断章 第28話 欧州会議編 ――死地――
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
話は少しだけ、過去へと戻る。今より、六百年ほど前。カイトが転生を果たすよりも前。当時のヨーロッパに居た何者かの手により地球へと呼び出される事になったカイトとヒメアの二人の転生体。その片方であるジャンヌ・ダルクは、シャルル七世に裏切られた後にギルガメッシュの手により救い出され、彼が手配した馬車に揺られていた。
「あの……あのギルガメッシュという方は? 置いていって大丈夫なのですか?」
「ああ、王ですか? さぁ……何やら王にはけじめを付けねばならぬ事がある、とどこかへ向かわれました」
「はぁ……」
この時、ジャンヌはギルガメッシュの事は全く知らない状態だった。そもそも史実によれば、ジャンヌ・ダルクは無学の少女だ。それは自らの名前さえ書けなかったというほどだ。
無論、これは彼女が可怪しいのではなく、当時のヨーロッパでは字を書けないのが普通だ。逆にこの時代にも寺小屋などの形で読み書きの教育を行っていた日本が可怪しいだけと言えるだろう。
閑話休題。秀吉の浮気グセを愚痴ったねねに送った手紙が残る織田信長に比べれば、天と地ほどの学の差があったと言って良いだろう。だから、御者が言った言葉で初めて彼が王と言われる者なのだ、と理解したほどであった。
「……王。そう言えばあの方も貴方も彼が王だと仰っておいででした。あの、それは如何なる国なのですか?」
「興味がお有りなのですか?」
「救って頂いた相手の国を知らぬのは、あまりに失礼かと思います。決して忘れぬよう、せねばなりません」
「真面目ですね。聞いていた話とは随分違います」
ジャンヌの返答に、御者は少しだけ楽しげに笑う。それに、彼女は僅かに首を傾げた。
「私の事をご存知なのですか?」
「ええ……ああ、そう言っても。私が聞いたのは聖女としての貴方の話というより……単なる一人の人としての貴方の話を伺ったという所でしょうか」
「えっと……」
もしかしたら王だ何だというのはどこかに居るかもしれない暗殺者や密偵を警戒する為の方便で、彼らはドンレミや今まで巡った事のあるどこかの顔見知りだったのかもしれない。僅かに楽しげな御者の言葉に、ジャンヌは僅かに頬を赤らめる。というわけで、彼女は僅かに恥ずかしげに問いかけた。
「あの……どんな話を聞いていたんですか?」
「そうですね……お転婆な少女だ、と。王は楽しげに話されていました。草原を駆け回り、馬に跨り……疲れたら干し草のベッドで寝ていた事もあるだろう、と」
「……」
あ、これは自分の幼少期を知っている者だ。ジャンヌは大昔。まだ天啓を得る前の一人の少女であった頃の自分を完全に言い当てられ、顔を真っ赤に染めながら蹲る。まさに自分の黒歴史を事細かに語られた形だった。
「あははは。その様子なら、事実なんですね。それはもう、王は楽しげに話されていらっしゃいましたよ。どれだけ遠くに行った様に見えても、根っこは変わらないと。今でも干し草の山を見ては寝っ転がりたいとでも思っているだろう、と」
「も、もう良いです! もう良いですから!」
「あはは」
どこかでずっと自分を見ていたのか。そう言いたくなるほどに正確な指摘に、ジャンヌが思わず顔を真っ赤にしながら御者の言葉を制止する。
「……本当に、変わらないのですね」
「?」
「……王より、貴方の事を少しだけ伺いました」
どこか哀れみの目で、御者がジャンヌを見る。彼は僅かにだが、ジャンヌの過去を聞いていた。それ故、彼もまた彼女の過去を知っており、それ故の哀れみだった。だが、ジャンヌ自身がその過去を知らず、そしてその存在さえ知らない。故に、その視線をこう読み解いた。
「哀れんで頂く必要はありません……辛くない、と言えば嘘になりますが……それでも、私に後悔は……いえ……後悔が無いと言えば、嘘になりますね……」
僅かにだが、ジャンヌは悲しげな目で顔を伏せる。とはいえ、これはやはり、カイトが見通していた通りの理由だった。
「……多くの兵が私を信じてくれて、死にました。負けた事。捕らえられた事。裏切られた事に後悔も恨みもありません……ですが、彼らを故郷を帰してやれなかった事だけが、心苦しい」
