断章 第20話 リライト ――理由――
インドが誇る大英雄三人アルジュナ、ラーマ、カルナ。それに混じって訓練を行っていたカイトであるが、その訓練もほどほどに終わる事になる。そうしてお互いに健闘を讃えた後、訓練場を後にする事になっていた。と、その訓練を見ていた者が何人か居た。
「はー……あいつあいっかわらずぶっ飛んどるなー……」
その一人となる鏡夜は、訓練場全域が見渡させる場所から自身の幼馴染がインドの大英雄を相手に互角に戦っている様子を見て、ただただ驚きを隠せないでいた。
無論、元々彼が並々ならぬ強さを持っていた事はわかっていた。が、改めてじっくりと見て、その強さが尋常ではないと改めて認識させられたのである。と、そんな横。いつの間にか現れた男が居た。
「どうした? こんな所でため息なぞ」
「貴方は……ギルガメッシュ王」
「ああ……隣、失礼する。それとカイトが世話になっている」
「へ?」
会釈する程度だったとはいえ頭を下げたギルガメッシュに、慌てて立ち上がった鏡夜はまたも驚きを隠せないでいた。そもそもギルガメッシュも去年は居なかった。なのでほぼほぼ会うのは初めてだったのであるが、ギルガメッシュ側はカイトの交友関係は完全に調べていたので知っていたのであった。と、そんな彼にギルガメッシュが問いかける。
「それで、君はここに何をしに来た?」
「いえ……何か生き延びるコツでも掴めないかな、と。この場には過去の英雄達が集まっています。なにか少しでも参考になれば、と」
「良い心掛けだ。そうだ。日本には温故知新という言葉がある。古き者たちがどのようにして戦い、生き残ってきたのか。それを知る事こそ、明日へ生き延びる大切な事を学ぶ事だ」
鏡夜にせよカイトにせよ、おそらく一生涯戦いから逃れる事は出来ない。なら、如何にして明日を生き延びるのか。それを知るには、過去の戦士達が蓄えてきた情報を知る事が何より重要だった。そんな姿勢を見せた鏡夜に、ギルガメッシュは満足げに頷いていた。と、そんな彼に、鏡夜が問いかける。
「それで、ギルガメッシュ王は一体なぜこちらへ? 陛下もカイトに呼ばれたんですか?」
「ん? ああ、いや……オレも確かに誘われはしたがな。今回は見送った」
「はぁ……」
どこか苦笑したような笑みを見せるギルガメッシュに、鏡夜は生返事だ。とはいえ、それも仕方がない。ギルガメッシュが見せるふとした仕草が、カイトに似ていると彼は気付いたのだ。と、そんな彼にギルガメッシュが問いかけた。
「……鏡夜。一つ、聞いてみても良いかな?」
「なんでしょうか」
「ああ、そんなかしこまらなくて良い。単に少しの問いかけを、というだけだ」
「はぁ……」
ギルガメッシュからの問いかけに思わず肩肘を張った鏡夜であったが、一方のギルガメッシュからの言葉に再度僅かに肩の力を抜く。そんな彼に、ギルガメッシュが問いかけた。
「では、問いかけよう……なぜ、ラーマは今の今までさらわれた妻を助けられなかったのだろうな」
「え?」
「ラーマは間違いなく地球史上でも有数の大英雄だ。武勇もそれにふさわしい偉業を立てている。王としての彼とオレは問答をした事もあり、彼の妻シータへの想いは間違いなく本物と言って良い。王の裁定者として歩んできたオレが、認めよう。彼は間違いなく妻シータを一途に愛している。その彼がなぜ、今の今まで待たなければならなかったのか。なぜだと思う?」
困惑した鏡夜へと、ギルガメッシュはラーマの背景を説きながら問いかける。実際、かつてシータがラーヴァナに拐われた際には、見事ラーマはシータを助け出している。それがなぜ、今は出来ないのか。確かに疑問が残る事ではあった。
「なぜ……そこには理由がしっかりあるんですよね?」
「無論だとも。もちろん、自身一人で取り戻したい、なぞという事ではない。それは明言しておこう」
「……」
それなら、何が原因なのだろうか。鏡夜はギルガメッシュの問いかけを改めて考える。
(えっと……そういやラーマの伝説はなんやったっけ……そや。ラーヴァナとの戦いではハヌマーンを筆頭にした猿神やその眷属達の助けを借りたんやったか……ん? そういや、ハヌマーンとかどうしとんねやろ)
