断章 第64話 ロンドン魔術師学校 ――異界――
ロンドン魔術師学校にて行われたカイトの二回目の講習。これは召喚術に関する内容だった。これそのものについてはルゥらの事もあり彼も一家言ある内容で、学生達相手であれば問題なく講習を行えていた。というわけで、召喚・送還に関する魔術の演習は送還術の習得の段階で幾つかの困難はあったものの、なんとか一通り重要な事は教えられた段階にまでなっていた。
「よし。これで全員無事に呼んだ使い魔を第二演習場に送還出来たな……」
カイトは生徒達が全員つつがなく呼び寄せた使い魔達を第二演習場に送還出来たのを見届けて、ローガンへと視線を向ける。基本的に今回の授業はカイトがメインだ。なので彼が補佐をしてくれており、今はスマホを使って第二演習場に居るスタッフ達にきちんと転移が出来ているか確認をしてもらっていた。そうして、その彼が頷いたのを見てカイトもまた一つ頷いた。
「よし。第二演習場でも送還が確認されたそうだ。今見て貰った通り、送還術で重要な点は召喚の際に垣間見た送還先をしっかりと覚えておき、そこに送り届けてやる事だ。これを忘れたり垣間見る事が出来なかった場合、送還は一気に難しくなる。当然の事だがな」
「もし見えなかった場合、どうすれば良いのですか?」
「その場合、もう一度召喚術と同じ手順を踏んで接続した場所を垣間見る事になる。が、今度は接続先の対象が居ない事から、地脈に残る僅かな自分の残留魔力を頼りに場所を探さねばならなくなる。わかろうものだが、それは遠くなれば遠くなるほど困難だし、一度目に比べれば格段に難しい」
召喚術では相手と接続する事で、接続先を垣間見る事が可能だ。だからこそ使い魔の目を間借りという事が出来るのだし、更には魔法陣を自身の末端と見做す事で周囲の情報を手に入れる事も出来る。この情報を手に入れるのは必須と言えた。そんな事を述べた彼はそう言った上で、肩を竦めた。
「が、こんなミスは普通は起こさない。きちんと今のような練習を積んだ上でやるわけだからな。出来て当然なんだ」
「もしミスを犯すのなら?」
「身の程知らず、というだけだ。まぁ、そんな事を言ってしまえばどんな事にでもそれは当てはまる。例えばこんな<<火球>>。これを百個平然と同時に展開出来る者が中級の魔術を使おうとした所で誰もが不相応にも思わないだろう。だが、これを一つ満足に出来ない奴が上の魔術を使おうとすると、君はどう思うかな?」
「まぁ……貴方の言葉を借りるのなら、身の程を知れ、と」
「だろう?」
カイトは問いかけた生徒の返答に当たり前だろう、と笑いかける。不相応に自分の出来ない領域に手を伸ばそうとする。それは召喚術において最も禁じられている内容だ。何故か。それを、カイトが語る。
「この場に居る君達に改めて言う必要もない事だが、重要な事なので再度オレからも明言しておこう。身の程を知らない魔術は使うな。特に召喚術において、それは注意するべき事だ」
「特に召喚術で、ですか?」
「ああ……君達も知っての通り、召喚術とは使い魔の召喚など様々な分野で使われる技術だ。故に便利である事はオレもまた認めよう。が、同時に非常に難しい魔術である事もまた、事実だ。なにせ地脈を通じて対象を呼び寄せているのだからな。もし少しでも召喚先がズレれば魔物が呼び出される可能性はもとより、どこかの異界に接続してしまう可能性もあり得る」
カイトが語っている内容はエネフィアでは常識とされている内容だ。それ故、この後年彼がエネフィアへ転移された際に再会した彼の義姉は召喚術の研究をする為に周囲を完全に隔離した空間で行っていた。
その彼女の力量は召喚術などの空間に作用する魔術であればティナ自身に自分を上回ると断言させる程だ。それでも、決してこの基礎を疎かにしない。どれだけ重要かはわかろうものである。
「異界……ですか?」
「ファンタジーと思うか? まぁ、オレ達がファンタジーと言うとおかしな事だがな」
「「「あはは」」」
カイトの冗談に生徒達が一つ笑う。が、これは本当に笑い事ではなかった。故に彼もまた一転して表情を引き締める。
「が、これは本当に笑い事ではない。現状、オレもまた神界や天界などを除いた異界の存在は確認していないが……存在していないとは言い切れない」
「「「……」」」
