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聖女が無から生まれるとでも?

作者: 迎 カズ紀

「聖女が無から生まれるとでも?」

 そう冷たく言い放った聖女様を見て、私は愕然とした。聖女様の言動に対してではない。これまで思い当たらなかった私自身に対してだ。



 生まれつき聖魔法の適性が高く、先代の神官長に拾われた私は、王都の大聖堂で神官見習いとして生きてきた。そんな私も十六になり、見習いの札が取れて最初の仕事が、間近に迫る厄災に備えて行われた聖女召喚の儀の補佐だった。

 異世界からの聖女召喚の儀。前回行われたのは百年前だ。異世界とこちらの世界では時の流れが違うようで、召喚された今代の聖女様と過去の記録で見た聖女様の身なりに大きな違いはない。もう慣習となってきた説明で大丈夫だろう――そう誰もが思い、新しい聖女様に話しかけた。

 私は何も言わなかった。いや、声をかけられる立場ではなかった。じっと他の召喚補佐の者に倣い直立していた。


「――私は」

 召喚されてから一言も発しなかった聖女様が初めて喉を震わせた。今の神官長の説明を遮る形になってしまったが、正直長すぎたのでちょうど良かった思ってしまった。私を拾ってくれた先代と違い、今の神官長は好きではない。そう思うのはとても個人的な感情なので、誰にも言ったことはないが。ともかく、聖女様が口を開いたのだ。誰しもが耳を傾ける。

「私は、その浄化を終えたら、帰れるのでしょうか」

 偉い立場の者全員が顔色を変えた。僅かな者もいたし、明らかに分かる者もいた。よく聞かされていない召喚補佐たちは顔を見合わせる。私もその一人だった。

「浄化を終えれば報酬を出す。高い地位を与える。そう現王から言付かっておる。不浄の地に湧いた魔物を討伐する勇者軍には、王族や騎士団の者以外にも優秀な者がいる。彼らと共にする中で芽生えた情を我々は尊重する。それでは駄目か」

 神官長はそう言った。その言葉をとどめに、元の世界へ帰ることはできないことを認めていた。

 過去の聖女様は、帰ることのできない現実に嘆きはしたが、浄化の旅の最後には全員がこの世界で生きる覚悟を決めていた。それはこの世界の美しさを知ったから、新しい世界でやり直す願望を持っていたから、恋をしたから――。理由は様々だが、元の世界へ帰ることにいつまでも執着していなかった。あくまで記録では、そう伝えられている。

 きっと、今代の聖女様もいつか納得してくれる。そう誰しもが思っていた。

「あなた方の認識では」

 そんな空気での、聖女様の発言だった。

「聖女が無から生まれるとでも?」

 ――この瞬間、異世界から人を召喚することの残酷さを私はまざまざと思い知らされたのだ。



「失礼します」

 聖女召喚の儀から七日が経った。また七日後にはもう、聖女様は勇者軍と共に浄化の旅へ出る。私はそれまでの間、聖女様の教育係をすることになったのだ。

 どうして男の私が、と当惑したが聖女様たっての希望らしい。あの目まぐるしかったであろう召喚の日、私なんかを見る余裕があったのかと驚いた。

「あなたは知人に似ているの」

 それだけしか教えてくれなかったが、少しでも故郷を感じられるならと私は受け入れた。受け入れざるを得なかった、のほうが正しいのだが、心の問題だ。

「聖女様。午前の授業を始めますよ」

 午前は座学、午後は実技。本当は実技だけでも良いのだが、座学でこの世界の歴史や地理、文化を少しでも知ってほしかった。旅の中で真新しいものに次々と出会ってほしいし実際に触れ合うことで感動するもののほうが多いだろうが、聖女様にそんな心の余裕があるとは思いづらかった。心を殺すのが得意な方だと気づいてしまったからだ。


「これで午前の授業は終わりです。それでは、午後の実技までお休みください」

「――待って」

 聖女様が私の袖を掴む。座ったまま私の目をじっと見つめる。水晶のように光るその瞳はいつもより力強く感じた。

 朝焼けのような瞳を持つ聖女様。それはこちらの世界に来て変わってしまったものらしい。深い紫紺の中に見える橙の光はとても綺麗だけれど、聖女様は髪色と同じ黒の瞳じゃなければ嫌だと言う。