昨日まで、自分の横で笑っていたのだ。中には故郷に残してきた幼馴染や家族の事を語ってくれた者も少なくない。その彼らは、全てが死んだ。それだけが、ジャンヌには心苦しかった。
「……戻ろうなぞと考えない事です。私は王より、貴方を無事にここから逃がす事を命ぜられています。もし貴方が罪悪感に破れ裁きを受けるべく戻るというのなら、私は貴方を実力行使で止めねばなりません」
「……はい」
僅かに鎌首をもたげていた贖罪の感情に対して、ジャンヌは今は努めて蓋をする事にする。今ここで戻れば、数多の危険を冒してまで自らを救ってくれたギルガメッシュやこの御者に対する無礼だ。
そして自分に生きろ、と言って死んでいった仲間達に対する冒涜だ。託された物があるのなら、死ぬのではなく生きて再起せねばならなかった。手を握りしめ必死で悲しみを堪えるジャンヌに対して、ひとまずのけじめを付けたギルガメッシュが戻ってきていた。
「……やはり、そっくりだな」
ギルガメッシュが幻視したのは、カイトの姿。おそらくカイトが勇者として立ったのなら示していただろう彼の姿だ。ついぞ自身は見れる事のなかった、義理の息子の真にあるべき姿。<<蒼の魔王>>と呼ばれた男の<<蒼の勇者>>としての姿だった。
「王よ。おかえりなさいませ」
「ああ……前、借りるぞ」
「あ……えっと……はい、どうぞ」
恥ずかしい姿を見られた。朱に染まった顔でジャンヌが向かい席を譲る素振りを見せる。どうせ占有するつもりは無かったし、それこそ今であれば電車で率先して座席を譲る様な人物だ。伽藍堂の状況でわざわざ許可を取られるほどの事ではなかった。
「……えっと……マルロ?」
「ん?」
「あ、あれ? じゃあ……ジャン? 変装?」
「……」
何やら男性の名前を口にするジャンヌに、ギルガメッシュは思わず呆気に取られる。まぁ、彼からしてみれば、名乗った筈なのに別の名で呼ばれるのだ。不思議がっても無理はないとはいえ、聡い彼だ。状況を理解するのに、さして時間は必要無かった。
「あははは。なるほどな……いや、申し訳ないが、オレはドンレミには行った事はない。近隣の住人でも無い」
「でも、あの、その……随分と私をご存知だった様子ですが……」
「知らない訳がない。お前達をずっと、導いてきた。お前達八人を」
お前達八人。その言葉に、ジャンヌは誰かの影が去来する。そうして走った頭痛に僅かに顔を顰めた彼女に、ギルガメッシュは告げた。
「引っかかるものはある、か」
「何を、貴方は知っているのですか?」
「何を、か」
それを聞きたいのは、オレの方なんだがなぁ。ギルガメッシュは僅かに苦笑する。この当時の彼はと言えば、過去の悲劇を知らないのだ。何より、つい少し前まで実はジャンヌが彼女の転生者だとさえ知らなかった。
彼とて暇ではないし、この当時は世界的な情報網なぞ影も形も無い。しかも生まれたかどうか、なぞ世界側ではない彼に分かろうはずもない。いつ来ても良い様にアンテナは張っていたが、まさか緊急事態対策のシステムで呼び出されるなぞ想定外も良い所だった。
「殆ど何も知らないも良い所だが……それでも、お前よりはお前について知っているというところか」
「はぁ……」
よく分からない話だが、少なくとも嘘は言っていない。それだけはジャンヌにも分かった。故に、彼女はドンレミに着くまで間、ギルガメッシュから話を聞くことにするのだった。
それから、およそ六百年。カイトはその時の話を、思い出していた。と言ってももちろん、彼が知っているわけがない。なので正確には、この時のギルガメッシュの話を、という所だろう。
「……ここがヴィユ・マルシェ広場、か。まったく……お前はどこまで馬鹿なんだろうな」
ヴィユ・マルシェ広場。もしくはヴュー・マルシュ広場。そこはジャンヌ・ダルクが火炙りにされた場所であり、同時に今には彼女の名を冠した教会がある場所だった。そんな広場に立って、カイトは僅かな苦笑を浮かべていた。
『あれ? ここで死んだんじゃないでしょ?』
「まぁ、な」
モルガンの指摘に、カイトは僅かに苦笑する。あの後の顛末であるが、それを知っているのはカイト一人だ。あの夜の語りを知っているのはカイトとエンキドゥ、そして語り部であるギルガメッシュの三人だけ。相棒達とて、知らない事だった。
(……贖罪、か。お前、本当に聖女の時は聖女だよなぁ……)
