断章 第22話 二つの極致
どういうわけか宮本武蔵の養子、宮本伊織の子孫でありその名を引き継いだ者である宮本伊織の毒を受けるだけ受けて信綱の仲介により一方的に試合を終わらせたカイトはというと、その後はしばらく信綱を相手に愚痴を言っていた。常には敬う彼が愚痴を言うのは珍しいが、それに対して信綱は楽しげだった。
「信綱公……幾ら何でも戯れが過ぎますよ」
「ははは。随分と楽しい娘ではなかったか」
拗ねるカイトに対して、信綱は楽しげに笑ってカイトを宥めていた。どうやら伊織の事が気に入ったらしい。と、そんなカイトへと卜伝がこちらも笑いながら告げる。
「かかか。まぁ、確かに面白き娘ではあったが、根底にあるのは孫うこと無くお主への好意よ」
「はぁ……」
「いやさ、すまんすまん。実は隠しておったが、あの娘子。儂らの所に尋ねてきたことがある」
「彼女が、ですか?」
「うむ」
驚くカイトの問いかけに卜伝ははっきりと頷いた。そうして彼は少し前のこと、と語りだした。
「うむ……あれはまだ今より半年程も前。冬の真っ盛りのことであったか。儂らの所に唐突にあの娘子が一人で来おった。あの男の性根を知りたい、とな」
「なぜそちらに?」
「それはお主の行方が杳として知れないからに決まっておろう」
卜伝はカイトの問いかけに平然とそう告げる。そしてこれにはカイトも道理と見た。そもそもカイトは正体不明の行方知れずだ。その彼に確実に連絡を取れるのは、日本では皇志か星矢のどちらかぐらいだ。流石に宮本武蔵の子孫でも、その二人にアポイントは取れない。であれば、後は彼が居そうな所を探すしかない。
が、この内『最後の楽園』はまず彼女の立場上入れない。では次に信綱の富士の樹海はどうか、というとこちらも厳しいだろう。あそこは強大な魔物の生息地でもある。先の力量を見ても伊織が単独で足を踏み込める場所ではない。
では卜伝達の所は、というとここは実は確かに人里からは離れてはいるが、地域としてはカイトが居るとされているどこよりも安全だ。問題はカイトがそこには居ないだろう、と言う所だ。それ故、カイトはそれを問いかける。
「ですが、なぜそれで卜伝殿の所に?」
「かかか! それよな。それが、あの娘子の賢い所であった……うむ。あの娘子はお主の正体が今更どうでも良いこと、些末なことと気付いたのよ」
「なるほど……」
言われてみれば、確かに理解は出来る。武芸者にとって重要なのは、相手が何者か、という所ではない。極論、武芸者とは戦う相手が信綱だろうと卜伝だろうと誰も気にしない。
敬意は払うだろうが、それだけに過ぎないのである。重要なのは、自分より上か下か。勝てるか否か。素晴らしい武芸を持っているか否か。それしかない。が、もう一つだけ、武芸者であれば重要なことがあった。それをカイトが口にした。
「彼女にとって重要なのは、自分と同門か否か」
「うむ。武の一門であれば、何より大切な己の武の看板よ。それは誇りと同義。己の流派と同じ流れを汲むのであれば、それが悪用されるのは何よりも見過ごせぬ」
カイトの明言に卜伝もはっきりと頷いた。ある意味豪快かつ大抵のことは笑って流すだろう豪傑達さえ、自らの武芸とその流派を穢されれば一切の容赦なく激高する。武蔵その人もこの後年、カイトがエネフィアに戻った後に明言していたが、邪道の剣を振るうことだけは彼の一門において許されていない。
それは子々孫々の現代であれ、変わらないようだ。あの頃からその武に対する性根だけは、武蔵が変容していないということでもあるのだろう。
「だから、確かめる方を重要視したと」
「うむ。今のは最後の最後。自分で確証と確信を得る為の確認行為、というわけであろうな」
カイトの確認に卜伝は再びはっきりと頷く。が、これがわかってもまだ、わからないことがある。これは武芸者であれば当然のことだ。カイトだって自分の流派を悪用する者が居れば調査に奔走する。
それが宗家の娘で、なおかつ祖先の名を襲名しているのであれば尚更のことだろう。そこまで熱心でも不思議はない。であれば、彼の疑問は一つだ。
「ですが……それがなぜ好意に?」
「かかかかか! うむ。それは単なる儂の勘よ」
「か、勘ですか……」