 これ以上私から奪わないで――そう聖女様は鏡に映った自身を睨んでいたのを見たのが三日前のことだった。

「どうなさいましたか」

 平静を保てているだろうか。そう自身を疑い信じながら尋ねる。聖女様が能動的に何かをすることは滅多に無い。淡々と言われるがままに、それでいて強い憎しみと悲しみを漂わせながら七日間を過ごしてきたのだ。

 聖女様は少しの沈黙の後、静かに口を開いた。

「あなたもここで昼食を摂ってくれると嬉しいのだけど」

 どうやら、ひとりの時間はもうたくさんだったらしい。


 聖女様付きの侍女が私の分も合わせて昼食を運んできてくれた。自分でできるからと、初日に侍女の申し出を聖女様は断っており、基本的に自分で身辺のことをすると言い張った。それでも聖女様一人では出来ないこと、文化の違いから生活に関してお教えすることはあるので完全に解雇されたわけではなかった。ともかく、実技の授業以外で部屋から出ようとしない聖女様の話相手は、私とこの侍女の二人だけだった。


「……私に構わず食べてください」

 聖女様が口にするまで待っていたら促されてしまった。一応教育係なので立場は上なのかもしれない。それでも、ただの一神官と聖女様では天と地の差だ。

「聖女様は食べないのですか」

「……なら同時に食べましょう。ええそうしましょう。いきますよ」

「ええ……わかりました」

 よく分からないけれど従おう。私は両手を額の前で組み目を閉じた。

「神に感謝を」

「いただきます」

 私と聖女様の声が重なったが、祈りの言葉は別物だった。パッとまぶたを開けると、両手を組むのではなく合わせた形で祈る聖女様の姿が飛び込んできた。ああそうか、ここにも文化の違いがあったのか。そして共に食事を摂らない侍女が教えられなかったことのひとつなのだ。

 聖女様も一瞬だけこちらを見、それから何事もなかったかのようにカトラリーを手にした。それでも、伏せられた目には感情が宿されていたのに私は気づいた。

「聖女様」

 食事中に話しかけることはあまり良くない。それを分かっていながら、私は聖女様に声をかけた。

「食事の際のお祈りの言葉など何でも良いのです。あなたの御心のままに」

 そう告げると再び聖女様は顔を上げ、私の瞳を見据えた。

「神に感謝を述べていた人の言葉とは思えない」

 そう非難するような、それでいて称賛するような響きを含ませた声が返ってきた。その表情が少しだけ和らいだように見えて、嬉しく思った。



 共に昼食を摂った日から、僅かだが聖女様の態度が軟化したように思う。座学の時間に質問が増えたこと、実技の時間に人形のようだった表情が動き出したこと、休憩時間に渡した飴玉を「おばちゃんみたい」と呟きながらも素直に受け取ってくれたこと――。本当に些細だが、信頼してくれていることが伝わってきた。それから、夜の自由時間に書庫へ通い本を借りるようになったこと。大聖堂は聖魔法に関する蔵書や論文、過去の聖女様の記録書が保管されている場所でもある。侍女からその話を聞き嬉しく思った。

 このまま、この世界のことも好きになってくれればいいのに。そう思いながら口には出さず、聖女様の成長を見守った。聖女様は私より四つほど歳上だと聞いたがそうは見えなかった。この世界の女性よりも幼い顔立ちなこともあるが、どちらかと言えば大聖堂に来たばかりの自身と重なったのだ。慣れぬ場所で努力する姿は決して他人事ではなかった。私も先代の神官長以外に心を許しておらず、教育係や侍女がいるとしてもひとりで頑張る聖女様の姿が過去の僕を想起させた。


 そうしているうちに六日が経った。明日の朝には聖女様は旅立ってしまう。たった十三日の付き合いだが、少しでも教えたことが浄化の旅の役に立ってほしいと思う。今日の最終テストの結果が良かったことを思い出し、安心した気持ちで私は眠りについた。


「神官様」

 女性の声とノックの音に起こされる。少し待ってくださいと声をかけ、身体を起こし身なりを整える。ローブを羽織りドアを開けると、聖女様が立っていた。

「どうして」

「いいから中に入れてください。人を呼びますよ」

「ええ……」

 強迫だろうか。側から見たら高位な存在の聖女様を教育係の男が自室に無理やり連れ込んだ図になるだろう。仕方なく、部屋に招き入れた。誰かを招くような内装ではないため、勉強時に使う椅子に聖女様を座らせ私はベッドに腰掛けることにした。

