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序ノ一

1/3

 大政奉還から十数年、ある山の麓村。

 普通なら寝静まる月明りも届かない小さな村に、煌々と灯がともりせわしなく大男たちが荷を抱え、あっちへこっちへと忙しそうに走り回っていた。

 実際、家屋とよべぬ掘っ立て小屋三十ほどのこぢんまりした場所である。


「おお寒い寒い、小便するにも身体が凍っちまわぁ」


 ガラガラガンガンとせわしない車輪の回る音と男たちの忙しそうな声を尻目に、一人の男が山肌の木々の隙間から小走りで飛び出してきた。

 歳は三十を半分越えたころか。

 よく日焼けした肌に細く引き締まった身体、白髪交じりとはいえまだ働き盛りであろう。

 男は寒そうに身体を縮めながら周りと比べて一回り頑丈そうな小屋に向かって歩いていく。

 途中、仕事を終えたのであろう一団が目に入り、申し訳ないと思いつつ声をかける男。


「おうにいさんたち、お疲れのところ悪いんだけどねぇ、近いうち一人尋ね人が来る予定だからよ、ちょっくらお使い頼まれてくれねえかい?」


 そういわれた男たちはお互いに顔を見合い、声をかけてきた男に向き直った。


「へぇ、旦那はんの話なら聞かせてもらんます。だぁがくるっとですか?」


 嫌な顔一つせずに一人の男が了承と返事を返す。

 旦那と呼ばれた男は、この麓村を治める村長、ではなく団頭であった。

 この麓村で一番偉いのであった。


「野人がね、山から来るんだよ。俺を尋ねにわざわざ、野人のガキがよぉ」


 口では嫌そうにだが、表情はどこか楽しそうにそう答えた。

 男たちはそれでわかったのか、頷いたあと何度か質問をしたのちどこかへと向かっていった。

 それから数日でその話は麓村全員の耳に入ることになった。

 小さな場所故、旦那の頼みとは、と皆が気にする様になったのである。


 そして旦那は、そのうち尋ねて来るであろう人物に何を話してやろうかと小屋に戻り考えるのだった。



―――――



 山を駆ける自分の足音を聞きながら、大きなぼろ布を頭まで被った人影が子気味よく急な山肌を下ってきていた。

 真っ暗で生い茂る木々を避けながら、そこらの人よりも軽い調子で、それでも速く下っていく。

 急斜面も関係なく、ガリガリとかかとを擦りながらも最短で灯りの見える麓村目掛けて駆けていく。


「おーし、着いたっ」


 そんな声を出しながらも、ぼろ衣の人影は、さてどうやって入ろうかと少し考え込む。

 この麓村に来るのは数度目だが、前回来たときは少ししくじってしまったのである。

 ここに来るのは一人の男に用があるからなのだが、その人物以外には知られたくないのである。

 前に来たときは問題なかったのだが、帰り際に気を抜いてしまい他人に見つかってしまったのだ。

 それはもう追いかけられた。ぼろ布を纏っていたので姿まではしっかり見られてはいないだろうが、それはもう騒ぎになった。

 ただ、足には自信があったので問題なく巻くことはできたのだが、もしかするとあの時の一件で警戒されているかもしれないと思い慎重に行動しようと心掛けてきたのだ。

 そうやって悩んでいた時、少し先でジャリッ、っと砂を踏む音が聞こえた。

 しまった! と思った時にはもう見つかっていた。

 しかし――


「あんさんでんな、まっちょりましたきに、いきまっせ」


 なまった声を掛けられ、逃げようとした足が止まった。


「まっちょりました?」


 よくわからずそう聞き返した人影。

 それを訝しそうにして男がなお声を掛けてきた。


「旦那はんのお客人やろ? 着いてきんせい」


 そう言われ、もしかしてと思い付き従ってみた。

 それからほどなく、何度か通ったいつもの小屋の前に二人は着いた。


「粗相したらいかんど」


 客人とはいえここで一番偉い人に合わせるのだからと、釘をさすつもりで声を掛けた。

 その言葉に、


「そそうしないど」


