断章 第14話 リライト ――大英雄の願い――
夏前から予定されていたインド神話最大の英雄の一人ラーマとの会合。それをカイトは高天原の大宴会の最中にて、行う事となる。そうして現れたラーマと待っていたカイトがひとまず挨拶を交わし、インドラは改めて口を開いた。
「それで、ラーマ。改めてはっきりと言うが、カイトの武力は間違いなくこの地球上でも有数だ。そして今のこいつの職務の関係で、こいつの横のつながりは今のお前が必要とする物と言って良い」
「これを見れば、誰も否やは言わないでしょう」
インドラの明言に、ラーマは周囲を見回しながらはっきりと頷いた。やはりインド神話において最大の英雄の片割れが来るというのだ。カイトが声を掛けた全ての神話の武芸者達がラーマを一目見ようと集まっていた。そしてそれに、カイトが笑う。
「あははは……どうやら、一部は気が急いている様子。後はやはりラーマ殿と言われては、誰しもが興味を抱かずにはいられなかったのでしょう」
「ありがとう」
カイトの称賛の言葉に、ラーマが一つ礼を述べる。おそらくどんな神話を見渡してもありえない状態が、この極東の地で起きているのだ。そしてそれ故に凄まじい闘気が渦巻いているにも関わらず、彼は泰然としたものであった。そうして、そんな彼がカイトへと問いかける。
「……それで、この様子だともう話は伝わっているのだろうか」
「ええ、勿論。インドラ殿がすでに内々に話をしてくださっていましたので」
「そうか……インドラ神よ。感謝します」
「いや、良いってこった。お前は俺の息子アルジュナと比肩する英雄。その英雄の望みを叶えるのは、軍神として至極当然の事だ」
ラーマの感謝に対して、インドラは少しだけ恥ずかしげにはっきりと首を振る。そうして、ラーマは改めてカイトへと依頼を述べた。
「とはいえ、やはり改めて私から依頼を話すのが筋だろう。手間になるだろうが……どうか、聞いて欲しい」
「謹んで、お伺いいたします」
頭を下げたラーマの言葉に、カイトもまた頭を下げる。どうやらラーマは英雄の中でも殊更に礼儀正しい人物らしい。依頼だから、と努めてそうしている様子はなく、ただ自然体としてこうある様子だった。
「……まず、聞いておきたい事がある。君は私の物語をどの程度知っている?」
「大凡の流れは、という所です。流石に何がどうで、と詳しく把握しているわけではないですが……一度読んでいれば答えられる程度には、という所でしょう」
「そうか……であれば、私達の末路については?」
「無論、把握しています」
私達。そう述べたラーマの言葉を、カイトはしっかりと理解していた。である以上、多くを語る必要はなかった。
「……何か、多くを語る必要はないだろう。私は、シータを助けたい」
「何故に?」
「彼女を愛しているからだ」
一切の無駄な言葉もなく、一切の嘘偽りもなく。ただはっきりと、ラーマはカイトの目を見ながらそう告げる。まるでそれ以外は一切不要とばかりに、ただ端的に答えのみを告げていた。が、これにカイトは思わず吹き出した。
「くっ……くくくく……いや、失礼。まさか、そこまで馬鹿正直にそれだけを答えにされるとは」
笑われたラーマであるが、一方でカイトが決して馬鹿にしているから笑ったのではないと理解していた。そして事実、彼は馬鹿にしていたから笑ったのではない。まるで心地良さげに、朗らかに笑っていた。
「はぁ……久方ぶりです。誰かの為に戦いたい、と思ったのは」
「では?」
「ええ、勿論です。私も、尽力させて頂きます」
「ありがとう」
深々と、ラーマがカイトへと頭を下げる。それにカイトは思う。なぜこの男に助力しないという選択肢があり得たのだろうか、と。そんなものは彼の中には一切ありえなかった。とはいえ、元々根回しされていたとはいえ、あまりにあっさりと助力を決めたカイトに、今度はラーマが問いかけた。
「……それで、一つだけ良いか?」
「ええ、どうぞ」
「なぜ、そうも一切の迷いなく私へ助力を決めたのだ?」
「簡単ですよ。ええ、実に明瞭だ」
ラーマの問いかけに、カイトは自身の胸の内側に宿る感情に触れる様に自身の胸に手を当てる。
「最初のあなたの言葉で十分、あなたの言葉に嘘が無い事がわかったからです」
「ふむ?」
