてきた。
「待たれよ。ここから先は関係者以外は……」
「誰に槍を向けている! 控えよ!」
レンカが怒声を発した。
いつもベッドで尻を叩かれてキャンキャン鳴いている女とは思えない、毅然とした声である。
「ここにおわす御方をどなたと心得る!? 帝国第一皇女にして皇位継承第三位。ミリーシア・フォン・ガーネット殿下であらせられるぞ!」
「なっ……!」
レンカの放った言葉を聞いて、警備の兵士が目を剥いて槍を引く。
彼らの視線がレンカの後ろにいたミリーシアへと向けられ……即座に膝をついて、頭を下げる。
「ご、ご無礼をいたしました。ミリーシア殿下!」
「知らぬこととはいえ、何ということを……どうぞ、ご容赦ください!」
皇族に槍を向けてしまったことに気がつき、兵士らは顔を青ざめさせている。
事と次第によっては家族も道連れで死罪になりかねないことをしたのだから、兵士が怯えているのも無理はなかった。
「何というか……意外と気持ちの良いものなんだな。権力を振りかざすっていうのは」
後方にいるカイムが苦笑する。
血筋や地位で相手をひれ伏すというのは、力で屈服させるのとは違う気持ちの良さがあるようだ。
貴族が権力に溺れて横暴になってしまうのも、ある意味では自然なことなのかもしれない。
「構いません。扉を開きなさい」
ミリーシアが端的に言った。
背筋を伸ばして凛然として立つ姿は、普段の彼女とは別人のようである。これがミリーシアの皇女としての顔なのだろう。
「ははっ! ただいま!」
「開門! ミリーシア皇女殿下の御成りである」
兵士が叫び、即座に王城の扉を開く。
重厚な金属製の扉がゆっくりと左右に開いていった。
「さて……鬼が出るか蛇が出るか。楽しみだな」
「カイムさん、一応は私が生まれ育った場所です。魔物の巣窟のような言い方はやめてください」
「兄弟で殺し合おうとしている奴らの根城だろう? 『魔窟』というのはそれほど場違いな表現ではないと思うけどな」
ミリーシアに肩をすくめて、カイムは開かれた扉の向こうに目を向けた。
石造りの王城の内部は荘厳な雰囲気で、外にまで高貴な空気が伝わってくる。城の外とはまるで別世界のようだ。
平民育ちの一般人であれば、たとえ門戸を開かれたとしても重い空気に気後れして引き返してしまうだろう。
「それでは、参りましょう」
レンカが先頭で王城に入る。
ミリーシアがまっすぐ視線を向けて続いていき、カイムとティーが最後尾を続いていく。
「…………?」
門番の兵士がカイムに怪訝な目を向けてくる。
素性のわからない男の存在を怪しんではいるようだが、ミリーシアの手前、止められることはなかった。
兵士としても、これ以上の無礼は避けたいのだろう。
城の内部に入ると、そこには広々としたエントランスが広がっている。床には高級そうな赤い絨毯が敷かれており、あちこちに調度品や置物、絵画が飾ってあった。
(玄関をこうして飾り立てているのは、やってくる人間に帝国の権威を見せつけるためだろうな……こんなものまで、よくやるぜ)
カイムはエントランスホールの真ん中に置かれている魔物の剝製を見上げて、そんな感想を抱く。
正門をくぐって正面に現れたのは、見上げるほどの大きさがあるドラゴンの剝製である。こちらに牙を剥く竜の姿は酷く恐ろしいものだった。
帝国はドラゴンすら倒して剝製にすることができるのだと、その力をありありと見せつけてくる。
「ミリーシア皇女殿下! 戻られたのですか!?」
「お久しぶりです。フォッシュベル侍従長」
カイムが物珍しげにエントランスを見回していると、慌てたような様子で執事服姿の老年男性がやってきた。
ロマンスグレーの髪とヒゲを丁寧に整えた男は片目にモノクルをかけており、絨毯の上をすべるように駆けてくる。
「へえ……」
カイムは執事服の男の登場にわずかに目を見張った。
素人目には普通に走ってきただけのように聞こえたが、その体幹のぶれなさ、床を踏みしめる脚の力強さには感嘆させられるものがある。
おそらく、何らかの武芸の達人なのだろうということがわかった。
「ご帰還をお待ちしておりました。よくぞご無事で……!」
フォッシュベルと呼ばれた執事服の男からはミリーシアに対する敬意が伝わってくる。
深い崇敬の念は上っ面の物とは思えない。本心からミリーシアのことを主人として敬っているのだろう。
「心配をかけてしまって申し訳ありません。気の迷いがあったようで随分と迷走してしまいましたが、ようやく己のなすべきことが見つかりました」
ミリーシアが己を恥じるように言う。
ミリーシアは二人の兄が争っている事実から目をそらし、次兄の手引きによって他国に亡命しようとした。
権力争いに巻き込まれないようにとの処置であったが、見ようによっては皇族の義務を放棄する行為ともいえる。
「私は戻ってきました。これから、皇女としての義務を果たします」
「皇女殿下、まさか……」
「アーサーお兄様に面会します。話を通していただけますか?」
「…………!」
フォッシュベルがモノクルをかけた目を見開いた。
「……承知いたしました。今すぐに」
老年の執事は深く頷いて、近くにいた別の執事に耳打ちをした。