断章 第3話 英国の夜
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
カイトが純白のニャルラトホテプとの戦いを終えて一週間ほど。この間、カイトは流石に負った傷の酷さから治療に専念する事になっていた。というわけで、彼はただひたすら現状を嘆いていた。
「夏休みなのにベッドでおねんねとか……」
「何? なにか文句ある?」
「ねーな」
ジト目のモルガンの問いかけに対して、カイトはため息を混じえつつも首を振るしかなかった。と、そんなモルガンであるが、カイトからすれば懐かしい服を身に纏っていた。
「にしても……どういうつもりだ?」
「似合うでしょ?」
「ああ、似合うな……なんというか、懐かしい。安心する、とでも言えば良いんだろうな」
どこかの修道服を身に纏うモルガンの姿が、かつて存在した原初の時の彼女と被る。あの時も何度となく重傷を負っては彼女に甲斐甲斐しく看病された。そんな言葉を聞いて、彼女も少し嬉しげにカイトへと笑いかけた。
「ナース服と迷ったんだけどねー。やっぱりカイトを看病するならこっちかなー、って」
「あははは。いつもありがと」
「どういたしまして」
まぁ、夏休みの最後の週なのに怪我でベッドに寝かされているわけであるが、存外悪いわけでもないらしい。そんな感じで最後の週を過ごしたカイトであるが、流石にあの大怪我なのでこの間どの組織も見舞いこそ送れど、なにかの仕事を頼む事はなかった。
そして、それから一週間。カイトは様々な投薬によって一応の復活を遂げていた。一応の、なので完全復活ではない。流石にあの手傷を一週間で癒せるほど、リーシャ手製の回復薬も優れていなかった。本来は彼女が直々に診るべき状態だったのだから、彼女の薬剤師としての力量がどれだけ凄いかわかろうものだった。
「はい、一週間で復活のブルーでござい。今日からはオレも復帰だ……まぁ、内側はまだボロボロだがな。流石にフルパワーは無理。今日から一応書類仕事なんかは可能、って所」
『ははは。君が元気になってくれて嬉しいよ。やはりフェイくんと私だけでは話し合いに味がなくてね』
『申し訳ありません』
『いや、文句を言っているわけではないさ。現にハワードなんてこの通りどこ吹く風だからね』
笑うジャクソンはこの会話にも関わらず何も言わないハワードを見る。が、やはり梨の礫であった。
「さて……それでオレが寝ている間に九月に入るわけだが……先週の話は聞いている。姉妹校提携の調印式というか、まぁセレモニーはそのまま行うらしいな」
『予定通りウチでね。まぁ、あんたの怪我があるからセレモニーというかパーティは一週間遅らせたよ』
「おいおい。オレの為だけに一週間も遅らせてくれた所で何も出来んぞ?」
姉妹校提携。それは元々夏前から計画されていた事だ。なのでその時点で招待状も各地へと送っていたが、それをカイトの為だけに一週間遅らせたというのだ。カイトとて笑うしかなかった。が、それも仕方がない事情があった。
『あはは。そうなんだけどねぇ……残念ながら、あんたが壮健である事も見せないと駄目な状況だ。一週間遅らせて壮健であると示せる方が重要だ。あの戦いだからねぇ……流石に大怪我をしてたのは各国がしってる。それを癒せるだけの力がある事を示してもらわないと駄目なんだよ。それが喩えガワだけでもね』
「はいはい……で、予定は大丈夫なのか?」
『なんとかね。とりあえず、予定は空けられている』
やはり土壇場で一週間も時間をずらしたのだ。いろいろと面倒な事はあったのだろう。寝ていたのが良かったのか、それともその後始末に奔走させられる方が良かったのか。それは誰にもわからない事だろう。そうして、カイトの夏休みはこの後始末に奔走する事で終わりを迎える事になるのだった。
さて、カイトが復活したとほぼ同時。というより、カイトが表向き復活したのを見届けて動いていた奴らが居る。それは言うまでもなく、ニャルラトホテプ達だ。彼らはカイトこそが真王の候補だと判断した。その結果、この後の動きはほぼ全てカイトの動きにリンクする様にしていたのである。というわけで、彼らはカイトが動ける様になると早速作業に取り掛かっていた。
「っと! 君は相変わらずしつこいな!」
