断章 第36話 欧州会議編 ――合意――
遂に行われる事になった、カイトとシメオンの会談。それはお互いがまずはお互いの事を知る事から、始まっていた。というわけで、シメオンの側から<<十三使徒>>の要注意人物の情報の開示から行われていた。とはいえ、その前に、と彼は一つ切り出した。
「まず、一つだけ了解してもらいたい」
「ん? それがこちらに飲めるのなら、だが」
「ああ、そこまで警戒はしないで貰いたい。別に貴方たちの側から誰かを引き渡せ、というわけではないからね」
僅かな警戒を滲ませたカイトへと、シメオンが一つ笑って首を振る。そうして、彼は二枚の写真を取り出して、カイトへと提示した。
「これを」
「……懐かしい顔だな。一度だけ、日本に来たのを見た事がある」
「……あはは。どうやら、君には勝てない様だ」
まさか気付かれていたとは。シメオンはかつての大阪の一件で入り込んでいたマリアとミカエラの事を覚えていたカイトに、思わず引きつった笑いを出す。あの時、まだカイトは一切表舞台に立つつもりはなかった。そして無数の密偵が居たにも関わらず、二人の事を完璧に覚えていたらしい。が、これにはカイトも言い分があった。
「そうは言われてもな……流石にその二人は見ればわかった。明らかに別格だとな」
「あはは……ああ。そのとおりだ。こちらのミカエラ……彼は若くして最高幹部となっている通り、腕は非常に立つ。一応、こちらでも安易にそちらに出ていかない様にするが、見て貰えればわかる通り、彼はまだ若い。いささか多めに見てもらえれば助かる」
「……まぁ、構わんは構わんが。それなら幹部になぞしなければ良い」
シメオンの要請に対して、カイトはどこか釈然としないものを感じながら告げる。が、これにはシメオンもため息を吐いた。
「わかっているさ。だが、こちらにも事情がある」
「事情?」
「……騎士団の規約だ。彼に与えられている加護はミカエル様の加護……熾天使にして全ての天使の長。天使長様の加護だ。その加護を持つ者を下の地位に就けておく事は対面上出来ないんだ」
「……」
まーた厄介な。カイトとしてもわからないでもないが、わからないでもないからこそ面倒くさそうな顔をしていた。どうしても組織としてまとまる以上、ある程度のルールは必要だ。どうやらこのミカエラとマリアの二人はそのルールに則って決めた場合、どうしても最高幹部になってしまうとの事であった。
「……君は使徒化について、どの程度知っている?」
「さぁ? そちらの切り札だとは認識しているが」
「それで間違いではないよ……まぁ、この使徒の力の一つに、加護を授けてくださった天使様に連絡が取れてね。熾天使様の加護を得た、という事はつまり天使様にすぐに連絡を入れられる立場になった、というのと同義なんだ」
「なるほどね……確かに、それなら下っ端には置けんか」
ミカエルの使徒。そう書いてみれば、誰にでも一つの印象を与えられる。それは言うまでもなく、この彼はミカエルの意向を受ける者という事だ。使徒というのは遣いだ。
となると、このミカエルの遣いを下に見るということは、そのままミカエルの意向、ひいてはミカエルその人を下に見ていると捉えられかねない。最悪は天使達同士の問題にも発展しかねないのだ。それは流石に望めなかった。腕が立つ事と同時に、そこらの意向もあったのだろう。
「ま、それは良いがな。マリアというのも同様だろうし。事情が事情。組織の体面の問題と言われりゃ、こっちも理解は示そう。道理だからな」
「ありがとう。これは私も頭が痛いとは思っているし、正しいとも思っていないけども。それでも、組織のルール上そうなってしまっているし、君の言う通り道理だからね」
「あははは。ま、何よりこちらとて若いやつを前線に出すな、は言えん。そこらには理解と同情をしよう」
「理解してくれて感謝するよ」
楽しげに笑うカイトに、シメオンも苦笑を滲ませる。何故、カイトが若者を出すなと言えなかったか。それは簡単で日本の事があったからだ。
