断章 第12話 次のステージへ
ふむ。ここがロンドンだと知って数日が経過し、色々と物資も整ってきたわけであるが。やはり何時のロンドンであれロンドンはロンドンらしい。霧の都と言われたロンドンにしては霧の無い日が続いているのは悲しい限りであるが、このロンドンの影の空気が変わらないのは安心した。
「ぐげっ!」
「全く……御婦人に手をあげようとは。君もロンドンに住まう者であるのなら、英国紳士としてのマナーは心得たまえ。手は上げるものではなく、御婦人には差し伸べるものだ」
古着屋を巡る最中に裏路地に入ったわけであるが、そこで偶然にも若い御婦人にナイフを突きつける荒くれ者を見てしまってね。つい癖ではっ倒してしまった。いや、はっ倒したというか蹴っ飛ばしたという所なのだがね。
まず手を蹴ってナイフを落とし、その次に顔面を蹴っ飛ばした。うむ。我ながら惚れ惚れする連撃だ。杖があればもっとスマートに出来るのだが、無い物ねだりはよそう。無遠慮かつ無思慮にナイフを振るう程度の荒くれ者に技を使うのは憚られたが、御婦人の安全を優先する事にしたのだよ。
「あ、あの、ありがとうございます!」
「いやいや。御婦人に怪我が無くてよかった。彼は私が見張っておくから、君は警察に連絡を入れてくれ。私は少し理由があって電話を持っていなくてね」
「あ、はい」
私の指示を受けて、若い御婦人はスマートフォンというらしい道具をポケットから取り出して警察へと連絡を入れる。後少しすれば警察が来て、このあいつには遠く及ばぬ愚かな悪党を引き取ってくれるだろう。それが終われば、私もここから立ち去る事にしよう。
「あの……もうすぐ、警察が来てくれるという話だそうです」
「そうか。それは良かった……そうだ。待つ間に少しお話でもしますか」
「え、あ、はい」
若い御婦人はやはりナイフを持つ強盗に襲われて怯えていた様子だった。私は強盗のベルトで彼の腕を縛りながら、御婦人の怯えを宥めるべく会話を行う。
ここらは何時もなら友人に任せるのであるが、彼が居ないのだから仕方がない。私がやる事にしよう。これでもジョークなどは得意だ。なんとかなるだろう。
「ほう……では、お嬢さんはフランスの人でしたか。いやぁ、英語がお上手だ」
「ありがとうございます。それで、エスコットさんはここらの方なんですか?」
「いや、私も実は最近ここらに来たばかりでね。少し道に迷っていた所だよ。が、裏路地は裏路地で楽しい所だからね。それで偶然、というわけさ」
うむ。古着屋巡りはしていたが、幸いまだ何かを買っている状況で無かったのは助かった。手荷物があると、それはそれで何かを言い繕う必要があるからね。それに幸い、今日はまた別の日に買い揃えた服を着ている。前のあの恰幅の良い男性の時の様に何か言われる事はないだろう。と、そんな話をしているとヤードから警察官がやってきた。
「ふむ……エスコットさん。では貴方は偶然ここらを歩いている時に彼女が襲われているのを見たと?」
「ええ。それで、思わず」
「ふむ……」
見た所話に嘘はない。そんな感じで警察官は頷いていた。それはそうだ。嘘は言っていない。幸いな事に予め身分証明などはしないで良い様にお嬢さんには頼んでいたので、身分証明を求められる事もなかった。というより、求められても困る。そもそもエスコットは偽名だし、身分証明を可能とする物は何も持っていない。密入国者だと思われても厄介だ。
「わかりました。ですが今度からは見ても手出しはせず、すぐに警察に通報してください。もう、行って良いですよ」
彼らが仕事熱心でなくて助かった。住所などを聞く事もなく、彼らは私に名前を聞くとそれだけで私を返してくれた。と、そうしてその場を立ち去った私は今日の予定を少し変更して今日は大英博物館へと向かう事にする。予定を変更した理由はこの事件で時間が取られてしまったからだ。幸い裏路地は近くの裏路地だった。問題はないだろう。
「ああ、今日は彼らもこっちか。うむ、勉強熱心で良い事だ」
そんな私であるが、やはり何日も何日も大英図書館に入り浸ると顔見知り、と言っても一方的に知っているだけだの相手を得る事が出来た。学生さんらしく、勉強熱心な事に毎日朝早くに大英図書館に入っていた。それ故、同じく朝一番に来る私も見知っていたというわけだ。