自らの話を黙して聞く生徒達を前に、カイトが思い出していたのはかつての己、もう一人の自身が生まれ育った世界の事だ。あの世界には、魔界と呼ばれる異界があった。
これは例えるのなら天界や冥界と同じその星や世界に隣接した異空間だった。こういった魔界のような存在が地球にあるとはカイトも寡聞にして聞いたことがないが、無いとは考えていない。それ故、彼の言葉は冗談や軽口、本当に万が一あり得たとして、という前提ではなくあるという前提で話されていた。
「貴方さえ知らないのに、存在しているとして動くのですか?」
「オレなぞ所詮、君達や彼らより少しだけ世界の深淵に足を踏み入れている程度でしかない。現にオレは教授から話を聞くまで、ニャルラトホテプ達の存在を知らなかった。その程度だ。誰も知らない異界や存在が居て、何か不思議か?」
「今まで繋がっていない事がその証明では?」
「それは偶然繋がっていないだけかもしれん。そして繋がったとて、誰もそれを知らないだけかもしれん。事故では何が起きるかわからないのだからな。そして魔術は超常の現象を引き起こしやすい。何か得体の知れない世界につながったとて、一切の不思議はない。それこそ、オレを上回る存在が現れたとて、不思議はない」
カイトは真剣な顔で、あくまでも冗談と流したい生徒達に向けてあり得るかもしれないと語る。無論、これが本当に起きるとはカイトも思っていない。が、無いと決めつけるのだけは危険と思っていた。
それにこう言っておけば安易に馬鹿げた事をしようとする奴は減らせる。ある種の脅しがあった事は、ローガンらは気付いていた。というわけで、カイトは適度に脅しを掛けておいて一転気軽に笑った。
「ま、勿論オレもあり得るとは思っていない。が、それでもオレの知り得る限りでもどこから来たのか、と不思議な存在は時折現れている。あくまでもその可能性の一つとして、というだけだ。注意深くやれば、どんな魔術だろうと危険はない。原子力と一緒だ。しっかりと学び、油断なく、しかし余裕を持って事に当たればどんな事だって恐れるに足らん」
つまりは、そういうことか。カイトが最後に述べた一言で、生徒達は単にカイトは自分達を脅しているだけなのだと理解した。言ってしまえば失敗しなければ良いのだからしっかり学べ、と言っているだけだった。そうして、カイトは最後に生徒達に脅しを掛けておいて、二度目の講習を終わらせる事にするのだった。
さて、講習の終了後。カイトはハロルド、ローガンの両名と共に再びイゴールの居る院長室へとやって来ていた。
「ミスター・葵。本日はありがとうございました」
「いえ、この程度の拙い講義しか出来ず申し訳なく思うばかりです」
「いや、私も少し覗かせて頂きましたが、我々もまた異界の存在などを考慮せねばならないと思わされるばかりでした」
カイトの謙遜に対して、イゴールが首を振って称賛を述べる。それに、カイトは僅かな苦笑を浮かべた。
「あはは……学生達には笑われるかと思ったのですけどね」
「いえ……本来はそういった異界に関しても、我々がきちんと把握させねばならない事。貴方が気にされる事ではありませんよ」
「何かご存知で?」
妙に異界に対して理解があったイゴールに、カイトが目を瞬かせる。天界や神界、冥界といった存在が一般的な異界はまだしも、魔界などの存在するか確かではない存在に言及した場合、大抵は笑われるのだ。それを大真面目にきちんと教えておくべきだった、と言われては疑問に思うのも無理がない。
「魔界……でしたな。実は我々はそれが存在しているかもしれない、と睨んでいるのです」
「それは……自分で言っておいてなんですが、正気ですか?」
「あはは」
カイトの指摘にイゴールは僅かな苦味の乗った笑いを浮かべる。カイト自身、存在しているかもしれないとは思っていながらも存在はしていないと考えていた。
カイトのコネクションは現在、裏世界においては最大と言える。それこそ洋の東西を問わず、繋がりがある。そのコネクションからもたらされる情報網は地球のおおよそを網羅していると言って良いだろう。そこに無いのだ。無いと考えた方が良いと彼は思っていた。と、そんな彼へとイゴールが告げた。
「無論、我々とて何ら確証も無く言っているわけではありません……そうですな。確かに、貴方であれば知らないのも無理はないかもしれません」
「それは……どういう事ですか?」
「この世において悪魔と言われる存在……それはご存知ですか?」
