断章 第37話 戦いの開始
随分と昔の事だ。まだ、娘が独り立ちもしていない様な頃の話でもある。その頃、私は一つの質問を教え子からされた事がある。
「先生にとって、私達は足手まといですか?」
ある時、ある事件の後に出された問いかけだった。その問いかけを、私は永遠に忘れない。あの時答えを間違えた事を、私は自戒の念を込めて忘れる事は決してしない。そしてその彼が見せてくれた希望の光を、私は決して忘れる事はない。
「……これが……人類の力だ」
ああ、彼は素晴らしい青年だった。だが、歴史に名を残したわけではない。今ではもう彼のゼミの仲間達も老年や事故や病気で死去しており、現役として知るのは私だけなものだろう。
「先生……貴方は確かに、英雄だ。そして俺達は確かに、どうしようもなく弱い……」
彼が遺した言葉を、私はこの胸に刻み込んだ。ある意味では、私にとって彼は生徒でありながら恩師にも等しい。そしてその彼に誓って、私はこの人類を滅びから守ると決意した。だからこそ、私は教授に相応しい振る舞いをする事にした。戦う教授。それに相応しい振る舞いを、だ。
「さぁ、講義を始めよう。君たちの牙は、奴らに届く。だから、安心したまえ」
私は述べる。人類の牙は決して邪神に通用しないなぞというのは幻想だ、と。ありとあらゆる物を犠牲にしなければ届かないなぞという事はない、と。だから、私は彼らを導こう。
ギルガメッシュが密かにアメリカ入りして数時間。アルト率いる<<円卓の騎士>>がジャクソンと共にアーカム入りしていた。
「これは、錚々たる様相だな。これだけを集められた事を素直に私は誇りに思おう」
ジャクソンは僅かに上機嫌にそう明言する。これが出来たのは間違いなく、アメリカが超大国で、古い英雄達さえ無視できないからだ。それを見れば、愛国心溢れる者なら上機嫌にもなろう。これこそ、我が国の力だ、と。
「さて……後は西からの来訪者だけだが……」
「後、数分だ」
ジャクソンの言外の問いかけにカイトが明言する。集合時間には、まだ早かった。が、それは数分だけだ。
「ほら、来たぞ」
「こ、これは……」
ジャクソンが目を見開いた。そこにはおびただしい数の使い魔が飛んでいた。最寄りの飛行場から車ではなく使い魔で直行したのである。そうして、その一匹から茨城童子が飛び降りた。
「おう。やりたい放題戦って良いって聞いたから、来てやったぜ」
「大統領。わざわざの出迎え、感謝します」
「おーし……これで日本も完了だ」
「そ、そうかね」
茨城童子と涼夜の言葉に頷いたカイトの明言に、わずかに頬を引き攣らせるジャクソンが頷いた。これで、全軍集結だった。だったが、カイトはもう一集団呼んでいた。勿論、それはジャクソンも承知済みだ。
「と、言いたい所なんだが……さて。遅刻厳禁と言ったんだがね」
「ま、多少の遅れは許せ。何分、儂らはこちらの時間にイマイチ慣れん」
「来たか」
カイトは背後から響いた声に振り向いた。そこにはスカサハを筆頭にクー・フーリンらケルトの英雄達が勢ぞろいしていた。敵がヤバそうだったので彼女らにも増援を依頼したのである。
「さて……これで増援は全軍集結だ」
「うむ……では、挨拶をさせて貰おうか」
カイトの明言を受けて、ジャクソンが全軍が見渡せる場所へと移動する。他国の増援を招いての軍事行動だ。指揮官が直々に号令と激励を、というわけである。そしてアメリカ軍の総司令官は、と言うと大統領だ。そして面子を考えても彼が直々に来ても不思議はない。故に彼が、というわけだ。
「……」
そんな光景を教授は見て、ある種の感動を得ていた。
「遂に、成し遂げたぞ。これは小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」
「いつからアームストロング大佐になったつもりだ? まぁ、彼は飛躍と言ったがね」
「ははは……珍しく私がそう言いたくなるぐらいには興奮しているのだよ。飛躍と言える程大きくはなく、しかし小さいと卑下出来る程小さくもない」
物珍しい父の姿に驚きを露わにしたレイバンに対して、教授は笑みを隠さない。
「これは試金石だ。人類の牙が奴らに届き得るか否か。この軍勢は、その試金石になり得る」
教授が見るのは、アメリカに集った三ヶ国の軍勢だ。が、それは知っての通り、普通の軍勢ではない。人類のある種の総決算にも等しい軍勢だった。
