011 清らかな果実を、優しく手繰り寄せるような……
どれくらいの時間が流れただろう。
目の前の澪は、まだ辛そうな表情のまま、俯いたままだ……。
悲痛に満ちた室内の空気を呼吸していると、雪美の心は自ずと、澪の気持ちに寄り添ったものへとなってゆく。
澪がこれまで、この会社で受けてきた恥辱が、雪美の頭の中で再現される。
陰湿な噂話の数々……
他の社員から無視され続け、誰にも相手にされることのない毎日……。
大勢の前で罵声を浴びせられ、同期の社員に平手打ちをされる屈辱……
──今……この状況で……わたしの個人的な話をしてもいいんだろうか?
そんな思いが頭を過る。
だけど、雪美は自分の気持ちを優先させた。
ひょっとしたら、これが彼女の人生の転機になる……そんな、きっかけになるもしれないじゃないか? そんな言い訳を心の中で用意して。
澪と視線を交差させることなく、雪美も視線を下に落としながら、言葉を紡ぐ。
ポツリ、ポツリと、互いの間に言葉を置くようにして、雪美は思いの丈を打ち明けた。
それは雪美にとって、生まれて初めての告白だった。
「……吉永さん……今、わたしが、こんな個人的な想いを話すことは……今のあなたの気持ちを無視した……デリカシーのない行為なんだと思う……そのことは……ちゃんと自覚しているんだけど……
…………今、このタイミングを逃すと……こういう機会は……もう二度と、巡ってこない気がするから……だから、言わせてね……」
突然、語り始めた雪美の様子に、思いつめたような深刻な雰囲気を感じ取り、澪は自身の内に深く沈んでいた意識を、無理やり心の表面に引っ張り上げた。
澪が弾かれたように顔を上げると、そこには不安の色を瞳に宿した先輩がいた。
それは、いままで澪が見たことのない、先輩の表情だった。
「わたしね…………吉永さんのことが好き。だから、わたしと付き合って」
「ぇ……」
突然のことに、ハッと、澪の瞳が大きくなって、そのまま表情が硬くなる。
だが、それに怯ひるむことなく、雪美は言葉を続けた。
「あなたの不器用だけど、一生懸命に努力している姿を見ていて…………気がついたら、あなたのことが好きになっていたの。こんな気持ちは、はじめてで……自分でもどうしていいのか分からなくて……ごめんね。こんなタイミングで、自分勝手な話をして……」
だけど、澪は静かに首を横に振り──。
「私も……先輩のことが、ずっと好きでした……」
澪のか細い声が、雪美の鼓膜の表面に、じわりと広がる。
その言葉が雪美の脳に滲み入ると──身体の奥から熱い何かが込み上げた。
その感情が、津波のように雪美の思考を呑み込むと──。
──雪美は澪の小指を、震える右手で、そっと優しく摘まみ上げた──触れれば溶けてしまうような、小さな雪の粒でも掴むように。
そして、そのまま彼女の手を取り……胸の前で、澪のその手を、両手で包んだ……。氷をも融かすような、ありったけの温もりを込めて。
赤く腫れた澪の瞳が、涙で黒く濡れていた。
吸い込まれるように、その双眸を見つめていると。
気が付けば、雪美は……澪の頭を、自身の胸に引き寄せていた。
それはまるで、聖なる樹に生っている、清らかな果実を、優しく手繰り寄せるような──そんな手つきだった────。




