断章 第30話 幾つもの思惑で
ティナ達が<<ソロモンの小さな鍵>>の一冊、『アルス・パウリナ』に仕掛けられていた異星の魔術へ対抗していた頃。一方のカイトはというと、流石にアメリカ政府にもすでに現地入りしていた事を露呈させてしまったので仕方がなしにジャクソンへの事情の説明とその後の対応を話し合う事にしていた。と、そんな彼は邪神対策を話し終えると、少し早いが今度の作戦について話し合う事にしていた。
「……はい?」
『ははは。どうにもそう言うことになったらしくてね。今はアーカム郊外の森で撮影の真っ最中さ』
「あっははははは! 随分と楽しい事になってるな!」
ジャクソンから聞いたジャックの現状に、カイトが声を大にして笑い声を上げる。何がどうしてそうなったかはカイトにはわからないが、どうやらジャックは映画撮影に協力させられているらしい。
『ああ。彼も彼で随分と楽しい事になっているらしいね……まぁ、そういうわけで少しそちらに向かって欲しい。一応は休暇を兼ねて、という体で協力していてね。それ故なんだがしばらくは大穴に入れない。一応、ブラヴァツキー家のご令嬢を介して調整はしているが……彼女にアポイントを取る為にもジャックと接触してくれ』
「わかった。明日の朝一番で向かわせてもらおう」
『ふむ……やはり今は拙いかね』
「流石に何が起きるかわからん状況で、ここを離れるわけにもいかんだろうからな」
『それもまた道理か。わかった。そこらの差配は君の方が遥かに優れている。そちらに任せよう』
ジャクソンはカイトの判断に従う事にしておく。そもそもこういった魔術的な要素は彼らは素人も良い所だ。であれば、専門家であるカイト達に素直に従った方が良いと理解していた。そしてカイトもここでの基本的な行動はジャクソンに従うべき、と理解している。それ故、連絡を終えると彼はパウリナの治療が終わるのを待つ事にするのだった。
パウリナの治療が終わったのは、大凡事態の発覚から10時間後の事だった。そしてそれが終わった頃には、流石にティナも疲労困憊状態だった。
「ふぅ……」
「おつかれ、ティナ」
「うむ……」
半ば倒れる様にもたれ掛かったティナをカイトは抱きとめる。流石に彼女ももはや未知の領域の未知の文明、それも自分よりも遥かに上にある水準の技術を相手に解呪を試みていたのだ。相当な難手術だったらしい。声には覇気が無かった。
「……かなりごっそり魔力が無くなってるな。そこまでだったか」
「うむ……あれは物凄い魔術じゃった。まさに、生きた魔術じゃ」
ティナの言葉には、僅かに恐れが滲んでいた。二つの世界を見回して、最大と言われる魔術師の彼女をして恐れさせる魔術。それが、今回使われた魔術だった。本当に生きているとしか言い様のない高度な魔術だったらしい。そうして、疲れていたからかそれともやりきった事での高揚感がまだ残っているからか、彼女が軽く『手術』の中身を語ってくれた。
「あの魔術は常に変化し続けおる。故に、先の予測は困難じゃった」
「なら、どうやったんだ?」
「……うむ。試行錯誤しかなかった。何度か刺激を与えてみて、反応を探った。それを幾つも繰り返し、反応の薄い方法を探索。その後、それを使い敵の動きを変化へと導き、切除……はぁ……面倒も良い所じゃ。出来る事なら二度とはやりたくはないが……」
敵はおそらく何度かやってくるのだろう。ティナはそれを見通していた。そうして、彼女ははっきりと明言した。
「うむ……はっきりと言おう。とてもではないが今の余では創れぬ大魔術じゃ。せいぜい、解呪するのが精一杯……」
ティナは非常に疲れた様子で首を振る。彼女の力量をして、今はまだ創れないと言わしめる魔術。それほどだったのだろう。そうして、疲れた彼女は少しだけ笑った。
「のう、小僧」
「お、懐かしい呼び名だな」
「ふふ……今の余はあの当時の心を些か思い出したのでのう。うむ……お主が余の予測を幾度も上回って行きおった日々を思い出した。この世は広いのう……」
