断章 第49話 悲劇を乗り越える為に
ジャックの親友だったブライアンの死から、少し。彼は肉体こそ軽度の切り傷と捻挫で済んだものの、精神の方に重大なダメージを負っていた。
無理もない。八歳の幼子が自分の親友が食われる様を見せつけられたのだ。精神がまともでいられるはずがなかった。故に彼は即座にミスカトニック大学の救急病院に搬送されると、そこで幾つもの特殊な薬を処方され、万が一にも暴れだしたりしない様に厳重な監視下に置かれていた。
『……と、いうわけです。ブライアンくんは我々が到着した時にはもう……』
その横――と言ってもガラス窓を隔てた先だが――で、ジャックを救い出した教授がブライアンの両親とジャックの両親へと状況の説明を行っていた。どうやら、ジャック達が気を失っている間に夜になっていたようだ。どちらの両親も仕事を終えて、病院に駆けつけていた。
『お前の息子の所為でウチの息子は!』
『ぐっ!』
『あなた、止めて!』
『止めるな! こいつらの所為でジョンは……!』
その事情説明が終わったとほぼ同時。泣いているのか激怒しているのかわからない表情のジャックの父親が、ブライアンの父親に殴り掛かる。無論、彼とてブライアンが死んだ事はわかっていた。わかっていたが、何より何をされても無反応の息子の有様を見ては思わず殴りかからずにはいられなかったようだ。
そうして、もう事態が受け止めきれないらしいブライアンの父親が激高してジャックの父親の殴り合いが始まり、更にはそれを止める為に教授が慌てて仲裁に乗り出したり医師達が飛んできたり、とジャックを置いてきぼりにして一悶着が起きる。
「……」
そんな騒動を、ジャックは光を失った目で見ていた。父親達の争いは数分で終わった。ここは病院だが、ミスカトニック大学とアーミティッジ財団の系列病院だ。特殊な訓練を積んだ警備員が居る。
彼らが出てきて強引に二人を引き離して、それぞれを別々の所に連れて行った。それが、ブライアンの両親をジャックが見た最後だった。ジャックは知る由もなかったが、この後ブライアンの両親はアーカムから引っ越して遠く海を隔てた日本へと渡ったらしい。
「……」
それからのジャックはただ呆然と起きて、気を失ったように眠るという日々を何日も続けた。ジャックの父は仕事が終われば必ず病院に顔を出して正気に戻ったらああしよう、こうしよう、バイクに乗ってどこかに出掛けようと努めて楽しげに語ってくれた。母はパートを辞めて、時には彼女が疲労で倒れるほどジャックの世話に奔走してくれた。
そのおかげか、ジャックは肉体的には死ななかった。そんな彼がようやくまともに言葉を出したのは、何かの理由かで偶然病院に来た教授に対して、だった。彼は知り得なかったが、どうやら教え子の一人が怪我をしたらしい。といっても重傷ではなく単に骨折という程度らしい。
「……奴らは……なんなんですか?」
「……奴らは、外なる神の奉仕者だ。私達が長く戦っている相手でもある」
教授は何も知らせないままなのは逆に酷だろう、と判断して母親と――勿論、医者とも――相談の上、ジャックへとブライアンの仇について軽く説明する。
「……奴らと?」
「ああ……その……すまなかったね。間に合わなくて」
「……」
教授の非常に悲しげな顔から、ジャックはこの戦いが非常に厳しいものなのだろう、と理解した。彼も精一杯やっていた。が、それでもどう頑張っても犠牲を無くす事は出来なかった。だが、そんな教授はまるで自分を励ます様に、そしてジャックを励ます様に笑みを浮かべた。
「まぁ、間に合わなかった手前、胸を張る事は出来んが……これでも私は負けた事はない。人類も負ける事はない。君の仇は必ず、私が討とう。どれだけ時間が掛かっても必ず、だ。十年か、二十年か……それはわからないが、必ず討ってみせよう」
「……」
その時の教授の自信に満ちた笑みを、ジャックはずっと忘れる事はなかった。そしてその日から、ジャックにとって教授は憧れの人となった。と、そんな教授の横のレイバンが小声で耳打ちする。
「父よ。あの廃墟の取り壊しがそろそろ始まる。移動しないと間に合わん」
「む……そうかね。わかった。行こう。ではな、少年……何時か、君が立てる日を信じている」
「……」
教授達はまだ戦いを続けている。ジャックは足早に、そして戦士としての顔を覗かせた教授の姿から、そう理解した。そうして、その次の日。ジャックは表向きは完全復活を遂げる。
「あなた! 見て、ジャックが……」
「ジャック……お前……」
「ああ、父さん。今日も来てくれたの? ありがとう」
「あ、ああ……」
