アリバイ
「自殺だ。そうとしか考えられない」
未優によって叩き起こされ、広間に連れて来られた幹康はそう言い張った。
「だってそうだろ? 月奈の部屋の前の廊下は、一晩中、俺と一太とで見張ってたんだ!! 誰かが月奈の部屋に入り、月奈を殺すなんて不可能なんだよ!!」
まるで誰かを怒鳴りつけるような強い口調である。
怒りの矛先は犯人なのか、はたまた、廊下を見張りながら被害者を出してしまった幹康自身なのか。
「一太、そうだよな?? 昨夜、月奈の部屋に入っていった奴は誰もいないよな??」
「……ああ、そうだな。少なくとも俺が見てた限りではな」
「『少なくとも』? どういう意味だ? 誰かが月奈の部屋に入った可能性があるとでもいうのか?」
可能性はある。
ただ、果たしてこの場で言っていいものかどうか、一太は逡巡する。
「一太、早く言えよ。思っていることはすぐに晒け出さないと、お互い疑心暗鬼になっていくだけだぞ」
それはそのとおりである。
この三人の中の誰かが殺人犯なのかもしれない、という疑いは、三人がそれぞれに持っているのであり、一太だって疑われる方の立場でもあるのだ。
「じゃあ言うよ。たしかに幹康と俺は、廊下が見渡せる場所でずっと飲んでた。ただ、四六時中ずっと二人でいたのかといえば、それは違う。たとえば、一方がトイレに行くときは、トイレは建物の外にあるから、数分間はもう一方が一人きりで廊下に残されることになる。幹康はタバコでも何回か中座してたからね」
「つまり、俺がトイレやタバコでいなくなってるときに、一太が廊下を渡って月奈の部屋に行き、月奈を殺せたということか?」
「そういうことだね」
無論、一太が月奈を殺していないことは、一太自身よく分かっているが、物理的な可能性だけをいえば、そういうことになる。
「もちろん。その逆も然りだ。俺がトイレに行ってる間に、幹康が月奈を殺すことだってできる」
「なるほどな。とすると、俺と一太のアリバイは不完全ということか」
「そうなるね」
そうは言ったものの、一太は、自分がトイレに行っている間に幹康が月奈を殺したという可能性は、現実的にはほぼないと考えている。
なぜなら、一太は、自分がトイレに行ってる間に幹康が月奈を殺しに行く可能性を考えて、トイレを極力短く済ませていたからである。
小走りで螺旋階段を降り、実際に便器にまで行かず、建物を出てすぐの茂みで立ちションで済ませていた。
一太が一度のトイレで外していた時間はせいぜい1、2分程度であり、幹康が月奈を殺し、戻ってくるほどの時間はなかったはずなのである。廊下がシャンデリアの破片で塞がれてることを考えればなおさらだ。
それまで2人の話をじっと聞いていた未優が口を挟む。
「ちょっと待って。じゃあ、幹康か一太さんが犯人だということ??」
「未優、俺は断じて殺ってないぜ」
「俺もだ。俺も殺ってない」
「じゃあどういうこと?? どうして月奈さんは死んじゃったの??」
「俺の考えは最初に言ったとおりだ。自殺だよ。自分で自分の首を絞めたんだ。そうとしか考えられない」
「一太さんも自殺だと考えてるんですか??」
一太は、未優の質問に即答することができなかった。
消去法で考えるのであれば、自殺ということになる。
とはいえ、月奈が自殺することなど本当にありえるだろうか。
月奈は、このメビウス館に閉じ込められ、そして、殺人劇に巻き込まれていることを心底楽しんでいたはずだ。(そんな事実は全く確認されていないが、)仮に月奈が芸術家特有のうつ症状に悩まされ、自殺衝動に駆られたとしても、今この館で自ら命を絶つことは絶対にありえない。せっかくのリアル・ミステリーショーを見ずに死んでいくことは、月奈にとってはありえない選択肢なのだ。
そして、月奈は、白い布をひも状に結わいたものを首に巻かれて縊死していたが、索条痕は水平に付いていた。
また、月奈自身がもがいて首を引っ掻いたと思われる痕も見てとれた。自殺だとすれば、このような傷の残り方はしないはずである。
それに加えて、月奈の死体を少し動かしてみたところ、やはりそこには例の黒い塗料で描かれたバツマークがあった。
月奈がいくら悪趣味だからと言って、安曇のときと同じマークを残して自殺するだろうか。
とすると、他殺ではないが、自殺でもない、つまり、何が起きたのか分からない、というのが、一太の到達点なのだ。
とはいえ、未優の不安をこれ以上強めることは得策ではないだろう。
「……俺も自殺だと思う」
「ですよね。まさか幹康や一太さんが殺人犯なわけがないですよね」
一太の答えに、未優は満足したようで、ニコリと笑うと、そのままソファーに沈み込み、目を閉じた。
やはり昨夜は不安で眠れていなかったということだろう。