007 いや、わたし……
「ん? なに、特別な感情って?」
動揺を覚られまいと、努めて平静を装って、軽口でも叩くように、口から言葉を滑らせる。
「恋愛対象として、彼女を見ていませんか?」
だが妙は、射抜くような目線で言葉を放ち、その言葉は雪美の心を、真っ直ぐに貫いた。
「…………っ」
「はぁ……やっぱり、センパイは吉永さんのことが、好きだったんですね」
「………………。」
「………………」
「………………。」
雪美は返すべき言葉を見つけられず……張りつめた様な静寂が、部屋の空気を支配した。
だが妙は、軽やかな声音で、その重い沈黙を、さっくりと切り裂く。
「センパイは、気づいてないもしれないですけど。アタシ、センパイのことが、ずっと好きだったんですよねぇ。仕事出来るし、サバサバしてて、誰かと連んだりしないで…………一匹狼なところが格好よくて」
「……」
「この前、エレベーターで乗り合わせた時、アタシ、『息が生ゴミみたいですよ』って言ったじゃないですか? あれもセンパイの気を引きたくて言ったんです。まあ、本当に食生活には気を付けて欲しい、というのもあるんですけど……」
そこまで言うと、妙はテーブルの上に手を突いて、体を前のめりにしながら、続く言葉を吐き出した。
「センパイ!……アタシとお付き合いしていただけませんか? 毎日ご飯作るし、アタシ、尽くすタイプですよ? 絶対後悔させませんから! どうです?」
勢いよく放たれた妙の言葉が、矢のように雪美の心に突き刺さる。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
刺さった言葉の矢を引き抜くように……雪美が、なんとか声を絞り出す。
「あ、ありがとう、でも……」
「でも?」
「わたし……」
「わたし?」
「えっと……」
「えっと?」
「その……」
「その?」
追い詰めるてくるような、妙の復唱と、彼女の眉間に寄せられてゆく皺が……辛い(怖い)……。
・
・
・
「……あ、あの……わたし……吉永さんのことが……好き……だから……」
「…………」
「…………」
「はぁー。ですよねぇー」
妙は大袈裟に溜め息を吐き、雪美は柄にもなく、小さくなって俯いた。
膝の上に置かれた自身の手が、落ち着きなく、鼠径部と膝の間を往復していた。
自分の手の所在のなさを、これほどまでに鮮明に感じるのは、生まれて初めてのことだった。
……自らの手の動きに、掻き毟られるように、平静がボロボロと剥落してゆく……。
だがしかし、そんな雪美に対し、妙は意外にも、助け船のようのものを出してくれた。
「じゃぁ、アタシ、取り敢えず、一旦はセンパイのこと、諦めます。だけど……」
「……」
「アタシ、センパイのこと、本当に諦めた訳じゃありませんから。だから、センパイはさっさと吉永さんに告白して、付き合って下さい。それでいつか、彼女と別れたら、その時はアタシと付き合って下さい」
「…………」
「………………」
「………………」
「センパイ、なんか返事してくださいよ」
「…………」
「…………」
「……あ、あの……えっと……」
「ん? 何ですか?」
「……えっと……あの……」
「んん?」
そう言う妙の眉と眉の間に、眉丘が山のように盛り上がる。
「……そ、その……わたし……告白とかしたことなくて……というか、恥ずかしいんだけど…………今まで…………この歳まで……誰とも、付き合ったことがなくて……」
そう言いながら、雪美は体の前で、左右の人差し指をチョンチョンという感じで、何度も突き合わせた。
妙は、そんな雪美を見て、嘆息しながらこう言った。
「仕方ないなぁ……アタシが一肌脱ぐか!」