病院のベッドから立ち上がって笑顔を浮かべたジャックを見て、ジャックの父が思わず目を見開いた。たった一日で、何が。そう思うのも無理はない復活劇だった。そうして、ジャックはしばらくは検査入院ということで幾つかの検査を受けながらも、日常生活には支障が無いだろう、と判断されて自宅に帰る事を許された。
「肉? い、いや、お前がそういうのなら俺は別に良いが……な、なぁ?」
「え、ええ……勿論、私も構わないわ」
「父さんも好きでしょ? 分厚いステーキ」
快気祝いに何が食べたい。そう問いかけた両親の問いかけにジャックは一言、ステーキが食べたい、と言ったのだ。それには流石に両親も困惑して、顔を見合わせる。
「……俺は、ブライアンの分も生きないと。だから、肉を食べて強くならないと」
「「……」」
これは息子なりの弔いなのだろう。ジャックの辛そうな顔から両親はそう理解する。が、やはり気丈に振る舞っても、精神にこびりついた悪夢は消えて無くならない。故に、肉を一口くちにした時点で、ジャックは思わず嘔吐しそうになった。
「うっぐっ……」
「ああ、ジョン! 無理はするな! ほら、野菜だ! なんなら魚もあるぞ!?」
「いや、大丈夫……食べれるよ……」
聞こえたのは、ブライアンが咀嚼される音。だが、ここで終わるわけにはいかない。ジャックはそう必死に肉にかぶりつく。そうして、その日からジャックは死んだブライアンの分も生きる為に精一杯生きて、そして仇をうつ為に強くなる事を決意したのだった。
それから、およそ25年。ジャックは再びあの洞窟の前に立っていた。
「……」
やっとここまで来たのだ、とジャックは何故か怒りよりも感慨深かった。そして、どういうわけか心は穏やかだった。
「……」
「どうしたんですか、少佐。珍しく無口ですね」
「お、おお……俺も驚いているぐらいだ」
副官の問いかけにジャックは思わず自分でも驚いていた。もっと怒り狂うのだと思っていた。だが、戦いを前にした高揚感もない。平常心があった。
「なんだ、こいつは……」
刀を手にしていると、妙に落ち着くのだ。まるで自分も刀になった様に、心が落ち着く。感情が鞘に収められているかの様な感覚だった。と、そんな後ろからアルトが声を掛けた。
「ほう……驚いたな。修練させたとは聞いたが、中々の上達だ。アメリカン・サムライとでも言った所か」
「アーサー王陛下」
「ははは。アルトで構わん。アーサー王は我々の間ではイマイチ印象が良くない」
「イマイチ、で済めば良いですけどね」
アルトの横、ランスロットが笑いながらそう告げる。それにアルトも笑って、更にジャックへと告げた。
「ははは。確かに、な。まぁ、それは良い。戦士にとって戦闘を前に落ち着くのは何よりも重要だ。常人には北欧の狂戦士達の様には戦えん。そしてあれは命を削る。落ち着いて戦うのが一番良い。特に剣士には、な」
「刃に全てを乗せて、一撃を放つのです。怒りも悲しみも憎しみも。それを全て、刀にしまい込むのです。もしかしたら、貴方は刀との相性が良かったのかもしれませんね」
ランスロットは刀を手にした途端落ち着きを見せたジャックを見ながら、そう見立てた。やはり教師として働くからだろう。どこか生徒を見る様な目だった。そんなランスロットの言葉を聞いて、ジャックはしげしげと蛍丸を見る。
「……こいつが……」
確かに、刀を持てば落ち着いた様な気がしてくる。今まで常にぐつぐつと煮えたぎっていたのなら、今は熱してはいるものの沸騰一歩手前、何かのきっかけがあれば水蒸気爆発を起こす様な感じだ。自分自身でも違いがはっきりと理解出来るほどに違いが理解出来たのだ。と、そんな所に蛍丸が声を出した。
『私が少し補佐を入れました。貴方はどうやら日本に害意ある存在ではない様子ですし、少なくとも彼から聞いた所によると貴方に助力をするのが日本の為になるとも判断出来ます。であれば、という所です』
「お前が?」
『はい。幸い貴方の身体面は私を扱うに十分な鍛え方がされています。剣士としての技量が備わっていないのが惜しい所ではありますが……まぁ、良いでしょう』
「随分と上から目線だな、このガキ……」
曲がりなりにも武器だ。そして声の様子から、蛍丸は童女の年頃だろう。なのに上から目線で物を言われてジャックが思わず半眼で睨みつける。
『……言っておきますが。私、これでも数百歳です』
「……」
マジなのか。ジャックは半月ほどの付き合いでようやく明かされた事実に目を見開いた。やはりここら、彼はまだ表の世界に染まっていた。見た目と年齢が大きく乖離している事なぞ、この世界では何時ものことだった。
