断章 第1話 プロローグ ――神話の世界――
おまたせ致しました。断章・18開幕です。
インドラの手によって語られ始めた二年前の神無月の宴会の裏で行われていた一つの戦い。それを語り始めたインドラであったが、それを語る前のふとインドラが思い当たった。そうして、彼は楽しげに問いかける。
「そうだ。煌士。お前、時々神話を読んでて疑問になる事はないか?」
「疑問、ですか? それはまぁ……たくさんあります。聖書ならカインとアベルとか、マハーバーラタなら」
「すまん。マジですまん。俺の聞き方が悪かった」
これはミスった。煌士の呈する疑問の数々を見て、インドラが手で待ったを掛ける。どうやら酔っていたという所だろう。答えが多すぎた質問で、たしかにこれは彼の聞き方が悪かった。これに、煌士が小首を傾げる。
「はぁ……」
「そうだなぁ……なぁ、煌士。お前がインド神話を読んで、どんな感想を得る?」
「そうですね……」
言われて、煌士は一度だけインド神話の事を思い出す。そうして思い当たったのは、ある事だった。
「規模が大きい、という事でしょうか。常に数万、とか数十万、とか時として数百万という数が出て来た様な……」
「そう、それだ」
インドラは楽しげに、煌士へと頷いて人差し指を振るう。インド神話のみならず、時として神話では数万の軍勢が、と時代背景を鑑みてみればあまりにおかしいと言うしかない。なにせ時代によっては総人口が数十万人という時代もある。無論、そこは神界の住人を含めるなど様々な要因はあるだろうが、それでもやはりおかしいだろう。
「数万。数十万……時として数百万の軍勢を動員して。普通、出来ると思うか?」
「無理でしょう。確か去年発表の時点での世界最大の兵員を抱えているインドでもおよそ五百万です。旧時代にそれだけの動員は出来るとは到底……」
思えない。煌士はインドラの問いかけにはっきりと首を振る。今でさえ、そんな数十万の兵力を一度に動員する事は大凡どんな国でも不可能なのだ。それを、と言う彼の言葉は正しくはあるだろう。が、これに。インドラは笑った。
「そうだな。普通には、無理だ……普通にはな」
「普通には?」
「ああ……アルジュナ」
「はい……煌士。少しこちらに」
論ずるより見た方が早い。そんな様子のインドラの指示を受けて、アルジュナが煌士を少しだけ下がらせる。そうしてインドラが告げた。
「基本的に、俺達神様ってのは常日頃は力を抑えて生活している。まぁ、当然だわな。だって神様だぞ。本気で神様として立ってたら、ひと目で神様とわかっちまう」
当然だろう。煌士はインドラの解説に素直にそう思う。なにせ神様だ。システム側の存在、概念が実体化した存在だ。それが人と同じであるわけがなかった。そうして、インドラの身体から神気とでも言うべき神々しいオーラが放たれる。
「これが、俺達神様の本来の神様としてあるべき姿。勿論、神様だから若干姿を変えたりは出来るけどな」
「なるほど……確かに、神様に相応しい風格、とでも言いますか……思わずひれ伏したくなる様な圧力を感じます」
「だろう? ま、本気でやろうとすれば常人なら普通にひれ伏させる事が出来るがな」
それをやっちまって馬鹿な時代になったのが、神代と呼ばれる時代だが。インドラは数千年前を思い出し、内心で僅かな苦笑を浮かべる。
これは大精霊達と一緒だ。大精霊達もまた、ある程度の力で顕現すれば無条件にひれ伏さねばならない様な気にさせる事が出来る。同じ様にシステム側の存在である神様もまた、無条件にひれ伏させる事が出来るだけの強大な風格を持っているのである。
ちなみにこれでもまだ、手を抜いている。彼とて近くで宴会をしているのにそれをぶち壊しにする様な事はしたくないからだ。そうして、そんな彼がアルジュナへ一つ頷きを送る。