ティナにとって、今日のこの日は本当に未知との遭遇に等しかった。これを、この世界の誰かが作ったのだ。それは天才だったのかもしれない。秀才だったのかもしれない。もしかしたら、人類の蓄積が生み出した研磨の果てだったのかもしれない。それは、彼女にもわからなかった。
「……すまぬ。少々、疲れた……」
「はぁ……」
カイトはゆっくりと眠りに落ちたティナに対して、小さく微笑んだ。彼女がここまで疲労困憊になったのは、前のエンキドゥの復活の時以来だろう。本当にそれほどの難行だったのだ。
「……ルイス」
「なんだ? 嫉妬の一つでもしてないか、とでも言うか?」
「まさか……嫉妬でもしてくれれば、かわいいんだけどな」
「続く言葉程度では、私の褒め言葉には足りんな」
「あははは」
自分の会話を先読みしたルイスにカイトは笑う。カイトの期待としては、ルイスが拗ねてくれる事を期待していた。そしてその後にでも可愛いじゃなくて綺麗だ、とでも言うつもりだったのだろう。が、完全に見通されていた。
そうして、彼は一転真剣な目をした。この10時間。カイトは何もする事がなかった。が、それ故、敵の思惑を考えるには十分な時間だった。
「……多分、これが敵の目論見なんだろうが……」
「……仕方がない、か」
「すまん。いくらティナでもここまで消耗すれば本調子に戻るには数日必要だ。もしこいつを狙われたら、オレは抑えられる自信が無い」
カイトはルイスへとティナを預ける。カイトとしてもこの展開は想定外だった。まさかそれほどとんでもない魔術を使ってくるとは思っていなかったのだ。やはり外なる神。カイトは自分の想像を遥かに超えているのだ、と改めて理解した。
が、<<ソロモンの小さな鍵>>を失うのは人類の損失だ。記された魔術の幾つかはおそらく、今後のカイト達の助けになってくれるはずだ。ここでティナが消耗するのは、更に先を見据えれば仕方がなかった。
「……まぁ、万が一には手助けぐらいは……望まんのだな、貴様はそれを」
「すまん。お前だから、頼めるんだ」
ルイスの言葉にカイトは真剣な目で頷いた。この世界でカイトが誰よりも安心して己の宝物を任せられるのは、ティナとルイスの二人しかいない。
そのティナが消耗してしまった今、もうルイスしかいなかった。その彼女がもしカイトに万が一があってそちらにこれば、ティナが狙われた時にどうする事も出来ない。なら、万が一があっても介入しないこと。それが、カイトの望みだった。そしてその望みを見て取ればこそ、ルイスは明言する。
「ならば、勝ってこい。この程度は余裕だった、とな」
「あいよ……伊達に最強名乗ってねぇ、ってわからせてこよう」
「そうしろ」
ルイスはカイトの笑みに、傲慢なれど信頼が合わさった強い力を感じさせる笑みを浮かべて頷いた。そうして、ルイスは疲労困憊状態のティナを連れて日本へと帰還するのだった。
さて、明けて翌日。カイトはアメリカ側が急遽用意してくれたホテルに宿泊すると、そのまま自宅から現場に直行したというジャックの後を追っていた。
「……やっぱバイク欲しいな、これ見ると」
カイトはアメリカの広大な景色を眺めながらそうつぶやいた。この広大な景色の中をバイクで走れば相当気持ちよさそうだった。とはいえ、そんな地球人らしい発想の上に異世界人らしい発想が出るのも、彼らしい。
「うーん……でもルゥとかに乗って駆け回るのも楽しそうだよなー……日向と伊勢連れてきても楽しかっただろうなー……」
このアメリカの広大な自然はマクダウェル領を思い出させたらしい。どこか郷愁の念が滲んでいた。と、そんなカイトにルゥが茶化す様に告げる。
『旦那様? それではまるでエネフィア人の様な言葉ですこと』
「あっははは。ま、人生の半分を向こうで過ごしたんだ。どっちかわからないさ」
カイトは笑いながら、森へ向けて移動していく。そうして、森の中に映画の撮影現場が設置されているのを見つけ出した。いや、見つけ出したも何もわかりやすく設置されていたのだ。迷う必要は無かった。
「さて……」