 と返事が来た。真似されたのだろうか、田舎出の自覚がある男のなまりで返されたのである。

 一瞬馬鹿にされたのかとも思ったが、相手の声はまだ幼くどこか楽しそうであったので、ただ珍しく思ったのだろうと男は気にしないことにした。


「まぁよか。旦那はんが待っとるきに」


 それだけを言うと男は踵を返し行ってしまった。

 いつもはコソコソと隠れて来ていたのに、今日は堂々とここに来れたことに違和感を感じながらも、ぼろ布男は小屋の取っ手を横に引いた。


「お、来たか。 寒いから入って閉めてくれよ」


 言葉通りにサッと入り戸を閉める。

 改めて中を見回すと、部屋の四隅に蝋燭で火が焚かれ、板張りの真ん中には囲炉裏が付けられていた。

 部屋の奥には立派な木机、その上には見たこともないような品々が火に照らされて鈍く輝いていた。


「そろそろ来るかと思ったんだよ、まぁ座りな」


 促されるままぼろ布男は板間に上がり込んだ。

 だが視線は奥の品物に向いたままだ。


「どこを見てるんだかわかっちまうが、まぁまずは挨拶からしねぇとなぁ」


 コンコン、と床を指で叩き、意識を自分に向けさせる。

 

「…ぁ、悪い、旦那さんお邪魔します」


 床を叩いたかいあって、視線が交差し、挨拶を貰えた。


「おうよ、いらっしゃい。そんで今回はどうだったい? 一人で来たのか、案内されたのかい?」


 聞かれ、ぼろ布男は嬉しそうに笑った。


「見つかっちまったのかと思ったんだけどよ、まさか連れてきてくれるとは思わなかったよ」


 しかしまたどうして案内なんか、と聞いてみると


「そりゃあよかった、ちゃんと案内されたみてぇだなぁ。 前に大騒ぎになっちまったろう? あの後皆になんて説明するかでそれはもう困ったんだよ。 だから今回は前もって伝えておいたんだがね、驚かせちまったみたいで悪いねぇ」


「いやぁ、前はわしのせいだったからなぁ。 見つかっちまったのは恥ずかしかったぜ」


 そうやって数か月ぶりの対面を果たした二人はしばらく何はない会話を笑顔で楽しみあった。

 そうして話が尽き無音になったころ、旦那がそれまでとは違う調子で話しかけた。


「そろそろ顔くらい見せてくれよ」


 言われて、ぼろ布男は座ったまま両肩を揺らした。


「そうだなぁ、見せるなってゆわれてんだけど、旦那さんが見てぇなら見せるかなぁ」


 なんて言われて、旦那が驚いてしまった。

 今まで数度会って話すことはあったが、何か事情があるんだろうと、その事情にも心当たりがあった旦那はこれまで聞けずにいたのだった。

 どうせ嫌がるだろうとも思ったし、絶対に見せないだろうとも思っていた。

 しかし言ってみるくらいはいいだろうと思ってはみたものの、まさかの了承であった。


「…いや、言ってみるもんだねぇ」


 じゃあ見せておくれよ、と言うか言わないかの間に、ぼろ布はもう脱ぎ去られていた。


「わしの親はひとに姿を見せてはならん、はなしても駄目、さわるなどもってのほか、って毎日ゆうんだけどよぉ」


 旦那があっけに取られている間にも、鼻頭が少し赤い額に太く頭に沿ってねじれた二本角を生やした少年がぼろ布を畳みながら喋り続けている。

 一番特徴的なのは角だったが、同じく気を引いたのは赤味がかった小さな鼻頭だった。

 麻の着古したものを纏っていて、男にしてはやや長い墨色の髪をあっちこっちへと跳ねさせている。

 顔は少し掘り深く、外の国の人に似ているようにも見える、何より目が大きい。不思議な薄い灰色であった。


「師匠がよ、ぁ、師匠ってじいちゃんなんだけどよ。 じいちゃんが、ものを教わっている相手には敬意を払って接しろって言うもんだからよ、わしからしたら旦那さんは俺に色んなこと教えてくれるじゃないか。 じいちゃんはわしのことボコボコにするしよぉ、何度ぶったおしてやろうかって思ったけども、じいちゃんには勝てねぇしムカつくし。 でもあれでも師匠だしゆうことは聞くようにしてんだよ。 で、旦那さんもそういうはなしだとわしの師匠になると思うんだけどよ、旦那さんはどう思うよ?」


