館の本性
アルコールは人を眠りに誘うが、真の休息には誘わない。
興奮した神経は、夢という形で、一太に「現実」を見せ続けた。
一太は、夢の世界でも、メビウス館にいた。
一太は1階の銅像の前に突っ立ち、8の字に捻れたオブジェを見つめていた。
流線に沿うようにしてぐるぐるぐるぐると目を動かしている。そうやって視線を這わせているうちに、一太は徐々に狂っていった。
心を失うというよりは、心を何かに捉われ、そのことしか考えられなくなるような感覚であった。
メビウスの輪から視線を外した一太は、そのときようやく自分の手に鈍色の物体が握られていることに気が付いた。
刃物である。
一太は、玄関から見て右側の螺旋階段を一心不乱に上っていく。ぐるぐるぐるぐると。
一太の目的は明らかであった。
殺人である。
しかし、誰を殺すのかは皆目検討がつかなかった。一太は、この館にいる親戚の誰に対しても恨みはない。利害関係もない。
それでも一太は人を殺そうとしている。
動機は一つしかありえない。
この館である。
メビウス館が血を欲しているのである。
螺旋階段を上り終えたときには、一太は、これが単なる夢であることを明確に認識していた。
無人島、怪しい館、焼却炉、閉じ込められた親戚一同。
こうした「非現実的」な設定が、夢と親和的であるがために、一太の無意識下にいとも簡単に潜り込んできたのだ。
そして、この設定が指し示す「答え」である「殺人」のイメージが、夢の中の一太を殺人鬼へと仕立て上げている。
一太はそんなことを考えながら、夢の中の一太が一体誰を殺すのかを実に興味深く見守っていたのである。
夢の中の一太は、廊下を直進する。
未優の客室を通り過ぎ、幹康の客室を通り過ぎ、自分の客室を通り過ぎた。
ということは、一太のターゲットは、安曇か月奈ということになる。
無論、一太は安曇を殺したいと欲したことはなく、月奈に対しても然りである。
それでも一太が包丁を握りしめる力は強くなり、手の甲の血管が浮かび上がるほどであった。
夢の中の一太には強固な殺意があるのだ。
一太の客室と、安曇、月奈の客室との間には、たしか3部屋ほど客室があったはずだ。
とはいえ、その間の距離はせいぜい数メートル程度だろう。
一太はあっという間に安曇の部屋か月奈の部屋に辿り着くはずであった。
しかし、どんなに歩いても一太は辿り着くことができなかった。
一太の右手の壁はのっぺらぼうで、客室のドアが見当たらないのである。
振り返ると、先ほど通り過ぎたはずの未優、幹康、一太の客室もなかった。
消えていたのである。
一太の視界を占めるのは、延々と続く一直線の通路のみだった。
一太は、元々安曇と月奈の客室があった方へと駆け出した。走れども走れども客室は現れない。まるでベルトコンベアの上を逆走しているようである。
走ることが無意味であると気付きつつも、一太は走り続けた。
それほどまでに一太は、いや、この館は「殺人」に執着しているのである。
一太が感じている焦りは、永遠に続く長い廊下に迷い込んでしまったことによるものではない。
永遠に殺人のターゲットに出会えないことだ。
一太はついに悟る。
これこそが「メビウスの輪」なのだ、と。
これこそがこの館の本性なのだ、と。
そのとき、突然、一太は悪夢から覚醒した。
一太を悪夢から解き放ったのは他でもない、断末魔の叫びだった。
たしかこの話は,江戸川乱歩全集を読んだ直後に書いたので,ぼんやりとながら江戸川乱歩の影響を受けてるかと思います。