94.孤児院
「あらあら……どこかで出会うとは思っていたけれど、早い再会だったわね」
「……そのようだな」
目の前に現れた『首狩りロズベット』をカイムは睨みつける。
『リュカオンの森』を突っ切って帝都までやってきたカイムらであったが、ロズベットの方が先に帝都についていたようだ。
カイム達が憲兵の目を避けるように遠回りしてきたのに対して、ロズベットはまっすぐ帝都に向かってきたのだろう。お尋ね者の殺し屋がふてぶてしいことである。
「おかしな縁がありますわねえ。ひょっとして、これは決着をつけるようにと天が言っているのではないかしら?」
ロズベットがローブの中に右手を入れる。おそらく、そこに憲兵らを殺害したナイフが収められているのだろう。
こんなところで戦ったらさぞや多くの人目を集めるだろうに、ロズベットにそれを気にした様子はない。
馬鹿か豪胆か。どちらにしても、目立ちたくないカイムにとっては厄介極まることである。
「いや……やめておこう」
ゆえに、カイムは首を振った。
何故かやる気になっているロズベットであったが、そもそも、カイムにはロズベットと戦う理由はない。敵対した覚えはないし、因縁があるわけでもないのだ。
騒ぎを起こしたくないというのもあるが……戦わないのにはもう一つ、理由がある。
「おのぼりさん丸出しで観光している奴と、どうやって戦えっていうんだよ。まずは左手に握ったチキンを捨てやがれ」
右手でローブに隠したナイフを握るロズベットであったが、左手には大きなチキンを握りしめていた。
タレのついた鶏肉からは食欲を誘うスパイシーな香りが漂ってきている。おまけに腰のベルトには動物の形をした飴やら観光地特有の土産物の袋をさげており、どんだけ帝都を満喫しているんだと言わんばかりの姿である。
「あら、私はこのまま戦っても構わないわよ? 貴方みたいな強い男と戦えるだなんて……」
「お姉さん、トウモロコシが焼きあがったよー」
「あ、今行くわよ。ちょっと待ってなさい」
ロズベットはパタパタと近くの露店に駆けていき、財布から硬貨を取り出して焼きトウモロコシを購入していた。
「熱々だから気を付けなよ。火傷するから」
「はいはい……って、本当に熱いじゃない! だけど香ばしくて美味だわっ!」
自分を放っておいて焼きトウモロコシを齧っているロズベットに目を細め、カイムは視線をそらした。
「……いくか」
ある意味では運命的な再会ではあったものの、カイムはこの出会いをスルーすることを決めた。
仲間を引き連れ、ロズベットが露店でやり取りをしている隙に通り過ぎていく。
「い、いいんでしょうか? お尋ね者の女性を放っておいて……」
「問題ないだろう。というか、俺達だってお尋ね者みたいなものだろうが。どの面を下げて憲兵のところに引きずってくんだよ」
ミリーシアの問いにカイムは皮肉そうに肩をすくめた。
城門ではたまたまレンカの顔見知りの兵士が相手だったから良いものの、ミリーシアを探している兵士と会ってしまったら面倒である。
「それよりも……これから、どこに行くんだっけ? 宿を探すのか? それとも、このまま城に行って兄貴の所に乗り込むのか?」
「そうですね……まずは私が知っている孤児院に行って、リコスさんのことを預けていきたいと思います」
ミリーシアが物珍しそうにあちこちに視線をやっているリコスのことを見る。
「この子を私の問題に巻き込むわけにはいきませんから、この子を信頼できる人に預けていきましょう」
「ああ……そうだったな。それもあったな」
「その孤児院の責任者は王宮の事情にも精通している方ですから、情報もいただけるかもしれません」
「了解。それじゃあ、さっさと孤児院とやらに行くとしようか」
カイムら一行はミリーシアに案内されて、帝都の一角にある孤児院へと向かっていった。
到着したのは落ち着いた雰囲気のある教会のような建物である。広い庭では子供達がボールを投げて遊んでおり、和やかな雰囲気が伝わってくるような場所である。
「へえ……良さそうな場所じゃないか。子供が笑っている」
親のいない子供が笑って生活できているのなら、ここは良い場所といえるのだろう。
親がいたって笑えない子供なんていくらでもいる。子供は親を選べないのだから。
「ここは母が設立した場所で、母が亡くなってからも親交のある貴族や商人らが出資してくれていますから。経済的にも豊かで、子供達への教育も行き届いているはずです」
「それは結構。この調子で狼娘も受け入れてくれると良いんだが……」
正面から敷地に入ると、シスター服を着た年配の女性が出迎えてくれた。
「旅の方とお見受けしますが、こちらの孤児院に何の御用でしょうか?」
白髪で老年のシスターは穏やかな口調で訊ねてきた。
ミリーシアが前に進み出て、頭部を覆っていたフードを下ろす。