 畳み終わったぼろ布を横に置きながら少年が旦那と目を合わせた。

 固まって動けない間に言われたことがゆっくりと頭に染み込んでいく。

 ただ、どう思うか聞かれても今は考える余裕がなかった。


「いいんじゃあ…ないかい…?」


 精一杯ひねり出せた言葉であった。


「いいんじゃないかいって…、まぁいいか。 で、どうだい、顔見せたけども、男前かい?」


 少しづつ正気に戻ってきた旦那は、改めて目の前の少年を見やる。


「男前かはまだまだこれからってところだねぇ。それより背丈からしてそんなに歳はいってないと思ってたけどさ、おまえさん今いくつだい」


 旦那が想像してた以上に目の前の少年は若く見えた。本当はもっと気になることもあるのだが、まず自分の平常心を取り戻すためにあたり前なことから聞いてみることにした。


「としかぁ、としなぁ、生まれてから何度桜が散ったかだと、十三回かなぁ」


 独特な数え方だなと旦那は思いながらも、目の前の少年が本当にまだ幼いのだなと改めて思った。


「ってーとあれだな、おまえさんが初めに来たときはまだ十一だったのかい。元気なガキだなぁ」


 今日で都度五度目の邂逅だったはずであり、この少年が最初に来たのは二年前だったことも思い出す。

 つづけて、少年の一番気になる部分を聞いてみることにした。


「で、だ…」


 聞いていいものなのかと生唾を飲み込みながら乾いた口をゆっくりと動かす。


「…鬼の子、でいいんだな?」


 ひどくしゃがれた声が出た。

 見せてくれたのだから信用されたということなのだろうと、そう判断しての質問だった。

 自分が酷くおびえてしまていることを自覚して、それを極力表に出さないように注意して尋ねた。


「そう、鬼さ。 うちの一族しかのこってねぇらしいんだけどよ、わしが最後の子だって言ってたよ」


 何故ここに、どうして鬼が、最後の子とは、一族とは……。

 鬼の子か聞いただけのに想像以上に重いことを聞かされている気になった旦那だが、鬼の子はまだしゃべり続けていた。


「昔はたくさんの鬼族がいたんだってよ。いろんな色の。けどほかはみんな還ったんだってさ、それにもう生まれないらしいし、うちの一族はもうじじいとばばあしかほとんど残ってないんだってさ。 だーれもはなしなんかしてやくれねぇや。 河川で石積んでるばばあは山見てぶつぶつゆってるし、じじいは飯取ってくるついでになんの木植えるかでウンウンうなってるし、とおちゃんとかあちゃんはわしに小言しかゆわんし。 飽きたんだよ。 でも三桜前に旦那さんたちが来てここにすんでるじゃないかい。 わしは知りたかったんだよ。 知らんこといっぱい知りたかったんだよ。 嬉しかったね」


 そう言ってギザギザ歯を覗かせながら大きく笑う赤鼻の鬼の子。

 ここにきて旦那は少しだけ理解した。

 ただ寂しかったのだろうかと。

 じじいとばばあしか居ないと言っていた。

 最後の鬼の子だとも。

 色々とわからないことも多いが、察することはできた。

 それをつつくのもどうかと思い聞かずにおいた。

 両親には人と接するなと言われてはいたらしいが、同世代も居ないのだろうことも伺えた。

 だから来たのだろうかと。


 ふと、二年とちょっと前の夏を思い出した。

 この鬼子と出会った日のことだ。

 一人ここで寝ていた旦那は夜中に暑さで目を覚ました。

 麓村で使う水場に涼を取ろうと向かったのだ。

 布を濡らし身体を涼め、戸を開け放していた小屋に戻ると、何やら物音がする。

 すわ泥棒か、と思ったが、こんな山中の皆が仕事仲間のなかで盗みを働く輩なんぞ居るわけがない。

 そう思いなおし、誰ぞが用事で来たのかと中に入り声を掛けてみたのだった。

 声をかけた相手は勿論目の前の鬼子であるが、その時はよくわからなかったし、何よりも見つかったことに大慌てしたのかしきりに「すまない、すまない」とだけを繰り返し、あたふたしていた。