「はい」
「おう……で、この状態の俺らにのみ、許される力がある……それが、これだ」
雷鳴が轟いて、落雷が巻き起こる。アルジュナが先程やったのは、一時的に周囲を隔離する事だ。先に言っている通り、宴会の邪魔をしない為である。そうして、一際特大の雷鳴が轟いて、稲光が周囲を照らし出す。そんな中に、何かがいる事に煌士は気が付いた。
「何かが……居る?」
「ま、とりあえずはそのまま見てろ」
何が居るかはわからない。稲光と吹き荒ぶ風でまともに目が開けられない様な状況の中、煌士は何かの気配がある事に気がつくも、インドラは楽しげにそう言うだけだった。そうして、更に数度雷鳴が轟いて、遂にインドラの周囲に紫電が落ちた。
「っ!?」
巻き起こった衝撃に煌士が顔を顰め、身を固める。そうして、その衝撃を最後に雷鳴は緩やかになり、煌士は顔を上げた。
「これ……は……」
凄まじい。煌士が目の当たりにしたのは、数十体の雷で出来た戦士達だ。顔も無く手も無いが、たしかに人型を取っていた。それが、古代インドらしい鎧兜を身に着け剣や槍などの武器を持っていた。どれもこれもが今の煌士達と比べても遜色ないほどの威圧感を有しており、間違いなくこれを一体一体相手にするのが精一杯だろう。
「これが、本当の意味での神軍。神様が呼び出せる自分だけの軍勢だ……と言っても神様なら誰でも出来るってわけじゃなくて、ある程度以上の神様に出来る事だけどな」
なるほど。これなら数十万数百万の戦力と言われても納得だ。今は見せる為だけに数十体だけだが、おそらく今のインドラなら本当に数十万数百万の兵力を動員する事が出来る。それを理解する事が出来るだけの圧力があった。と、そんな彼に煌士がふとした疑問を問いかける。
「ですが……こんな力。何に使うんですか?」
「ああ、それか。ま、当然そう思うよな……本来はシステム側として動く際に使うもんだ。システム側として動くってのはまぁ、何かしらの世界としての異常が起きた時。だから結構デカイ数の魔物が出たりもしたりしてな。こういうのを使って例えば民衆の避難を誘導したり、守ったりするのさ。ま、もう人の歴史になっているから、今更やる事は滅多にないけどな」
「なるほど……」
神軍というのだから戦う為に存在している。そう思ってしまった煌士であるが、実際には自衛隊と同じ様に災害時にも派遣されたりするのだろう。彼はそう理解する。
無論、これは神代の事だ。今はインドラの言う通り、行われる事はない。あるとすれば、同じく彼が言う通り何かシステム側、即ち人ではどうしようもない事態が起きた場合だけだ。そうして、インドラは論より証拠と顕現させた神軍を消失させ、神としての圧を消した。
「ふぅ……ま、こんな感じで神々ってのは数十万とか数百万の軍勢を呼び出せてな。結果、あんな誇大広告も良いだろ、って数を現実的に動かせちまうわけだ。それに、何より。俺達はたしかにバカみたいな戦闘力を持つが、それだけで最終戦争とかと言われると思うか?」
「はぁ……」
「あはは。所詮は単独での戦闘だ。結論、どこまで全力になってもそんな被害は出ない。が、こんな馬鹿げた数の軍勢とミカエル達がぶつかってみろ。結果、被害はとんでもなく広大になる。で、人類滅亡ってな」
「な、なるほど……」
確かに、そうだろう。インドラの言葉に煌士は納得を示す。数十万どころか数百万の兵力が出現するわけであるが、そうなるとそれ相応の広大な敷地が必要になる。そして魔術を使った戦闘だ。距離はとてつもなく広大になってしまうだろう。となると、その被害も想像を絶するものになるだろう。
「ま、そういうわけでな……で、なんでこんな事を話したかというと……二年前。カイトの奴がこの神軍と一度戦っててな」
