断章 第16話 趣味と実益
ジャックが故郷の土を踏んで、翌日。彼はドロシーの監視の下での書類仕事を終えると、一人でバイクに跨ってアーカム郊外にある森を目指して移動していた。
「こりゃ……悪くない」
そんなジャックであるが、やはりバイクに乗れるとごきげんになれるらしい。悪くないとは口で言いながらも、非常にごきげんな様子だった。
少し長めに刈り上げた金髪と良い、軍人として鍛えられた肉体と良い、非常に絵になる姿だった。間違いなく、見る人見る人が振り返る様子だ。
「やっべ……道間違えちまった」
そんな彼だが、少し通る道を間違えてしまったらしい。が、これは半ば意図的な感じがしないでもない。が、それで良いのだろう。
「……まぁ、良いか。特に何時までに来いというわけでもねぇしな」
道は間違えたものの、ここから行けないわけではない。地元民であるジャックはバイクで慣らした事もあり、ここら一帯の地理をよく把握していた。なので別に戻る必要も無い事を理解していて、このまま進む事にしたようだ。そうしてしばらくバイクを走らせていた彼であるが、ふとその速度を緩めた。
「……」
彼が見ていたのは、フェンスで覆われていた一つの巨大な洞穴だ。ごきげんなままに走っていたのでうっかり忘れていたが、この道はそのままここに繋がっていたのだ。
「……忘れるな、ってことか?」
小さく、ジャックが呟いた。まるで死者がそう告げているかのようでさえあった。それに、彼は自嘲する様に首を振る。
「忘れてねぇよ……後、少しだ」
ジャックは洞穴へと手を突き出した。後少しで、悪夢から逃れられる。そんな感じだった。そうして、彼は再びゴーグルを掛け直してバイクを走らせる事になるのだった。
それから、数十分。ジャックはグレッグが映画を撮影しているアーカム付近の森にやってきていた。それはある意味、有名な森ではあった。
「『ン・ガイの森』跡地か……」
教授達が大昔に戦っていた痕跡の一つである、『ン・ガイの森』。有名なウィスコンシン州にある物とはまた別の森だ。数十年も昔の戦いでニャルラトホテプ達は放棄していて、今は少しおどろおどろしい程度の普通の森になっていた。安全は完全に確保されているし、今では整備されハイキング等も可能となっている。と、そんな森の入り口に立った所で、ジャックの所に若い男性が駆け寄って来た。
「申し訳ありません。この先はただいま立ち入り禁止でして……市長のサインもきちんと」
男性はそういうと、薄い紙っぺらをジャックへと提示する。そこには撮影許可という文字と、森の封鎖許可、森を管理している市の市長のサインが記載されていた。アメリカにもうるさ型は居る。誰の許可で森を封鎖しているんだ、と聞かれると面倒なので先に見せたのだろう。
「俺も撮影の関係者だ。ジャック・マクレーン。軍人だ。階級は少佐。監督に呼ばれて来た。軍事アドバイザーとして、協力が欲しいらしい」
「貴方が、ですか?」
妙に若い男が来た、と思った男性スタッフが眉の根を付けて訝しむ。どうやらアドバイザーとして軍人が来るという連絡は受けていた様だ。が、どうやらジャックの見た目もあり、売り込みに来た若い俳優だと思われたらしい。
「これでも本物だぞ? 監督とは十数年来の付き合いでな」
「はぁ……あ、俺です。ええ……」
信じるべきか、信じないべきか。少なくとも演技ならすごい腕だと舌を巻きながら、男性スタッフはヘッドセットを介して上司に指示を仰ぐ。そして数分後。どうやら結論が出たらしい。
「お待たせいたしました、マクレーン少佐。監督がお待ちです。バイクはあちらの駐車スペースにお止めください」
「ああ」
やっとか。ジャックは若干辟易しながら、再びバイクを走らせる。と言っても今度は徐行運転で、すぐに停車させる。
「なかなか悪くない」
バイクを降りたジャックは少しご機嫌にそう頷いた。彼が悪くない、という時は大抵決まって良い時だ。現に今も鼻歌でも歌いそうな雰囲気がある。
「さて……あのクソ爺はどこだ?」
