断章 第42話 リライト ――宝物庫――
新年あけましておめでとうございます。
ラーヴァナが世界へと還り、インドラジットの名を捨てたメーガナーダがどこかへと去った頃。盟友の死を悼むヒラニヤクーシャとヒラニヤカシプはインドラから差し出された酒を片手に、自分達の本拠地へと戻っていった。
その一方。カイト達連合軍陣営はというと、戦いも終わり後始末――混乱するラーヴァナの支配地域の治安維持や混乱の収束――に入っていた。と言っても、それは主にクリシュナら現地集合したインドの英雄達が担っており、カイトはラーヴァナの居城の外壁で壁にもたれ掛かる形で休んでいたラーマと合流していた。宿敵の最期を見届けるべく立っていたが、彼が還った事でこちらも力尽きたのである。
「……カイト。貴殿か」
「ラーマ殿……どうやら、何かとんでもない相手と戦ったみたいですね」
「あはは。私一人不甲斐ない……実を明かすと、ヒラニヤカシプが居たんだ」
「ヒラニヤカシプ? ナラシンハに破れたという?」
「ああ」
カイトの問いかけに、ラーマは一つはっきりと頷いた。そうして、彼は先程までの戦いに関しての事をカイトへと語っていく。
「反ヴィシュヌ同盟とでも言うべき同盟……?」
「ああ。私を筆頭に、ヴィシュヌ神の写し身に破れた者たちの同盟だ。参加者は少なくともラーヴァナとヒラニヤクーシャ、ヒラニヤカシプ兄弟が確定……おそらく、カールタヴィーリヤ・アルジュナも居るだろう。以前、パラシュラーマ殿から聞いた事がある。カールタヴィーリヤがアスラの兄弟と会っていた、と」
「それがおそらく反ヴィシュヌ同盟と」
「なのだろう。当時、もう少し詳しく聞いておけばよかったのだが……申し訳ない」
カイトの問いかけに、ラーマは一つ謝罪する。後に聞けばあの当時はシータの救出に躍起になっており、大した興味を抱いていなかったそうだ。とはいえ、どうにせよそれは今話す事でも考える事でもない。故にカイトは懐から小瓶を取り出した。
「まぁ、今はそれはどうでも良いでしょう。これを」
「かたじけない」
小瓶の中身は回復薬だ。やはりヒラニヤカシプに何度も頭を殴打されたダメージは小さくなく、平衡感覚が一時的でもだめになっていたらしい。大分と楽にはなっている様子だったが、まだ立てそうではなかった。そうして、そんなラーマが回復薬を口にする。
「……ふぅ。随分と楽になった。ありがとう」
「いえ……」
「ああ……ラーヴァナは、逝ったのだな」
「ええ。羅刹王に相応しい、天晴な最後だったのかと」
「そうか……」
やはり長年戦ってきた宿敵だからだろう。ラーマはどこか神妙な面持ちがあった。が、彼はラーヴァナに告げた通り、そしてラーヴァナが望んだ通り、それ以上は何も口にしなかった。
ラーマにとってラーヴァナとは単なる通過点。シータを救うという目的の為の障害の一つでしかないのだ。そうして、わずかにしんみりとした空気が流れるのであるが、それをまるで覆す様に、ラーマが立ち上がった。
「良し。ありがとう。もう大丈夫だ。まだ戦えるほどではないが……シータを迎えに行くぐらいは大丈夫だろう。そうだ。そう言えばアルジュナ殿やクリシュナ殿達は?」
「クリシュナ殿はラーヴァナの支配地域の治安維持の統率を開始しています。目立った混乱は無い、との事でしたが……」
「おそらく、ラーヴァナの奴が言い含めていたのだろうな。敗北を奴は悟っていた……いや、破れたかったのかもしれない。それ故にこそ、奴の生涯で最も死力を尽くした戦いだったろうが」
「おそらくは。死物狂いとも死にたがりともまた違う、死を覚悟した者だからこその死力を感じました」
ラーマの言葉に、カイトもまた同意する。おそらくラーヴァナ自身、戦いの最中に自身の敗北を如実に感じ取っていたはずだ。にも関わらず彼は最期まで戦い抜き、そして散った。それは数多戦いを駆け抜けたカイトだからこそ、直に感じられた事だった。そんな彼が、ラーマへと問いかける。
「にしても……随分静かですね。戦った痕跡はありますが……派手に暴れまわった形跡は見られません」
「ああ……おそらく、城には誰も居ないだろう。無論、ラーヴァナの子供達も然り」
この混乱の無さ。前もって準備がされていたとしか思えない。カイトもラーマも状況からラーヴァナが予め言い含めていたのだと考えていた。それはクリシュナがあっけないほどに混乱が収まった、と後に言うほどであった。それはさておき、カイトへとラーマが問いかけた。
「それで、アルジュナ殿とカルナ殿は?」
「二人は先にラーヴァナの城の安全確保をしてくれています。まぁ、気配を察するに特段気にする必要も無いでしょうが……」