大笑した卜伝の明言にカイトは乾いた笑いを浮かべる。あれだけはっきりと明言しながら、この期に及んで勘だ。こうもなろう。とはいえ、一頻り笑った卜伝は何年も人の世を見た者だからこそ浮かべられる笑みを浮かべて語り始める。
「が、まぁ、そう外れではあるまいな。今の様子を見るに、少なくとも儂が見た時よりもなんというか、刃に感情が見え隠れしておる。失望……そんなものに似たものかのう。が、同時に羨望や憧れもあろう。お主、あの娘子を一度一瞬で仕留めたという話じゃな?」
「ええ、今より丁度一年前に」
「だから、であろうな。お主は間違いなく皆伝を得た者と断じて良い。そして、今は信綱の弟子にまでたどり着いた。間違いなく二天一流からすればお主は誇り。一門が生んだ宝じゃろう。あの娘子にとっては憧れよ。あの娘子は存外、剣の道にはストイックに生きておろう」
卜伝ははっきりと伊織の感情を明言する。彼ほどの剣士だ。その太刀筋に浮かぶ小娘の感情一つ、見抜けぬ道理はないとカイトも思っていた。そうして、卜伝は己の推測を語り始める。
「おそらくこの一年と少し。あの娘子はお主の事を調べに調べ尽くしたはずじゃ。どういう性格なのか。主義や趣向は何か。どういう生き方をしたのか。お主と交えた刃にそれが出ておる」
「……」
卜伝の言葉にカイトは否定を出来なかった。カイト自身、伊織の上昇率がこの稽古に参加した者の中で一番と認めている。確かにこの稽古の中で最強ではないが、一番努力したのは彼女。そうカイトが明言出来る程だ。
「であればあの娘子の性根にあるのは、間違いなくお主への思慕の念。思慕とは言ったが、男女の念とは少し違うじゃろう。憧れ、と言うのが相応しいかもしれん。お主の偉大さに敬服していればこそ、あの娘子はお主の今の有様が認められん。誇りであって欲しい、と願っておるわけじゃ」
卜伝は迷うこと無く、伊織の太刀筋から見えたある種の診断結果を開陳する。そしてこれはカイトは似たようなことを山程経験していた。だからこそ、出たのは苦笑にも似た笑いだけだ。
「勝手に憧れられて勝手に失望されるのも困るんですがね」
「慣れておるな、お主」
「伊達に異世界で勇者はやっていません」
言われれば理解出来た。勝手に憧れられて、勝手に失望されるのなぞ何時ものことだ。それこそ戦中から何度も経験したし、酷い相手だと容赦なく叩き潰しもした。そんな苦笑にも近い笑みを浮かべて笑うだけのカイトに、卜伝が楽しげに問いかける。
「ほ……娘子の期待に応えてやろうという殊勝な心意気は皆無か。あれの好意はまず間違いないぞ?」
「もう三十路も近いってのに、いまさら己の生き様なんぞ変えられませんよ。私は私のまま、どこまでも生きていくだけです。それに、全部の期待になぞ応えられるわけがない。なら、最初から気にしない方が楽で良い」
「かかかかか! とても三十路の者の言葉とは思えんな! 達観しておるわ!」
カイトの返答に卜伝は気を良くして笑う。そしてそれは彼も特に気にしない。が、それとこれとは話が別、とばかりに彼は今までのどこか好々爺地味た笑みとはまた別種の剣豪としての笑みを浮かべた。
「さて……然れども、儂の期待には応えてみせよ」
「さて……どこまでやれますことやら」
卜伝の言葉にカイトは今までのおちゃらけた様子から一転、真剣さが僅かに滲んだ気配を放出する。時間だった。そうして、カイトは立ち上がって剣豪将軍・足利義輝との戦いに臨むことにするのだった。
卜伝とのしばしの語らいの後。カイトは義輝を前にしていた。やはり信綱の弟子と卜伝の弟子の戦いだ。場の全ての武芸者達が、固唾をのんで見守っていた。
「……」
「……」
が、そんな武芸者達の無数の視線なぞ彼ら二人には、無意味だった。ただ、この場に居る相手のみにしか集中していない。いや、もし相手から意識を外した瞬間、取られるのだ。得物が竹刀だから、と油断出来る相手ではない。
(なんだ、この鬼気迫る……いや、鬼としか言えない猛烈な覇気は!)
そんな静寂に包まれる場の中で、カイトはただ義輝の覇気に恐れ慄いていた。戦士としては格上だが、剣士としては相手が遥かに格上。それを立ち振舞だけで義輝はカイトに理解させていた。そしてもう一つ。義輝はただ立つだけで、あることをカイトへと見せつけていた。
(これが……もう一つの極致! 正反対の武芸か!)