「そのしつこさを育てたのは誰だと思ってるんだ!」
「いや、僕達だね!」
そんなニャルラトホテプの一人であるが、彼は絶賛逃走中だった。背後には黒いインバネスコートを着用した若い男が居て、彼に追われている様子だった。と、そんなわけなのだがニャルラトホテプは非常に楽しげだった。
「にしても今回はえらく追いかけてこないかい!?」
「当たり前だろうが! お前、なんってものを盗みやがった! アルセーヌ・ルパンを気取るのはどうでも良いが、それを盗むのだけは許せねぇ!」
「アルセーヌを気取るのは、ホームズを気取る君に合わせただけだよ!」
追っかけっこをしながらニャルラトホテプが笑う。なお、そういうわけなので対外的にはこのニャルラトホテプはアルセーヌと名乗っているらしい。異常に凝っているのがこのニャルラトホテプの特徴らしい。なので怪盗紳士として知られているそうである。
「ちぃ! 来い、<<バルザイの偃月刀>>!」
黒いインバネスコートの青年は一向に追いつけないアルセーヌに対して堪忍袋の緒が切れたのか、どこからともなく<<バルザイの偃月刀>>を取り出した。そもそもカイトも魔術で作っただけの物だ。なので彼も魔術を知っていれば使えないわけではない。
そしてこれを使えるという事は、彼もまた『キタブ・アル=アジフ』の系譜に連なるネクロノミコンの一冊を持っているという事なのだろう。
「おっと! これはまずいね!」
刃に宿る毒素を見て、アルセーヌが急制動を仕掛ける。別に受けた所で問題は無いが、戦闘力は落ちる。彼を相手にそれは避けたい所だった。と、その急制動が黒いインバネスコートの青年の狙いだった事にアルセーヌは気付かなかった。
「今だ、やれ!」
「!?」
乗せられた。アルセーヌがそれに気付いたと同時。横合いから魔弾が飛来する。それは一直線に急制動を仕掛けたばかりのアルセーヌへと飛来するが、しかしそれは直撃寸前で閃光を上げた。
「閃光弾!?」
「おりゃぁあああああ!」
閃光を切り裂いて、黒いインバネスコートの青年がアルセーヌへと斬りかかる。遠くからの一撃でニャルラトホテプに有効打を打ち込めない事ぐらい彼だってわかっている。だから、彼が望んだのは今まで詰められなかった間合いを詰める為の時間。急制動を仕掛け、その上で閃光弾を打ち込んで足止めを行う事だった。
「っぅ!」
閃光の中でアルセーヌが苦悶の声を上げる。そして、次の瞬間には閃光弾の効果が切れて右腕が切断された彼の姿が露わになった。
「「アトラク=ナクアよ!」」
黒いインバネスコートの青年とアルセーヌが同時に声を上げ、異星の魔術を展開する。そうして、切り飛ばされたアルセーヌの右腕へと二つの白い蜘蛛の糸が発射され、絡み合う。
といってももちろん目的はアルセーヌの右腕ではなく、右腕が持つ一つの紙の束だ。青年もアルセーヌも紙の束を無事に回収する為、腕に糸を絡みつかせるしかなかったのだ。
「ほんっとうに今日はしつこいな、君は! なんとか三世に出てくる刑事さんにでもなったのかい!」
「当たり前だろうが! べっつに俺達にとっちゃ聖書の原典を盗まれようが足蹴にされようがどうでも良いけどなぁ! こいつだけは、絶対に死守しないと駄目だろうが!」
アトラク=ナクアの糸で綱引きをしながら、二人の青年が言い合いを行う。が、どうやらアルセーヌ――何故か両腕があった――と黒いインバネスコートの青年では互角らしい。一向に決着はつかなかった。と、そんな所に更に登場人物が現れた。
「……」
「っ!」
新たな登場人物は一人の少女から大人の女性に変わる頃合いの少女だ。ハイティーンという所だろう。そんな少女は場に降り立つや否や、目を閉じて何らかの魔術を展開すべく準備を開始する。と、そんな少女に慌てたのは、どういうわけか黒いインバネスコートの青年だった。
「おい、ちょい待った! 何するつもりだ!」
「いえ、燃やそうかと」
「やめーい! おまっ、これが何かわかってんの!? あれだぞ!? かのアーサー・コナン・ドイル大先生がお書きになられた第一作『緋色の研究』の生原稿だぞ!? 聖典の原典だぞ!? それを燃やすとか喧嘩売ってんのか!?」