 顔も見えないぼろ布を頭まで被った相手が幼い声をしていたこともあり、警戒もなく話し始めたのだった。

 ここで何をしているのか、と尋ねると、見たことのないものが多くて触ってしまったすまない、と返ってきた。

 この麓村にこんな若い声の男衆など居るわけもないので、どこから来たのかと聞くと、この山の裏側だと言う。

 はて、この山の裏なんぞ絶壁と陽の入らぬ森しかないはず。そう思ったが聞かれたくなさそうだったので深く聞くことをやめた。

 話している間に落ち着いたのか諦めたのか、鬼子は土間に座り込んでしまった。

 虐めるつもりもなかった旦那は、薄暗い月明りしかない中で笑って見せた。

 気になったと言っていた物が慌てたときに落ちたのか、土の上に転がっていた。

 それをゆっくり拾いながら話しかけてみた。

 これは井戸から水を汲むための車だと。

 そしてこちらは煙管といって、ある種の草を乾燥させて吸う道具だと。

 その他にもあれやこれやと色々なものを見せては説明したが、その都度目の前の子は嬉しそうに見ていたのだった。

 暗いくらい夜の一室、見えてるのかも分からないほどの薄闇の中で、二人は周りの物を話しの種に空が薄らと明るむまで話し続けた。

 まだ鳥も鳴かぬ時間の中、子はまた来てもいいかと聞いてきた。

 いつもいるわけではないが、またおいで、と返答すると、嬉しそうに笑いながら小屋のすぐ裏手の山をすごい勢いで登って行った。

 あれから二年と少し経った。

 年に二度ほど来るようになった目の前の鬼子。いつも交易で運ぶものを嬉しそうに質問しながら見ていたなと、懐かしむように思い出していた。


「旦那さんはさ、わしをどうにかするのかい?」


 と聞かれて、しかし旦那は違うことを考えていた。

 この子はよくもまぁ人の言葉を真似るのだ。

 最初はなまってなんかいなかったはずなのに、気づけば自分の喋り方をまねしていた。

 なんでも知りたい、気になる、そういう若い頭だからできるのだろうな、とぼんやりと考えていた。


「なーんにもしやしねぇよ。おまえさんが鬼子ってのはびっくりだが、毎回思ってたんだよ。どっから来てどこに帰るんだろうか、ってな。江戸じゃあやかしなんぞ、聞いたことはあっても見たことなんかねぇや。でもそれが目の前にいるってんだから、不思議なこともあるもんだってくらいさ。そんでおしまいだ」


 そう言われて、鬼の子はまたも嬉しそうに口を大きく開けて笑った。


「だがよ、もう一つばかし教えちゃあくれねえかい」


 名は、なんてんだい。


「ヨウってんだ」


「ヨウか、字はあんのかい?」


「あるさ、かあちゃんに教えてもらったのさ。木の葉に滴る雨が如し、 葉に雨で葉雨(ヨウ)


 土間に降り、指で字を書くヨウ。


「葉雨、いい名じゃあないかい」


「ああ、いい名だろう。今はそうよんでくれよ」


「じゃあこれからはヨウって呼ぶことにするわな」


 そうやって人と鬼の子はお互いに笑い合った。



-----



 交易の品々を見ては質問し、それに答えては質問し、今までよりもなお楽しそうに二人は話し込んでいた。

 ある時ふと、旦那はヨウの首元にぶら下がっている紐を見つけた。

 どうやら纏っている粗末な服の中に何かを入れているようだった。

 気になった旦那は尋ねてみた。


「ヨウよ、その紐は何だい、大事なものなのかい?」


 眼差しで見せてくれと尋ねると、返事もなく首から下げていた物を引っ張り出すヨウ。

 紐の先には小さな袋が括られていた。

 袋の口を開け、小指の爪半分程の大きさしかないものを一つ手のひらに乗せる。


「これは命鉄ってんだ、しってるかい?」


 旦那は近づいて見た。

 けれどよくわからない金属だった。


「青っぽく光って見えるが、俺の目が灯にやられちまったかね。そうじゃなけりゃ、なんだいこれは。鉄でも銀でもねぇや。俺の知ってるどんな金物にも当てはまりゃあしない」


 顎に指をあてふんふん唸りながらのぞき込む。

 そうしていると、ヨウは少し誇らしげに、旦那さんがしらないことをわしがしってた、と言い話しはじめた。


「うちんとこのじじいとばばあが還るときにさ、角からこれだけ残して逝っちまうんだよ。還るまえに、じじとばばあはわしにこれを持って行けってゆうんだ。おふくろもおやじも、みんなそうしろってゆうからさ、大事なもんだけど必要な時に使ってかまわねぇってさ」


 めい鉄など聞いたことがなかった。

 帰るだの行くだの説明されても余計にわからなくなる。

 角から残す、という部分だけを聞けば、おそらくこれは鬼にしか作れないものなのではないだろうかと推測はできた。

 だがしょせん金属である。

 たとえあの子袋の中にまだまだ入っていたとしても、それで何かを作る分量は賄えそうになかった。

 色味も鈍色の銀に少しの青味しかなく、装飾にするのも微妙に感じる。

 そんなことを考えていると、ヨウがとんでもないことを語りだした。


「これはさ、命の鉄なんだ。じじいとばばあの残してくれた命鉄。この大きさだったら、そうだなぁ…なくした腕一本くらいなら生えてくるかな」


 ニカっと笑いながらそんなことを言った。


「んん、よくわからんが、腕が生えるのか? にょきっとか?」


 そんな馬鹿なはなしがあるか。

 そう思いながらも尋ねてみるが、なんてこともなさそうにヨウは答えた。


「そんなにょきっと生えるわけないだろう」


 そう言って大笑いし始めたので、なんだ冗談だったのか、とその話を終えようとしたのだが。


「わしがじいちゃんに腕もぎとられたときは十日はかかったなぁ」


 ぼそっとそんな声が聞こえてきた。

 旦那はあまり驚くほうではないし、旦那が尊敬してた人も、どれだけびっくりすることがあっても常にいつも通り笑って居ろと言っていたし、なんだったら今日までそれを実行できていた。

