断章 第12話 欧州旅行編 ――ロッシーニ酒蔵――
相棒達と共にヨーロッパを旅行する事となったカイト。そんな彼はまず第一の目的地として、イタリアのナポリへとやって来ていた。そんな彼であるが、ひょんな事から出会ったカモッラのドン、コルネリオとの出会いにより、ナポリの地酒であるリモンチェッロを口にする。
その味を気に入った彼はそれを瓶で手に入れようとしたわけであるが、その結果。ひょんな事からそのリモンチェッロを作る酒蔵の一つであるロッシーニ家の揉め事に関わる事になってしまっていた。
「ちょ、ちょっと待ってください。どういう事ですか?」
唐突に告げられた引退の宣言に、カイトが困惑気味に口を挟む。何かを諦めた様に唐突にセルジオが土地を売り払う、と言ったのだ。おおよそ自分の感想がきっかけとしか思えなかったカイトは、思わずと言った具合で口を挟んでいた。
「「……」」
そんなカイトに、セルジオとルフィオは僅かに悩ましげに顔を見合わせる。当然だ。これはあくまでもロッシーニの家の問題だ。たかが観光客に話す内容ではない。が、今回は流石にカイトがきっかけと言うしかない。なのでセルジオが意を決した様に、口を開いた。
「確か葵さん……であったな。観光客にこういう内輪の事情を聞かせたくはないが……確かに、お主の言葉は尤もじゃ。言う必要も無い事ではあるが、儂らのような酒蔵にはスポンサーが付く事が多くてのう。当然、この酒蔵にもスポンサーはおる」
「はぁ……」
どれだけ優れた腕を持とうと、所詮は蔵元。大規模な設備投資などで纏まった金が必要になれば、融資が必要な事はあるだろう。なので一時的な融資をしてくれる存在、スポンサーは必要だ。そんな当然の内容を語ったセルジオは、一転して窓の外を見た。
「……のう、葵さん。あの窓の先、何が見える」
「……ナポリの町並みと、雄大な海の景色です」
「うむ。儂のお気に入りの景色じゃ」
カイトの返答に、セルジオは本当に心の底から幸せそうに頷いた。そんな彼は更に問いかける。
「のう、葵さん。貴方もこの光景……良いと思わぬか?」
「ええ……これは良い景色です。ナポリの街が一望出来て、そしてナポリ湾まで一望出来る。天候が良い今日なんかは、シチリア島まで見えている。夜になれば百万ドルの夜景と言っても過言ではないでしょう」
「うむ」
カイトの掛け値なしの称賛に、セルジオは嬉しそうに頷いた。しかし、彼は一転して苦笑を混じえる。
「この光景を、スポンサーが欲しておってのう」
「欲している?」
「ホテルを建てたいそうじゃ」
なるほど。カイトはセルジオの言葉に思わず納得する。ここから見える光景は間違いなく絶景と言って良い。ホテルを建てれば間違いなく、それを売りにする事だろう。
「そういえば、葵さん。こちらにわざわざ買いに来られた、という事は街の酒屋には行ったという事じゃろう」
「ええ、まぁ」
現にカイトはイタロなる酒屋の主人の紹介状を携えて来ていた。勿論、回ったのは一軒だけなのでナポリの街でどうなっているかは知らないが、そこについてはここでは問題にはならないだろう、と言わないでおいた。
「実はのう。在庫が無いわけではないんじゃ。見てわかる通り、今もまだ幾つもの酒を作っておるしのう。無論、輸出やらが出来る程度にふんだんにあるというわけではないが」
「? どういう事ですか?」
元々入ってこないという事でイタロがこちらに紹介したのだ。なのに在庫はまだある、というのだ。カイトが訝しむのも無理はない。
「実はのう……スポンサーが圧力を掛けて、土地を売ると言わねば売らせぬと言っておるんじゃ」
「そ、それはまた……」
なんとも無理やりなスポンサーだ。が、それでも幾つかの無理があると思われた。
「ですがスポンサーにそんな力があるんですか?」
「複合企業でのう。ナポリの運送業者に株を持っておるそうじゃ……子会社、じゃったか。何やらそんな関係らしい」
「なるほど……」
上手い手だ。カイトはそう思う。確かに物があっても、運べなければ売れないのだ。であれば、直接的に圧力を掛けるより運送業者に圧力を掛けて運べなくしてしまえば良い。生産を落とせば後々自分の首を締めるのだ。そして蔵元だ。酒の保存はわかっているだろう。そこで失敗するとは思えない。
が、彼らはあくまでも酒を作るのであって、酒を運べるわけではない。そして作った物を廃棄する決断をそう安々と下せるとも、思えない。故にその専門ではない部分を押さえる事によって、彼らの酒を売れない様にしてしまったのだろう。
「ということは、先程の酒屋の店主はそこらの事を知らなかったんでしょうね……」
「まぁ、そうじゃろうのう。街に伝わっておるのはおおよそ、儂が土地を売らぬという話と引退するという話……要点としては、間違っておらんからのう」
ただ引退する、というだけであればカイトが行く事で翻意も可能だっただろう。土地も代替の土地があるという。ただ同じ味が再現出来ないから、売るのを渋っているというわけだ。
「ふむ……」
知り合ったのは何かの縁か。カイトは少しだけ、そう考える。とはいえ、ここで申し出をしては不思議に思われるだろう。というわけで、カイトは一つ頷くと立ち上がった。
「なるほど。わかりました。確かに、私が聞いても何かが出来るお話でもありませんね」
「うむ……このまま売れねば、何時かは裏でやっておる息子らにも迷惑が掛かろう。ここで儂が土地を売るのが、一番方々丸く収まるんじゃ」
