断章 第30話 欧州会議編 ――故郷――
ドンレミ。現在の名はドンレミ・ラ・ピュセル。かの有名なジャンヌ・ダルクが生まれた彼女の故郷。何度となく戦火に焼かれるも、その村は今でも健在だった。そんなドンレミを、カイトは上から見下ろす形で一望していた。
「ま……期待はしていなかったがね。それでも、まぁ」
「来るのは初めてだけど……フランスの田舎のコミューンなんてこんなもんだよ?」
「あっははは。違いねぇな……そこは日本もアメリカもおフランスも変わらないか」
どれだけ発展を遂げようと、現代でもドンレミは片田舎と言ってよかった。と言っても勿論、中世ヨーロッパの街並みがあるわけではない。
現代家屋が並ぶ、敢えて言えば普通の田舎町だ。強いて他と違う所を挙げるとすれば、フランスで大人気のジャンヌ・ダルクの生まれ故郷というだけだろう。と、笑うカイトにヴィヴィアンが街の外を見ながら告げた。
「……でも、小麦とかは良い色を出し始めてるよ」
「ああ……懐かしい。乾草も良い塩梅だ」
「どして? 小麦、関係ないでしょ?」
本当に懐かしげに目を細めるカイトの言葉に、モルガンが小首を傾げる。確かに日本は稲作。前世からして日本人であるカイトには、小麦畑に縁はない。首を垂れる稲穂ならわかるが、積まれた乾草、黄金に輝く小麦を懐かしむ道理は無いはずなのだ。が、それはある事を忘れていた。
「おいおい……これでもオレ時間だと二年前までは領主様やってたんだぜ? 稲作はオレが始めさせたが……だからこそ、小麦畑も乾草のベッドも見慣れた光景だ。それこそ、旅の最中にゃ何度も何度も乾草のベッドに間借りした」
「あ、そういえばそうだったね」
懐かしいな。カイトは異世界を旅した者だからこそ、現代の日本では得られない体験を懐かしんで懐かしげに目を細めていた。
「干し草のベッド、っていうか……なーんとなーく馬小屋だろうなー、と察する私である」
「ご明察ー」
モルガンのツッコミに、カイトが楽しげに笑う。まぁ、とどのつまりそういう事だったらしい。更に言うと、竜騎士達の騎竜と共に寝ていた事もよくある事だ。なにげに日向が一緒だった事で、竜達もさほど警戒はしなかったらしい。
しかも、竜騎士達としてもカイトは妖精を連れた少年だ。特段警戒されることもなく、それどころか時には部隊の一員の様に可愛がられたそうだ。
「ま、そんな感じで……案外、こういう干し草の山ってのは見慣れた光景だった」
一頻り笑った後、カイトは改めて懐かしげに目を細める。公爵となってからも、何度か酪農を行っている村にお邪魔しては干し草のベッドで子供達と一緒に横になったものだ。こういった子供っぽさというか飾らない所が、彼に幻想を抱く民衆、ひいては領民達に受け入れられたのだろう。
「……」
「そっちは、何も出来ないよ?」
「わかってるよ」
モルガンの指摘に、カイトは僅かに苦笑するように笑う。そっち。それはマクダウェル領の領民達だ。彼は仲間達に後を託して去ったが、それ故に領民達はそのままだ。たまさか領民達との何気な一時の事を思い出し、少しだけ気になったのだろう。そうして、そんな彼らは一度街から少し離れた小麦畑の横に降り立った。
「……良い出来だ」
「そだねー。これなら今年は良い小麦粉が出来そう」
「うん。私達はやっぱりパン食だものね」
三者三様に、黄金色の小麦に対して感想を述べる。やはりカイトは領主だし、モルガンもヴィヴィアンも小麦が中心として栽培されていた土地の出身者だ。小麦の良し悪しはわかるらしかった。と、そんなモルガンが問いかけた。
「行く?」
「……ここまで来て行かない道理はないだろう?」
「じゃあ、あっちだね」
カイトの返答に、ヴィヴィアンがドンレミ・ラ・ピュセルの方角を指差した。ここまで来て、今更帰るという選択肢はない。後は進むだけだ。というわけで、三人はスマホに搭載された地図に従って、ドンレミの街へと向かう事にする。
「……流石に、ここで感傷は得られんか」