 だが、もうわからない。

 腕をもぎ取られたもわからないし、その腕が十日で生えてくるなんてもっとわからない。

 まさか謀られているのだろうかとも思うが、ヨウにそんなことができるのなら出会った初日からうまく言い逃れていたはずだし、など色々な思考が過ぎ去っていく。

 わからないならもう聞くしかない。

 慌てず、いつも通り、変わらずに。

 

「いやはや、凄いもんだねそのめい鉄ってのは。腕が生えたってぇと、どっちの腕だい、見せてごらんよ」


 百聞は一見にしかず。

 ヨウは袖を捲って左腕を差し出した。


「ここさ、付け根のここんところからもぎとられたんだよ、色が違うしすこしへっこんでるだろう?」


 遠目ではわからないだろうし、今も蝋燭と囲炉裏の灯りしかない中、よく見て触って初めてわかるほどの違和感だった。

 だが確かに違っている。

 右腕も見せてもらったが明らかに違いがあった。


「十日で、その、ゆっくりと生えてくんのかい…? 痛みとか…」


 気になることをこの際すべて尋ねてみると、明瞭に答えが返ってきた。

 もぎ取られた痛みは命鉄を使った時から治まり、代わりに痒みが出てくる。

 食欲が尋常ではなく沸き、常に何かを食べていたくなる。

 睡眠時に一番回復が早くなり、激しく行動していると目が回って立てなくなる。

 生えてくる腕は白く、そして細い。

 感覚は敏感になり最初は布が擦れるだけで痛みがあるらしい。

 熱いと冷たいにも敏感になって、慣らすのが大変だったという。


「腕が生えてきてよかったけど、めちゃくちゃに強いじーちゃんを本気でボコボコにしたおふくろが凄く怖かった。じーちゃん泣いて謝ってたし」


 その時を思い出したのか苦笑いしながら語ってくれることを聞きながら、旦那はこの金属を欲しいと思い始めていた。


「ヨウよ、その金物だがよ、一粒でいい、売ってはくれねえかい?」


 真剣な目でヨウをまっすぐに見据えてそう言った。


「いやぁ、売るってったって…」


 やはり駄目か、どうにかして手に入れたい、しかし盗むのは商売人としてできない、だがなんとかして……。

 そう考えている旦那に喋り終わっていなかったヨウが続きを語る。


「わしがカネ貰ってもつかえないんだけどよ、どうせなら交換にしちゃくれないかい」


 こうかん、交換……。


「いままで見せてくれたものじゃなくてよ、できれば格好いいものがいいんだけどよ、駄目かい?」


 格好いいものとな。

 今、旦那の頭の中はヨウが過去に欲しがったものや、伝え聞かせたもので反応していたものを必死で思い出していた。

 今日ここにあるものでは駄目なのだろう。

 ヨウは部屋の中にあるものを見ずにい言ってのけたのだ。

 必死に頭を回す。

 どれだ、なんだ、あれか、いやあれでは駄目だ、と。

 そうして考えていると、ヨウが真面目な抑揚で呟いた。


「そうだ、何に使うのかだけはおしえてもらわねぇと。じじいとばばあからゆわれてんだ、これをねらうやつがいるかもしれねぇから、じぶんたちの命の鉄、好きに使ってもいいけど、しらねぇこととわるいことには使うなって」


 言われ、心臓が一度大きく鳴り、頭は冷や水を浴びた如く静まった。


「命の、鉄…」


 そうか、と思った。

 これは鬼の命の欠片なのかと。

 帰るではなく還る、行くではなく逝くということかと。

 死に向かう間際にヨウに託したのだろうか、種族、一族の最後の子にと。

 大怪我も治せる、お伽に出てくる品物である。

 この子供の親族、ないし周りの者達がヨウに託したもののはずである。

 並々ならぬ想いを込めたもののはずだろう、それをたかる様にしてもらい受けようなど、許されることではない。

 大きく息を吐きだし、一度感情を切り替える。


「悪かったな、命鉄はやっぱり貰えないな。ヨウんとこの一族にとって、おまえさんにとって大事なものだろう。少し興奮しちまっただけさ」


 あっさりと、何事もなかったように答えた。

 命鉄を欲しい理由はあった、けれど無くても何とかなる問題でもあるのだ。

 縋るものがないのならば話は違っただろうが、別案はあるのである。

 だからこそここで働いているのだと思いなおした。


「いいんだったら残念だけどよ、聞いちゃいけなかったのかい……?」


 何かを恐れているような声音で遠慮がちに聞いてくるヨウ。

 そうではない、と旦那は慌てて訂正する。


「いやすまない、そういうんじゃあないんだ。欲しいのは間違いがないさ、ただその命鉄がどれほど立派なものなのかを考えずに言っちまったのさ。俺の欲しがる理由は簡単だ、それに勿論言えるさ。聞いてくれるかい?」


