断章 第40話 名状しがたい者共との戦い
アメリカの要請を受ける形でアーカムの外れにある大洞窟の殲滅作戦に参加していたカイト。ひとまず入り口付近に屯していた深きものどもを一掃するとそのまま奥深くへの進行を開始していた。
「地図ではこの先50メートル下降した所に、少し大きめの空洞がある。そこでひとまずの拠点を設置するとしよう」
地図を示した教授がそう告げる。確かに今回はスカサハやクー・フーリンら以外にも何人もの戦士を連れて来ていたが、今回は殲滅戦だ。
故に大量のけが人が出る事は想定している。いくら超人や英雄、果ては化物とさえ言われる彼らとて生き物だ。そして陰陽師達も居る。であれば、けが人が出るのは当然の話だ。
であればこそ、幾つかのめぼしい所に陣営を設置して、そこを拠点として行動するつもりだった。なので勿論、今回の殲滅戦は一日で全てを終わらせるのではなく、数日を掛けて徹底的に敵を根絶するつもりだった。
「ふむ……ということは、そこでとりあえず初陣経験させておくかね」
カイトは教授の示した地図を見ながら、ここが程よい初陣の場所だと判断する。どうにせよ今回はアメリカからの依頼で新兵達の初陣に立ち会う必要がある。面倒だが依頼なので仕方がない。
そして最下層まで行って彼らの面倒を見ている余裕なぞどこにもないだろう。その点、入り口に一番近い場所なら敵はまだ雑魚と言える程度だろうし、撤退も比較的容易だ。場所としても頃合いとしても最適だろう。
「さて……特にやることは無いんですが」
「うむ。お主に教師役はまだ早い。いや、お主風に言えば師範か。いや、師範代……? まぁ、どっちでもお主には早すぎる」
カイトのボヤキにスカサハが頷いた。カイトはまだこの道十数年の若造だ。スカサハからすると1%にも満たない経験しかない。実績としても彼本人の技量としても教師役は出来る事は出来るが、スカサハはまだその許可を下ろしていなかった。そして何よりスカサハが居るのだ。その彼女に変わって教師役をやるわけにもいかないだろう。
「どっちでも良いよ。とりあえず任せて良いんだな?」
「うむ。ま、年の頃合いとしては初陣には良い年頃であろう。そして初陣に誰か大人が付き合うのは自然の流れよ。スパルタだろうとアテナイだろうと、『影の国』だろうとどこだろうとそれは変わらぬ」
「スパルタもか?」
「適当に言ってみただけよ。ギリシアは女には面倒が多かったのでな……特に主神もあれであったし。とはいえ、新兵を一人にして生き残れた者だけを採用するのも愚策は愚策よ。人が減ろうし、初陣のみでは戦い以外の才能も見いだせん」
スカサハは適度に首を鳴らしながらカイトの質問に適当に答える。新人はどこの世界にも存在する当然の概念だ。それをしっかりと面倒を見るのが先輩達の役目である、とスカサハは思っていた。だから、彼女がここで面倒を見る事にしたのである。
というわけで、その決定を受けたカイトはさっさと目的地へ向かう事にする。そもそも初陣を終わらせても次には拠点の設営がある。色々とやる必要があるのであまりのんびりもしていられない。
「おっしゃ……じゃあ、今度はオレが行くかね」
「ま、好きにせい。儂らは先にやったからな」
カイトの言葉にスカサハが顎で許可を出す。もはや言う必要なぞないが、ここは敵の拠点の一つ。インスマウスまでとはいかないまでも、深きものどもはかなり多い。勿論、それ以外にも得体の知れないとしか言い様のない魔物は非常に多かった。
というわけで、カイト達は襲撃を察して奥から出て来たらしい深きものどもの集団とそれが率いているらしい何か得体の知れない化物としか言い得ない存在と遭遇していた。それは蟹の様な半魚人の様な、しかし渦巻状の頭部を持っている奇妙な生物だ。おまけに背中には奇妙な羽まであった。まぁ、敢えて一言で言えば気味が悪い見た目だった。と、そんな見た目を見ながら、モルガンが呟いた。