そんなジャックは少し歩くと、周囲を見渡す。グレッグの数ヶ月に及ぶ軟禁は既に解かれ、今は新作の映画撮影に取り掛かっている所だった。
が、強いて苦労するとは思わなかった。すぐに見つかると思っていたからだ。十数年来の付き合いだ。下手な役者より彼の性格を理解していた。そして案の定、苦労しなかった。
「はい、カットカットカット! 違う、つってんだろう! そこはもっと悲壮感を出せ! 戦いたくない! そう前面に出せ! 今のは戦いたい、って感じが出ちまってるだろうが! あぁ!? 出してない!? 顔には出てねぇが、行動全部に出てんだよ!」
「はぁ……」
やっぱりな。響いた怒声にジャックはグレッグの居場所を理解する。そうして、そちらに向かっていく。
「リテイク入りまーす! はい、3……2……1……」
グレッグの怒声混じりの指示の後、男性スタッフの声とかんっ、という乾いた音が響いた。そうして、なんらかの映画のワンシーンの撮影が行われる。それをしばらく、ジャックは外れから観察する。どうやら、アクション映画らしい。戦闘シーンの一つの様子だった。
「よーし! 上出来だ! お前さんなら出来ると信じてたぞ!」
先程とは打って変わって、グレッグの上機嫌な声が響き渡る。どうやら、今度は上手くいったらしい。そんな彼の背に、ジャックは声を掛けた。
「監督!」
「ん? ああ、お前さんか。早かったな……ああ、全員に紹介しておくか」
グレッグはジャックを見ながら、しばらくの付き合いになるのだし、とスタッフに紹介しておくことにした様だ。
「おーい、休憩前に全員聞いてくれ。今日からしばらく軍事アドバイザーとして来た本職の軍人だ。しばらくはこいつからアドバイスを貰う」
グレッグはスタッフ達に向けて、ジャックを紹介する。それに、ジャックが敬礼で自己紹介を行った。
「ジャック・マクレーン。階級は少佐だ」
「ディック。お前さんは覚えとるだろうが、あのジャックだ」
「あの? どの?」
「ほれ、十数年来前。子役で物凄いのがおっただろう」
「ああ、あの時の! 随分と見違えたよ!」
ディックという神経質そうな眼鏡のスタッフがグレッグから受けた紹介に目を見開いた。一方のジャックも年老いてはいたものの、そのディックというスタッフに見覚えがあった。
長年グレッグとともに働いている古参のスタッフだった。前にグレッグが逮捕された時に、身元の引受人として来た人物でもあった。そうして、そんな彼にジャックが手を差し出すとディックも笑顔で手を握ってくれた。
「お久しぶりです。その節はお世話になりました」
「そういえば軍学校に入ったと聞いたけど……まさかこんな所で会うとはね」
「ええ、まぁ……色々とありまして」
「いや、この間のスポンサーとのパーティでこいつと会ってな。で、お偉いさんから許可も出たんで、こいつを寄越してもらったのさ。見ろ、将軍だぞ? 驚いたもんだ」
懐かしげなディックに対して、グレッグが楽しげに公に語られる話を話した。ここら、ディックは詳細を知らないらしい。ただ頷いていた。
「とまぁ、そんな感じでな。ちょいと里帰りに合わせて無理を言って来てもらったわけだが、こいつの演者としての腕前と観客としての見地、軍人としての腕前は本物だ。伊達に最短で佐官にまでなっちゃいねぇ。アドバイザーとしても確かだろう」
グレッグは掛け値無しでジャックの腕前を請け負っておく。そこらの紹介が終わった後、取り敢えずは来たのだから、と彼はもてなしも兼ねて監督用のスペースにジャックを通した。勿論、これは表向きの話で実際は裏方の話をする為だ。そうして移動した先で、ジャックが呆れたように首を振る。
「はんっ……伊達に賞を総なめした俳優ってわけじゃねぇってか」
「はっ……監督が演技に口出しすんなら、誰よりも演技に詳しくなくちゃぁならねぇ。演技が出来てようやく、監督としてのスタートラインだ。監督は全部が出来ねぇと務まんねぇんだよ」
「相変わらずのストイックさだな」