なんと言えば良いのだろうか。カイトはそこで起きた真実を知ればこそ、言葉もなく深いため息を吐いた。
(自らに罰を与えるべく、土塊に自らの感覚を繋げた、か)
自らが扇動し、死に至らしめた兵士達への贖罪。それを、当時のジャンヌ・ダルクは望んだ。それにギルガメッシュは当然難色を示したが、彼女が譲らなかった。それを受けなんとか得られた合意が、土塊に彼女その人の意識をリンクさせ、裁判を受け火刑に処される事になった、という事だった。
つまり、彼女はたしかにあの場では死んでいないが、本当に死ぬ痛みと苦しみを味わったのである。バカバカしいとしか言えないが、そうでもしなければ自身を赦せなかったのだろう、というのがギルガメッシュの言葉だった。
「はぁ……どれだけ先生が苦労なさったと思ってるんだ、お前は……いや、違うか。お前も、被害者だもんな……」
カイトはかつてジャンヌが土塊の身体を介して立っただろう場所に立ち、かつての彼女へと語りかける。彼女は本来、今の彼の横に立っているはずだったのだ。それを、望まぬ転生をさせられて離れ離れにされてしまったのだ。そして聖女として戦わされる羽目になった。
だから、これも致し方がないのかもしれない。彼女の性根なぞわかりきっていると断言出来るカイトにとって、自身が居ない彼女がどうするか、なぞわかりきった話だった。
「……」
「カイト」
「ん?」
「オレが居ない方が良かった……とか考えてない?」
何を思うのかわからないほどに神妙な表情のカイトへ向けて、ヴィヴィアンが問いかける。それに、カイトが僅かに儚げに笑った。
「……何度も思ったさ。オレよりもっと良い人が居る、って」
響くのは、かつて自身が殺した者達の怨嗟と苦悶の声。耳にこびりついて消えない、カイトの悪夢。それが、時折彼には聞こえるのだ。
そしてそれが聞こえる度、自身への嫌悪感がこみ上げる。救えたのではないか、という後悔が彼を苛む。そしてそれは過去に思い馳せる今だからこそ、鮮明に聞こえていた。が、だからこそ、彼は首を振る。
「……だが、それは思わない事にしたよ。オレの生命はもう、オレだけのもんじゃない。オレに託した者達の。そしてオレを愛してくれるお前達の物でもある」
やはり自らに最も近い者の死地に立てばこそだろう。カイトには怨嗟の声と共に、自らに何かしらを託して通り過ぎていった者達の姿が見えていた。それが、ささやくのだ。生きろ、と。誰がお前を認めずとも、自分達がお前の生を、お前の幸せを望む、と。
「だから……どこまでもわがままにオレは生きる。人として、どこまでも我欲に塗れて生きてやる。聖人にも英雄にもならん。なってなぞやるものか。オレは勇者。勇ある者であって、自己犠牲なんぞという酔狂は持ち合わせちゃいねぇ」
轟々と、カイトの身体から覇気が放出される。そうして神妙な顔をしていた彼は一転、獰猛な顔を浮かべた。
「ヴィヴィも、モルも、ルイスもソフィも。そしてあいつも。オレが幸せにする。そして目一杯幸せになってやる……そうじゃないと、オレは何のために苦しんだのかわからなくなる」
「「……」」
カイトの最後の言葉に、ヴィヴィアンもモルガンも思わず目を丸くした。
「……どうした?」
「ううん。なんでもない」
「うん、なんでもない」
モルガンの言葉に、ヴィヴィアンもまた同意する。が、その顔が嬉しそうだったのは、間違いではなかっただろう。
「???」
「なーんだろ。今日の夜はちょっと危険かも。というか、今から我慢出来そうにない」
「あはは……うん。私も」
「???」
非常に嬉しそうな二人に、カイトは理解が出来ず首を傾げる。とはいえ、それはそうだろう。彼自身、何かおかしな事を言っているわけではない。ただ、苦しかった、と言っただけだ。
が、それを聞けるのは、非常に稀だ。相棒である二人とて、滅多な事では明かしては貰えないのだ。それを、ここで彼は明かしたのだ。苦しいと言ってくれる。弱音を吐いてくれる。それは彼の本当の心だ。それだけ、自分達の事を大切に思ってくれている証だった。そうして、彼の本心を図らずも知る事が出来た二人は上機嫌なまま、カイトと共に観光を楽しむ事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




