断章 第15話 奇妙な出会い
ふむ。数日大英博物館と大英図書館を行き来して思ったのだが、どうやら私が一方的に顔見知りになった学生さん達は色々と不思議な立場にあるらしい。まず不思議に思ったのは、警察が彼らに対して意見を求めていた事だ。それも時として大英図書館にいる彼らの所に明らかに警官と思しき人物がやってきていた。
何故警官とわかったか。それは身のこなしと視線だ。職業柄、彼らの視線は非常に独特だ。どうしても職業柄彼らは人を疑わねばならない。なので隠していようと、どうしてもふと何か怪しいと思えばそちらに注目してしまうのだ。その警戒は私は馴染みがあればこそ、わかってしまう。
「ふむ……妙ではあるが……」
大英博物館にはとある理由で来ていた私であるが、それとは別にやはり職業柄どうしても彼らの事が気になってしまうのは仕方がなかった。美術品に関する学術的な調査に来ている様に見せかけている彼らであるが、何かが違う。それがわかった。いや、わかった所で何なのか、と言われると私も素直になんになるだろう、と問い返したい。
「……ふむ」
おそらく彼らが調査をしているのは、ここ最近ロンドンで起きている一連の事件だろう。私はそう推測する。昨日起きた『ジャック・ザ・リッパー事件』。それについて彼らは口にしていた。
つまり、それもまた彼らが言っていた殺人事件に関係があるという事だ。であれば、その関係性は何か。それを考えてみる必要があるだろう。
(第一の事件の被害者の名前……ダリア・ウェスト。年齢51歳。第二の事件の被害者の名前……グレンダ・ミンスター。年齢50歳。ここまでが彼らがこの事件が新聞報道される前に言っていた二つの事件。そして、第三の事件の被害者の名前……キャサリン・エドウッズ。年齢44歳。ふむ)
キャサリン・エドウッズ。この名前には聞き覚えがあるな。私がまだ私の知るロンドンに居た頃に起きた事件の被害者の一人で、見付かった場所はシティ・オブ・ロンドン。
その事件の犯人の名は、ジャック・ザ・リッパー。私も一度は正体を追い詰めようと思ったが、流石に当時の技術や時間経過から諦めた相手だ。いくつかの推測は立てたが、それだけしかない。正解かはわからない。
(……新聞には伝えられていないだけで、前二つも遺体から臓器が摘出されていたということか? いや、それならもう発表があっても不思議ではない。既に犯人が大々的に動いている以上、連続殺人事件である事を隠しておく意味はもはや無い。であれば前の二つは別だと考えるのが筋なのだろうが……では何故、彼らはこれが一つの事件だと考えている?)
気になるのはそれだ。彼らはおそらく、私より遥かに深い所でこの事件についてを把握している。この二つの事件には一切の繋がりはない。にも関わらず、この二つの事件に関わりを見出している。つまり、この二つの事件には関わりがあるという事だ。
この発想が馬鹿げている? その意見こそ馬鹿げている。おそらく正解を知っているだろう者がこの二つを繋がっていると見ているのだ。であれば、その二つは繋がっていると考えるのが正しい。後は消去法とアブダクションで答えを探すのが最良だ。
(犯行は……鋭利な刃物によるものだと言われている。そしてこれは正しいのだろう。が、それだけでこの三つの事件が繋がっているとは言い切れない……であれば、なんだ?)