 教えてくれるというなら聞かない理由はないとばかりに、ヨウは黙って続きを待つ。


「昔にね、大火事があったんだ----」


 旦那が語ってくれた言葉をヨウは全て理解することはできなかった。

 わかったことは、国の偉い人たちが住む場所を変えるということ。

 そのせいでいろいろな場所で大きな戦があったこと。

 そのなかで起きた大火事があったという。

 何が原因かはわからず、けれど死者は多かったと。

 旦那の親はその火事で亡くなり、嫁は足を失い、息子は顔に大火傷をもらったらしい。

 その時海に出ていたという旦那はそんなことを知る由もなかったらしい。

 火事から時が経ち、家に帰った時には何も無かったのだという。

 必死に嫁と子を探したらしい。

 そして見つけたのだ。

 家財一切を無くし、大火傷を負った息子と立てもしない嫁。

 働くこともできず、同じく火事で家を失った者たちと共同のあばら家に住んでいたという。

 やせ細り、怪我の治療もできず、衰弱していた家族を知ることもなく、海の上でぼんやりとしていたことを後悔したらしい。

 

 ヨウには仕方ないことなのではないかと思いもしたが、旦那はそう思ってはいないらしい。

 自分とは違うのだからと口を挟まずにおいた。

 旦那は語り続ける。


 それなりに稼いでいた旦那は後悔はしたがまず二人を、家を何とかしようと走り回った。

 家を建て直し、医者を呼び、全てを整えたのだ。

 けれど嫁と息子は精神を病んだ。

 外に歩いて行けない嫁と、顔を晒したくない息子と。

 旦那はとても立派な人の下で働いてきたのだと教えてくれた。

 海を越え違う陸へ上がり、凄いものを揃え戻ってくる。それをまた売り、買い付ける。

 そうやって仕事を取り稼いできたのだと。

 ただ、褒められた仕事ではなかったという。

 人の恨みを買う仕事だったと。

 その付けが回ってきたのかもしれないと語った。


 それから十年経ち、ここを交易の中間として日々働いているのだという。

 言われて、ヨウは周りを見た。

 確かに見たことのないものがいつもある、と。

 それに気づいたのか、、旦那は教えてくれた。

 

「もう人の恨みを買うものはあつかってはいないんだけれど、それでも俺の恩人のためにもこの仕事をやめるわけにはいかねぇのさ」


 少し遠い目をして、寂しそうに旦那は言った。


「息子も嫁も家を出られないんだ。けれどさ、こんな俺でも帰ったときには喜んでもらえるのさ。ありがたいったらないね、碌に便りもださねえのにさ」


 全部は言わなかったが、ヨウにはわかったこともある。

 生きるために働く、それをできない家族のためにここで働いているのだろうと。


「旦那さんはそれでいいのかい?」


 ふと、そんなことを口に出してしまった。


「いや、いいとかはわしにはわかんねえんだけど、命鉄があればもっとよくなるかい?」


 良くなる、だろう。

 命鉄はほかで手に入る薬などとは違うと分かりきっていた。

 そもそも薬でもないだろう。

 聞く話通りの効力なら、名前通り命を吹き返すほどのものなのだろう。

 しかし命鉄、聞けば聞くほど欲しくなりはするが、鬼とはいえ子供相手に欲しいをぶつけることを理性が否定する。

 手に入れたい、が、大人げがない。

 自分が働けば家族ともども生きてはいけるのだから。

 しかし……。と頭の中で同じ思いが何度も交差する。


 ヨウは黙り込んだ旦那の顔をじっと見る。

 寒い隙間風が入ってくるたびに蝋燭の灯がちらちらと揺れる。

 ヨウにはなぜかそれが旦那の心を映しているように思えた。

 旦那が何を思っているのかはわからないけど、命鉄を欲しがった言葉は嘘や冗談ではないのだろうと考えた。

 ただ、何かを悩んでいるのだ。 

 その何かはわからないけど、できることはあることも気づいた。


「旦那さん、じじいとばばあはわしに元気であれっていっつもゆうんだよ。 死んだじじいとばばあにもゆわれてたのさ」


 旦那には何が言いたいのかはわからなかったが、一生懸命に言葉を伝えようとしてくれているヨウに耳を傾け続ける。


「だからさ、旦那さんはじーちゃんと一緒の、わしの師匠みたいなもんだと思うからさ、いいじゃあないか、使ってくれよ。旦那さんの家族が元に戻ったら、旦那さんはもっと元気になるんだろう? 命鉄交換してくれないかい?」