日本には知っての通り、陰陽師が居る。一桁ですでに修行という名の実戦に臨む者も少なくない。彼の幼馴染だってそうだ。それを容認している限り、カイトには苦く思おうと他組織のシメオンを非難出来る権利はない。
「さて……それじゃ、今度はこちらかな。まぁ、初手は彼女しかないか」
「……彼女か」
カイトが取り出したのは、フィオナの写真だ。とはいえ、こちらはシメオンの出した写真とは違い、明かに楽しげに写真を撮られている様子だった。が、それを見るシメオンの顔は、険しかった。
「ああ。彼女は現在、オレの下に居ると言って良い」
「……」
シメオン側の列席者が、揃って息を飲む。この言葉がどれだけの意味を持つのか、彼らがわからないわけがない。
そして同時に、カイトがわからないわけがないとも思っていた。それ故にこそ、彼らは誰しもが何も言えず、カイトの言葉の先を待つしか出来なかった。
「……彼女から、専守防衛の明言を得ている」
「専守防衛……つまりは、手を出さなければ手を出さない、と?」
「ああ。彼女の言葉をそのまま伝えよう……夜の一族を統べる王の一人として、手を出さねばこちらからは手を出さないと誓いましょう……この意味がわからない程、暗愚ではないでしょう? だそうだ」
「「「……」」」
カイトの言葉の意味を理解して、シメオン達が得たのは心の底からの安堵だった。王として。その言葉の意味を理解できぬほど、彼らはやはり暗愚ではない。このヨーロッパで王と呼ばれ、それを誇りにしているのだ。一族の誇りさえ口にしたのだ。
その約束は絶対の効力を持つと言って良い。無論、それはカイトの言葉が嘘ではないという前提に基づくが、これが嘘ではないのはカイトの関係を見れば明白だった。
「……はぁ」
「どうした?」
「……君も人が悪いね」
敢えて楽しげな様子で問い掛けたカイトに、シメオンはわずかに肩の力を抜いて首を振る。こちらの心情を理解できぬカイトとは思えない。なら、聞いている時点で悪辣といえば悪辣だった。というわけで、彼は自らの心情を宥める為にも敢えてそれを口にした。
「彼女を動かした……その意味が安いとは、私は思わないよ。それだけでこちらに対して和平の意志がある、と示してくれたにも等しい。彼女の存在は常に我々の懸案事項だった。それに対して、喩え専守防衛だろうと、それでもこちらに手出しをされないとわかっただけ、力を割かなくて良い」
「あははは……ま、それはそうだがね。わかっていると思うが、あくまでも不戦ではなく専守防衛。攻め込めば当然、手ひどく殺られるぞ」
「わかっているとも」
カイトの明言に対して、シメオンははっきりと理解している旨を明言する。これを履き違えるほど、彼は愚かな存在ではない。そして同時に、もう一つのカイトの言葉もしっかりと理解していた。
「そしてもちろん、だからといってこちらがそちらに攻撃するわけではない」
「そうだ……当然だが、ここでの話し合いはあくまでも戦争を回避する為のものだとオレは理解している。それ故にそちらの会談の要請を受け入れたし、そちらもその意図で企画している物だと理解している……敢えて、問うぞ。神に誓えるか?」
カイトは敢えて一度だけ今までのどこか和やかでどこか余裕の滲んだ表情を一変させ、真剣で覇王と呼ばれる者の顔を浮かべる。
その圧たるや、今この場で戦争を開始すると言われても一神教勢力の誰しもが信じただろうほどだ。が、それに対してシメオンは一切気圧されることなくはっきりと、しかし彼もまた騎士として、信徒としての顔で答えた。
「無論だとも。神に誓おう。一切、この会談において戦争の意志は持ち込んでいない。もちろんこの場に居ないリチャード陛下はもとより、ノア陛下もまた同様に戦争の意志を持たないと明言されている事を明言しよう」