「それで、どうなさったのですか聖女様」

 余分に置いていたグラスに水を注ぎ差し出す。聖女様は何も言わずに飲んだが、少しは警戒してほしい。

「あなたの聖魔法が誰よりも優れていると耳にしたので、私の仮説を聞いてほしいと思ったのです」

「仮説?」

 なんだろう。私自身も勉強と研鑽を重ねてきたが、答えられることだろうか。

 どうぞ、と促すと聖女様はまた強い瞳で私の目を貫いた。ドキリとする。これは軽い気持ちで聴くものではないと、今更ながら理解した。


「聖魔法は他者の傷や病を治す力、それから汚染されたものを浄化する力だと教わり練習してきました」

 確認するように聖女様はそう言い、私は頷いた。聖女様が息を吸った。

「つまり、聖魔法は対象の時を操り、なかったことにする力だと思うのです」

 続けて聖女さま言った。

「傷や病を癒すことは、患う前に時を戻しその状態を現在まで保たせること。汚染されたものを浄化することも、汚染される前まで時を戻し現在までキープすること。そうではないでしょうか」

 堰を切ったように聖女様は語る。

 私は数秒、その仮説を頭の中で転がせた。

「……根元を断つということでしょうか。残念ながらすぐに肯定することはできません。ですが聖女様の言う通り、自然治癒または人的治療では不可能なものも癒すことのできる聖魔法には、時を操る力が関わっていると私も思います」

 聖女様の紫紺の瞳に橙の光が煌めいた。期待の色だ。


「聖女様」

 それでも私は、僕は、言わなくてはならない。この世界で生きる先輩として。

「聖魔法の対象は淀みなのです。この世界の神にとって不合理なことが、厭わしいと思うものが、神が観測した運命に沿うことができず哀れに思われたものが、治癒され、浄化されるのです。つまりは、神の御心次第なのです」

 気がついたら、聖女様の姿がぼやけていた。その原因が目に溜まった涙なのだと気づかないふりをした。

「殺される運命だった両親の傷を癒しきれなかったように、そこで死ぬ運命だった神官長の病を治せなかったように」

 最後まで言わなければいけない。泣いている場合ではない。隠し切れていないと分かっていながら私は心を殺そうとした。それでも表に出てきたのは、どんなに聖魔法を唱え、喉が枯れ涙が枯れ視界が揺らいでも諦められなかった僕だった。私は目の前の聖女様だけでなく、僕にもとどめを刺した。

「聖女様が召喚された事実はこの世界にとって、神にとって、不合理ではないのです。時を戻しなかったことにできる対象ではないのです」

 飴玉のような水が頬を伝った。

 聖女様は泣きもせず、ただじっと僕の話を聞いていた。



 泣き止むことを諦めた私は、聖女様に問いかけた。

「どうして、私を、教育係にしたのですか。知人に似ていると、おっしゃっていましたけど、いったいだれなんですか」

 気力を振り絞った結果、聖女様を睨むように見つめてしまった。それでも聖女様は、私から目を逸らさず真っ直ぐに答えてくれた。

「ごめんなさい。知人に似ているというのは嘘です」

「は……?」

「本当は、あの日、あなただけだったから」

「あの日、私だけ……?」

 ええ、と聖女様は頷く。

「『聖女が無から生まれるとでも?』そう私は言った。そして、上部だけの謝罪をする神官たちを見た。でも」

 そして笑った。聖女様が笑ったところを見たのは初めてだ。そしてその初めて見た笑った顔が、とても悲しげで自嘲の色を過分に含んでいることに胸が痛んだ。

「あなただけがわたしの言葉を受け止めて傷ついた表情を浮かべていた。私の背景にある異世界に想いを馳せてくれた。だから私はあなたを利用しようとしました。あなたが聖魔法のプロだったことは偶然でしたけどラッキーでしたね。そのせいで否定されたけど」

