断章 第10話 高天原の大宴会 ――深海への誘い――
高天原の大宴会の最中に出会った道士・徐福。クー・フーリンからの情報で南極へ向かっていたという彼女からの情報により、クー・フーリンが居た時には無かったと言う結界が出来上がっていた事を知る事になったカイト達は、太公望の助言を受けひとまずは情報収集に務める事になる。
というわけで、太公望とクー・フーリンが各々知己を得ている者たちに情報を聞きに行く、もとい酒飲み話に聞きに行く事にした後。カイトはアマテラスらを含めた三人に更に徐福を含め、自身も情報を集める事にしていた。
「というわけらしいんだ。何か考えられないか?」
「ふむ……南極に巨大な結界。なるほど、たしかに奴らならやりかねない事だ」
カイトが聞いていたのは、ニャルラトホテプ達外なる神の事であれば専門家である教授だ。まぁ、彼らの難点といえば何でも何でもとんでもない現象は外なる神の影響、としがちなのであるが、それでも状況からその可能性はたしかに高そうであった。が、そんな彼は少し笑って首を振る。
「だが……おそらく可能性としては低いだろう」
「そうなのか」
「ああ……というのも、実は南太平洋の深海に奴らの拠点が一つあってね。とはいえ、それも随分と昔に廃棄された拠点なのだが……」
「またすごいところに……」
南太平洋の深海に拠点。到底今の人類には不可能な場所へ設置されたらしい外なる神の拠点に、カイトも流石に呆れ返る。が、これに教授が笑った。
「君も聞いた事があるだろう。南緯47度9分 西経126度43分と」
「ルルイエ?」
「そう、それだ」
そういえば、とばかりに告げたカイトに、教授は我が意を得たり、とうなずいた。そこは南太平洋で、確かに物語に伝わる通りだった。
「まぁ、流石に座標の数値は若干変えさせて貰っているがね。実際にはもう少し北寄りだ」
「なるほどね……ん? だが待った。確か1925年にルルイエは一度浮上した、というのがクトゥルフ神話だったんじゃ」
「……起きたと思うかね?」
「……あ、無いか」
カイトは自身の指摘に対する楽しげな教授の問いかけに、自身の物があくまでも物語である事を理解する。クトゥルフ神話では太平洋深海に沈んだルルイエが1925年に浮上した事により、大量の精神異常者が発生した、という事だった。が、そんな事が起きれば流石に表の歴史にも何かしらの影響は出る。未然に防ぐ事に成功したか、あくまでも物語という事なのだろう。そんな彼に、教授もまたうなずいた。
「死せるクトゥルー、ルルイエの館にて夢見るままに待ちいたり……呼び出されたクトゥルフをなんとかする為に、相当無茶な作戦をしはしたらしいがね。残念ながら当時私は邪神に捕らえられ、動くに動けない状況だった。報告として知るだけだ」
「ああ、そうか。確かそう言えば教授が捕らえられていたのは、1915年から1935年。丁度ど真ん中か」
「ああ。丁度、私がセラエノで学んでいた頃だ。あの時代が一番悲惨だったそうだよ」
教授はどこか苦笑混じりに、一つ首を振る。あの時代は何より純粋な『人間』しか居なかった。なので何をするにしても膨大な犠牲を払う事でようやく成し遂げられる事で、今回のこの一件もそうだった。
「あの作戦はおそらくこの百年……私が帰還して以降を含め、五本の指に入るほどの壮絶な戦いだったと記憶している……おそらく、なのだが。それが目的だったのだろう、とは思うがね」
「目的?」
「こちらに危機感を与える為、というところだ。あれから百年……数多くの戦いが起きた。が、あの一件を境にミスカトニック大学から財団が独立し、専門的な研究・開発が開始される。そして戦いは先鋭化し、本格化した」
後に、教授は語る。1925年の一件は英雄が誰一人居ない戦いだったが為、ルルイエの浮上を阻止するべく軍属、非軍属含め千人単位の犠牲者が出た、と。
そのあまりの犠牲の多さに時のアメリカ政府はミスカトニック大学へと専門の部署の拡充を要請。その結果できあがったのが、今のアーミティッジ財団だった。そうして、それ以降の事を教授が語る。
