95.別れ
王城の状況を聞いて覚悟を決めたカイムら一行であったが、孤児院にやってきた目的はもう一つあった。
「マザー・アリエッサにお願いがあるのですが……こちらの女の子を預かってはいただけませんか?」
「そちらの少女を……何か訳ありでしょうか?」
ミリーシアが話を切り出すと、マザー・アリエッサがカイムの膝に乗っている幼女へと目を向けた。
「…………」
リコスは両手でティーカップを握りしめ、チビチビと紅茶を舐めている。
明らかに躾のできていない仕草だ。いったい、どうしてこんな子供が皇女と行動を共にしているのだろうと、マザー・アリエッサも首を傾げている。
「事情を説明すると長くなるのですが……」
ミリーシアがリコスを拾うまでの経緯について説明すると、マザー・アリエッサは驚きに瞳を見開いた。
「魔物に育てられた少女……なるほど、そんなことがあったのですか……」
「よろしければ、この孤児院で引き取ってもらえると有り難いのですが……」
「もちろんですとも。魔境で魔物に育てられるという数奇な運命を持ったその子にも、神の救いの手が差し伸ばされることを教えてあげましょう」
マザー・アリエッサがリコスに近づいていき、ゆっくりと頭を撫でる。
リコスは抵抗こそしないものの……紅茶を舐めるのをやめて、怪訝な目でマザー・アリエッサを見上げた。
「大丈夫ですよ。一つずつ、しっかりと人間の常識を勉強していきましょうね。人生にやり直しのきかないことなどないのですから」
「よろしくお願いします……マザー・アリエッサ」
「色々と入用になるだろうから、金は置いていく。適当に使ってくれ」
カイムが大金の入った布袋をテーブルに置いた。
かなりの大金であったが、魔狼王の魔石を売れば十分におつりがくる。惜しくなどはなかった。
「寄付として受け取っておきましょう。この子の将来のために使わせていただきます」
「そうしてくれ……それじゃあ、お別れだ。元気でな」
「う……?」
カイムがリコスの頭を撫でると、不思議そうな顔で首を傾げてくる。言葉の意味が理解できていないようだ。
カイムらは孤児院にリコスを預けて、帝都の街の中へと戻っていった。
リコスはカイムについていこうとしたが……孤児院で働いているシスターらによって手足を掴まれ、捕獲されてしまった。
必死にカイムらを追いかけようと暴れるリコスであったが、孤児院の職員がクッキーを差し出すと別人のように大人しくなり、クッキーをコリコリと齧っていた。
現金なものである。結局、数日を共にしたカイムらよりも美味しいお菓子を選んだようだ。
「別に良いけどな……それで、このまま王城に向かうのか?」
「……いえ、一晩、宿に泊まってからにいたしましょう」
カイムが訊ねると、ミリーシアが少しだけ考えて答えた。
「長旅で疲れていますし、じっくりとベッドで休んでからにいたしましょう。話し合いが決別したのであれば、すぐにでも逃げ出さなくてはいけないかもしれません」
ミリーシアとアーサー皇子の話し合いが上手くいけばよいのだが、交渉決裂した場合、そのまま戦闘に移行する可能性があった。
十分に英気を養い、万全の態勢を整えてから向かうべきだろう。
「そうだな、俺としては異論はない。ただ……休養が目的だったら、夜の運動はお預けだぞ?」
「ううっ……それは悲しいですの……」
「う……そうですね……」
ティーが「シュン」と虎の耳を垂れさせる。
ミリーシアも不服そうな顔をしているが、こればっかりは譲れない。この三人の相手をしていたら体力がいくらあっても足りないのだ。
敵地に乗り込もうという時に乳繰り合ってなどいられなかった。
「……わかっています。ここは自重させていただきます」
「放置プレイと思えば、これくらい容易いものだ。我慢した後に食べる料理はさぞや美味いだろうな!」
何故かレンカだけは得意げに胸を張っていた。
女騎士が放置プレイとか口にしないで欲しい。調教され過ぎである。
「……話はまとまったな。宿を探そう」
どうやら、今晩はよく眠れそうである。
カイムは安堵の息をつき、街の大通りで宿屋を探すのであった。