「お久しぶりです、マザー・アリエッサ」
「貴女は……ミリーシア殿下!」
シスター……マザー・アリエッサと呼ばれた女性が思わずといったふうに声を上げて、慌てて口を手で覆う。
周囲をサッと見回すが、特に聞いている人間はいないようだ。胸を撫で下ろした様子でミリーシアに話しかけてくる。
「行方不明と聞いていましたが……よくぞご無事で」
「心配をかけてしまって申し訳ございません。マザーも息災そうで何よりです」
和やかに話し合う二人からは気安い空気が伝わってきており、親しい間柄であることが傍目にもわかった。
「レンカさんも無事なようですね。神の導きに感謝いたします」
「お心遣い、感謝いたします。神の導きにも」
同じく、顔見知りらしいレンカも頭を下げる。
マザー・アリエッサはカイムやティーにも視線を向けて物言いたげな顔をするものの、何も言うことなく微笑みを浮かべてきた。
「ミリーシア殿下の御友人ですね? 殿下がお世話になりました」
(明らかに怪しい俺達にまで平然と接してくるなんて……なるほど、かなりの人格者のようだな)
「ああ、問題ない。雇われた身として当然のことだ」
「さあさあ、積もる話もあるでしょう。奥へどうぞ。お茶を淹れさせていただきます」
マザー・アリエッサに案内されて、カイム達は孤児院の奥の部屋へと通された。
途中で孤児院の子供達が不思議そうに目を向けてくるが、大人の話に首を突っ込んではいけないと教わっているのか、近寄ってくることはなかった。
「さて……それでは、そちらにお掛けください。すぐにお茶の用意をいたします」
勧められるがまま、カイム達はテーブルにつく。それぞれが椅子に座り……何故かリコスはカイムの膝の上に乗った。
すぐにマザー・アリエッサが紅茶を入れたカップを全員の前に並べてくれる。
深みのある香りが香ってきた。決して高価な品ではないようだが、純粋に淹れ方が上手なのだろう。人をもてなすことに慣れているようだ。
「さて……こちらの部屋は防音になっています。私共に何か相談があってこられたのでしょう?」
「……さすがはマザー・アリエッサです。ひょっとして、王城の状況も把握しているのでしょうか?」
「ええ……多少のことは。おせっかいな者達が色々と話をしに来てくれますので」
テーブルの対面に座ったマザー・アリエッサがわずか表情を曇らせる。
「ご存知だと思いますが……先帝陛下がお倒れになってから、第一皇子であらせられるアーサー殿下と第二皇子であらせられるランス殿下の間で権力闘争が起こっています」
「…………」
「ランス殿下も帝都を離れました。ご自分の領地に入っており、そこで手勢の兵士を結集させているようです。おそらく、蜂起してアーサー殿下と決着をつけるつもりなのでしょう」
「そんな……!」
ミリーシアが息を呑んだ。
事前にそれらしい情報を得てはいたものの……不確定だった情報が確信に変わったことで顔を青ざめさせる。
ランスが帝都を離れたのは兄との争いを避けたのではなく、決戦する覚悟を決めたからだろう。
アーサーとランスの戦いが始まるまで、もはや猶予がなかった。止めることができるとしたら、これが最後のチャンスなのかもしれない。
「アーサー殿下はランス殿下を反逆者に認定して、討伐隊を送り込もうとしています。出征まで一ヵ月とかからないでしょう」
「……アーサーお兄様に会いに行きます。話をして、戦いを止めます」
ミリーシアが毅然とした顔つきで断言した。真剣な眼差しには有無を言わせぬ強い意志が浮かんでいる。止めたとしても聞きはしないだろう。
「いいさ……俺はついていこう。乗り掛かった舟だしな」
「ティーも問題ありませんわ。レンカさんも良いですよね?」
「姫様のなされることに異論などあろうわけがありません。私はもう覚悟は決まっています!」
「……よろしいのでしょうか、ミリーシア殿下。私はこのまま殿下が隠れていた方が安全だと思います」
覚悟を決める一行に、マザー・アリエッサが心配そうに言ってくる。
「アーサー殿下は決して悪人ではありません。しかし、己の覇道を貫くためであれば、いくらでも非情になれる御方です。女性のミリーシア殿下もタダで済むとは思いませんよ?」
「私はガーネット帝国の皇女です。己の生まれに見合った役目があります」
ミリーシアは椅子から立ち上がり、戦場に向かう戦乙女のような顔で胸を張る。
「一度は他国に逃げた私ですが……今度こそ、帝国を救うために命を賭けたいと思います。大丈夫です、私には支えてくれる仲間がいますから」
「……さようでございますか。ならば、私が言うことは何もございません」
マザー・アリエッサもまた立ち上がり、首から下げたロザリオを握りしめる。
「ミリーシア殿下の行く末に神の加護があらんことを。どうか、ご無事で……」