断章 第44話 リライト ――再逢への望み――
ラーヴァナの居城の奥深く。最深部にあった宝物庫の中で石化したシータを見つけ出したラーマは、彼女の石化を解く事に成功する。
そうして石化が解かれたシータとの再会を果たしたラーマは、改めてカイト達と合流。若干気まずい様子の彼らに訝しみを得ながらも、宝物庫のあった区画からの脱出を行う事になっていた。と言っても、先にアルジュナとカルナが確認していた様に、ラーヴァナの居城は完全にもぬけの殻だ。故に警戒しつつも、何も無いような状況だった。というわけで、カイト達はインドの英雄達の後ろをのんきに歩いていた。
「特に何もなく、終われそうかな」
宝物庫を抜けて更に歩く事少し。もうすでにシータは救出されているし、この城の主だったラーヴァナもすでに無い。メーガナーダ自身、時代の変化について行かなかった父の死は決められていた事の様で復讐に来るような事もなさそうだった。
となると、後はもう帰るだけだった。と、そんなヴィヴィアンののんきな言葉に対して、カイトも笑う。が、こちらはどこか苦味というかどこか胡乱げな様子があった。
「さてなぁ……今回居る事は言われながら姿を見せていない奴らも居るしなぁ……」
「そういえば情報流してるって言ってたもんねー。潰しておく?」
「無理だろ。奴らの逃げ足は天下一品だ。まぁ、自己召喚と顕現の解除を繰り返されりゃ当然だが」
モルガンの確認に対して、カイトは今度は呆れの色を強めた笑いを浮かべる。何より、一体倒しただけではニャルラトホテプ達を倒し切るなぞ夢のまた夢だ。一体倒しても殆ど意味はなさそうだった。と、そんな彼らの横に、黒猫が着地する。
「「……猫?」」
「どうせ奴らだろ。前にカーターさんが一度痛い目に遭った、って言ってたし」
首を傾げたモルガンとヴィヴィアンに対して、カイトはため息混じりに首を振る。以前のアーカムでのおり、偶然にも会合を果たしたランドルフ・カーターからニャルラトホテプの一体が好き好んで黒猫に化けている事を聞いていたのである。彼曰く、普通の黒猫と思って可愛がっていたらうっかりニャルラトホテプを招いていた、との事であった。そして事実、この黒猫はニャルラトホテプだった。
『それはあってるんだけど』
「ん? この声は……前にオレがぶっ刺された時に居たあのチミっ子か?」
『覚えて頂いて恐悦至極』
カイトの言葉に対して、黒猫は優雅に二本足で立って一礼する。その様子はどこかカーテシーに似ていた為、やはり先の幼女に近い姿を取るニャルラトホテプと見てよかった。まぁ、そもそも黒猫がカーテシーなぞ物語でも見ない。怪異と言わざるを得ないだろう。
「で? 何か用事か?」
『単なる監視だよ。貴方から目を離すと面倒な事になるし』
「逆だ逆……」
お前らが面倒を持ってくるんだよ。カイトは黒猫に化けたニャルラトホテプの言葉に、盛大にため息を吐いた。と、そんな彼であったが、腰に帯びた刀の鯉口をわずかに切る。
「で? やんのかい?」
『まさか。貴方の怪我が癒えるまで、交戦は厳に禁止されているからね』
「そりゃ良い。怪我が癒えなければずっと手出しされないか。定期的に怪我をする事にしよう」
黒猫に化けたニャルラトホテプに対して、カイトは楽しげに笑いながら敢えてそう告げる。どうにせよ年内の完全復活は無いのだ。純白のニャルラトホテプとの交戦はそれほどのものであった。少なくとも、年内は安心出来そうだった。
「で……ここに来た以上、何か用事があるんだろう?」
『貴方の教師とやらから、一つ話を聞いたの。それを、聞いておきたくて』
「ふむ? オレの教師ねぇ……あー……それ、もしかしてギルガメッシュ王か?」
『うん』
もしカイトが自分と気付いた場合、特に隠す必要もなく明かして良い。ギルガメッシュは自身に張り付いていたニャルラトホテプに対して、事の次第を明かして良い事を明言していた。