黒いインバネスコートの青年はこの紙の束がどれほど重要な物なのかを力説する。アーサー・コナン・ドイル。その名を知らない者はそう多くないだろう。かの名探偵、今ではもはや探偵の代名詞ともなるシャーロック・ホームズの原作者だ。
その彼の作ったおよそ六十の作品は熱心なファン達からは聖書になぞらえて、聖典とも言われる。その生原稿ともなれば、どれほどの扱いかはわかろうものだろう。もしかしたら一神教の狂信者達並かもしれなかった。
「悪用されるより良いかと」
「燃やされる方が問題だろうが! 悪用されようと無傷で取り返せれば問題は無いんだよ! 失われる方が問題だ!」
「はぁ……」
そんなものなのか。明らかに被害を考えれば悪用される方が困ると思うのだが、と思うハイティーンの少女に対して、黒いインバネスコートの青年は声を大にして力説する。なお、この時のイギリスは夜なのであるが周囲は結界で覆われているので大声を上げてもさほど問題はない。
と、そうして十分ほど少女に向けてお説教がされたわけであるが、それが一段落した所でアルセーヌが口を挟んだ。
「……あ、終わった?」
「ああ、終わった。全く……お前もこいつも何を考えてるんだよ……」
「あの……マスター。言いそびれたのですがあれ、幻影です」
「……へ?」
少女の言葉を受けて、黒いインバネスコートの青年がアルセーヌを見る。どうやら熱くなっていた事ですっかり紙の束の方は忘れていたらしい。そこには確かにアルセーヌが居たが、姿は半透明だった。どうやら幻術を使って逃げていたらしい。
「いやぁ、君達は何時見ても面白いね。ああ、これについては傷一つなく返すから安心してくれよ」
「あ、おい!」
『君も言ったよね? 悪用されようと無傷で取り返せれば問題無いって。無傷で返す事は約束するよ』
「揚げ足取るんじゃねぇよ! てーか、悪用も約束してるよなぁ!」
『あははははは! またね! アデュー!』
どこからか響くアルセーヌの声に対して、黒いインバネスコートの青年が声を荒げる。が、すでに逃げられているのだからどうしようもない。と、そうして打つ手なしになった黒いインバネスコートの青年は仕方がなく、ヘッドセットを使って仲間に連絡を入れた。
「アレク……俺だ」
『サー・クロウ。首尾は?』
「悪い、失敗だ。逃げられた」
アレク。イギリスでそう呼ばれてなおかつ裏に通ずる人物なぞ一人しかいない。フィルマ家当主アレクセイ・フィルマだけだろう。
「それとサーはやめてくれ、サーは。流石に俺如きがホームズ先生と同格の称号なんて烏滸がましい」
『あはは……それで、レイヴン。どうするつもりですか?』
「……とりあえず、奴は無傷で返すと言っていた。それは多分事実だろうな」
レイヴン。そう呼ばれた黒いインバネスコートの青年は苦い顔で、少なくともこの言葉は真実だと明言する。ニャルラトホテプ達とは長い付き合いの彼だ。
アルセーヌの性格も理解していて、嘘ではないだろうと思っていた。後々に響く様なヤバイ事はしないのがアルセーヌのやり方だ。熱心なシャーロキアンである彼にとって聖典である生原稿だ。うかつな事はしない、と判断したのだ。
『わかりました。では、大英博物館にはそう伝えておきます。女王陛下の会議が終わり次第、そちらからご報告を』
「わかった……俺は一度屋敷に戻る。流石に時間があるのに仕事着でクイーンに会うわけにもな」
『わかりました』
レイヴンの言葉にアレクセイは早速手配に取り掛かると、一方のレイヴンは自分の屋敷へと向かって歩き始める。そうして彼が手に取ったのは、黒い中折れ帽だ。黒が彼のトレードマークらしい。シャツを除けばほぼ全身が黒で統一されていた。
「……」
何を考えてあんな物を盗んだのか。シャーロキアン達にとってシャーロック・ホームズの生原稿、それも第一作目の生原稿だ。これがなければシャーロック・ホームズシリーズは生まれなかったとさえ言える。殊更、特別な意味があった。
が、それだけで魔術的な意味は一切無い。もちろん、魔術の媒体にもならない。魔術的には一切無価値だ。盗む意味がわからなかった。が、なにかを考えて盗んだのだという事はわかる。そうして、レイヴンは相棒の少女と共にこの意図が何かを考えながら、自分の屋敷へと戻る事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