ハヌマーン。それは風の神ヴァーユの子にして、中国では西遊記の主人公孫悟空のモデルにもなったとされる猿の神だ。なお、実態としては斉天大聖曰く別人だ、との事である。斉天大聖はあくまでも斉天大聖との事であった。というわけで、彼は疑問を得た事をそのまま口にする。
「ハヌマーンやらの増援が無いから、でしょうか」
「ふむ……残念だが、違うな。いや、すまん。これは君に問うのが間違いな問いかけだ」
「は、はぁ……」
そうなのか。少しだけ楽しげなギルガメッシュの問いかけに、鏡夜は困惑気味に頷いた。そうして、ギルガメッシュが答えを述べた。
「今のラーマでは勝てなくなってしまったのだ。これは物語が終わった後だからこその、仕方がない事情だな」
「仕方がない事情?」
「ああ……そもそも君はラーマがどんな存在か、知っているか?」
「ええ。ラーマはヴィシュヌ神の生まれ変わりとされているインドの英雄的な王様です」
「そうだ。まぁ、実際にはヴィシュヌの魂を分け与えられた写し身に近い存在だが……そこは良いだろう」
ここらについては些細な話で、今重要な事ではない。ここで重要なのは、この大本がヴィシュヌである、と言う所だった。
「ラーマはその役目を終えた後、ヴィシュヌの元に帰った……いや、この場合は戻るという意味ではなく還ったと言う方が良いか。シータがラクシュミーの元へと還ったようにな。だが、写し身とはいえ自我を得た一人の存在だ。故にヴィシュヌもラクシュミーも還った写し身達に新しい肉体を与えて、復活させた」
「では今のラーマもシータも厳密には『ラーマヤナ』の二人ではない、という事ですか?」
「そうだ。幾度となくラーマが『ラーマヤナ』のラーマではない、という点を強調するのはそれ故でもある。元々そうだったが、生まれ変わり別人になった、というわけだ。丁度物語においてヴィシュヌが生まれ変わり別の性質を持つ者に生まれ変わるようにな」
ヴィシュヌは様々な物語において様々な存在に転生し、悪を討ち果たしている。それと同じで、ラーマも自身が生まれ変わった事を意図的に強調していたのである。そしてその理由こそ、今回の答えへのヒントだった。
「かつてラーヴァナはブラフマーより神仏に負けないという強大な権能を授かった。これは当然、お前も知っているな?」
「はい。そしてラーヴァナの悪行に耐えかねた神々に請われたヴィシュヌ神が転生し、ラーマとなったのが『ラーマヤナ』の始まりです」
「そうだ。その権能はインド神話に所属する者に対しては絶対だ。インド神話の神である限り、復活したラーヴァナはどうやっても止められん」
「だからヴィシュヌ神は人間であるラーマに転生した」
人間に転生して討ち倒した。それは逆説的に言えば神様では勝てないと言っているに等しかった。そしてそれ故、ラーマは待つしかなかったのだ。
「そうだ……が、それは逆説的に言えば神では勝てないという事だ」
「ですがラーマは人間の筈です」
「人間だった、が正解だ。役目を終えてヴィシュヌの元へ還った事は先に話したな?」
「ええ……あ……まさか、今のラーマは……」
ギルガメッシュの確認に頷いた鏡夜であったが、ここに来て彼もギルガメッシュが何を言わんとするか理解したらしい。はっとなった様子で目を見開いていた。そうして、彼は笑うギルガメッシュへと答えを口にした。
「神様か、それに近い存在……なんですか?」
「その通り。今のラーマは人間ではない。神により作られた器に、神の魂が入った存在。どちらかといえば神よりの存在なのだ。どちらかといえば、我が友エンキドゥに近い。いや、より神に近い存在として作られた奴と言っても良いだろうな」
「それで、今のラーマではどうやってもラーヴァナには勝てないと」
「そういうことだ」
神仙である限り、ラーヴァナには勝てない。かつてラーマがラーヴァナに勝てたのはヴィシュヌの生まれ変わりであろうとあくまでも人間であったからだ。
が、今の彼は自身がヴィシュヌの写し身である事を自覚し、他の写し身達の力まで行使出来るようになってしまっている。物語の彼より遥かにヴィシュヌに近い存在になってしまっていたのである。である以上、ラーマはどうやってもラーヴァナに勝てないのだ。
「ラーマが酒を飲み、としているのは全て自身がヴィシュヌから遠い存在である、と意識付けをしようとしている証だ。無駄な、いじましい努力、ではあるが……」
「いえ……私にはただただ凄いとしか」