「……なんかヤダ、こいつら。見た目キモい」
「それは同意する……マジでなんだろな、こいつらは」
「ふむ……まさかそんなのまで居るとは。これは珍しい。アーカム近辺で見たのは私も初めてだ。しかも蜂蜜酒も無しに目視出来る個体か。これが殲滅戦でなければ、後学のため一体程度は験体を鹵獲したい所だ」
前に進み出たカイトに対して、背後から教授が少し驚いた様子でその疑問に答えてくれた。そうして、彼はその敵の名を告げる。
「彼らはおそらくミ=ゴ。甲殻類にも見えるが、実態は菌類だ。これはその亜種なのかもしれん。情けなくて申し訳ないが、私にもわからん」
「なーる……確かに面影はなくはないな……」
教授からの説明にカイトはなるほど、と理解する。彼らはクトゥルフ神話によれば、未知の惑星ユゴスから来た異星人だということだ。その特徴と言えばこの不気味な甲殻類にも菌類にも見える見た目の他に非常に優れた科学技術や医療技術を持つという事だろう。そしてそれを用いて、人間の脳を取り出して持ち運ぶ事もあるらしい。
が、この様子から優れた科学技術を持っている様子はない。ニャルラトホテプ達が何らかの技術を使って意図的に降臨させたミ=ゴの亜種と言えるかもしれなかった。そこらは、流石にこちらにはわからない事だった。
「さて……で、他に何か気をつける事は?」
「ふむ……実体を持たないのが奴らの特徴だ。まぁ、君たちには特に気にするべきことでもないだろう。そしてこれは実体を持っている。私の知識もさほどあてにはならん。が、形状や性質からおそらくミ=ゴの一種ではあるはずだ。ある種のテレパスを使うので、そこには注意しておきたまえ。勿論、翼とて飾りではない……が、洞窟なので特に問題にはならないだろう」
「アイサー」
カイトは教授の言葉を受けて軽く頷いた。今回、この殲滅戦の裏にはニャルラトホテプ達が居るのだ。何をしてきても不思議はない。この程度のびっくりぐらいしてくるとはカイトも思っていた。
「さて……」
カイトは腕を鳴らして構えを取る。敵は正真正銘、人智の及ばぬ領域の敵だ。油断は禁物だ。
「教授。あんたは後ろからこいつの観察を任せて良いか? ま、守りなら姉貴に任せればどうにでもなる。姉貴が負けるとは、オレは喩え月と太陽が西から登っても思えんね」
「そうさせてもらおう。では、諸君。ブルーの好意に甘えさせてもらい、しっかりと観察する事にしよう」
「「「はい、教授」」」
教授はカイトの申し出に甘える事にすると、早速とばかりに魔眼を解き放って敵の観察を開始する。先にも明言されたが、この敵が何なのかは彼にもわからない。この機を逃す道理はなかった。
そしてその横で彼のゼミの生徒達が一斉に黄金の蜂蜜酒が入ったアンプルを飲み干した。彼らは魔眼を持っていないが、こういった戦いは何度も経験してきている。変な話だが、軍の兵士達よりも遥かに彼らは熟練の兵士だ。教授の魔眼にも似た視る力を使えたのである。
「……モルガン、ヴィヴィ。まずはオレがあの変な蟹モドキに仕掛ける。援護、頼んで良いか?」
「おっけ」
「うん。じゃあ、私が周囲の深きものどもを引き受けるね。モルガンはその支援をお願い」
「はーい。で、カイト。お持ち帰りされるのは良いけどあんな得体の知れない奴にお持ち帰りされないでねー」
「あいよー」
カイトはモルガンの軽口に軽く応ずると、肩から降りた二人に周囲の深きものどもを任せてミ=ゴに相対する事にする。何度も言うが、この敵は未知だ。カイトとしても二人を先に戦わせるつもりは毛頭なかった。