「そうですか……残念です。私も、この味を気に入ったのですが……」
「ははは。そう言ってもらえれば、儂としても何よりじゃ」
カイトの感想にセルジオが朗らかに笑う。そうして、カイトは幾つかの酒瓶を購入しセルジオより手土産と少しの土産を持たされて、ロッシーニ工房を後にするのだった。
さて、三人がロッシーニ家にて買い物をして少し。ルフィオがタクシーを呼んでくれている間に、ヴィヴィアンがカイトへと問いかける。それはどこか楽しげだった。
「どうするの?」
「この味を失うのは、少し物悲しいな……さて」
まるで自分の意志を理解しているかの様なヴィヴィアンの言葉に、カイトはヘッドセットを耳に装着する。そうして、即座にどこかへと連絡を入れた。
「ああ、オレだ。頼んでおいた調査の報告を頼む」
『はい……ただいま、データを送信致しました』
「助かった……これか。正式名称は……ロッシーニ酒蔵で登録されてるのか」
カイトは話の最中に分身を使ってアルター社へと連絡を取っていた。そうして少し待てば、彼のウェアラブルデバイスに情報が送られてきた。
「何したの?」
「あの味が喪われるのは痛い……更に言えば、少しな」
「まーたカイトの悪どい顔でましたー」
明らかに何かを企んでいる顔のカイトに、モルガンが楽しげに笑う。そんな彼女の横で、カイトは虚空に腰掛けて情報を閲覧する。
「ふむ……ロッシーニ家。ほぅほぅ……これは……」
「へー。イタリアでロッシーニ、って言うからあのロッシーニと何か関係あるかなー、って思ってたけど、遠縁の親戚なんだ」
イタリアでロッシーニ。それはジョアキーノ・ロッシーニという作曲家兼美食家の有名な男の事だ。イタリア出身で、ヴァーグナーが目標としたとされる人物だった。モルガンはそれを思い出していたらしい。オペラ『ウィリアム・テル』の作曲者と言えば、分かりやすいかもしれない。
「ま、そりゃ良いさ……ふむ……」
モルガンの言葉を聞きながら、カイトはロッシーニ酒蔵の収支報告書やスポンサーの調査報告書を精査していく。
「買うの?」
「酒蔵がスポンサーのわがままで潰れるのは酒飲みとして我慢ならん。セルジオさんの酒はすでに名酒だが、こちらの息子さんの酒も名酒になり得る可能性がある。どちらも喪われるのは、些か痛いな」
どうやら彼らに付いているスポンサーは中々に良くない相手らしい。結構強引な手法が目立つ所の様子だった。カイトは後々に何かがあって息子も揉めた際、ロッシーニ家のリモンチェッロそのものが喪われる事を危惧していた。
「ふむ……こちらの裏手も中々に良い土地か……去年度の売上は……中々に悪くないな……が、商売の手が悪い。そこらを改善出来そうか……息子さんとそこらを話し合えれば、セルジオさんの酒の方も更に飛躍の可能性はあるな……」
単なる気まぐれのつもりだったが、カイトとしてはこれはもしかしたら中々な良縁かもしれない、とほくそ笑む。こういう優良物件がスポンサーと揉めている所に突っ込めば、上手く行けば良縁を結べるかもしれなかった。というわけで、カイトは物は試しと色々な所に根回しを行う事にする。
「となると……ああ、カイトです。取り次ぎを頼めますか?」
『……なんじゃ。お主、旅行中という話ではなかったか』
「ああ、ゼウスの爺さん。いや、イタリア旅行中なんだが……」
どうやら、電話先の相手はゼウスらしい。まぁ、ギリシア神話とローマ神話は非常に似通っており、実際の所としてもゼウスらギリシア神話の神々がローマ神話の神々でもあった。なのでイタリアも彼らの支配地域となり、何かをするのなら話を通すのが筋だろう。そんな彼に、カイトは現状を説明する。
『ふむ……なるほど。確かに悪くはない物件じゃのう。で、何じゃ。儂に買えと?』
「いや、それは言わないさ。買いたいなら、出資はどうぞと言うが」
『ふむ……では何じゃ?』
「バッカス神を紹介して欲しい」
『なるほど』
カイトの意図を読んで、ゼウスが笑う。バッカスとはギリシア神話の酒の神だ。それに、カイトが笑った。
「話が早くて助かるよ。バッカス神に認められたとなると、箔がつく。色々と動きやすい。オレが飲んだ感じ、悪くはない味だった。十分、認められるはずだ」
『そうか……まぁ、余っておるのであれば儂の所にも付け届けを』
「もう送ってるよ。後一時間もすれば、そちらに届くはずだ」
『ふぉふぉ。流石は、という所か』
戦略において神速はカイトの得意分野だ。なのでゼウスがそんなカイトに笑う。そうしてそこらの根回しを終わらせたカイトは、次いで更に根回しを行う事にする。そうして次に連絡を入れたのは、インドラだ。
『ほぅ……酒飲みに酒蔵の話を持ってくか』
「ああ。で、そこらの話をするのならおっさんに連絡入れとかないと、とな」
『なるほど……わーった。もし酒蔵買えた時には、また連絡を入れてくれ。こちらで色々と手を打とう』
「助かる……さて、これでひとまずは、かな」
とりあえず巻き込める所は巻き込めた。カイトは一通りの根回しを行うと、一つほくそ笑む。そんな彼に、ヴィヴィアンが問いかけた。
「で、次は?」
「次は街のおえらいさんにお話をしないとな」
「おえらいさんねぇ……」
一体誰なのだろうか。そう思いながらも、モルガンは誰なのかおおよその予想が出来ていた。そうして、カイトは更に根回しを行いながら、ナポリの街へと帰還するのだった。
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