カイトの問いかけに対して、シメオンははっきりと宣誓する。これをこの場で述べた彼が違う事は許されない。今この場には発言こそしていないものの、ウリエルや何人かの天使達が同席している。カイトに対する抑止力というわけだ。
その彼らの前で、天使の前で神に誓ったのだ。それは彼ら一神教の信徒達にとって何があろうと破ってはならない誓いと見做して間違いなかった。なればこそ、カイトもまた先程までの覇王としての顔を終わらせ、その前のどこか子供じみた笑みを浮かべた。
「……そうか。それなら結構。お互いに戦争を回避するという意志で一致したわけだ」
「ああ……それは何より、今のこの世界において幸いな事だろう……ああ、本当に幸せな事なのだろうね」
おそらく、シメオンも今までの心労から解放されたからだろう。心の底からの安堵の滲んだ言葉を、彼は口にしてしまっていた。彼自身、自分が口にした事さえ気付いた様子はなかった。
だが無理もない。彼の心労は逆の立場から世界を背負っていたカイトをして察するに余りあるものだ。自身の言葉一つ、態度一つで最終戦争が始まってしまうかもしれないのだ。それを思えば、ここ数日本当に寝れなかったかもしれない。僅かな気の緩みが出てしまったのは、仕方がない事だろう。そしてそれ故にこそ、だろう。カイトもまた素直な心情を明らかにする事が出来た。
「……そうだな。オレも、そう思う。今の世に出たのがあんたみたいに理解しようとしてくれている奴で、な」
「……ああ」
おそらく、これはお互いにとって良い事だったのだ。シメオンは心の底から、今のこの出会いを神に感謝したかった。様々な不幸な歴史はあったが、その果てに立つ二人の指導者は復讐ではなく未来を見据えて歩む事を選択した。
それは奇しくもどちらも歴史を歴史としてしか知らないが故にの事なのかもしれないが、それでも未来へ歩む意志を持ったのだ。戦わなくて良い、と言うだけでどれだけ気が休まるか、それは戦士である二人にはよく理解できた。そうしてそんな合意と同意を得たカイトは、再度覇王の顔を覗かせる。
「……ウリエル。あんたも文句はねぇな? これが、人の意志だ。これ以上争いはゴメンだ」
「異論があるかよ。そもそもここに俺が居る時点で、和平、ないしは休戦については熾天使以下此方側も承諾している……何より、そっちより遥かに面倒なゲス野郎共がうろついていられてるんだ。そっちに馬鹿みたいに戦力は避けねぇし、奴らのやり口を鑑みれば少しでも情報が欲しい……何より」
「……やはり、そちらもそれを危惧したか」
何より。と言って言葉を区切ったウリエルに、カイトもまた同意する。二人が何を危惧したか、というのは当然だがシメオンにもわかっていた。というより、それが一番の懸案事項になったが故に、両勢力共に様々な反発を覚悟の上でこの会談を受け入れたのである。
「ああ……あのゲス野郎共に操られて、戦争を引き起こす可能性を先につぶしておかねぇと、奴らの思惑に沿わされて戦争になりかねん。それはごめんだ」
「こちらもそれに同意だ。ゼウス神、オーディン神、インドラ神……それ以外にも日本の天照大神に、中国は太公望殿……これだけでなく、我が師スカサハがケルトの神々の合意。他にもイシュタル神を始め多くの神々の同意を得た。最低でも奴らの思惑が読めぬ以上、そちらとの戦いは避けるべき。それが、こちら陣営の共通認識だ」
「「「……」」」
本当に戦争が避けられて良かった。天使達は揃ってカイトの出す名を聞いて、心底そう思う。本当に彼が望めば最終戦争を起こせたのである。
と言っても、そもそも最終戦争は避けられている。天使達とカイト達の間ですでに和平は成立していた。まだ公になっていない、というだけだ。なのでこれはあくまでも、公の場で戦わない事を明言した、というに過ぎなかった。というわけで、第三者による戦いを防ぐべく、会談が更に続けられる事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