 たどたどしく伝えられた想いに、旦那は胸が熱くなった。

 そうだった、この子はまだたったの十三だったのだ。

 人の世も知らず、ヨウの言葉で言うならば山の一族しか知らなかったのではないか。

 こんな子に自分は何を伝え聞かせたのか。

 親と子以上に年の離れた相手に、何と弱気なところを見せてしまったのか。

 自分を恥じることしかできない小さな男だと心の中で叱責する。

 なのにも関わらず、ヨウは優しさと慈しみを持って自分にと取引を申し出てくれた。

 大人が子供に、と笑われそうだが、ここには自分とヨウしか居ない。

 大人げがなかろうが、なさけなかろうが、この時旦那はヨウの優しい想いに甘えようと思った。

 

「俺は大人のつもりだったんだがね、ヨウ、おまえさんにはかなわないなぁ。そんで、かなわないついでに、よろしくお頼み申します」


 気丈に出したつもりの声は、自分でも驚くほど震えていた。

 けれどヨウはそんな旦那の様子に気づいていないのか、今日見せた中で一番の笑顔で、命鉄を()()譲り渡してくれたのである。



―――――



 陽が昇る間際、ヨウが帰る時間になった。

 二人は交換物として何が欲しいのかの話をしていたのだが、結局のところヨウが悩みすぎて時間が無くなり、旦那に任せることになったのだ。

 旦那としては簡単に手に入るものではない命鉄との交換、それはもう大量の物をと思ったのだが、逆にしてヨウが困ったのである。

 品数が増えると持っては帰れなくなると。

 そもそもが一族には内密に来ているのだからそれは当然かと今度は旦那が悩む番であった。

 あれでもないこれでもないと、二つも渡されてしまったが故にそのお返しとしての品に頭を抱える羽目になったのである。

 しかし帰る時間は来てしまった。


「じゃあ旦那さん、また。格好いいものを頼むよ」


 旦那には荷が重い言葉をさらっと言って、いつも通り山を駆け上っていく後ろ姿を眺めるしかなかったのである。

 少しずつ鳥の鳴き声が聞こえる中を、ヨウに渡す品物を考えながら小屋に戻ろうと山肌に背を向けて数歩歩き出した。


『振り返るな』


 言われて旦那は心臓が止まった錯覚を覚えた。

 雪はまだ降らずとももうすぐ冬である。なのに、背中から吹き付けてくる生ぬるい風が、今は逆に旦那の背筋を冷たく撫でていく。


『動くな、振り返るな、そこで静かに聞け』


 声も出せず、震えることもできず、深く太い声で言われたことを守ろうと徹するほかなかった。

 命はいま、無いに等しいのだろう。


『あやつはわしの孫である、今までも見逃してはきたが、今回はあやつが姿を見せたので釘を刺しに来た』


 そう言われてぞっとした。

 今までも、見られて、聞かれていた。


『命鉄までも渡すなどとは思わなんだわ』


 ああ、今ここで死ぬのか、と思った。

 命鉄を欲しがったばかりに、欲に駆られて命を落とすのだろう思った。

 後悔はしていない。

 いや、やはり少しは後悔している。

 踏みとどまろうと思ったけれど、ヨウの言葉に甘えてしまったという思いが少しだけ後悔をさせた。


「申し訳……ございませぬ」


 なんとかそれだけを絞り出した。


 それから少し、間があった。

 とても長く感じられた、ほんの少しの間。


『まぁよい、あれはまっすぐな奴での、それと仲が良いのだ、わかっていたこと』


 ヨウの祖父だという人物からの声から、重さが消えた。


「釘の、意味は、理解しておりますれば何卒、何卒ご容赦をば……」


 ここぞとばかりに命乞いをする。

 釘を刺しに、それは言葉通り、黙っておけということだろう。

 よい、とも言っていた。

 問答無用で張り倒されず、圧と言葉でもって接してくれているのだ。

 背中に流れる冷や汗を無視して、こちらも何とか言葉で理解してもらおうと努める。


「言いふらすつもりは勿論ございませぬ。お孫様から譲り受けた品はありがたく使わせて頂きたく思います。どこで手に入れたかなどは漏らしませぬ。恩を仇で返すようなことはするつもりは毛頭、ちり芥の欠片ほどもございませぬっ」


『恩を仇で返す、か。人がよくやることよ。そこはおぬしとヨウの話である故、持ち逃げしようがわしには関係のないこと』


 そう言われて、旦那は混乱を極めた。

 持ち逃げを認めるのか?