英雄も居れば悪鬼羅刹も居る。最新鋭の兵器を使うアメリカ軍に、一見すると古臭い弓矢を使う陰陽師達。騎士の装いのアルト達に、鎧なぞ不要とばかりの茨城童子達。全てが混在する、ある種の地球の縮図だった。
「サラダボウル……アメリカでこそ、このごった返しの軍勢は生まれ得た。が、これで終わらせるつもりはない」
「先を見据えるか」
「ああ、そうだ。我らは裏の存在。故に表の思惑が複雑に絡み合う大戦は止められん。止められんが、裏の存在故にその後も生きられる」
教授が見通すのは、第三次世界大戦だ。表が絡んだこの戦いをなんとかする事は、裏の住人である彼には出来ない。が、終わった後に良いように取り計らう事は出来たし出来る立場だ。それ故にこそ教授は苦い笑みを浮かべた。
「政治は……苦手だが。まぁ、100年で考えてみよう。のんびりやれば、なんとか出来るのかもしれん」
「ブルーに頼めば良い。どうせ我々も彼らもどうにかして死ぬまでは共に旅をする。100年後にどうすればよいか、と問えば存外彼らも協力してくれるだろう」
「それも、良いかもしれん」
今は同朋だ。今のうちから頑張れば、100年後に起きるかもしれない日本とアメリカの戦いを避ける術を見付けられる可能性はあった。勿論、それだけではなくて起きるかもしれないアメリカとイギリス、アメリカとインド等様々な戦争も避けられるだろう。そう思って、教授は後悔を滲ませた。
「……戦いに集中……いや、戦いのみに奔走していたのが、結局は戦いを近づけていたのだろう。束ねる事を覚えるべきだったのだ、私は」
教授はかつての自分を思い出して、自戒の念を込めて呟いた。
「人類を束ねる必要がある。そんなものは100年も昔からわかっていたはずだが……分かっているのと理解しているのとは違う、か」
もし、100年前の第二次大戦の段階で今を見通して第三次世界大戦を避ける術を探せていれば。無理は道理と理解しながらも、教授にはそれが悔やまれてならなかった。
「物事に偶然なぞ無い。あるのは必然のみ……あの100年前の段階で第三次世界大戦は定められていたのだろう。であれば……第四次世界大戦は避けてみせよう。これを、最後の世界大戦にしてみせよう」
どうすれば良いか、なぞ教授にはわからなかった。そもそも彼は戦士であり学者である。政治家ではない。政治の世界は渡っていけない。天分もないだろう。
が、カイト達は。戦士であり政治家でもある。彼らの助力を借りられたのなら、100年先に起きるかもしれない第四次世界大戦を避ける事は出来るかも、しれなかった。
「……盲目の私だが……うむ。盲たのは残念だと思える日が見える」
世界全てを統べた時、それを肉眼で見れない事を後悔するのだろうな。教授はそう思って笑う。これは第一歩。アメリカを中心としたトリプルリングの混成軍。これは小さくて、しかし大きな前進だ。何時かは、その輪は一つになる。それを目指すつもりだった。
「さぁ……奴らに見せてやろう。そして、彼に誇ろう。彼が見通した人類の連合軍。その一歩。小さい一歩だが……これが人類にとって大いなる一歩になる事を奴らに見せつけよう」
教授は戦士としての闘気を纏う。そうして、後ろを振り返った。そこには、彼のゼミの生徒達が各々圧倒されながらも立っていた。
「さぁ、授業の時間だ」
教授は両手を広げて、ゼミの生徒達にこの人類軍の雛形とでも言うべき軍勢を指し示す。こうして、人類初となる古今東西の連合軍が結成されたのだった。
その光景を教授と同じ様にどこか感慨深げな様子で見ていた者達が居る。それは地球を担当するニャルラトホテプ達だ。やはり彼らも彼らで長く地球に関わっている。故に、愛着の様な物を抱いているニャルラトホテプはある程度の数は存在していたらしい。
「……長かった」
「ああ……長かったとも」
何年なんだろうか。彼らはどこか感極まった様子があった。これが、彼らの望みだ。彼らの望みは人類が何時か一つとなり、自分達に立ち向かってくる事だ。
その第一歩がついに、この日踏み出されたのだ。教授の言う通り、これは小さいが大きな一歩だった。それ故か、ニャルラトホテプの個体によっては本当に感涙していたものさえ居た。
「我々はこの日をずっと楽しみにしていた。我々の中に眠る数十、数百の我々は、この星が生まれ来てより長きを見続けた」
純白のニャルラトホテプが口を開く。そうして、彼はまるで祝福するかのように両手を広げた。
「レムリアの失敗を経て。ムー大陸の悲劇を経て。アトランティスの失望を経て」