何かがあるはずだ。それを見つけ出せ。私は自分に自分でそう命ずる。勿論、この作業に意味はない。犯人を見つけた所で報奨金が出るわけでもない。いや、出るのなら本気でやるが、これは単なる趣味。謎があるから挑んでいるだけだ。
「……あー……エスコットさん?」
「あ、はい。なんですか?」
とまぁ、そんな風に益体もない事を考えているわけなのであるが。そんな事を考えているのにも理由がある。いやぁ、これが間抜けな理由なのだが、どうやら学生さん達も私の事は見知っていたらしい。
まぁ、それはそうか。ほぼほぼ毎日の様に学生さんの誰かしらとは顔を合わせていたのだ。私が見知った様に、向こうも見知った者が居ないでもおかしくない。
「なんですか、って……あなたねぇ……普通に考えてこっちが問いかけている時にぼうっとしてなんですか、は無いでしょう」
あはははは。うん。私もそう思う。彼もそう思ったようだ。この警視さんが呆れ返るのも無理はない。私が警察官だったとて呆れ返る。というか怒っていない分、忍耐力と優しさはスコットランドヤードの鏡かもしれないな。
「ここ数日、ずっと彼らの事を見ていたという話なのですが……何かご用事ですか?」
「いや、特に用事があるというほどの事ではありませんよ」
当然といえば当然なのだろう。ここ毎日毎日顔を合わせていたのだ。流石に私が学生だったとて訝しむ。念の為に言えば、私も彼らの行動を把握して敢えて合わせているわけではない。どういうわけか気づいたら一緒になっていたというだけだ。偶然、だと思いたい。
まぁ、向こうが偶然ではないと思っても仕方がない。普通に考えて自分達と同じ様に大英博物館と大英図書館らを毎日往復している若者が居たら私も訝しむ。相手は学生で、学業としてならまだわかる。が、私は明らかに学生ではない。少なくとも若返ったとて学生ほどではないと思う。
それが度々自分達を見ているのであれば、ストーカーかと思われたとて仕方がない。しかも彼らはご丁寧に私の前に餌を吊り下げてくれていた。度々気にしていた。うん。ストーカーだ。
「ですが……あははは。すいません。少々時折耳に入ってくる単語から妙に穏やかではないものを感じまして……それで性分として気になってしまっていたのですよ」
「それだけですか?」
「ええ、それだけです」
誓って、嘘ではない。どういうわけか同じ所をうろちょろしてしまっているわけであるが、私だって止むに止まれぬ事情がある。そもそも私としては現状が知りたいのだ。
ここがどこで、一体どうして私がここに居るのか。そして帰れるのか。帰れないのならどうすればここを安住の地とする事が出来るのか。そういった事を複合的に考えた時、彼らと同じ様な場所に出没するしかなかった、というわけである。
が、そもそもこう言い切れたとて信じてもらえるとするのなら私の特殊な事情を理解してくれねば無理なのであって、警視さんは非常に疑っている様子だった。勿論、学生さん達も疑っている様子だ。
(さて……どうするかな)
困った事に、現在私は絶賛犯罪者一歩手前だ。確かに薬物は以前やっていたのでアウトはアウトだが、私の居た所では合法ではあった。いや、非合法ではなかった、というに過ぎないのだがね。
いや、それは良いか。とりあえずこれは確実に身分証明を行わねば帰してもらえそうにない。それは非常に困る。前にも言ったが、私は今一切の身分を証明出来るものは持っていない。
一応正確には昔趣味で取ったいくつかの免許証は持っているが、あれを見られるのは非常に困る。というより、説明が出来ない。おそらく、それは私の身分を更に悪い方向へと持っていかせる事になるだろう。
「はぁ……とりあえず、身分証を」
「……」
やはり、来たか。間違いなく来るとは思っていたし、何より彼らは非常に特殊な状況下にあると思われる。間違いなく身分証を提示しなければ帰してもらない事は確実だろう。そしてここでごねると確実にヤードへと連れて行かれる。
別にそれは構わないが、間違いなく今より遥かに厄介な状況になるのは間違いない。最悪は以前世話になったご老人に支援をお願いするしかないが、それは可能なら避けたい。流石に私とて恥を知っている。お金の世話になった上に警察の面倒まで頼むのだけは避けたい。なので私はここで真摯さを見せる為、敢えて真実を言う事にした。
「……申し訳ない。身分を証明出来るものは一切持っていない」
「……本当に? 今どき貴方のように身だしなみもきちんとされている方が免許証の一つも持っていないのは可怪しいでしょう。銀行のキャッシュカードなり運転免許証なり何か一つは持っているはずだ」
「本当に持っていないものは持っていないのです。ボディチェックをされたとて、何も持っていない事が確認出来るでしょう」
これは真実だ。一応、万が一に盗まれた時の事を考えて持ち運んでいるが、それだけだ。あれが有効とは思えないし、出来れば見られたくはない。もうここまでくれば賭けとしか言い様がない。
賭けは嫌いではないが、流石にこれは分の悪い賭けというしかない。そしてどうやら、私は賭けに負けたようだ。警視さんは尚更警戒しながら、横の部下に顎で命じた。
「おい」
「はい……少し失礼します」
「はぁ……」
まぁ、遅かれ早かれこうなったのだろう。私は仕方がなく両手を上げる。ここで行われるか、ヤードで行われるかの差でしかない。真摯に対応すれば見逃してもらえるかも、と思ったのだがそこまで世の中甘くはない事は私もよく知っている。