「そういうものではない、か」
「ええ」
「そうか……私としてもあの二人であれば安心だ」
自身と同格の英雄二人だ。それが安全の確保をしてくれている、というのであればラーマとしても安心出来た。というわけで、ラーマは回復薬の効果でなんとか歩ける様になった足を動かして、再びラーヴァナの居城へと歩いていく。そうして少し歩いた所で、アルジュナとカルナの両名と合流する事となった。
「ラーマ殿」
「ああ、二人共……世話になった。すまない。先に行きながら、遅れてしまった」
「いえ……特にやる事もなく、という所でした。探してはみましたが、もぬけの殻です。地下も含め」
「だろう……アルジュナ殿。地下も、という事だったが、地下はどうだった?」
ラーマはアルジュナの言葉に一つ頷くと、そのまま彼へと問いかける。これに、アルジュナは一つ首を振った。
「あくまでも簡易な確認ではありますが……地下にも誰も。ただ、おそらく最深部と思われる場所は強固な封印が施されていました。おそらく、インドラジットの物なのかと」
「……置き土産、か」
どうやらタダでは返してくれないらしい。ラーマはそのままにされているらしいインドラジットの封印に笑う。とはいえ、ここまで来てこの状況で引き返すという選択肢は誰にもあり得ない。故に、四人はそのまま進む事にする。と、カイトはラーマとヒラニヤカシプが戦いを開始した場にたどり着いて、思わず足を止めた。
「……これは……またすごい」
「半壊で済んだのは幸いだった。相手はあのヒラニヤカシプ。並の戦闘力では到底及ばない……急ぎはしたが、それ故にこうなってしまった」
カイトのつぶやきにラーマは少し恥ずかしげに頬を朱に染める。彼としてもここまでの惨状になってしまったとは、と改めて見て恥ずかしくなったようだ。
とはいえ、そんなラーマも本題であるシータ救出は忘れておらず、地下へ続く階段は無事だった。まぁ、そこに至るまでの場所はほぼほぼ壊滅しており、地面も大きく抉れていた。なので四人は瓦礫を飛び越え、地下へと進む。と、その階段の中で、ラーマがアルジュナへと問いかける。
「……ここからどれぐらい進むんだ?」
「数分……という所でしょう。幸いラーマ殿が空けた天井から差し込む光で明かりには困らない。奇襲を気にする必要はないでしょう」
「役に立ったなら、何よりだ」
少し恥ずかしげに、ラーマはアルジュナの冗談に笑う。と、更に進む最中、カイトがふと横を歩くカルナに問いかけた。
「そう言えば……結局そっちは誰が誰と戦ったんだ? 割と有名所が居た様に見えたが」
「ん? ああ、こちらはラーヴァナの弟のクンバカルナと戦った。アルジュナはラーヴァナの盟友であるヴァーリンだ」
「クンバカルナ……ラーヴァナ軍でも有数の羅刹にして、ラーヴァナの弟……彼は」
「……」
言わずとも、これが答えである。そんな様子でカルナは沈黙こそを答えとする。それにカイトもまた答えを理解した。
「かつてと同じく兄の為に戦い、彼もまた兄と共に逝ったか」
「……羅刹としておくには惜しい英雄だった。いや、反英雄と言うべきなのかもしれないが」
「そうか……それが、彼の彼自身に課したダルマだったのだろう」
「ああ」
カイトの言葉に同意したカルナは、一度だけ、そして一瞬だけクンバカルナに向けて黙祷を捧げる。そうして一瞬の黙祷の後、彼は改めて他の二人について言及する。
「それで、先にも言ったがアルジュナはヴァーリンだ。こちらも激闘ではあったらしいな」
「あれは……」
カルナの視線の先を見て、カイトはアルジュナがわずかに脇腹を庇う様に歩いている事に気が付いた。どうやら彼も手傷を負ったらしい。それに、カイトは肩のモルガンに小さく頷きかける。
「モル」
「はいはい。いつまでも男の子は手が掛かる。行ってきまーす」
「あはは」
往年の母親の顔を覗かせたモルガンを見送って、カイトは一つ笑う。そうして彼女がアルジュナへと密かに回復薬を手渡すのを見届けながら、カルナへと最後の一人について問いかけた。
「それで、クリシュナ殿は?」
「彼はシュールパナカーだ……が、どうやら逃したようだな」
「逃した? 逃げられたではなく?」
「逃しただろう。彼もまたラーマ殿と同じくヴィシュヌの写し身の一人。高々シュールパナカー程度で逃げ切れるわけがない」
「……それはそうか」
まだラーヴァナや先のクンバカルナなどが本気で逃走するのであれば、いくら英雄達と言えど逃げ切られる可能性は無いではない。が、相手はあくまでもラーヴァナの妹というだけの少し優れている魔術師だったそうだ。
