断章 第21話 同じで違う
時は少しだけ、遡る。カイトが戦争を終わらせて、そのまま公爵としてエネフィアに居た当時の事だ。彼は武蔵と旭姫の下で剣術の稽古を行っていた。
と言うより、彼も武芸者として常に修行は怠っていない。というわけで、皆伝を与えられても時折レインガルドには向かって修行をしていた。そんな最中での事だ。カイトはふとした事から、武蔵から講釈を受けていた。
「鍛錬、という言葉をお主は知っているか?」
「そりゃ、まぁ……」
武蔵の問いかけにカイトは頷いた。鍛錬という言葉は当然だが知っている。
「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって練となす」
「……はぁ」
唐突に述べられた武蔵の言葉に、カイトは生返事を返す。確かに、意味は理解出来る。出来るが、ここで述べられる意味がわからない。
「生返事じゃのう……まぁ、仕方があるまいか。お主は本来、常人が万日を経て超える領域をたった数年で駆け抜けた」
「いや、超えさせたの誰だよ……」
「儂じゃな!」
カイトのツッコミに武蔵が笑いながら明言する。超えなければ死んでいた。敵はそれほどに強大で、勝ち目はそれほどに少なかった。それでも勝つためには、常人と同じ速度で成長していてはとてもではないが間に合わなかった。
「が……それは儂と同じく、いや、違うか。儂と似て非なる形で超えただけの話よ。お主、幾度死線を超えた」
「さぁ……実際、戦い終わったら半死半生とか何時ものことでしたし……考えるとよく五体無事だよな、オレ……」
「無事? 無事って何かな?」
「すまん。だから睨むな」
カイトは肩の上に座るユリィのジト目での問いかけに即座に謝罪する。五体無事、と言ってはいるが実際には右手と首から上以外は全部魔力で作り上げた作り物にも等しい。まぁ、そう言えば武蔵も似たようなものなので微妙な所ではあるが、とりあえず無事とは言い難い。と、そんな弟子とその相棒の様子に武蔵は若干笑いながらも講釈を続ける。
「ま、まぁ、なかなか変な状況ではある様子じゃが……とりあえず。本来お主は万日……およそ30年程の月日を掛けて終わらせるはずの修行を数年で終わらせおったわけじゃ」
「そりゃ、終わらせないと死ぬぞ、と言われましたからねー……どっかの若い爺に」
「ははははは。いや、そうなんじゃが」
「マジ、オレじゃないと死んでたんじゃないっすかね、あれ……」
「うむ。儂も実は何度か死ぬんじゃないかな、と思っておった」
「あんたなぁ!?」
カイトは武蔵の軽口に思わず柳眉を逆立てる。それで死にそうになった身としてはやってられなかった。そうして、しばらくは何時も通りの師弟の悪ふざけというかじゃれ合いが行われ、しばらくして軌道修正が図られる。
「あっははは!……で、何の話じゃったか」
「もう……修行の話だったでしょ?」
「おぉ、そうじゃそうじゃ……っと、ミトラ。酒、すまんな」
武蔵はミトラから酒を注いでもらい、それで口を湿らせてカイトへの講釈を開始する。
「まぁ、基本は本来、儂は10年と少しは皆伝を与えるまでみておる。が、お主はそういう意味で言えば異端じゃのう」
「だーら、あんたの所為でしょ……」
「ははは……まぁ、それは良い。とはいえ、儂はそう思っておる」
「何がっすか」
「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって練となす、じゃ」
武蔵は改めて、己が何度も述べている格言を述べる。これを彼は胸の内に刻み込んでいた。
「そう言うても流石に万の月日も皆伝に必要あるまい。教えるのにそこまで必要では師の師としての力量を問われよう。故に、儂は目安十年で皆伝を与えられる様に教えておる」
「はぁ……」
カイトは再び生返事だ。とはいえ、これについてはわからないでもない。
「とはいえ、だから?」
「うむ。とりあえず10年あれば、皆伝までは至れよう」
「はぁ……」