「さてと……」
カイトはミ=ゴを改めて観察する。確かに影としては一度交戦しているが、実体を持った形としては戦った事はない。そしてあれよりも強い事は明白だ。と、そんな観察を始めた彼の耳に、変な高い波長の耳鳴りの様な音が聞こえてきた。それにカイトが僅かに顔を顰めると同時に、その音に同じく気付いた教授が念話で教えてくれた。
『……テレパスだ。やはりミ=ゴで合っているのだろう。この音はミ=ゴ達と一緒だ。敢えて言えば、彼らの言語で会話を行っているというわけだ』
『何か内容は?』
『わかれば、苦労はしない。が、君には敵意が見えているのではないのかね?』
『当然だな』
教授からの問いかけにカイトははっきりと頷いた。最初から深きものどももミ=ゴもカイト達に向けて敵意満載だった。確実に話し合いなぞ不可能だろう。
(さて……確かミ=ゴは優れた科学技術を持つ、という話なんだが……はてさて……)
カイトは与えられていたクトゥルフ神話の知識から、とある大前提に当てはまらない事に違和感を得ていた。そこから、カイトは高速化させた思考で敵についてのプロファイルを行っていく。
(そもそも、こんな奴らは人類に存在し得ない。人類の形式はある程度の互換性がある。ここまで歪な存在は自然発生的には存在しない)
カイトが感じた違和感は、それだ。これはかつて世界の管理者として世界について誰よりも知った彼だからこそ、知り得た内容だった。実は人類と一括りに出来る存在にはある程度の互換性があるのである。
それは見た目も然りだし、種族としてもそうだった。ここまであまりに人とかけ離れる姿はまず、人類として発生する事はなかった。
(人類の見た目としては水魔族が限度ギリギリだ。いくら本体が人間離れした容姿となる魔族とて、ここまで異質にはならない。それに何より、彼らにも存在する因子を感じない)
カイトはこのミ=ゴや深きものどもが人為的に発生、もしくは創造させられた種族だと看破する。誰が創造したのかは、カイトにもわからない。わからないが、これだけは確実だ。そして今のこの段階でわかるのは、それだけだ。
(とりあえず、やってみるか)
カイトは敵についての考察を終えると、戦いに入る事にする。菌糸類ということはつまり、植物ということだ。であればどうしても抗えない道理が発生する。それは速度だ。彼らには筋肉が無い。つまり、速くは動けないのだ。だから、カイトは先手必勝を選択する。
「はっ」
一瞬でミ=ゴの集団に肉薄すると、カイトは一番近かった一匹に向けて容赦なく斬撃を放つ。交戦の意図は明白。であれば、容赦をする意味もない。が、そうして放ってみてカイトはやはり敵が油断ならない事を理解する。
「ふむ……バカ弟子1号。お主の目には何が見えておった?」
「……俺の目にも、カイトがあの蟹……? きのこ? モドキを斬ったのが見えた」
「儂らの目さえも誤魔化した、か」
遠方からカイト達の交戦を観察していたスカサハとクー・フーリンが僅かに口角を上げる。そして同じく、カイトも僅かに口角を上げた。彼ら程の存在が、騙されたのである。間違いなく、凄い特殊能力と言えた。
「……外したか。いや、避けられた、と言うべきか。なるほど。確かに、これはここで戦うには厄介だ」
自分の一撃が虚空を切り裂いたのを受けて、カイトは自分が見ていたミ=ゴ達の姿が幻影であると理解する。魔術の兆候は一切無かったし、今も感じない。そして如何に異星の存在だろうと、魔術である限りはこの三人――勿論フェルディアもそうだが――を騙す事なぞ不可能にも近い。