「アーミティッジ財団の設立以降、同程度の作戦において犠牲は桁一つ減少する。例えば先のルルイエの例で言えば、四桁の犠牲が三桁というようにね。それから更に桁が一つ減るのは、十年後に私が帰還し、セラエノの知をもたらして以降となる……これを時の政府上層部はアーミティッジ財団設立とその活動の本格化による物と見ていたし、実際そうなのだろうとは思うがね」
「つまり、その活動を本格化させる事こそが本来の目的だったのでは、と」
「そういう事だ。犠牲が増え、活動が本格化している様に見えればこちらもより強固なカウンターを用意する。が、カウンターを用意される事こそが目的だったのなら? 奴らは百年単位の計画を平然と実行する……あり得なくはない」
確かに、結果だけを見れば外なる神々の活動が本格化したことにより、地球側も多種多様なカウンターを用意するに至った。が、ニャルラトホテプらの知性がそれを見抜けぬ筈がない。今にして思えば、それが目的だった様に教授には思えたのだ。と、そんな事を語った彼であったが、一転首を振った。
「いや……それは良いね。兎にも角にも、南極に奴らが結界を展開、というのはなかなかに考えにくい。ルルイエがあるし、あちらを放置して南極に作るほど酔狂ではないだろう」
「ルルイエを隠れ蓑に、というのは?」
「無論、あり得る。が、私は無いと思う」
「それは如何に?」
何時もなら可能性として高い、という教授が再度無いと思うと口にする。それはつまり中々自信がある、という事なのだろう。というわけで、カイトの問いかけに教授はその理由を口にする。
「彼らが作ったのなら、時が来るまで見付かるようなヘマはしない。そして今の時期を鑑みて、それは無いだろうとも思う。徐福殿。確か見付けたのはこの数ヶ月との事だな?」
「はい。あちらでは真冬の最中の事です」
「なら、やはり無いだろう。時期を鑑みた場合、君に対する試練やイギリスでの一件と共に奴らは南極に基地を作っていた事になる。もし奴らだとしても、今見付かる様にはしない筈だ。幾ら君に目を掛けているとはいえ、あまりに時期が近すぎる。特に、奴らは存外こちらの都合は考える。今の時期になるような事はまず、無いだろう」
確かに、言われてみれば時期が可怪しい。カイトもその指摘になるほど、と納得する。もしこれが外なる神の基地だった場合、即座に教授達が動いて場合によってはカイトも動く。それだけの規模だ。
が、カイトは先の夏の一件で重傷を負った。そしてイギリスでも動いていた。どちらかしか動けない以上、こちらが彼らの手による物とは考え難かった。
「なるほどね……確かに、今の時期にトラブルを起こされればまず間違いなくこの場の英雄全員が動く。それを動かす意味は、と問われるとオレも反応に困る……もうやった事だからな」
「そういう事だ。一度やってすでに結論の出ている事を今更、しかも君に不備が生じている状況で、となると些か考え難い」
「ふむ……」
となると、やはり外なる神とは無関係、もしくは無関係ではなくとも関係は薄い。カイトは教授の推測を聞いて、それが可能性として高そうか、と判断する。少なくとも外なる神主体で動いた事ではないだろう、と考えて良さそうだった。とはいえ、それは教授の意見でもあったが、同時に彼は外なる神と関わればこそ、常識を捨てていた。
「が……確かにその可能性は無視出来ない。あり得る……調査はしておくべきだろう」
「それについてはオレも同意する……行くしかないか」
「そうだが……」
「どうした?」
僅かに苦々しげな教授に、カイトは首を傾げる。どうやら彼には何か懸案事項があるらしい。
「実はこれは君の怪我が落ち着いた頃合いに頼もうと思っていた事なのだがね。先のルルイエ。あそこに、同行してもらいたいと思っているのだ」
「ルルイエねぇ……まぁ、構わんと言えば構わんが。復活があるのか?」