「わからんか? 十年も修行した者であれば、どのような若造でも油断はするな。それが鍛に至っておれば、尚更じゃ。鍛より練に至るかは、また違うがのう。練に至ればもはや一端の剣士と言って良いじゃろう」
「つまり、鍛錬が出来た奴かどうかは気を付けとけ、と?」
「そういう事じゃな」
カイトの総括に武蔵が頷いた。そしてその上で、と少し楽しげにカイトへと申し出る。
「お主、近々帰るそうじゃのう」
「ええ」
「なら、一度儂の子孫……いや、伊織の子孫を見てはくれんか。潰えておっても別に構わん。が、まだ繋がっておるのであれば……」
「鍛錬に至るか見てこい、と」
「然り」
カイトの言葉に武蔵は頷いた。どうやら結局は自分の子孫がどういうふうになっているか気になった、という事だったのだろう。長ったらしい上に回りくどかった所為で変に脱線を生んでいたが、そう言うことだったらしい。というわけで、カイトはそれを胸に、地球へと帰還する事にするのだった。
それからカイトの時間軸として、一年と少し。偶然なのか必然なのか、信綱と卜伝の二人の観覧の下で行われる事になった戦国武将の子孫達による他流試合。元々加わる予定であったカイトを混じえたそれは、ひとまずは卜伝の戯れこそあったものの順当な形で行われていた。そんな中、カイトは数度の戦いを経て一人の少女と相対していた。それは奇しくも、己に縁ある少女だった。
「一年、か」
眼の前の黒髪の少女を見ながら、カイトは少しだけ笑みを浮かべる。今から丁度一年前、カイトはこの少女と戦った事を覚えていた。いや、忘れようもない。なにせある意味では同門だ。と、そんな不可思議な笑みを浮かべるカイトへと、少女が問いかけた。
「何が可怪しいのですか?」
「いや、何。一年で随分と見違えたな、と思ってな」
素直に、カイトは感想を口にする。やはり同じ双剣士に負けたというのが悔しかったのだろう。少女の身に纏う覇気は一年前とは比べ物にならない程に研ぎ澄まされ、桁違いに力量が上がっているのがカイトにも見て取れた。
おそらく上昇率であれば、この他流試合では一番高い上昇率だっただろう。と、そんな仕上がりを見て、カイトは少し興味本位で問いかけた。
「宮本伊織、か。武蔵の名は継がんのか?」
「これでも女としての意識ぐらいありますっ」
拗ねた様に伊織が口を尖らせる。見た目から生真面目というかストイックなのかとも思ったが、根っこの所は女の子らしい部分があるらしい。
「あっははは。そりゃ失礼。が、それはそれで祖先に失礼って感じもしないではないが」
「うっ……そ、それはそうですけど……」
カイトの言い分はもっともではある。が、伊織の言い分ももっともでもある。確かに武蔵という名は女の子では無いだろう。まだ、伊織の方が女の子らしい。元来では男性名の筈だが、近年では響きもあってか女性の名としても使われている。十分、許容範囲だろう。
「さて……ま、それはそれとして」
カイトは適度に己のもう一つの師の血脈の子孫との対話を楽しむと、信綱に一つ断りを入れる。
「……好きにしろ。貴様にそう育つ様に告げたのは俺だ」
「ありがとうございます」
信綱の許可にカイトは頭を下げる。実際の所、信綱も少し興味はあったらしい。というわけで、カイトは久しぶりに双剣士として戦うべく双剣を手に取った。なお、今回は他流試合、試合だ。そしてここにはエネフィア程便利な結界は無い。なので獲物は揃って竹刀である。まぁ、それ故に信綱と卜伝は揃って戦おうとしないわけであった。
「お嬢ちゃんが戦いたいのは、神陰流の剣士としてではなく、双剣士としてのオレだろう?」
「……」
すぅ、と伊織の気配が一気に変わる。どうやら、剣士としての彼女はストイックらしい。妙な感じだが、それはそれでカイトとしてもなかなかに楽しかった。
「……」
「……」
伊織が剣士として来るのであれば、カイトも剣士として戦うだけだ。そうして、カイトはまずは小手調べとばかりに分身を生み出した。力量は一年前の彼女と同程度。まずは、少し成長しているか見てやるというわけだ。