「……いや、考えたって無駄か。で? 俺に補佐?」
『はい。感情の抑制、といえば言い方が悪いですが敢えて言えば感情に蓋をしました。貴方の内部には激情が見えます。なのでそれに蓋を。まぁ、敢えて言えば貴方が感じている通り、落ち着いた気持ちになるというだけです。何か特殊な事はしていません』
「それで、妙に落ち着くわけか……」
ジャックは自分が妙に落ち着いている理由を聞いて、なるほど、と納得する。別にこれが悪いわけではない。それどころか戦闘を考えれば良い方だ。彼とて戦士。そして経歴は長い。感情に流されて散った戦友なら両手の指で足りないほどに知っていた。
『と言っても、私が補佐しているのはあくまでも武器として出来る限りの事です。敢えて言えば戦闘前に逸る気持ちを抑えているという程度。刀を抜き放てば必然、感情の抑制も解除されます』
「別に気にしねぇよ……ん? それはあれか? あの野郎が言ってた奴に似てねぇか」
『まぁ、一緒です。本来なら、私達武器側が補佐するまでもないことですが……事情ありきではありましたが未熟者を選んでしまった私の不明ですので、こちらから補佐させてもらう事にしました』
「ぐっ……」
蛍丸からのキツイ言葉にジャックは思わず顔を顰める。が、何かを言い返せる事はなかった。そもそもこれは正論だ。未熟者というのはカイトからも言われたし、彼自身そんな武芸者達と比べて未熟なのはわかっている。そして勿論、蛍丸が本来自分が手に出来る名刀ではない事も、だ。とはいえ、角が立つ一言でもある。なのでジャックは口を尖らせながら、腰に帯びた蛍丸を叩いた。
「ちっ……黙ってろ。放り投げるぞ」
『はいはい……』
ジャックの苦言に蛍丸が少し笑いながら口を閉ざす。そうして静かになった蛍丸に対して、ジャックはアルト達に問いかけた。
「貴方方の武器は何も語らないのですか?」
「む? ああ、俺達のか。一応、意思はあるし実体化も出来るが……」
「もう長い相棒ですからね。必要な時以外は実体化しませんよ」
アルトとランスロットは長い時を経て実体化するに至った自分達の相棒達について、そう語る。まぁ、これほど長い間存在していた名剣だ。そうであっても不思議はないだろう。敢えて実体化する必要も無いから、と実体化していないだけだった。
なお、ではカイトの持つ<<選定の剣>>はどうなのか、というと実はあれはまだ宿っていない。長い間折れていた為、まだそこまで至っていないようだ。というわけで、アルトは<<湖の聖剣>>を少しだけ小突いた。
「まぁ、楽しい奴だ。お前が何故それを持っているか、というのは俺も知らん。が、一人の戦士として、一期一会を大切にすると良い」
「武器を大切に扱えば、武器の側もそれに応えてくださります。貴方とその蛍丸が良き相棒になれる事を、祈っています」
アルトとランスロットはそうジャックへと投げかけると、そのまま去っていった。その言葉をジャックはしっかりと胸に刻みこむと、作戦時間が近い事もあってヘルメットをしっかりと装着する。
「……システム、よし」
『奇妙な兜ですね』
「黙れ、って言ったんだがな……まぁ、疑問にも思うか」
蛍丸の疑念にジャックはシステムが起動するのを待つ間暇な事もあって簡単に現代の装備を教えてやる事にする。
『ほぅ……なるほど。確かに武者鎧は鈍重で動きにくかった。当たらなければどうということはないのですから、身軽になるのも選択ではあるでしょうね』
「ま、そういうわけだ」
実際には銃火器の発展により鎧を着ていても意味が無くなっただけなんだがな。地球の戦史を知るジャックは内心でそう思いながらも、あながち間違いではないので説明を終わらせる。そもそも暇つぶしをしていただけだ。と、そうしてシステムが起動した所でヘッドセットを介して連絡が入った。
『ジャック。聞こえる?』
「ごふっ! ドロシー! 何故お前がそこに居る!」
『オペレーターに志願したのよ。これでもブラヴァツキー家の令嬢ですからね。アドバイザーとして参加もしているわ。パパが本隊の補佐をするから、私が貴方の補佐を、というわけ』
「……」
『何よ』
「なんでもねぇよ」
少し楽しげなドロシーに対して、ジャックはあからさまに不満そうな顔でしかめっ面を浮かべる。まぁ、知り合いと共にしたい仕事ではないだろう。とはいえ、これは明らかに軍の決定だ。であれば、拒否権はない。そうして、ジャックはドロシーの補佐を受けながら、洞窟へと足を踏み入れるのだった。
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