カイトは適当に撮影現場を観察しながら、ジャックを探す。ここに行けと言ったのはジャクソンだが、流石にカイトが来る事をスタッフに伝える事が出来るわけがない。
「はい、カット! オッケー! 休憩だ! ジャック! 身体は鈍ってないな!」
「あれは……監督の声、だな。なら、あっちか」
カイトは幾度かの会合の折りに紹介されていたグレッグの声が響いたのに気付いて、後ろを振り向いた。どうやら、うっかり逆方向に進んでしまっていたらしい。そうして、カイトは展開していた魔術を僅かに解除した。
「うん?」
「……てめぇか。話は聞いてる」
「ああ、お前さんが……」
ジャックの気配が今までの物とは一変したのを見て、グレッグもカイトが何者かを理解したらしい。
「よう、ジャック。色々とあってな。数日早く入ったんだが、大統領よりお前さんの調練をしてくれ、って頼まれた」
「聞いてる、つっただろう」
カイトに対してやはりジャックは若干敵意が滲んでいた。やはりカイトが味方ではあるが、同時にそれは仲間ではないと理解しているが故なのだろう。そして彼が大統領になった後に一番警戒すべきなのはどう考えてもカイトだ。ならば変に馴れ合いをするつもりはない、という事なのだろう。
「それで。何を教えてくれるって?」
「基礎的な戦い方を教えてやってくれ、と頼まれただけだ。なんで、それというわけだ」
カイトはジャックの問いかけに肩を竦める。グレッグの方も幸い休憩中という事もあって特に気にした様子はない。なので一度腰を据えて、話す事にする。
「で? 俺は何をすれば良い」
「何を、と言われてもな。まずはどこまで出来る様になっているかを知らんと話にならん」
「そりゃ、確かに……じゃあ、何か? 今から一戦交えれば良いってか?」
「そりゃ、楽で良いな」
「だろうな……あ?」
てっきり馬鹿を言うな、とでも言ってくるだろうと思っていたらしいジャックが、まさかのカイトの返しに思わず呆気にとられる。とはいえ、何も意味のない事ではない。どうせ彼らの主眼は戦いだ。であれば、戦いの腕を見るのには模擬戦が一番良い。一見馬鹿げた話に見えて、実に理にかなった話だった。
「打ち込んでこい。この裏世界じゃあ、銃なんぞ使い物にならんからな」
「武器はどうするんだよ。俺はてめぇみたいに器用な事は出来ねぇぞ」
「確かアクション映画だったな? 何か無いか?」
「……そういや、一つあったな」
カイトの問いかけにジャックは記憶をたどって、そう言えば似合いの物が一つあった事を思い出す。どうやらこの映画はちゃんばらも含まれていたらしく、役者の稽古用に竹刀が用意されていた。あれなら大丈夫だろう、と判断したのである。
「竹刀がある。借りてくるから、ちょっと待ってろ」
「あいさ。さて……じゃあ、オレはお面でも被っておくかね」
カイトは周囲に人が多かったので、魔術を更に薄めにして仮面を使う事にする。これから模擬戦をしようというのだ。変に魔術を使用していると違和感が大きくなってしまい、魔術の存在に気取られかねない。別にここがこの間の様な他流試合なら問題も無かったが、流石に何も知らない者達が数百人規模で居る所でそれは避けたかった。そうして、数分で話を付けてジャックが戻ってきた。
「ほらよ」
「おっと……」
「「で、どういうことだ?」」
竹刀を受け取ったカイトと投げ渡したジャックが同時に口を開いた。まぁ、ジャックの側の疑問は考えるまでもなくカイトのお面だろう。カイトの疑問は、というとジャックがグレッグを伴っていたからだ。というわけで、グレッグが口を開いた。
「はっ。ちょっと演技のネタになりそうなんでな。見せてもらうぐらいは構わんだろう。撮影はせんよ」
「……まぁ、それなら良いか」
別に見る分にはタダだし、そもそもカイトは魔力を使って戦うつもりはない。グレッグとてカイトが撮影不可になっている事はわかっている。下手をして大統領の機嫌を損ねたくないのもあるだろう。そうして、カイトはジャックと少しの模擬戦を行う事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