いや、よしんばカイトとクー・フーリンを騙せても、スカサハは無理だ。彼女の技術と力量は異星だろうとトップクラスと断言出来る。その彼女が騙された時点で、敵は魔術を使わず騙したという事に他ならなかった。
「……なるほど。テレパスを応用して幻覚を見せられていたか」
カイトは目に見えるミ=ゴ達の姿が全て偽物だと理解して、目に頼るのは止める。脳に直接幻を叩き込んでいるという事なのだろう。そしてこれはテレパス。音波ではないから彼らの発する高周波の音を防いだ所でどうしようもない。流石にカイトもこの非魔術のテレパスを防ぐ方法はあまり知らなかった。
「対処を考えたい所だが……それは教授達に任せるか」
カイトはそう決めると、目を閉ざす。別に幻覚を見せられようと、カイト達程の領域に到達した戦士にとって特に問題は無い。所詮幻覚は幻覚。幻であり、目に見せているというだけだ。目を閉ざせば見えなくなるのは道理である。
「……」
周囲で戦うモルガンとヴィヴィアンの出す斬撃と魔術の炸裂音。しゅうしゅうという深きものども達の呼吸音や、彼らが地面を蹴る大きな音。カイトの耳にそれが響く。そしてそれに隠れて、非常に小さな音が混じっている事にカイトはすぐに気付いた。
「……残念だが、動いた時点で駄目だ」
カイトは自分の真上に向けて斬撃を放つ。それを受けてドサドサドサ、と真っ二つにされた数体のミ=ゴの死体が落ちてきた。確かにミ=ゴが植物の様に動かなければカイトにもわからなかったかもしれないが、カイトを倒す為には動く必要がある。
そして生きている以上、何らかの形の意思もある。であればその分、世界の流れに僅かな影響を出してしまう。神陰流として世界の流れを見たカイトにとってすれば、その僅かな影響で十分だった。と、そうして倒したと思ったカイトであったが、落下したミ=ゴの死骸が僅かにうごめいた。
「ん?」
「ほう……」
カイトが目を瞬かせ、教授が僅かに片眉を動かす。うぞるうぞる、と分かたれた半身同士がくっつこうとしていたのだ。
「植物だから、か? 重要器官が無いからか、単に真っ二つにした程度じゃ駄目か。マジでどういう理論で生きてるんだ、こいつ」
『それは実に興味深いが……念の為聞くが、助力は必要かね?』
「いーや、全然。植物、なんだろう? なら、ちょっと離れてくれれば」
教授の問いかけにカイトは笑って首を振る。植物だから重要な器官が無いというのだ。であれば逆説的に植物だからこそ有効的な攻撃は見えていた。というわけですでに討伐方法を見抜いていたカイトが申し出るとほぼ同時に、スカサハが部隊に向けて結界を展開する。
「ま、儂がそこらは対処してやろう。お主は敵を倒せ」
「サンキュ、姉貴。ま、実体がどこにあるかわかってれば、別に苦労はしねぇな」
カイトはそう言うと、両手に炎を生み出してそれを練り上げる。植物だというのだ。であれば、燃やせば良いだけだった。
「モル! ヴィヴィ!」
「はーい!」
「うん」
カイトの要請を受けて、二人がカイトの側へと戻ってくる。そうして、それと同時に二人が魔銃を取り出した。
「<<黒炎の獄>>」
カイトが地面に腕を叩きつけると同時。2つの炎が混ざり合い漆黒の炎となって、彼らの周囲を焼き尽くす。そしてその結界にも似た中から、モルガンとヴィヴィアンが魔銃で深きものども達へ向けて掃射を開始する。
確かに植物であるミ=ゴには炎が効果的かもしれないが、逆に魚人である深きものども達には効果が薄い。別に出力を上げれば余裕だろうが、洞窟が崩壊する恐れもある。魔銃で確実に掃討した方が良かった。そうして、カイト達もついに邪神の眷属達との戦いを開始させる事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