地球の縁のあるニャルラトホテプ達は純白のニャルラトホテプが告げる地球の歴史を聞きながら、その幾千幾万の月日を思い出す。
「確かに、それらは素晴らしい文明だった。が、ムー大陸は禁忌に触れて自滅した。レムリアは進歩の果てに外なる怪異を呼び寄せて自滅した。アトランティスはそれらの末路を見て、外に出るではなく閉じこもる事を選択し、自閉の末に我らが滅ぼした」
純白のニャルラトホテプの言葉に、数多のニャルラトホテプ達は本当に幾度もの失敗があった事を噛みしめる。彼らだってこれは仕事だ。辛い時もあったろうし、苦しい時もあったろう。本当なら、アトランティスとて滅ぼしたくなかったという者も少なくないかもしれない。
それは神様とて人なればこそ、自然な事だ。酸いも甘いも噛み締めた。それ故にこそ、地球に縁のある数多のニャルラトホテプ達にとってもこの日はある意味、非常に特別な意味を持っていた。
「が……ついに、この地球にも王が生まれた。いや、王の候補が生まれてきた。彼はおそらくこの世界において唯一、世界を越えて王の器を磨いてきた稀有な者だ」
「「「……」」」
無数のニャルラトホテプ達が純白のニャルラトホテプの語りを無言で聞いていた。これから行われるのは彼らにとっては最も神聖な儀式だ。
この数ヶ月、カイトが王としての器を示してより、彼らは本当に万を超えるニャルラトホテプを動員してこの一件に備えてきた。述べ人数なら下手をすると憶にも到達するかもしれない。それ故に、期待値は非常に高かった。純白のニャルラトホテプはその顕れと言っても過言ではない。
「さぁ、始めよう。我々はかの王を測る。諸君らはかの王を測るのに最適な状況を創り上げるべく、準備に入ってくれ。もう時間は残されていない。かの王が最下層に到着次第、試験は開始される。それは誰に邪魔されてもならない、神聖な儀式だ」
「「「いあいあ!」」」
ニャルラトホテプ達が同意を示す。カイトを測る事は彼らにとって何よりも重要な事だ。故に純白のニャルラトホテプ以外にも無数に強いニャルラトホテプを連れてきた。これら全てを、今回の一件に投ずるつもりだった。そうしてそんなニャルラトホテプ達の同意を得て、純白のニャルラトホテプが進捗を問いかける。
「さて……試験会場の用意はどうですか?」
「や……進捗は進んでいます。あそこでなら、喩えビックバンが起きても耐えきれるでしょう」
「それは良かった。かの王の全力だ。一応、太陽系を破壊する程度は見繕っていますが……ビックバンも考慮に入れたい」
「や……末恐ろしい限りです」
ギルガメッシュとの連絡役を担うニャルラトホテプは純白のニャルラトホテプの見立てに空恐ろしさを滲ませる。が、その顔に浮かぶのは笑みだ。そうでなくては、いや、予想さえ超えて欲しいのだ。そう会って欲しいという願望さえ滲んでいた。
「や……そうは言っても間違っても、貴方は本気になぞならないでくださいね。確かにかの王の上限値は耐えられるかもしれませんが、貴方の上限値に耐えられるとは限らない。よしんば貴方の上限値に耐えられても、貴方達の戦いの余波に耐えきれるとは限らない」
「あはは……そのために、数万のニャルラトホテプを衝撃の対処に動員しているんですから。そこは、我々の頑張りに期待する、と言う所で」
「や……あまりそれでも無茶はしないで貰いたい。ここに全てを投じれるわけではないのですから」
「あはははは!」
ギルガメッシュとの連絡役を担うニャルラトホテプの言葉に、純白のニャルラトホテプは思わず笑う。これは明らかに可怪しい事だからだ。
「我々の想定を超えて、我々を打倒してくれる事を我々は望んでいる。であれば、それはおかしな事でしょう」
「や……それはわかっていますとも。が、我々とてこの後の事も考える。であれば、というわけですよ」
「ははは……もし彼が本当に王たるものであれば、今回のこの一件で得る傷は十分その傷に見合うものだ。躊躇いも容赦もするつもりは、ありませんよ」
純白のニャルラトホテプは笑いながら、身を翻す。今回、彼らがカイトにかけている期待は非常に大きい。だから、容赦はしないし情けも掛けない。そうして、両軍共に準備を整えて、この翌朝。ついに地球人類初となる外なる神と人類軍の戦いが開始される事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