「それが、先の?」
「ああ……ラーマの依頼でな」
何度か言われていた事であるが、ラーマはカイトに何かしらの依頼を行いたいと言っていたという。それがきっかけとなり、その戦いが起きたのだろう。と、そんな事を話していたからだろう。アルジュナがふと口を開いた。
「父上」
「ん?」
「ラーマ様が来られた様子です……ぜひご挨拶をしたいのだが、と仰られているご様子です」
「おぉ、マジか。通してくれ」
相手はインド神話最大の英雄の一人ラーマ。その挨拶とあってはインドラは全てにおいて優先させる事にしていた。そうして嬉しそうなインドラが身だしなみを整えた所で、一同の場に褐色の肌の美青年が現れた。
「インドラ様」
「よぉ、ラーマ。息災、変わりないか?」
「はい」
インドラの問いかけに、ラーマと呼ばれた青年は柔和な笑みで頷いた。その姿はたしかに英雄というに相応しく、爽やかさが前面に出た好青年という様であった。
「アルジュナ殿もお久しぶりです」
「はい。そういえば、どうですか? 昨今、旅に出られたと聞いていましたが」
「ええ……旅と言っても普通に旅行です。あ、こちらお土産です」
「おぉ、悪いな」
インドラはラーマから差し出された手土産を嬉々として受け取り、一旦は異空間の中に入れておく。普通ならここでこれを出すのが筋なのかもしれないが、幸か不幸かここには給仕の者たちがたくさんいて、インドラも話の肴に数々の軽食と酒を用意させていた。不必要に食べきれなくなる可能性があるのに、出すべきではないだろう。と、そんなインドラは包み紙を見て、わずかに目を丸くする。
「……草津? 温泉に行ってきたのか?」
「ええ……先月少し忙しない所へ行きましたので、シータが少し疲れた様子でしたので……」
「そうか。お前の所は相変わらず夫婦仲が良いな」
「い、いえ……まぁ……」
どこか茶化す様なインドラの言葉に、ラーマが恥ずかしそうに頬を染める。もう数千歳も歳を取っている筈なのに、彼はどこか初々しい少年の様な純粋さがある青年だった。と、そんな彼にインドラは酒の入った盃を進めた。
「ほら。とりあえず着いたばかりなら、まだ何も口にしてないだろう。ま、とりあえず飲め。度数はさほど強く無いから、口を潤す程度にはなる」
「あ、有り難うございます」
インドラの差し出した盃をラーマが一気に飲み干した。ヒンドゥー教では飲酒は禁止されているわけでるが、そもそもインドラその人が気にしていないし一応神から下賜された物なので問題ない、とのことであった。そうして、そんなラーマが問いかける。
「ふぅ……それで、彼は?」
「ああ、そうか。最近旅行に行ってるおお前は知らないでも不思議はないよな」
「あ……天道煌士です」
「ああ、あの天道の……はじめまして。ラーマです」
「ありがとうございます」
爽やかな笑みと共に自己紹介を行ったラーマに、煌士が頭を下げる。そうして彼の紹介が終わった所で、改めてラーマが問いかけた。
「それで、今は何を?」
「ああ、そうだ。丁度良かった……良く思えば、お前に話も聞いてみたかった」
「はぁ……」
今来たばかりで何がなんだかさっぱりなラーマが小首を傾げる。それに、インドラが状況の説明を行った。
「ああ、あれですか」
「ああ。二年前の戦いな……俺は遠目に見てただけだが、実際に参加した奴の話はよくよく考えればきいてねぇんだ。よければ、少し聞いて良いか?」
「勿論です」
インドラの申し出に、ラーマは即座に笑って頷いた。そうして、二年前の物語がインドラとラーマの口から語られ始めるのだった。
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