「<<陽炎>>」
生み出した分身は一体だけ。別に本気でやる必要はない。この程度なんとか出来ないのなら、戦う意味もない。武蔵に報告する意味もない。そうして、生み出したカイトの分身が伊織へと斬りかかる。
「ほぅ」
伊織はカイトの分身が振りかぶった竹刀を綺麗に流してみせる。そうして、そのまま一突きで分身の胴体を貫いた。呼吸一つ乱さぬその動作は、幾千もの修練が見て取れた。
「鍛には届くか」
「宮本武蔵の言葉……ですね」
「らしいな。まぁ、どこまで真実だかは知らんがな」
カイトも何度か武蔵から受けた十数年の鍛錬の最中に言われた言葉であるが、それが彼が言い始めたか言葉かはわからない。が、彼が何度も言っていた事だけは事実だ。そして、今の伊織は確かに鍛には届いていた。
「さて……鍛に届いたその刃。練に届くかは見せてみせろ」
カイトは分身をあっさり倒してみせた伊織に対して、ようやく己でも構えてみせる。それに、伊織が再び気を研ぎ澄ませる。そうして、先に動いたのは伊織だ。やはりカイトは神陰流としての鍛錬があるからか、どうしても無意識レベルで待ちの時間を存在させてしまうようだ。
「はぁ!」
一瞬でカイトの後ろに回り込むような動きを見せた伊織は、そのすれ違いざまに回転する様にしてカイトへと竹刀を振りかぶる。
が、それはあまりに見え透いた行動だ。故に、カイトは特に迷う事もなく片方の竹刀でそれを受け止める。とはいえ、それは当然、伊織にとっても見えていた。故に彼女はそのまま一気に回り込んだ。
「ふむ。その程度ではな」
背後に回り込む様に移動した伊織に向けて、カイトはその場を一歩も動かない。が、そのまま背後に回り込む様にして動いた伊織も当然、それは読めているはずだ。
だから、カイトはその次を見定めるべく動きを待つ。が、そうして得たのは僅かな驚きだ。唐突に伊織が動きを止めたのだ。が、戦意を失っているわけでもない。戦うつもりはあるのに、動かないのだ。
「む?」
「ふふ」
唐突に動きを止めた伊織の方を思わず振り向いたカイトに向けて、伊織が取り出したのは閃光を生み出す為の一枚の札だ。陰陽師がよく使っている使い捨ての物の改良版で、何度も使える物だった。
が、これは試合であってもルール無用の実戦に近い稽古だ。別に魔術を使ってはいけない、とは決められていない。というより、身体強化の魔術は普通に誰もが使っている。が、流石にこれはカイトも意表を突かれた。
「ちょ、おまっ!? マジで!?」
「はっ!」
意表を突かれ無策に『閃光符』を受ける事になったカイトに向けて、伊織は問答無用に『閃光符』を発動させる。そうしてカイトに向けて閃光弾もかくや、という光が放たれた。
「つぅ!?」
一瞬とはいえ閃光で視界が塞がれたカイトは、思わず目を閉じて顔を背ける。そしてその隙を見逃す伊織では、ないはずだった。
「……どういうつもりだ?」
閃光で一時的に目をやられたカイトは目を閉じたまま、動きを止めたままの伊織に問いかける。これは奇策だ。一度目しか効果がない。だというのに、伊織はそれから先に仕掛けなかった。
「無意味ですから」
「ふむ?」
「貴方のようなへん……ではありませんでした。圧倒的な格上の武芸者の目を潰した所で勝ち目はありません。そもそも戦わないのが上策」
伊織はカイトがしっかりと自分の居る方向と距離を見定めていた事に気付いていた。それ故、このまま突撃しても負けると理解していた。
だからこそ、攻撃はしなかった。目を瞑った程度で勝てる相手ではないからだ。だから、今はカイトに己の策が通用するのを確認出来ただけで良い。そういうわけだ。
「……いいね、お嬢ちゃん……いや、宮本伊織。随分とオレ好みに仕上がってるじゃねぇか」
「……やっぱり先輩は変態ですね」
「なんかトゲありません!?」
伊織の言葉の端々に時々混じる毒に、カイトが思わず声を荒げる。