特に事件が起きている時のヤードの腕は私も信頼している。ここでもしこの程度で見逃すようなら、私も少しばかり嘆きを浮かべ、もしかしたらどこかに居るかもしれない友人に対して激怒していたことだろう。曲がりなりにも女王陛下の庭を守る番犬がこの程度か、と。そういう点で言えば、素直にこれは私としても良かったと思う。無論、現状を鑑みれば最悪には間違いないが。
「……警視。財布が」
「はぁ……エスコットさん。中身を確認させて頂きますよ」
「良いですが……ですが、一つだけお願いがあります」
「なんですか?」
もうここまで来れば腹をくくるだけだ。だから、私は敢えてはっきりと明言した。
「貴方がこれから見るのはおそらく自分の目では信じられない事でしょう。ですが、はっきりとこれだけは明言させて頂きます。それに一切の嘘はなく、そしてまた私は一切敵対の意思はない。はぐらかそうとしているわけでも、巫山戯ているわけでもない。勿論、偽造なんて以ての外です。それが真実だ、としか私は言えません」
「……」
私の目を見る警視さんはどう思うのだろうか。が、私はこれを真実だと言うしかない。なにせこれは本当に真実なのだから。そうして、警視さんが財布を開いた。
「……こりゃまた……ずいぶんと古い紙幣をお持ちで。いや、古いというには新しいですが……身分証は……なさそうか……? いや、ここに何かカードが……はぁ。やっぱり持ってるじゃないですか。クレジットカードですか? それとも免許証?」
「免許証を持っていますよ、一応は。ですが、先に言った通りです」
「はぁ?」
何が言いたいんだ、この男は。警視さんの顔に浮かぶ訝しんだ様子に私は素直に同情したい。これからおそらく彼が見るのは、そんなものとは桁違いの困惑をもたらすだろうからだ。
「……ん? これは……なんだ、これは……」
ああ、気づいたのだろう。そして同時に、私が偽名を名乗っていた事も気づいたはずだ。警視さんの顔が驚愕に包まれる。
「エスコットさん。これは……巫山戯ているのですか?」
「巫山戯ていませんよ。私自身、確認を取りました。間違いなく、今から百年ほど前に発行されていた運転免許証で間違いありません」
「……」
この男が嘘を言っているのか、いないのか。警視さんは真剣な目で私を見る。うむ。良い刑事さんだ。彼は頭からこれをバカな冗談と否定していない。いや、もしかしたら、という疑念さえ私に抱かせる。
「これが貴方の物だとはっきりと言いきれますか?」
「神に誓って」
「……少し、待っていてください」
どうやら賭けには負けたものの、別の賭けには勝ってしまったらしい。警視さんは私をその場に置いて、再び学生さん達の所へと戻っていく。
そうして彼が連れてきたのは、サングラスを掛けた壮年の男性だ。学生さん達が教授と言っていた人物だ。引き締まった肉体は戦士のようでさえある。が、土に汚れた白衣を翻すその姿は、さながら映画に語られる考古学者のようでさえあった。
「……教授。どうですか?」
「ふむ……彼は間違いなく我々の敵ではない。が……うむ……」
サングラスの先から得も言われぬ得体の知れない視線が私に向けられる。
「……確かに、人間ではない」
ふむ。これは私が想定していた私の現状への答えの一つではある。そしてそれがわかるということはすなわち、彼はおそらく私が置かれている現状を聞いたとて頭ごなしに否定しないと思われた。そうして、彼が私へと手を差し出した。
「……ああ、私はラバン・シュルズベリイ。学者だ。無論、あのラバンでは無いがね」
「……エスコット、と名乗るべきなのでしょうが……あれを見られた以上ははっきりと名乗りましょう。シャーロック・ホームズ。一応、ここでも探偵という事になっているのでしょうね」
どうやら、私がここで彼らに出会ったのは偶然ではなかったらしい。ラバン・シュルズベリイ。その名は色々と調べていく中でもしかしたら、という可能性の中の一つに含まれている事態に含まれていた。最も馬鹿げていると言える可能性。それが、真実なのかもしれない。
「あはははは。シャーロック・ホームズかね。まさかここでシャーロック・ホームズにお会いするとは思いもよらない話だ」
「貴方は私がシャーロック・ホームズだと言って疑問に思わないのですか?」
「ふむ……君、いや、私の生年を考えれば貴方と呼ぶべきだろうが……貴方はおそらく嘘は言っていない。これでも騙される事には慣れていてね。中々の嘘では騙されないつもりだ。そして何より、私の見た限り貴方の身分証は一切の嘘が無かった。偽造でもないだろう。であれば、答えは一つ。貴方が本物のシャーロック・ホームズだということだ」
彼との出会いは私に幾つかの現状への結論を与えてくれた。それはこの世界には魔術、魔法と呼ばれる存在がある事。そしておそらく私はそれにより、この世界に呼び出されたのだという事だ。
「来たまえ。私も流石に初めての経験だし、私の直感は貴方がシャーロック・ホームズ本人だと告げているが……うむ。直感に頼り切りというのは学者としては失格だ。申し訳ないが、詳しく調べさせて頂きたい」
「おまかせします」
彼は間違いなく理知的な人物だ。そして私の言葉を信じてくれた。であれば、間違いなく彼に従うのが一番良い方針だろう。運が良ければ手を貸してもらえるかもしれない。そうして、私は私とは別の物語の登場人物に案内され、この世界の深部へと案内される事になる。
お読み頂きありがとうございました。