本当にラーマは全てを捨ててでも、シータを助けようとしている。鏡夜にもそれが理解できた。戒律を破ってでも、喩えヴィシュヌの写し身でなくなろうとも、なんとしてもシータを助けたい。その意地とでも言うべきものが見て取れた。そしてそんな彼の言葉に、ギルガメッシュも深く頷いた。
「そうだ。彼のシータへの愛は本物だ……それが、彼の唯一のわがままだったのだから」
ギルガメッシュはかつて、王として王の問答に臨んだラーマの一人の男としての言葉を思い出す。
『……ダメなのだというのは、わかっています。だが、それでも……私はシータが愛しいのです。彼女しか、嫌なのです』
『……そうか』
『ダメ……でしょうか。こんな王は。ただ一人の女に縛られ、王としての職務を……多くの子を為すという職務を果たそうともしない……いえ、ダメなのでしょう。民達がどれだけ私が素晴らしい王と褒めそやそうと、私なぞ所詮この程度の王に過ぎないのです。一人の女を守れなかった事を悔やむような、小さな王なのです』
王として、同じ王であった者だからこそ明かせる心胆をラーマがギルガメッシュへと真摯に告げる。それに、ギルガメッシュはかつての教え子達を思い出した。だからこそ、彼はここで王としての助言ではなく、一人の人間としての答えを述べた。
『いや、良いだろう。それは人として当たり前の事だ。王であっても人なのだ。人から外れた王なぞ、機械と何ら変わらない。人である以上、愛した者が居ても不思議はない。彼女でなければダメなのだ、という貴殿の気持ちは私も理解できる。そう言った少女を、オレも知っていたからな』
『そう……でしょうか』
ギルガメッシュの言葉に嘘が無かった事は、ラーマも彼のどこかここではない場所を懐かしげに眺める顔で理解した。それ故に彼もまたこの言葉が単なる慰めではなく、ギルガメッシュの本心――それ故に一人称もオレだった――と理解したらしい。どこか険の取れた顔が見て取れた。
『ああ……もし取り戻せる機会があるのなら、今度はその手を離さないようにすれば良い。無論、貴殿が王としてのラーマではなく、一人の男としてのラーマを選ぶのならではあるが』
『どちらを選べば良いでしょうか』
『そ、それは私に聞かないで貰いたい。それはその時に貴殿が選ぶ事だ。違うか?』
『……そう、ですね。失礼しました』
『いや、構わないとも……だが、そうだな。私から助言が出来るとすれば、これだけだ。後悔だけは、しない結論をすると良い。全ての役目を終えた後に、貴殿が何を選び何を手にするのか。それを、私は遠くから見守らせて貰おう』
『……』
ギルガメッシュの助言に、ラーマは何を思ったのか。それは今のギルガメッシュにもわからない。が、少なくともラーマは決断していた。
「さて……ラーマよ。かつて言った通り、此度の戦いでオレは加わらない」
まっすぐと、ギルガメッシュはラーマを見据える。かつて、決断を促したのは自身だ。王として、ラーマに見守ると言ったのだ。である以上、彼は戦いには加わらず遠くから見守ってやるだけだった。と、そんな彼はどこか慈父の目でカイトとラーマを見た。
「……なぁ、カイト。お前とラーマの出会いは、運命だったのかもしれんな。同じく、一人の女を長く愛したお前だからこそ、ラーマの気持ちは痛いほどに理解出来るだろう。必ず、勝ってみせろ。お前しか、この地球上でラーヴァナに必勝を謳える者はいない。『人間』であるお前だけが、ラーヴァナに必勝を謳える」
肉体的には一切の特別な所以の無い男。それが、カイトだ。喩え龍族の目と心臓を移植されていようと、そしてその裡に『もう一人のカイト』という神であった者を抱えていようと、彼はどこまでも人間だ。それ故、彼こそが誰よりもラーヴァナの影響を受けないのである。
「……ふぅ」
ギルガメッシュは楽しげに、酒を呷る。長き時間を掛け愛する者の為に決断した男と、その男の心を誰よりも理解出来る男。その二人の旅路が、重なったのだ。
この出会いが、どんな未来をもたらすのか。それは遥か過去から今までを見続けてきた彼にもわからなかった。そうして、そんな彼はその未来の第一歩を見守るべく、今しばらくの間はカイト達の動きを見守る事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