故にこのニャルラトホテプは話を円滑に進めるべく、話す事を選択したようだ。そうして、そんな黒猫に化けたニャルラトホテプが燃えるような三つ目を露わにする。
『……貴方にもう一冊の魔導書が戻れば、貴方が真にあるべき姿に戻れると聞いた。真偽のほどや如何に』
「否。あるべき姿とは言わんよ」
『……理解。最古の王が言っていた事と合致する』
「やっぱりか」
先生なら、おそらく二冊の魔導書が揃った姿をオレの真の姿とは言わないだろう。自身の正体を明かしているが故に、そして自身の事を息子と言うが故に、決して彼にはありえないだろう物言いをしていた事がカイトには違和感だったようだ。が、ギルガメッシュが一度はカイトの真の姿と言ったのだ。ニャルラトホテプ達としても気になったらしい。
『とはいえ、彼の依頼はもう一冊……アル・アジフと対となる魔導書を探してくれとの事だった』
「ほぅ……あれを探してくれ、と」
おそらくアル・アジフと対になる魔導書が地球にあるだろう。これはカイトとアル・アジフがこの地球に居る事から確定と目されていた。どうやら大凡ありとあらゆる所にアンテナを張っている彼らに頼む事で、その一冊を探し出そうとしていたのだろう。と、そんなわけで僅かに荒々しい笑みを見せたカイトの横に、アル・アジフが顕現する。
『アル・アジフ。我らが知ると異なる姿を取る魔導書……汝と対となる魔導書とは如何なるや』
「答える義務は持たん……が、あれとの再度の逢瀬が果たせるのであれば、語ろう」
「え、会ったことあんの?」
「話した事はあるが」
「言えよ」
聞いてねぇよ。カイトはアル・アジフの返答に思わずツッコミを入れる。が、これにアル・アジフは完全無視を決め込んだ。どうやら遊んでいるらしい。
「それは世界最古の魔導書にして、地球文明が始まるより更に前にこの星にあった魔導書。私を喚ぶ媒体となったもの」
『それは……<<最古の魔導書>>。<<矛盾の書>>……最古にして写し身しか存在しない書の事か』
「然り……その名を、ナコトと言う」
黒猫に化けたニャルラトホテプの問いかけに、アル・アジフははっきりと自身の対となる魔導書の名を語る。どうやら彼女らニャルラトホテプ達でさえ写本しか見付けられず、原典があると分かりつつ原典が存在しないが故にニャルラトホテプ達は<<矛盾の書>>と呼んでいるらしかった。
『我らさえ原典を知らぬ究極にして最古の魔導書。我らが地球を見付けたより更に古くから存在する原初の魔導書……』
「見付けられぬだろう。なにせ私を喚んだのさえ、写本だったのだから。私とて、写本を通じて奴と話しただけだ」
『……』
どこか楽しげに、それでいて挑発的に告げたアル・アジフに、ニャルラトホテプは何も答えない。が、それは雄弁にアル・アジフの挑発的な言葉に言い返せない事を告げていた。
「なるほどね。写本を通じて居ると知ったわけか……え、ってことは地球に居ないかもしれんの?」
「……可能性はあり得る」
「……いや、居るって言っただろ」
「居るとは言っていない。話しただけだ」
どこか楽しげに、アル・アジフはカイトに対して冗談めかした様子で告げる。完全に勘違いさせられたらしい。
「が、少なくとも私達の意思が通じる距離にはいる」
「お前の場合、お前自身も媒体に出来るだろ」
「それでも限度がある」
『お話の途中だけど、口挟んで良い?』
どうやらニャルラトホテプは先程の神様モードから切り替わったらしい。かなり長い間考え込んでいた様子であるが、それが終わったという事なのだろう。
「なんだ? オレもナコトが手に入るのであれば、協力は惜しまんよ」
『興味深いね。貴方が力を貸してくれるというのは』
「それだけ、オレにとってもナコトは大切な一冊だ。であれば、助力も吝かではない。正しい意味でな」
『……』
どうやら嘘は言っていないらしい。カイトの物言いから、ニャルラトホテプはそう判断する。そうして、彼女が笑った。
『良いよ。統括役に話を付けてあげる……正直、実は私は貴方に多大な興味を抱いている』
「恐悦至極」
