93.帝都の景色
レンカが御者台に座って馬を操り、馬車を城門に向かって進めていく。
先に並んでいた行商人や旅人の後について順番を待ち、やがてカイムらが審査を受ける番がやってきた。
ここで止められてしまっては、アーサーとランスに接触することができなくなってしまう。
しかし……そこで声を上げる男がいた。
「レンカさん! レンカさんじゃないですか!?」
城門の前に馬車を進めるや、審査をしていた兵士が声を上げた。大声で話しかけてきたのは二十歳前後の若い騎士である。
「お前は……確かコージーだったか?」
「覚えていてくれたんですね! いやあ、嬉しいなあ!」
人懐っこい笑みを浮かべて若い騎士が近づいてくる。
「知り合いか?」
「ああ、王宮に勤めている後輩の騎士だ。前に指導を担当したことがある」
カイムがレンカの耳元に訊ねると、小声で説明をしてくれる。
どうやら、城門で審査をしていたのはレンカの知り合いだったようだ。
「今日はどうされたんですか? お仕事で外出していたんですか?」
「まあ、そんなところだ。ところで……すぐに王宮に戻らなくてはいけない用事があるんだ。時間が惜しいので、通してもらっても構わないかな?」
「ええ、もちろんですとも。ところで……そちらの男性はレンカさんのお知り合いですか?」
若い騎士が探るような口調で訊ねてきた。
もしかして、怪しまれているのだろうか。カイムは顔色が変わらないように努めて平静を装った。
「ああ……そうだ。私の友人、いや、同僚というべきかな? とある任務のために外に出ていた」
「ふうん……」
若い騎士が怪訝そうな目でカイムを窺う。
騎士の目は何故かカイムだけをロックしており、フードを被って馬車の隅で小さくなっているミリーシア、メイド服のティー、野生児の幼女であるリコスには向けられていない。
改めてみると怪しすぎる一団であったが……若い騎士がそれを見咎めることはなかった。
「……どうぞ、通ってください」
「……? ああ、すまない」
何故かしょんぼりとした様子で通行の許可を出す後輩に、レンカは首を傾げながら馬車を進めた。
「レンカさん……意外と罪な人ですの」
「ム……? どういう意味だ?」
「わからないのなら構いませんの。あーあ、失恋は苦いチョコの味ですのー」
「…………?」
揶揄うようなティーの口調にレンカが不思議そうな顔をしている。
どうやら、若い騎士の切ない男心はレンカには伝わっていないようだった。
レンカ自身、無意識なのだが……カイムとレンカの距離は単なる同僚のそれではない。気づいていないのは本人ばかりで、レンカがカイムを見る目には明らかな恋慕と信頼が込められていた。
そんなレンカの変化に若い騎士の淡い恋心が打ち砕かれることになったのだが……それは当人にはまるで伝わっていないようである。
「とにかく、最初の関門は突破したな。ここが帝都。帝国最大……いや、大陸最大の都市か!」
帝都へと足を踏み入れたカイムが顔を輝かせる。
正門をくぐって中に入ったカイムの前に現れたのは人、人、人、人……視界を埋め尽くす圧倒的な人の波だった。
ここに来るまでにもいくつかの町を経由していたが、これほどまで賑わっている場所を訪れるのは初めてである。
ミリーシアとレンカにとっては見慣れた風景だが、初めて訪れるティーは目を皿のように見開いていた。
残る一人……狼に育てられたリコスは目をパチクリさせて大通りを行く人々を目で追っている。
「カイム様、人間と獣人……それに見たこともない種族がいますの」
「ああ、人間のようにも見えるが……珍しい髪だな。それに耳も」
カイムとティーが見知らぬ種族に首を傾げた。二人の疑問にミリーシアが答える。
「ああ、あちらは森人族。いわゆる『エルフ』と呼ばれる方達ですよ」
三人の視線の先……新緑色の長髪の男女が並んで買い物をしていた。
驚くほど整っていて人形のようにすら見える美貌。そして、ピンと尖った耳が特徴的である。
「エルフって……おとぎ話に出てくるあのエルフか?」
カイムも目を輝かせる。
子供の頃、母親から読み聞かせられた絵本にも『エルフ』と呼ばれる民族が出てきた。
亜人と呼ばれる者達の仲でもドワーフと並んで有名な種族だったが、直に目にするのは初めてである。
「エルフは森の中に集落をつくっていて、滅多に人前に出てきませんから。まれに若いエルフが森の外を見ようと出てくるようですが……帝国でも帝都くらいしか目にする機会はありませんよ」
「その割には有名だよな。エルフってのは。人前に出てこないのに名前が知られているとはおかしな話だ」
「それだけエルフが強い力を持っているということです。エルフの戦士は一人で一個中隊に匹敵すると言いますから。『アルハザート戦記』や『勇者ベアキッドの冒険』などにも英雄を導く師や仲間として登場しますし」
「ああ、その本だったら俺も読んだことがあるな。冒険者になりたいと思うきっかけにもなった」
カイムは幼い頃に読んだ本を思い出した。
英雄譚を読み、そこに登場する主人公のようになりたい……そんなことを幼少時には思っていたものである。
(憧れていた英雄……随分と遠くになっちまったな)
今のカイムは勇者や英雄というよりも、彼らの前に立ちふさがる魔王のようである。
毒を支配し、その力を使って美女をはべらせているカイムは英雄などとはとても呼べまい。
(英雄というのはあの男……ケヴィン・ハルスベルクのような男を指しているのだろうな。正道を歩き、邪悪に立ち向かう戦士……)
「……どうでもいいな。片腹痛くなる」
正道をまっすぐ進み続ける戦士。立ちふさがる敵を容赦なく叩き潰す勇者。
物語の主人公であればご立派なものだが……『悪』と断定されて叩かれる側としては迷惑極まりない。
父親のような英雄になりたいという夢は『毒の王』となった時に捨てている。
今のカイムが歩むべきは王道でもなければ正道でもない。自分が自分らしく生きることができる道を歩いているのだから。
「おっと、悪い」
「んっ、こちらこそ失礼」
余計な考え事をしていたせいで、カイムは前を歩いていた女性の背中にぶつかってしまった。
謝罪をすると、相手の女性も振り返って頭を下げてくる。
「私の方こそ道の真ん中で立ち止まっていて、ごめんなさいね。邪魔しちゃったわ」
「いや、こっちこそ…………あ?」
振り返った女性。頭一つ下にある顔を見て……カイムは目を見開いた。
「あら? 貴方はたしか……?」
そこにいたのは小柄な体格の若い女性。
動きやすそうな簡素な服装の上に灰色のローブを羽織っており、フードの下でネイビーブルーの髪が揺れている。
旅の途中で遭遇したお尋ね者の女……『首狩りロズベット』であった。