「それは今の所無いだろう。数千の犠牲者がルルイエの浮上は阻止した。私も何度かルルイエには訪れている。現地には財団と大学の調査隊が常時待機し、万が一にも復活が無い様に監視も怠っていない。これは財団の特に腕利きだ。アーカムに居る特殊部隊より遥かに実践的で、我々が保有する中でも有数の戦闘員達だ。中には異族も居る。信頼して貰って大丈夫だ」
カイトの懸念に対して、教授ははっきりと請け負った。それに、カイトは復活はひとまずなさそう、と判断。その上で彼へと問いかける。
「なら、何が目的だ?」
「……実はあそこに魔導書があってね。君も聞いた事はある筈だ」
「……『ルルイエ異本』か」
「その通り」
『ルルイエ異本』。それはクトゥルフ神話において最も有名な魔導書の一冊だ。そしてそれは教授に深い関係があった。
「確か『ルルイエ異本』で貴方は論文を書いていたんだったな」
「ああ……と言っても、物語に語られるような論文ではないがね。流石に内容が内容なので色々と変えて貰った」
「魔導書であんな内容の論文が書けるとはオレも思わんさ」
笑う教授に、カイトもまた笑って先を促す。魔導書とはあくまでも魔術を使う為の物だ。記述内容次第では神話についての研究に使えないわけではないだろうが、少なくとも魔導書の本意ではないだろう。そして教授が使うとも思えなかった。
「ああ……その『ルルイエ異本』が、ルルイエにはある。それを回収したい」
「出来ないのか?」
「出来はするだろう」
「つまり、相応の犠牲を覚悟でやらないと駄目、と」
「そういうことだ」
自身の言葉の意味を理解したカイトの言葉に、教授ははっきりとうなずいた。が、これにカイトが一つ問いかける。
「だが……何故『ルルイエ異本』がルルイエに? 確か『螺湮城本伝』やフランソワ・プレラーティを筆頭に、何人か写本を作った筈だ。オレもヨーロッパの噂の範疇だが、とあるカモッラのドンが保有している、という噂は聞いた事がある」
「とあるドン、とは言うが。君は会ったと聞いていたがね」
「ぼかしたのをアッケラカンと言わんでくれよ」
とあるカモッラのドン。それはカイトが少し前のイタリア観光で偶然に出会ったカモッラのドンの事だ。彼は息子のクリストフも言っていたが、魔術には理解がある側の人間だ。詳細こそ知らないものの、話は出来る。その理由が、この『螺湮城本伝』の写本を一冊持っているから、なのであった。とはいえ、だからこそ、とカイトが話をする。
「まぁ、そりゃ良い。そんな感じで写本はいくつかあるだろう? なら何故、今更大元がルルイエに?」
「それは簡単だ。ルルイエ浮上の際に、『ルルイエ異本』を使って沈めたからだ。いや、鎮めたの方が良いかもしれんが」
「それは、また……」
なるほど、確かにそれなら数千人規模の犠牲者が出ても不思議はない。原理的に出来るかどうかは『ルルイエ異本』を知らないカイトには何も言えないが、少なくとも『ルルイエ異本』ほどの魔導書を使いルルイエを沈めるのであれば、間違いなくエネフィアで言えばランクS級の魔術師の仕事だ。
カイトでもまずティナか、馴染みの魔術を専門に研究しているギルドのギルドマスターに依頼する領域だ。よほど追い詰められねば、自身ではしない。
それを魔術では最下位争いをしているというアメリカの、しかも教授の助力も無い状況ですれば数千人の犠牲が出ても不思議はなかった。
「まぁ、そういうわけでね。何時までもあそこに置いておいて、共鳴されると困る。かつての再来になるのもな」
「なるほど……わかった。怪我が治った頃合いで避ければ、その依頼を請け負おう。ルルイエだ。間違いなく、こちらにも影響は出るだろうからな」
「かたじけない。この礼は何時か必ずさせてもらおう」
内諾という形ではあったが、カイトは教授の申し出を受け入れる事にする。そうして、その後も少しだけルルイエや南極についての話を交わす事になるのだった。
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