と言っても、どうやらアメリカの学生さんらしい。言葉に少し前に聞いた事のあるアメリカ訛りがあった。彼らはここ数日私と同じ様に大英図書館に入り浸って何かを調べていたらしい。
が、どうやら二つのチームに分かれていて片方は大英図書館、片方は大英博物館で調査という所なのだろう。見たことのない学生さんも一緒だった。
「うん? 彼が、教授という所かな。横は……娘、なのだろうか」
やはり顔見知りが何時もとは見知らぬ人物と一緒に居るからだろうね。どうしても観察をしてしまっていた。癖、というべきなのか、それとも職業病とでも言うべきなのかもしれない。何時もはどこか不真面目さがある学生さんにも真面目さが見受けられ、少し楽しかった。
「にしても……アルセーヌって奴は何を考えているんだ?」
「さぁ……シャーロック・ホームズの生原稿を盗んだ。何か意味があるはずだけど……」
「彼らを呼び寄せて何がしたいんだろうな?」
「戦い、というわけじゃないでしょう。この間やったばかりだ」
ふむ。学生にしてはあまりよくない会話だ。が、この大英博物館で起きた事件については私も知っている。というより、今日まで大英博物館に来なかった理由はそれだ。今まで事件の影響で封鎖されていたからだ。そしてどうやら、彼らもこのシャーロック・ホームズ展に用事があったらしい。うかつというべきか、それとも学生なのだから仕方がないと思うべきか勝手に情報を教えてくれていた。
「ふむ……誰かを待っているという所か。にしても、殺人ね……」
良くない話だ。殺しは特に良くない。職業柄殺人は良く遭うが、何時も良い気分にはなれなかった。うむ。怨恨による殺人、金銭目的での殺人、あの天才の様にもはや宿業としての殺人など色々と見知ってきたが、聞くだけで良い気分にはなれなかった。
「いや、何をしているのだろうな、私は……」
だから、何なのだろうな。そもそも今の私は探偵ではない。何者か、と問われても答えられない正体不明の者だ。良し。もうこの会話は記憶の片隅に置いておく事にして、とりあえず今日の目的となるシャーロック・ホームズ展を見る事にしよう。
さて、カイト達が渡英して翌日の朝。ホテルの彼の部屋の扉に、一通の手紙が張り付けられた。それに気付いたのは、カイト達の応対を任されたホテルのスタッフだ。モーニングサービスを持ってきた彼が気が付いた。
『っ! お客様!』
『お客様!?』
「うん?」
扉の先から聞こえてきたスタッフ達の慌てた声に、カイトが首を傾げる。モーニングサービスを頼んだのはそもそもで彼らなので、全員が起床済みだ。身だしなみも整えていて、いつものように朝っぱらからイチャイチャとバカップルをしている事もなかった。というわけで、カイトが扉を開ける。
「はい、どうしました?」
「! 良かった、ご無事でしたか」
「はぁ……どうしました?」
カイトは今日の彼らの朝食を乗せた台車を横に慌てた様子のスタッフ達の様子を見て首を傾げる。そんなスタッフ達の一人が、カイトへと一通のカードを差し出した。
「この紙が、お客様の部屋の扉に……」
「これは……」
スタッフが差し出したのは、デフォルメされたシルクハットの絵が書かれたカードだ。これは今のイギリスの者なら誰もが知っている、アルセーヌの予告状に描かれている絵だった。それを見て、カイトはカードを受け取りながらスタッフ達に指示を送る。
「スコットランドヤードのベネット警視に連絡を入れてくれ。私に何かがあった場合、彼が応対してくれる事になっている」
「かしこまりました。ヤードのベネット警視ですね。お食事はどうなさいますか?」
「それはもちろん食べるさ。用意を頼む。どうせあちらも朝一番で動く事はないだろうからね」
カイトは僅かに不安そうなスタッフ達に対して笑いかける。ここで不安になればスタッフ達もパニックになる。であれば、見せるのは余裕だ。そうして、そんなカイトの様子にスタッフ達も僅かに落ち着きを取り戻した。
「では、失礼します。警察には即座にご連絡を」
「ああ、そうしてくれ。スコットランドヤードのベネット警視だ。日本の葵が話がある、と言えば話が通じる。間違えないでくれよ」
「かしこまりました」
カイトの再度の念押しに頷いたホテルのスタッフは頭を下げるや、即座に部屋を後にする。その一方、カイトはミルクティーを片手にカードを改めて確認する。と、そんな彼の肩に小型化したモルガンが腰掛けた。
「どれどれ……?」