カイトは己の肌身にしみて感じる己の神陰流と卜伝達の剣技の差をここで理解する。それは驚くほどに正反対だ。敢えて言えば、信綱の神陰流は柔の剣だ。それに対して卜伝達の剣技は剛の剣だった。
カイトや信綱の立ち振舞いが研ぎ澄まされ静謐さを持つのであれば、卜伝らの立ち振舞いはその時点で轟々と燃え上がる焔だ。彼らの前に立つだけで気圧され、威圧される。そんな抜身の刀を思わせる威容だった。
(迂闊に攻め込めば……負ける)
カイトはこの相手が決して油断出来ないことを理解して、決して己からは向かっていかないことを決める。おそらく今の自分が真正面からの打ち合いになれば、勝ち目はない。そう理解したのだ。
「……」
「……」
両者の間で、沈黙が流れていく。が、それはある時、唐突に終わりを迎えた。
「っ!」
来る。カイトは何故かはっきりと見えた義輝の気配の流れを垣間見て、即座にそれに対応する斬撃を繰り出した。が、この次の瞬間。訪れたのは、驚きだった。
「な……に……?」
絶句なぞでは生ぬるい。それほどの驚きをカイトは得た。確かに彼の斬撃は義輝の斬撃を打ち崩し、本来義輝が居たのなら直撃しただろう場所を切り裂いていた。が、そこに義輝はいなかった。いや、それどころか彼は動いてさえいなかったのだ。竹刀を振ってさえいない。
「……」
カイトは何が起きたかを理解出来たからこそ、ただただ震え上がるしかなかった。そして心底、理解した。卜伝と信綱が対等のライバルである、と。こんな絶技を見せ札に使える程に極まっているのだ。そうでなければ何なのか、としか言い得なかった。
(斬撃を引き起こした!? どんな『武芸』だよ!? 無茶苦茶だ! オレが言うのもなんだが、無茶苦茶も過ぎる!)
カイトは内心で大いに驚き、盛大に悪態をつく。義輝がやったことは言えば簡単だ。ただ、斬撃を引き起こしたというだけだ。魔術を用いての再現なぞ神陰流の<<転>>に比べれば鼻で笑う程度でしかない。
が、それが何が恐ろしいかというと、これが剣技であることだ。魔術ではないのである。純粋な剣技として、この現象が引き起こされていた。そんなカイトへと、義輝が告げる。
「ほぉ……どうやらからくりには気づけたようだな」
「……」
義輝の問いかけにカイトは無言だ。が、その顔に浮かんだありえない、という言葉こそが何よりも義輝の言葉が真実であると明言していた。
「そしてその顔は、おそらく我が師の流派と貴様の師の流派が正反対故に似ている、ということも理解したか」
「……」
義輝の講釈に、カイトはただ無言だ。が、その言葉には内心で理解を示していた。
(信綱公の武芸が世界と一体化して流れを掴むのなら、彼らは己を世界と隔絶させ、どこまでも世界を侵食して流れを創る……今のは……敢えて言えば気迫だけで斬撃を創ったのか……)
ただただ、カイトは卜伝の腕前に恐れ慄いていた。本当に、この二人の剣は正反対だ。が、それ故にこそ、最終的には似た地点に到達していた。
(陰極まりて陽生じ、陽極まりて陰生ず)
カイトの顔から、僅かに笑みが溢れた。まさに、そうだ。世界と一体化した果ての斬撃も、世界の流れをも巻き込んだ斬撃も結果として世界の力を受けた絶大な威力だ。結果は同じなのに、至る道筋が違う。正反対なまでに違う。
(折れぬ、か。それでこそ、信綱公の弟子よ)
笑みを見せ、闘志を失わないカイトに義輝は一つ小さく頷いた。そうでなければ、意味がない。この程度で折れるのなら、自分達と比肩する流派の弟子なぞと名乗ってもらっては困る。そう言いたげでさえあった。
「こぉぉおおおー…………」
今度こそ、来る。カイトはあからさまなまでに変わった義輝の覇気を見て、楽しんではいられないと気を取り直す。そうして、その次の瞬間。今度こそ、義輝が踏み込んできた。
「おぉおおおおおお!」
どんな大鬼でさえ素足で逃げ出す様な裂帛の気迫が、義輝から放たれる。その覇気はとてつもないもので、周囲の世界が根こそぎ彼に引き込まれるかの様でさえあった。そして、真実そうだった。世界を満たす巨大な流れが、彼に引きずられる様に動いていたのである。
「……」
が。それは逆に言えば、カイトからすれば見え切った流れだ。流れが見えていて避けれぬ程、神陰流は甘くはない。
「始まった、のう」
「……」
ようやく開始したと言えるカイトと義輝の戦いを見る卜伝の言葉に、信綱は無言で同意する。多弁な卜伝と寡黙な信綱。ここでも、両者の剣の差が出ているかの様であった。それは何時もの事で、別に卜伝も特に気にしない。が、ここで何時もと違い、信綱が口を開いた。
「……卜伝。何故、俺が貴殿の戯れに乗ったと思う?」
「む?」
珍しいこともあるものだ。卜伝は口を開いた信綱に片眉を上げる。と、そうして彼の方を見て得たのは驚きだ。信綱が楽しげに笑っていたのである
「感謝するぞ」
「ほっ……本当に、面白い」
何に対する感謝なのかは、卜伝にはわからない。が、この神が感謝するには必ずそこに道理がある。故に卜伝は何かを問うことはせず、いや、している暇さえ厭ったのだ。そうして、彼らはカイトと義輝の戦いに注視する事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。卜伝の流派にも名前はありますが、それは後ほど。