「俗に言う魔族の事でしょう? 彼らは物語の中の存在でもなんでもない。実際に存在する存在だ」
何を今更。カイトはイゴールの問いかけに首を傾げる。例えば俗に淫魔と言われる者。例えばマーリンのような夢魔達。これは世間一般では悪魔とも言われているが、読んで字の如く悪魔とは悪しき魔だ。
悪い事をする魔族が悪魔なのであって、悪魔という存在は存在していない。単に人間が勝手に魔族の事を悪魔と総じて呼んでいるにすぎなかった。
「ええ……ですが、それとは別。本当に物語の中の悪魔とでも言うべき存在がこの世には存在するかもしれないのです」
「ふむ……何か事件が?」
「ええ……ドイツのファウストという戯曲はご存知ですかな?」
「ええ。有名な戯曲ですからね。ファウストという学者が悪魔メフィストフェレスと契約し、という物語だ。おおよその筋書きは書き手によって異なるが、これだけは変わらない」
メフィストフェレスとヨハン・ゲオルク・ファウスト。その両者は日本でもかなり有名な存在だろう。そうしてカイトの軽いさわりの話を聞いて、イゴールも頷いた。
「ええ……そのメフィストフェレス。これがどこから来たのか、というのはご存知ですか?」
「ふむ……一応、現在の通説では由来も定かではなく、ただルシファーの従者である可能性が言及されている程度ですか」
「それを記したのは?」
「こちらはクリストファー・マーロウでしたか。後は……確かウィリアム・シェイクスピアもメフィストフェレスについて言及していた筈ですね」
ここらはメフィストフェレスについて知っていれば有名な事で、カイトも興味本位からルイスに聞いてみた事があった。彼女の従者として語られるのだ。有名所であれば聞いてみたいと思っても無理はない。勿論、返答はそんなわけがあるか、である。中世ヨーロッパに描かれた悪魔が彼女の部下である筈がなかった。
「ええ……ファウストに呼び出されたメフィストフェレスはその後、イギリスに来ていたそうです」
「まさか……そのメフィストフェレスが?」
「ええ……かの悪魔はイギリスに来ると、少しの厄介事を残してどことも知れない異界への道を開いて去っていったと聞いています」
「単に転移術を使ったのでは?」
「無論、その可能性もあります。が……」
イゴールは言葉を区切ると、ハロルドへと一つ頷いた。そうして、彼は院長室の金庫の中から一つの箱を取り出した。
「これは?」
「伝説では、メフィストフェレスが残したとされる遺物です」
「拝見しても?」
「その為に、お見せしているのです」
カイトの問いかけにイゴールは箱を差し出す。それを受けて、カイトは箱を開いた。
「……これは……」
「何かお分かりではありませんか? 我々にはもはや手に負える物ではなく……さりとて何かがされているわけでもない。我々も扱いに困っているのです」
「ふむ……」
箱の中に入っていたのは、一つの魔石。赤系統の魔石だ。それそのものは勿論珍しくない。が、どうにもカイトの知っているどんな物質とも合致しない雰囲気を持っていた。
「我々はこれを『魔界石』と呼んでいます。メフィストフェレスが消えた際、これがこぼれ落ちたと聞いています」
「『魔界石』……魔力を通してみても?」
「どうぞ。歴代の学長の何人か……私もその一人ですが、実際に反応を確かめた事があります」
イゴールの言葉を受けて、カイトは『魔界石』とやらに魔力を通してみる。すると、脈動するような反応を見せた。
「……」
この反応は確かどこかで見たことがある。カイトは記憶の奥底に記されていた何かに引っかかりを感じる。が、はっきりとしたことは思い出せなかった。どうやらカイトではなく、今までの彼の誰かが見たという所だろう。
「……何か、お分かりになりますかな?」
「……いえ、はっきりとした事は何も……ですが、少なくとも私もこれを見た事はありません」
少なくともエネフィアには無かった事だけは事実だ。故にカイトはどこかで見た事があるような気がする事については黙っておく事にした。言っても説明は難しいからだ。
とはいえ、少なくともカイトも知らない異界の存在の可能性には見受けられた。注意はすべきだろう。そうして、カイトは欠片のサンプルを貰い受けて、ティナと相談する事にしてホテルへと戻る事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