ドンレミの街を歩きながら、カイトが僅かな苦笑を見せる。やはりドンレミと言えばジャンヌ・ダルクが育った街であるが、それも今はもはや昔だ。上から見てもわかっていたが、直に歩いてみてはっきりと時代が流れた事がわかったらしかった。というわけで、進む事少し。ジャンヌ・ダルクの生家にたどり着いた。
「……」
「どう?」
「……」
ヴィヴィアンの問いかけに、カイトが僅かに笑って首を振る。
「ここで生まれた、というのはわかるがな……どうにも妙な感覚があるだけだ。役目の関係上、あいつはオレが側に居る時以外は必ず王侯貴族……いや、王族だった。それが、何の縁もゆかりもない普通の家に、ね。案外実感が沸かないもんだ」
ジャンヌ・ダルクの生家と伝えられる家にたどり着いたカイトであるが、笑っていたのはそれ故だった。彼の過去では常に王族として民の前に立ち、もしくは彼の横で幼馴染の少女として過ごしていた。だから後者の時には彼にも見覚えがある家である事が多かったが、ここはそういう意味では一切の見覚えが無かった。更に言うと、この時の彼女と出会ってはいないのだ。故にここに居たのだな、という事ぐらいは思っても、それだけに過ぎなかった。
「……行くか。ひとまず」
「ん」
カイトはジャンヌ・ダルクの生家を後にして、ドンレミから少し外れた森へと向かう。そこには、魔術で密かに隠された一角があった。そうしてそこにたどり着いて、カイトはギルガメッシュより受け取った鍵を取り出した。
「……ここ、か」
そこにあったのは、小さな家だ。横には畑があり、自給自足を一人で住むには十分と言えるだろう。魔術的に保管されていたからか、この一角は昨日まで人が居たかの様でさえあった。
「……カイト、行ってきなよ」
「うん。一度は、一人で見てきた方が良いだろうからね」
ここが何か。そしてここに居たのは誰か。それが分かればこそ、そして彼の事を深く知ればこそ、ヴィヴィアンもモルガンも共にまずはカイト一人で行く事を告げる。そんな二人の声に背を押され、カイトは頷いて、小さく口を開いた。
「ありがとう」
相棒達に背を向けて、カイトは一人扉に鍵を差し込んで回す。そうして扉を開けて、中に入った。そこは質素ながらも綺麗に整えられた中世ヨーロッパの小屋だ。質素な台所に、質素な木の机と椅子。誰もが思い浮かべる中世ヨーロッパの家と言って良いだろう。そしてそこにはやはり、最近まで誰かが住んでいた形跡があった。
「……」
小屋に一歩足を踏み入れて思うのは、ここに彼女が居たのだ、という妙な納得だ。
「……あぁ……お前、ここに住んでたんだな……」
魔術で保存されていたからだろう。この小屋にはまるで昨日まで誰かが居たかの様だった。故に、カイトは嬉しく思うと同時に、すまなくも思った。
「……何年、お前は生きたんだっけ……三年だったって先生は仰ってたな……」
病で倒れた、というのはカイトも聞いていた。が、それを思い出して、カイトは僅かな笑みを浮かべた。
「病ねぇ……嘘だろ、お前。どうせ、オレを殺す為の力を残す為、だろ……?」
おそらく彼女なら、ここに座ったのだろう。そう思う場所の前の椅子に、カイトは腰掛ける。その目には僅かな涙があった。が、そんな事を述べた彼はふと、何かに気づいた様に目を見開いた。
「……いや、そういうことか。確かに、病だな」
ついぞ病名は教えてもらえなかったカイトだが、それ故にこそジャンヌが死んだという病名を理解して思わず呆れた様な笑みが出た。彼女が今更流行り病なぞで死ぬはずがない。それで苦しんだのだ。であれば、彼女を殺した病魔とはそれしかない。そう思った。
「恋の病。それが、お前の病名か。オレは中々に長く生きたんだがなぁ……恋の病で本当に死んだ奴は初めて見たぞ」
呆れた様に。しかし愛しげにカイトは時を超えて話をする。そうして僅かな会話を終わらせた彼は、一つ立ち上がって本棚へと歩いていく。
彼女は過去の記憶を取り戻した後、普通に読み書きが出来る様になっていた。と言っても流石に英語は学んでいないので、この地球の物ではない別の言語だ。故に、そこにあったのはカイトしか読めない本だった。と言っても、あったのは数冊だけだ。他は小物入れにでもされている様子だった。