相手はニャルラトホテプ。まともに取り合うだけ無駄だ。故にカイトはニャルラトホテプの言葉を真に受けず、敢えてこちらも冗談めかした様子で応ずる。
が、これに嘘はなかった。故にこのニャルラトホテプは後にナイアと呼ばれるニャルラトホテプの誕生までの間、カイトの補佐や周辺調査を取り仕切る事になっていた。そして誕生後も基本はナイアと行動を共にする事になっていたし、ナイアも彼女は有益と手出しはしなかった。
『嘘じゃないよ。貴方が信じる信じないは別だけど……少なくとも、他の個体以上に貴方に興味を持っているのは事実』
「ふむ?」
『貴方はあの死地から条理を覆し蘇った。そのような王は未だ嘗て存在しない。あれを、私は直に見た。他の個体も情報共有で受け取っているが、私のみがそれを目の当たりにした。貴方が何者で、何なのか。素直に興味がある』
「ふむ……」
これは嘘ではないな。カイトは真摯な目とはまた別。真実しか告げていない者の目で告げるニャルラトホテプの言葉をそう理解する。そうして、彼女が更に告げる。
『故に、私はナコトが貴方の手に渡った時、何が起きるか興味がある。故に、貴方への協力を決めた』
「自分達が死ぬかもしれない、とかは考えないのか?」
『そうはならない。少なくとも貴方は他のニャルラトホテプはともかく、私に危害は加えない』
「ほぉ……良い自信だな」
楽しげに、それでいて荒々しい様子で、カイトが一瞬で黒猫に化けたニャルラトホテプの首を掴んで持ち上げる。それに、ニャルラトホテプは一切の抵抗を見せなかった。いや、それどころか一切言葉を発さず、カイトの目をじっと見据える。
『……』
「……」
わずか数秒。カイトとニャルラトホテプが見つめ合う。そうして、唐突にカイトが笑ってニャルラトホテプを地面に下ろした。それに、ニャルラトホテプもまた笑う。
『ね?』
「はぁ……攻撃されない限り攻撃はせんよ。んな狂人じゃあるまいし。攻撃してくる奴は潰すが、せんなら知らん。好きにしろ」
カイトもアル・アジフの知識を通じて、ニャルラトホテプが群体の神であり、一人一人に別個の性格を持っている事を理解していた。故にかカイトとしても敵対してこないどころか友好的に接してくるニャルラトホテプは攻撃出来ず、この黒猫に化けたニャルラトホテプを見逃すしか出来なかった。
『じゃあ、これで。あまり時間は掛けないよ……数、多いから』
「期待してるぜ」
少なくともカイトとしてもニャルラトホテプ達の多さに関しては一目置いていた。故に彼女らの人海戦術を利用してくれれば、見付からないナコトが見付かるかもしれない、と期待している事も事実だった。
そうして、カイトの期待を背にニャルラトホテプがどこかへと消え去った。自己顕現を解除したのだ。そしてニャルラトホテプが去った後、モルガンが問いかける。
「……良かったの?」
「知ってるだろ? ナコトはなんとかしようとしてなんとか出来る代物じゃない……そもそも奴らもまだ勘違いしている。ナコトとアル・アジフは魔導書じゃないんだからな」
魔導書と思って扱う限り、ナコトもアル・アジフも決して殺せない。カイトは笑いながら、内心でそう呟いた。と、そんな彼へとラーマが振り向いた。
「どうした?」
「ああ、いや……主の居ない城の主は猫か、とな」
「うん? 猫が迷い込んでいたのか」
キョロキョロ。カイトの言葉にラーマが興味深げに周囲を探す。が、当然ニャルラトホテプはすでにどこかへ去った後だ。見付かるわけがなかった。
「もうどこかへ行きましたよ。猫ですからね」
「それもそうか。猫を心配するだけ、無駄だな」
「ええ……では、帰りましょうか」
「ああ」
少しだけ歩速を早め自分達に追いつく様に歩きだしたカイトに、ラーマもまた頷いた。そうして、ニャルラトホテプへと依頼を出したカイトはその後、何事もなくインドを後にする事になるのだった。
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