「……まぁ、その……恥ずかしい話ですが、私は愛という感情が最も美しいと思っている。あなたの愛は非常に美しいものだった」
ああも真っ直ぐに、そしてただ端的に愛していると口に出来るのだ。それ以上の美辞麗句はラーマにとっては不要で、そして何より雄弁に彼がシータを愛しているという事を誰しもにわからせていた。そしてそれ以外にも、いろいろな事が読み取れた。
「その答えを出すまでに、あなたはどれだけの時間掛けられました? 云十年、云百年じゃあ足りないでしょう」
「……わかる、のか?」
「ええ……私の魂は常に愛と共にありましたから」
言っている意味は理解出来ない。が、ラーマにはカイトの言葉が嘘ではない事が理解できた。カイトの顔にはまさしく慈愛と言って良い表情があり、それが自身と同じく誰かしらを心の底から愛していて、それを誇りにしているからこそ浮かべられる表情だと理解したのだ。
「あなたのあの一言だけで、大凡が私には理解出来ました。愛した人と何かがしたい……そういうんじゃない。ただ、一緒に居たい。それだけで良い」
「っ……」
この男は正真正銘自分の感情をあの一言だけで完全に、完璧に理解してくれた。ラーマは自身の心を完璧に代弁してのけるカイトの言葉に、思わず感動さえ得る。
確かに、あの言葉は長い時間を掛けて出した答えだ。が、それは彼自身が自身のシータへの愛を語るのに長い言葉は不要と判断すればこそ、出した結論だ。それをまさかここまで完璧に理解してくれるとは、彼自身が思わなかった様子だった。
「だって、そうだ。何がしたい、と問われればなんだってしたい……でも、まずは彼女が居てくれないと始まらない。何がしたいか、なんてそこから考えれば良い。だから、今はただ一緒に居て欲しい」
「……」
おそらくこの時程、自身の理解者を得られたと思った事はない。後にラーマがそう語るほどに、カイトの言葉は正鵠を射ていた。そしてそれ故にこそ、ラーマもまた理解した。これを語れるのだから、それは即ち一つの答えしかない、と。
「それは小さく、ささやかな願いだ。だが、それで十分と答えを得られるまでに、どれだけの苦しみを得たのか。それを考えれば、オレは命を賭けても惜しくない」
「……君は一体、誰を待っている?」
「私を愛し、私を救ってくれた人を」
この男になら、語っても良い。カイトはそう思い、今まで誰にも明かさなかったそれを明かす。それに、ラーマが告げる。
「そうか……なら、一つ約束させて欲しい。何時か、君がその君の愛する人と再会する時が来て、何か苦しむ事があったのなら。私に協力させてくれ」
「その時が来れば、必ず」
「ありがとう」
カイトの返答に、ラーマは再度頭を下げる。カイトがそうであった様に、ラーマもまたカイトの為になら命を賭けても惜しくない、と思ったようだ。そしてそんな彼が、カイトへと告げた。
「一杯、注いでもらえるか?」
「良いんですか?」
「構わないさ……神も飲んでいるのに、飲まないわけにはいかないだろう?」
どこか朗らかに、ラーマはカイトへと笑い掛ける。なぜカイトが良いのか聞いたのか。それはヒンドゥー教において飲酒は五つの大罪の一つだからだ。それを他ならぬラーマが破る事の意味がわからないほどではなかった。が、同時にラーマもだからこそ、敢えて戒律破りを行った。
「それに何より、今の私は『ラーマヤナ』のラーマではない。私は単なる一人のラーマ。シータを愛し、シータの夫であるラーマに過ぎない。この場には……いや、『ラーマヤナ』のラーマはあの『ラーマヤナ』の物語で死んだのだ」
だから、かつての自分と決別の意味を込めて酒を口にする。もはや何者でもなく、単なる一人の男として立つ為に。そして二度とその手を離さないと決意を示す為に。
それに、カイトは自身の近くにあった酒瓶に手を伸ばし、ラーマが持つ盃に酒を注ぐ。全てを捨てる覚悟を示した男の決意に水を差す無粋は彼も知っている。そうしてそんな彼に、今度はラーマが酒瓶を手にとった。
「盃を交わす、というのだろう? やった事は無いが、聞いた事はある」
「ありがとうございます」
どこか恥ずかしげなラーマに、カイトは笑って盃を差し出した。そうして、二人は静かに酒を飲み交わすのだった。
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