 それは罪の告白だった。私を利用しようと教育係を選び、元の世界へ戻る手段を掴むために励んできたのだと。

「どうして」

 私は尋ねた。聖女様は冷ややかな自嘲の色を瞳に宿し、見つめ返してくる。けれども、私の続けた言葉を聞き目を丸くさせた。

「どうして、そこまで元の世界に帰りたいのですか。そんなに元の世界は良いところなのですか」


 聖女様は立ち上がった。突然のことに呆気にとられていると、なんと私の隣に腰掛けた。対面では話せないことなのだろうか。聖女様のほうを見ないようにして返事を待つ。長い沈黙のあと、ようやく聖女様は答えた。


「地球での暮らしなんて良いものじゃないわよ。むしろ大嫌い」

「え……」

 思っても見なかった答えに驚きの声を漏らしてしまう。聖女様はそんな私を見て笑い声を上げる。

「私はあなたみたいに壮絶な人生を送ってきたわけじゃない。どこにでもある不幸の積み重ねで、私の努力が不足していて、世間から疎ましがられていただけ。性格も可愛げなんてありゃしないし、いじめられた一年間がずっと尾を引いて友達なんていやしない。親からも教師からもバイト先からも距離を置かれていた。ただそれだけのつまらない人生。二十歳になって酒を飲んでみても酔い切れず、全部が嫌になったなあと思ってたら、急に聖女様だなんて仰々しい存在になってたの」

 だから私、そもそも聖女なんて器じゃないの。

 そう言ってまた笑う。

 聖女様の言ってることのいくつかは分からず、それでも良い環境ではないことが伝わってきた。疑問は膨れ上がる一方だ。

「だったら、どうして帰りたいんですか。新しい世界でやり直すのじゃダメなんですか。まだ私と侍女としかまともに話していない今、どうしてこれから広がる世界に期待しないのですか」

 そう問いかけると、また静寂が部屋を包んだ。


「大嫌いな地獄で、ざまぁみろって笑いながら――誰も傷つけずに幸せになりたかったのよ」

 今度こそ、彼女は笑った。自嘲の色も悲しみの色も怒りの色もない、綺麗な輝きで笑ったのだ。



「聖女様」

「……何かしら」

「名前を、教えてください」

 まだ誰も聖女様の名前を知らない。過去も今も、大聖堂の人間が知ろうともしなかったことを私は知っている。

「すごい今更ね。どうして」

「私は今の聖女様を認めることができません」

 でも。

「僕はあなたの信念を守りたい。御心をあなたに捧げたい。神にあなたを召喚したことを後悔させてやりたい」

 僕は笑った。涙の跡でぐしょぐしょの顔で精一杯不敵に笑った。

「そのための都合の良い協力者になりたいのです」

 彼女は目を瞬かせた。それから深い深いため息を吐く。

「じゃああなたの名前も教えて。聖魔法を極める同志になりましょう。そして浄化の旅が終わったら、下克上を起こしましょう」

 ゲコクジョウの意味はわからなかったけど、頷いた。


 神官長。僕を拾って育ててくれた神官長。僕は神官の器じゃなかったようです。ごめんなさい。それでも僕は、聖女様になってしまったただの女性のために聖魔法を使いたい。


「私はミワ。吾妻深和」

「僕はノア。ただのノアだ」

「よろしく、共犯者」

「良い旅を、聖女様」






 部屋を出て行く前、ミワはふと振り返った。

「そう言えば、勇者軍て男多いんでしょ?」

「え、まあ女性もいますが、見目麗しい男性は多いですね。この国の第三王子に騎士団長の息子、それから――」

「わかったわかった。それで、その人たちが懐柔してこようとする可能性があるのよね?」

 歴代の聖女のほとんどが勇者軍の誰かと結婚している。まあそうなる可能性が高いだろう。頷くと、ミワはまたこちらへ来た。

「じゃ、私たちは恋仲ということにしましょう」

「は?」

「あ、別に愛なんてなくていいから。そういうことにしてるってなったら普通は言い寄ってこないでしょってだけ。隠れ蓑よ」

「いや、まあそうですけど私の立場が危うく……」

 モゴモゴと言い訳する私を見て彼女は呆れたようにため息を吐いた。

「別に大聖堂の人には言わなくていいわよ。それではおやすみなさい」

 ――今度こそ帰った。私もため息を吐き、ふらふらとベッドに倒れ込む。


「……そういった情がないわけではないのですが」


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