「貴方はどこからどう見ても変態でしょう。こんなのが先輩とは信じたくありませんので。あ、武芸者としては認めますが、それ以外の時は半径5メートル以内には入らないでください。あ、今のウチ、女の子も多いので先輩は立ち入り禁止でお願いして良いですか?」
「ちょっと待って! オレ、嬢ちゃんに何かしましたかね!?」
「いえ、何もされておりませんが。ただ、貴方はウチの恥かな、と」
「なんでさ!?」
伊織の毒にカイトは心底涙を流したかった。というより、半ば半べそだ。如何に彼でも若い女の子に毒を吐かれて悲しくないわけがない。が、それ以前としてカイトはふと、気になった事があった。それは伊織のカイトへの呼び名の事だ。
「……ん? てか、先輩?」
「はい。刃を混じえてみてわかりました。貴方、一度ウチかその系列で学びましたね? なんというか……二天一流の流れを汲んだ者の匂いがします」
「へー……驚いたな」
やはり根っこが同じ流派だからなのだろう。伊織はカイトが武蔵の弟子である事を理解したらしい。それだけ伊織の才能が素晴らしいという事なのだろう。故に、カイトは隠す必要も無いと笑って頷いた。
「ああ。囓った、という程度ではない。ま、何時の、誰の弟子かというのは黙すがね」
「はぁ……だのにこの先輩は……宮本武蔵は空を道とし、道を空とみると説いています。無欲であれ、と言われているのにこの変態と言えば……」
「こ、このアマ……」
二天一流の門弟である事を認めたカイトに対して、伊織は毒を吐く。が、それにカイトはぴくぴく、と青筋を立てる。が、正論は正論だ。何も言えない。そして伊織が敢えてそれを指摘する。
「何か言えますか、先輩?」
いっそ武蔵も大概エロジジイだと暴露してやろうか、とカイトの内心で鎌首をもたげるが、一時の激情に駆られて動いても良い事はない。なので必死で我慢する事にした。
とはいえ、やはりむかっ腹が立つのは立つわけだ。なのでここが試合だと言うことを思い出したカイトは、頬を引き攣らせながら蒼天一流で構えを取った。どうせなら以前彼女を潰した<<八房>>より更に上を見せてやろう、と思ったらしい。
「良し……良いだろう。生意気な小娘に稽古付けてやる。先輩への敬意ってもんをもたせてやるよ」
「あ、戦いは私の負けで良いです。とりあえず今回は勝てないのがわかったのと、奇策が有用だということ。後それと先輩の性格が掴めただけで結構です。先輩、意外と素だと乗せられやすい性格ですね」
「なっ……」
「「「ははははは!」」」
僅かに楽しげな伊織の言葉に絶句するカイトに対して、信綱以下卜伝とその師弟揃って爆笑する。それこそ珍しく信綱が声を上げて笑うぐらいには、面白かったようだ。
確かに普通なら無礼かもしれないが、カイトが明言した通り伊織とカイトは同門でカイトは兄弟子に近い。そのじゃれ合いと見れば、この程度は無礼にはあたらないだろう。この程度で目くじらを立てるのなら精神面での修行はやり直した方が良い。そして、信綱が直々にカイトへと命じた。
「それで良いだろう……くくく……やはり貴様は女と一緒の時の方が面白いな……くっくく……」
「え、えぇぇ……」
「では。あ、会場から出たら近寄らないでくださいね。変にウチの女の子に色目使われても困るので」
「ちょっとぉおおおお!?」
伊織の言葉にカイトが絶叫する。確かに、カイトはある意味先輩で一門の看板も背負っている。なので宗家の娘として掣肘しておくのは正しい判断だ。が、この言い方はなまじ否定しにくいだけに止めてほしかった。と、そんなカイトに信綱が再び声を上げた。
「ははははは! まぁ、次の試合の邪魔だ。そろそろ下りておけ」
「ちょっとぉ!? 信綱公!? 悪ノリしないでくださいよ!」
「「「ははははは!」」」
カイトの慌てた様子に、信綱達が再び笑い声を上げる。そうして、信綱の命令によりカイトは渋々試合会場を後にして、伊織はそのまま去っていくのだった。
お読み頂きありがとうございました。