「……日記、か。いや、違うか」
自身に対して宛てた手紙。カイトはこの本をそう読み解いた。彼女なら、そうしただろう。そう思ったのだ。そして案の定、一と記載された本を手にとって中を開いてみると、一行目から自身に宛てたメッセージが書かれていた。
(何時か、これを読むバカへ……バカ、ね)
常日頃おしとやかで誰にでも優しい聖女が唯一、罵詈雑言を述べる相手。それはカイトしかいなかった。聖女という仮面を取り払い、唯一一人の少女として、女として安らげる相手。それが、彼の持つ彼だけの特権だ。
(浮気してない? ……さてなぁ。お前が認めてくれた、んだがね。これを浮気と言って良いのやら……私はそこに居る? 居ないんだなぁ、これが……)
いくつもの言葉が、そこには書かれていた。それは彼女が実際に会って聞きたかっただろう言葉の数々。それに対して、カイトは一つ一つ丁寧に答えていく。とはいえ、それはすぐに終わりを迎える。
(ねぇ……私の事……)
ここで、筆を持つ手が僅かに止まったのだろう。一瞬だけ怯える様に、字が震えていた事にカイトは気づいた。そして、彼女の問いかけはそこで終わっていた。が、カイトはその後に続いただろう最後の問いかけを理解していた。
「……安心しろよ……オレはまだだけど……『オレ』は、今もお前を愛してるから」
何を聞きたかったのか。それは間違いなく、自分を愛しているか、という事だった。それに対して、カイトは迷いなく愛していると口にする。今の彼にはジャンヌ・ダルクと呼ばれた少女を。そして今はどこかで生まれているその転生者を愛する事は出来ない。会った事がないからだ。
だが、カイトの中に眠るもう一人の彼が、彼女らを愛していた。それはカイトには痛いほどに理解出来ていた。だから、彼の言葉に迷いはない。
『……会いたいよ、君に』
「……ああ、オレも、会ってみたい。オレが愛して、オレ達が愛した女に……」
自らの中で眠るもう一人の己のどこか寂しげな声に、カイトは僅かに笑って頷いた。そうして、彼はジャンヌの残した日記を手に、外に出るのだった。
さて、ジャンヌ・ダルクの隠れ家での一時を終わらせたカイトは、今度は今にわかに話題になっているジャンヌ・ダルクの墓――と言っても公的に確認されているわけではないが――へとやって来ていた。
「ここがねぇ……」
「中には何も無いですよ、と」
「本当に無いんだよね」
モルガンの言葉に、ヴィヴィアンが笑いながら事実を告げる。以前のジャンヌ・ダルクの墓――かもしれない墓――の発見の一報により、観光客がそこそこ頻繁に訪れている様子だった。ある種の町おこしを行っている、というわけなのだろう。
が、やはりもし本物なら歴史的な遺物となる。なので真偽の程がわかるまで観光客が立ち入らない様に封鎖されており、墓所はいつもどおり閑散としていた。結果、カイト達はほとんど気兼ねなくジャンヌ・ダルクの墓を見学出来ていた。
「……はぁ……まー、なんてーか。妙な気分だな」
「どして?」
「いや……よくよく思い返してみりゃ、とどのつまりここにはジャンヌ・ダルクが居て、でもこの世のどこかにジャンヌ・ダルクがいるんだろ? 生きてる奴の墓にお参り、って何しに来たんだろ」
「「……」」
ごもっとも。カイトの指摘に二人は思わず目を瞬かせる。カイトが生まれている以上、ジャンヌ・ダルクもまた転生を果たしてこの世に生まれている。これは確定だ。
であれば、ここは彼らにとって何ら一切意味が無いのだ。単に一度の生を終えた後にここに埋葬された、というだけだ。しかも埋葬されているのは髪だけだという。何故お参りする必要があるのだろうか、とふと思ったのだ。
「……帰る?」
「そうしよう。これもあるしな」
どこか笑う様なヴィヴィアンの問いかけに、カイトは回収した日記を振って頷いた。まぁ、ここしばらく色々と動いていたし、なんだったら今から修学旅行に合流するのも良いだろう。というわけで、カイト達はドンレミ観光を終えてルーアンに戻る事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