これを英雄の中でも上位層に位置するだろうクリシュナが逃がすほど甘いわけがなかった。ならば、逃げられたのではなく、逃したとしか思えなかったらしい。
「何が目的……だろうな」
「単なる気まぐれだろう。シュールパナカー単体でさほどの悪さが出来るわけでもない。現状、シータにも女神の写し身としての加護が付与されているから、呪うのも難しい。神を呪うなぞ、聖仙でもなければできない話だ」
「き、気まぐれ……」
「そんな男だ、奴は」
どこか呆れる様に、カルナはクリシュナの悪癖に笑ってみせる。と、そんな事を話しながら歩く事少し。四人は気がつけば、地下階も最深部。強固な封印が施された大扉の前にたどり着いていた。
「これは……」
「強固だな……力技で解けるのなら解いてみるが良い、と言わんばかりに強固な封印だ」
驚いた様に目を見開いたカイトに対して、ラーマがどこか呆れる様に笑った。が、その意図は明白で、力技で解けるわけがないだろう、という事であった。というわけで、ラーマはカイトを見る。
「カイト……インドラジットは最後に何か言っていたか?」
「何も……忘れていたのか、それともそれぐらいは自分達でなんとかしろ、という事だったのか……今となっては、定かではないですね」
「おそらく後者だろう。奴とてそこまで甘い男ではない」
インドラジットは敗北し、メーガナーダとなったがそれでも敵だったのだ。最後の最後に自分がインドラジットとして仕掛けた物を解呪してくれるとはラーマには思えなかったらしい。というわけで、そんな彼は巨大な扉を封じている封印を仰ぎ見る。
「ふむ……さて、どうしたものか」
「どうしたものか、って……」
「まぁ、ねぇ……」
「ん?」
どうやって解呪するか考えるラーマに、モルガンの視線を受けたカイトが困り顔で笑う。これに、ラーマが問いかけた。
「何か妙案があるのか?」
「まぁ……姉貴ー」
『呼んだか?』
こんこん、と地面を叩くだけで盛り上がった影の先。スカサハが姿を現す。彼女は単にオイフェの調練に付き合って来ただけで、今回の結果としては非常に上機嫌になれるものだったらしい。非常に上機嫌の様子だった。
「ちょいヘルプ」
「なんだ……ほぉ、これは中々に見事な結界よ」
影を通って現れたスカサハであるが、そんな彼女は大扉を封ずる封印を見て感心した様にうなずいた。
「これ解呪してくれ。この中に、シータ殿が居るっぽくてな」
「なるほど……はっ!」
カイトの要請を受けたスカサハは<<束ね棘の槍>>を突き立てる。が、勿論本気で突き立てているわけではなく、物理的な槍としては扉の半ばまでしか刺さっていない。槍を起点として封印に介入するつもりだった。
「……ふーむ。これは面白い……どうせならティナも呼んで解析したいが……時間が惜しいか。しょうがない。ど・う・す・る・か・な」
「コピるの?」
「このまま吸い取る」
「「「……」」」
さも平然ととんでもない事を言ったぞ、この女。その場の男達が全員揃ってヴィヴィアンの問いかけに対するスカサハの返答に言葉を失う。
封印をそのまま剥がして封印するという事を彼女はしようとしているのである。普通はできないし、カイトどころかアルジュナにもカルナにも、勿論ラーマにもできない芸当だった。
「え、えーっと……姉貴? どうやってんの、それ」
「細分化した<<束ね棘の槍>>を封印に這わせて扉との接合部に突き立てて、接合部を殺すだけよ。あまり時間は掛けたくなかろう? なので封印だけ切り取って、通れる様にしようとな」
「……」
「「「……」」」
誰か今の芸当が出来る人。カイトの無言の問いかけに、インドの英雄達は揃って首を振る。そんなこんなで相変わらずのチートっぷりを披露したスカサハであるが、それ故にこそあっという間に封印の撤去は終わった。まぁ、封印と共に大扉も消え去っていたが。
「良し。どうしても大扉を封印するという概念があるが故に大扉も一緒に回収したが……ま、良かろう」
「……シータ」
聞いてない、か。スカサハは大扉を抜けた先。最深部の中心に鎮座させられていた女性の石像を見て小さく呟いたラーマに、僅かな苦笑を浮かべる。そうしてそんな彼の背を、カイトが押した。
「もうここまで来れば大丈夫でしょう。先の封印……おそらく誰も入れていないでしょう。だが、最後まで油断しない様に」
「ああ……皆、ありがとう。行ってくる」
カイトの言葉を受けて、ラーマは最後に一度だけ後ろを振り向いてその場の面々に深く頭を下げる。そうして、彼は単身宝物庫の中に入っていくのだった。
お読み頂きありがとうございました。




