ミステリの舞台
当然だが、無人島には港はなく、一太は半ば「不時着」させるような形で、小型クルーズ船を浜辺に停めた。
浜辺の砂は、少し翳ってきた陽を余すことなく反射し、まるで砂糖をコーティングしたようにキラキラと輝いている。
クルーズ船に乗っていたとき同様に、海風が吹き付けており、少し肌寒さはあるが、汚染のない空気は匂いも触感も心地よかった。
「へえ、すごい。無人島ってはじめて……」
未優は感動した様子で目をキラキラさせながら、両手を広げ、不磨島の風を受けた。
「思ったより狭いんだな」
妻である未優とは対照的に、幹康の態度は冷めていた。彼は幼少期からそうである。物事を一歩引いて見る癖があるのだ。
月奈は、小高い丘上にある館を見上げながら、
「メビウス館っていうくらいだから、こういう形なのかと思っていた」
と、人差し指で、空に向かって横向きの8の字を書いた。
メビウスの輪である。
まさかそのような構造が工学的に可能かどうかはさておき、一太ももう少し「メビウス館」らしい奇抜の外観を想像していたので、拍子抜けは否めなかった。
「それにしても、何もないんだな」
幹康のぼやきに、他の4人が一斉に頷いた。
この島には、メビウス館と、そのすぐ隣にある小さな小屋のような施設を除けば、何もない。民家もなければ、道路等のインフラすら一切ない。まさに空き地なのである。おそらく、過去に遡っても、不磨島に人間が暮らしていたことは全くないのだろう。
そして、メビウス館は、海風にさらされているにもかかわらず錆の一つもない。沙耶斗からのメールには特にその点の説明はなかったが、おそらくこのメビウス館は新築間もないのだろう。
「あれ? もしかして、ここ、圏外?」
安曇がスマホの画面を見つめている。
「だろうな。クルーズ船に乗ってるときからすでに電波は入ってなかったしな」
幹康が淡々と言う。安曇はそれでもしばらくスマホの画面を見つめていたが、やがて諦めてポケットの中に入れた。
5人はまず、館の隣に設置してある小屋のようなものに近付いていった。
「なんだろう、これ、暖炉じゃなくて……」
「焼却炉だろ」
幹康が妻の未優に指摘する。
「ああ、それそれ! 焼却炉だ!」
小屋のように見えた施設は、焼却炉だったのである。
釜の入り口は、人が2人並んで入ることができるくらいの幅と、中腰に屈んだ人が入れるくらいの高さがあった。釜の高さとちょうど同じくらいの長さの煙突が、釜の上方から空に向かって伸びている。
扉を開けると、釜の中には、何も入っておらず、過去に何かを燃やしたような形跡もなかった。
「この焼却炉も館同様に新しそうね」
月奈が、館の壁と焼却炉を見比べながら言う。
「一体何のために作ったのかしら」
「ごみを燃やすためじゃないか」
幹康の指摘に、月奈は納得した表情を見せる。
「不法投棄によって綺麗な海を汚さないというのは殊勝なことだね」
一太は若干の皮肉を込めて言った。
「なんだい? 一太兄さんはこの焼却炉に別の目的があるとでも言うのかい?」
皮肉に気付いた幹康が聞き返す。
「別の目的……というのも違う気がするな。そもそも無人島なんだから、人が扱う道具の存在には一切意味がないんじゃないか」
現に、焼却炉には使われた形跡が何もないのである。
「つまり、単なる飾りだと?」
「ああ、そうだ。どこかの物好きが、飾りのために作ったんだろ。そして——」
一太は今や目の前に佇むメビウス館に目を遣る。
「この館だって、おそらく単なる飾りなんだ」
「別荘か何かじゃないの?」
安曇の素朴な発想は、十分に理解できるものだった。
「普通に考えたら、そうなんだろうな。でも、沙耶斗のメールによれば、この館は誰でも出入り自由らしい」
「誰も所有者がいないということかしら?」
「法的に所有者がいないということは考えにくいね。おそらく誰かしらが固定資産税を支払っているんだろう。だけど、事実上の管理は放棄してるんだろうね。それが何のためかはよく分からないし、まさしく物好きの仕業としか言いようがないんだけど」
「つまり、この島自体が誰かの作った『芸術』ということかしら」
月奈が、実にらしいことを言う。月奈の生業は画家なのである。
「遠くないと思う。月奈、創作意欲は湧いた?」
「少しね。ただ、この無人島は、絵画のモデルというよりは、別の舞台にふさわしい気がするわ」
「別の舞台? なんだい?」
「無人島、奇妙な名前の館、『何を燃やすか分からない』焼却炉、そして、集められた親戚5人。何か連想しない?」
一太は、月奈が考えていることが何か分かったが、それは縁起でもないことなので、それを言い当てることは憚られた。
月奈が発表した答えは、やはり一太の予想通りだった。
「ミステリよ。執筆は私の専門外だけど、ここで親戚同士の殺し合いが起こる、という話だったら簡単に閃きそうな気がするわ」