 ならばなぜ今自分はこうして声を掛けられているのだろうか、と。


『おぬしらの決め事ではない、鬼の一族のほうだ。 聞いたのだろう、あやつが最後の鬼であると』


 それを聞き、ああ、となぜか安心した自分がいた。


「一族のおはなし、でございますね。もちろん漏らしませぬ、命鉄が見られようと、それを鬼と結びつける者もおらぬでしょう。もしもこれのせいでそちらの一族にご迷惑お掛けする場合は、この首、差し出しにまいりまする」


 どうしてか言葉が淀みなく出ていく。

 それを聞き、声の主は一つ頷いた。


『ふむ、よかろう。すべてを聞いておったのでな、どうやらおぬしが恐れるのは、一族の秘密を漏らしてしまうことよりも、対価に引き渡す品がなにも思い浮かばぬせいに見えるの』


 空気が一層緩んだ気がした。

 張りつめていた緊張の糸が緩んだせいなのか、そのままひざを折り地に座り込んでしまった。

 そして、言われたことに自分自身、なるほど、と納得してしまった。

 そもそもがヨウの一族の話を漏らすつもりもなければ、漏れる心配もなかったのだ。

 自分が恐れていたのは、命鉄の対価に引き渡すものの目録。

 言われ、他人のことのように腑に落ちた。


「そう、でございます。命鉄の対価を自分なんぞに用意できるのかと、思っておりまする……」


『何一つ心当たりは無いのか』


 聞かれて、固まってしまう。

 ないことも、ない。

 しかし時間がかかるうえ、手に入る保証もない。

 言ってしまえば簡単なのだが、命鉄を今持っているのは自分自身なのだ。

 曖昧な答えでは、いけないのだ。


「あり、ます。お孫様にお話しした中で、一番気になっていそうなものがありました故、そちらをと……」


『それは一体?』


 言っていいものなのだろうか、と数瞬考えたが、隠す、嘘を吐く、その行為がどれだけ意味のあるものは自分が一番理解していた。

 意味がないと。


「刀と、鉄砲にございます」


 これで自分はどうなるのだろうかと遠いところを眺めながら考えた。

 十三の鬼子に、刀と鉄砲である。

 廃刀令も出され、武器を纏えぬ時代になりつつある世の中、それなのに対価に出そう品が刀と鉄砲。

 我ながら、阿呆だと思った。

 そして、これも許されてほしいとも思った。


『テッポウとはなんだ』


 刀は置いておかれた。

 鉄砲の説明を簡潔にまとめ伝えたが、なるほど、と言われそれきりであった。


「か、刀と鉄砲を格好いいと思われておられるようなので、そちらをお渡ししたく思っておりまする」


 また少し、間があった。

 鳥の声がやけに遠く聞こえる。

 風が枯れ葉とともに膝に運ばれてきた。

 なんとはないことが全て気になってしまう。


『刀。なるほど、いいではないか。ならば太刀だ。反り深く、刃は重ね厚め、鍔は固く太く、代わりに握りは短くてよい、そして全体が重い物を。もう一つは脇差だ、できうるならば両刃、そして直刀、重ねは同じく厚く、鍔は無しだ、握りは返しを付けてくれそしてこれも重い物。用意できるか?』


「太刀、深反り、厚め作り、鍔も厚く、握り短く重い物。 脇差両刃直刀、厚め作り鍔無し握りに返し重い」


 必死で覚えようと今までにないほど、言葉を頭に刷り込んでいく。


『テッポウは知らん、まぁ言わんでもいいだろうが、よい物を頼む、ではな』


「はい、太刀深反り厚め作り鍔――……」


 鉄砲は任された。 そして覚えるのに全集中力を注いでいる。

 どれくらい経っただろうか、ぶつぶつと呟いて地に座り込み、男衆に声を掛けられるまで居なくなったことにすら気づかなかったのである。

 その数日後、旦那は自分の代りの者をたて、無茶をして江戸に飛び帰っていった。

 雪の降り始めた、それは寒い日であった。






 そして次の年の蝉が鳴く日、二人はまた出会う。



プロローグの癖に三話あります。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

ここまで読んでいただけなのなら是非序章だけでも読み終えて感想いただきたいです。

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