ハの字の傾斜
月奈が念願した部屋の調査は、あっという間に終わった。
客室はとても質素であり、余計な調度は置いていない。そこにあるのは机と椅子とベッドだけで、それらも最低限の機能を果たせれば良いだろうというシンプルな作りのものだったから、まさに種も仕掛けもない代物だった。
隠し扉でも探していたのか、月奈は部屋中の壁をドンドン叩いていたが、何も起きなかった。
隠し扉ないしは隠し通路というものは、この部屋に存在してない。
一太も気になってドアの周りやチェーンなどを具に観察したが、糸も落ちていないし、水たまりもない。
チェーンも、一箇所切断されていること以外には異変は見られない。そして、この切断跡は、密室を破る際に幹康がペンチでつけたものなのである。
やはりここは完璧な密室だ。
推理小説で見られるようなトリックなどはどこにもない。
この調査の中で一点だけ新しい発見があった。
それはどうやらこの建物が斜めに傾いているということである。
このことに気付いたのは月奈だった。
おそらく「この手」のミステリでは、そのような館の傾きというのは、よく使われるトリックなのであろう、月奈はそれを疑い、真珠のネックレスから一粒真珠を取り出すと、床に置いてみた。
すると、それはなかなかの速度で転がっていたのである。
客室だけではなく、廊下で同じ実験をしてみても、同様の結果であった。それは、廊下の向きに沿って、シャンデリア側ではなく、階段側(1階広間の玄関から見て、右から左)に向かって転がっていったのだ。
単に敷地が坂道になっているというだけかもしれないが、それにしてはあまりにも傾度が大きいと思う。
とすると、この館を作ったものが、わざとこの館を傾けて作ったということになろう。
しかも、さらに驚くべきことに、真珠を使った同じ実験を1階の広間で試したところ、真逆の結果が生じたのだ。
すなわち、真珠は先ほどとは逆の方向(玄関から見て、左から右)に向かって転がっていたのだ。
つまり、1階の広間と2階の廊下は、ハの字に傾いているのである。1階の広間に立って見上げてみると、たしかに、玄関から見て左側に行くにつれ、天井が低くなっている。
これはどう考えても、この館の構造上の問題であり、人為的なものとしか考えられなかった。
そのことに気付いたところで、果たしてそれがなんのためなのか一太には分からなかったし、ましてやそのことが安曇の死の謎、密室トリックとどのように関わっているのかも皆目見当がつかなかった。
「ねえ、このシャンデリア片付けない?」
廊下の中央を占領するシャンデリアを見下ろしながら、未優が提案する。
はじめて館を訪れたときには、館での長期滞在を予定していなかったため、片付ける必要はないと判断していた一太だったが、今はだいぶ事情が変わった。そして、安曇の悲鳴を聞いた際、このシャンデリアは実際に妨げにもなったのである。
一太が未優に賛意を表明しようとしたところ、幹康が妻の提案に異論を唱えた。
「未優、気持ちはわかるが、一体どうやって片付けようって言うんだ? この館には破片を拾う手袋もないし、拾った破片を入れるゴミ袋もないんだぜ」
「そうだけど……」
「一太の足の傷を見ても分かるだろ? この破片はかなり鋭利なんだ。下手に触らない方がいい」
たしかに一太の足に付いた傷はかなり深い。まだ一部かさぶたになりきっていない傷もある。
幹康の説明には納得しつつも,まだ不安げな表情を見せる未優の肩を幹康がポンっと叩く。
「大丈夫。次の被害者なんて絶対に生まれないさ。とっておきの策があるんだ」