「クリスティーヌがようやく主役に選ばれた。これでようやく舞台の幕を開ける事が出来る。エリック……だね」
「正解、というわけなんだろうな。エリックとはオペラ座の怪人の名だ。第一の謎を解いた、というわけなんだろう」
モルガンに同じく肩の上に腰掛けたヴィヴィアンが読み上げたカードの中身に対して、カイトは教授達の推測が正しかったのだろうと理解する。と、その話を聞いて同じくミルクティーを飲んでいたルイスが口を開いた。
「殺しはしない、という話ではなかったか?」
「知らん……いや、おそらく奴が殺したわけじゃないんだろうな。別の何者かが殺した。奴はメッセンジャーというわけなんだろう」
「面倒だな。特に謎解きになるのが面倒だ」
「言うな。なんでここまで戦闘員が揃って謎解きに挑まにゃならんのやら」
基本、二つの世界最強級の面子を集めての謎解きだ。知性についても二つの世界有数なので問題が無いといえば問題はないが、根っこが戦士である彼らにとっては面倒な話となっている。とはいえ、やらねばならないのだから、仕方がない。やるしかない。
「いっそ、ロンドンを更地にすれば手っ取り早いのだがな」
「あはは。楽そうだ……うん、流石は紅茶の国イギリス。ミルクティーも良い味だ……さて、そんな今日の我らの朝食は……フル・ブレックファスト。目玉焼きにスコーンやロールパン、フルーツなどをご自由に、ね」
「ふむ……フル・ブレックファストははじめての経験だ。不味いという評価のイギリス料理がどうか、確認させてもらうとするか」
兎にも角にも何をするにしても朝食を食べてからだ。流石に連絡を入れて即座に駆けつけられるわけもないし、そもそもの疑問としてベネットがすでに警察署に来ているかどうかも微妙なラインだ。常識を考えても朝食を食べる間ぐらいは避けてくれるだろう、と思って朝食を食べる事にする。が、ここで一つ忘れていた事があった。一人常識を蹴っ飛ばす非常識人が居た事だ。
「あー……あんたらの所にもきっちりカードが届いていたわけね」
「うむ。食事時に失礼とは思うがね」
「まぁ、そこらを言っても始まらん……とりあえず食事は続けても?」
「構わないとも」
非常識人代表こと教授はカイトと話し合いながら、その言葉に同意する。どうやら彼の所にもカードは届いていたらしい。あちらにもやはりエリックの名でカードが届いていたようだ。で、おそらくカイト達の所にも届いているだろう、という推測でやってきたというわけであった。
「で? そちらの朝食は?」
「無論、食べたとも。何事も食事は基本だ」
「それにしちゃ、早いな」
「朝は早くてね」
カイトの皮肉に教授はコーヒー――流石に何も無しはカイト側が居た堪れないので持ってこさせた――を傾ける。なお、後に聞いた所によると、教授は朝6時に起床らしい。カイトの起床とさほど変わらないが、その後に朝の鍛錬を挟んでいる分彼の朝食はおよそ一時間ほど早かった。
「とはいえ、私としても少しは遠慮したつもりだ。朝一番に来る前に、レイヴンの所に確認を取っていてね。あちらにも同じ物が張り付けられていたそうだ」
「ほう……ということは、今後もステージが一つ上がる度に同じ様に朝一番に張り付けられていそうだな」
「うむ……部屋の前に設置されていた監視カメラの映像も確認している。が、何も映っていない事も確認出来た」
「魔術か?」
「いや、ハッキングによるループ映像だ」
「なるほど。それはこっちにはどうしようもない」
教授からの情報にカイトは気付け無いわけだ、と納得する。基本的に監視カメラを騙す方法は二つある。一つはカイト達の様に魔術で幻術を使って映像そのものから消え去る事。もう一つは、ハッキングなどを使って録画される映像そのものを偽る事だ。
前者の場合はカイト達は即座に気付くだろう。なので後者を使ったとすれば、話はわかった。と、そんな話をしているとベネットが部屋へとやってきた。横にはレイヴンも一緒だ。
「ああ、皆さんこちらにお揃いで……」
「うむ、来たね。では、今の所の情報の統括を行っておこう」
やはり相手がニャルラトホテプとなれば、中心となるのは教授だろう。というわけで、彼を中心としてこの日から教授達は更にカイト達を加えて、アルセーヌを名乗るニャルラトホテプが起こした事件の解決を目指すべく行動を開始するのだった。
お読み頂きありがとうございました。