ジャックはあいも変わらず映画に関してだけはストイックなグレッグの言葉にため息混じりにあきれ返る。寝ても覚めても映画のことばかり考えている。
組織に与したのだって映画の為だ。ここまで映画馬鹿ならいっそ清々しかった。しかしそれ故、組織に与していた事を聞いた時、ジャックは一切驚きもしなかった。この男ならそれぐらいはやってくる。そう思っていたからだ。
「で?」
「出来栄えか?」
「その様子だと、悪くねぇのか」
「はっ……アンダーソン大統領には本当に頭が上がらん。俺はこの夢を叶える為に、銀幕に登った。まぁ、未来にゃ絶望しかなかったがな。まさかその果てにやりたい様にやって良いってスポンサー様が来るたぁ、一年前の俺なら夢にも思うまいよ」
どうやら、本当にグレッグはやりたい放題やっている様だ。犯罪組織が掃討された事で事務所も大人しくなり、あとは彼の名さえあれば俳優関係はどうにでもなる。
しかも、費用は政府持ちだ。本当に演技力だけで目ぼしい人材を選びまくったそうだ。それ故か、滅多にないほどに上機嫌だった。とはいえ、それならそれでもジャックは構わなかった。
それは想定の範囲内だからだ。彼らのバックを考えれば、映画を一本二本撮った所で痛む懐でもない。それより、彼が約束を守ってくれる方が重要だった。だから、ジャックは改めて念押しをする。
「まぁ、それなら尚更、契約は守って貰うぞ」
「あぁ、勿論だ。この映画が完結するのに後五年は掛かるからな。たんまり貢いで貰わにゃ困る」
「はぁ!? 一体あんた、何本考えてんだ!?」
「一本だ……ただ、三部作ってだけだ」
まさかの返答に仰天したジャックに向けて、グレッグは平然と己の目算を告げる。確かに三部作だというのなら、五年程度は必要だろう。それなら確かに道理ではある。
「……こ、この爺……本当に遠慮してねぇな……」
一切憚りもせず言い放ったグレッグに、さしものジャックもドン引きする。一応言うが、彼に供与されている資金は企業からの献金もあるが、ほぼほぼ税金だ。だのに彼はそれを湯水の如く使うのに一切の躊躇いがなかった。ある意味ここまで行けばもはや天晴である。
「ははは……俺はこの夢を叶える為なら女房や娘にだってダンサーをさせるし、家財道具一式全部売っ払ったって構わねぇ。俺の持ってる全てをこの映画に費やす。次の撮影に必要なら今回の映画で使った備品を出してオークションだって開催する」
一度笑ったグレッグは真剣な目で、ジャックへとそう明言する。本当に心の底から映画を愛し、人生全てを映画に費やす者の風格がそこにはあった。そんな十数年前から変わらない男の姿に、ジャックは肩を落として首を振った。
「はぁ……好きにしやがれ。あんたの性格は大統領以上によく知ってる。映画以外に興味がないってのもな」
「はははは……ま、その代わりと言っちゃあなんだが、演技指導や舞台作成なんかは任せておけ。サクラの上手な使い方とかもお手の物だ。お前さんをとびっきりの映画俳優に仕立ててやる」
「期待しとくぜ」
呆れ半分不安半分でジャックはグレッグの言葉に肩を竦めた。どうにせよ5年は支援が欲しいというのであれば、その間は彼の手綱は握れるというわけだ。そしてその間に一番重要な大統領選挙が行われる。であれば、十分だろう。
そしてグレッグが潤沢な支援を貰う為には、ジャックを当選させる必要がある。彼も自分の映画の資金が掛かっている以上、手は抜かないだろう。
「で、お前さん。お前さんとて腕は鈍っちゃいないだろうな?」
「ここ当分、どういうわけか今まで以上に体術の訓練をやらされてるでな。アクションなら、スタントマン程度ならこなせるぞ」
「……ほう」
「……あ」
しまった。ついうっかり変な事を言ってしまったとジャックは心の底から今の言葉を取り消したかった。とはいえ、覆水盆に返らず。言った言葉は取り消せない。そうして、彼はこれからしばらくの間、軍事アドバイザーとしてと共にスタントの仕事もやらされる事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




