断章 第9話 勇者・二雄と相見える
太公望の来訪により行われる事になった、カイトへの腕試し。その相手となるのは、西遊記の哪吒太子こと哪吒と、同じく西遊記の主人公孫悟空こと斉天大聖だった。
そうして外に出た一同であるが、戦いを始める前にやっておかねばならない事があった。それはまずは戦場を整える事だが、もう一つはどうしても避けられない事への対処だった。ということで、ティナとルイスに戦場を整えてもらう間に、カイトが一つ太公望へと申し出た。
「太公望殿。では早速、と取り掛かりたいのですが、やはり我らの戦い。どれだけ繊細に繊細を重ねましても、外に漏れ聞こえる事と愚考します。そしてここは兎も角、この外は陰陽師達が常に守っております。彼らへ一言、御身の事と共にお伝えする事をお許し下さい」
「これは失礼した。そこらの塩梅はよそ者の儂らにはわからぬ故、そちらにおまかせ致す。勿論、儂の名もお伝えして構いませぬ」
カイトの申し出に太公望は僅かに慌てた様子を見せて了承を示した。見せて、なので太公望も勿論わかってやっている。やはり哪吒と斉天大聖と同時に戦うのだ。カイトとしても生半可な力で応ずる事は不可能だ。全力ではなくとも、かなり莫大な力を出して戦う事になる事は明白だ。
となると必然、どれだけ戦場を整えても付近の陰陽師達には分かるだろう。ということで、太公望よりの許可を貰ったカイトは一つ頭を下げて、皇志と連絡を取る事にした。
『なんだ、ブルーか。先のアメリカの事で何か問題か?』
「いや、そうじゃない。実は今、少々インドラ殿よりアポがあり、とある方の来訪を受けていてな」
『とある方?』
「ああ……周代の大軍師・太公望、姜子牙殿だ」
『なっ』
流石の皇志もこの名には思わず息を呑む。やはり東洋では太公望の名は途轍もなく大きなものだ。というわけで泡を食った様な皇志は僅かな間を置いて、正気を取り戻した。
『何があった?』
「少々、頼み事をしたいという事だ。が、詳しい事を話す前に腕を見せて欲しい、と頼まれてな」
『腕を?』
「ああ。それで哪吒太子と闘戦勝仏の二人と戦う事になった」
『な、哪吒太子と闘戦勝仏……』
カイトより出された名に皇志は今度は深い溜息を吐いた。どちらも西遊記に語られる名なので勿論、皇志も把握している。が、把握しているが故にこの二人が来たのか、と頭が痛いのである。どちらも相当の猛者だ。生半可な戦いにならない事が目に見えたのであった。
『……はぁ……わかった。周辺の陰陽師には言い含めよう。隠蔽は?』
「勿論、それはこちらでやるさ。でもまぁ、どうしてもオレ達の戦いだからな。闘気は外に漏れるだろう」
『か……わかった。流石にお前でも太公望殿の頼みとあっては、断れんか』
「流石にな……すまん。そこは了承を頼みたい」
『いや。であれば頑張ってくれ、とこちらからも一応の激励を送らせて貰おう』
「かたじけない」
カイトは皇志の激励に感謝を述べる。そしてそれを最後に、急いで通達をせねば、と大慌てな皇志が通信を切った。
「申し訳ありません。陰陽師達も急いで用意するとの事ですので、もうしばらくお待ち頂ければ」
「いや。こちらこそ唐突な申し出にも関わらずこのように急いで頂き感謝しか無い。必要なだけ、お取り召されよ」
カイトの申し出を太公望は快諾する。まぁ、本来両者この様なかたっ苦しい言い回しをするのではないのだが、どうしても今回は公式な来訪であり、両者の関係性がまだ数十分という所が付き纏う。仕方がないのだろう。
そうして、更に十数分後。ティナがカイトへと目配せした。一同の前には大凡3キロ程度に渡る巨大な大地が出現しており、擬似的な空中闘技場となっていた。この上で存分に戦え、という事だ。周囲は更にルイスの手によって異空間化しており、万が一にも攻撃が飛び出ない様にしてある。
なお、二人が終始無言を貫くのは風の噂で太公望は女嫌いと聞いているからだ。流石に二人も公的な場ではでしゃばる事はない。全てカイトに任せ、内助の功と裏方に徹していた。
勿論、同じ理由でモルガンとヴィヴィアンは給仕に徹していた。まぁ、実態はそこまでではないのだが、これは良くも悪くも日本で有名になった『封神演義』の所為と言って良いのだろう。中国ならこうならなかった可能性はあるが、それは言っても詮無きことだ。知らない彼女らがカイトの為と危惧していても無理はなかった。
「では、出来ましたので……」
「うむ。二人も相違ないか?」
「当たり前よ」
「おう」
斉天大聖と哪吒の二人は太公望に問われて、今にも飛び出さんばかりの荒々しさで頷いた。そうして、太公望が四不象にまたがり、竜吉公主が再び瑞雲を呼び出した。二人は観戦の為、全部が見渡せる位置に移動するのである。そうして、カイトが二人と共に空中に出来た臨時の闘技場へと上がる。
「さて……」
腕試しといえど、一応は試合に近い。なので戦いは当然、合図があって始まる事になる。そしてその合図を下すのはやはり、この場では太公望しか居ないだろう。というわけで、太公望達の用意が整うまでの間、斉天大聖が口を開いた。
「一回あんたと戦っておきたいと思ってたのよねー」
ぶんぶんと斉天大聖が金箍棒を回しながら牙を剥く。その姿はかつて花果山にて大将となっていた孫悟空の姿としか言い様がない。まぁ、カイトからすれば馴染みの姿だ。というわけで、彼女は如意棒を弄び、それを右手でしっかりと握りしめて背後にまわし何らかの構えを取った。
「は? お前と何回戦ったよ」
「戦ってないって」
「夜戦は?」
「あー……一杯?」
一方、カイトはというと首を鳴らしながら一切構えは取っていない。武器も勿論、手にしていない。流石に今回の相手はカイトも初手で本気でやらねばならない相手だ。神陰流を使うつもりだった。というわけで、これだけ楽しげに話しながらも気配はまるで清流の如く澄んでいた。
「へー。天帝殿さえ絶対嫌って言う悟空と同衾する奴居るんだな」
「いやぁ、流石にオレもしたくはなかったんですけどね。酒の席で唐突に縛り上げられて……」
「あちゃぁ……ご愁傷様。っと、後折角のこんな場だし、同じく天帝に認められた者同士。自然にしてくれよ」
「おや……では、遠慮なく。ま、そういうわけでな。来りゃ勝手に潜り込むって嫌な話だ」
「あっはははは」
カイトの軽口に哪吒が楽しげに笑う。だが、その気配には一切の緩みがなく、目は真剣そのものだ。そんな彼だが、武装は封神演義に語られる通りだ。
両腕にはブレスレットの様な状態で身に付けている<<乾坤圏>>、腰には水を操る<<混天綾>>、足元には風と火を纏う車輪・<<風火輪>>。肩にはおそらく<<金磚>>と思しき瓦の様な板状の物体まである。
そして何よりその手には、彼の最大の特徴に近い<<火尖槍>>。火を噴く槍だ。他にも山ほどの宝貝を携えている。まさに、動く武器庫と言っても過言ではない。
カイトその人も異空間に仕舞っているとは言え大概装備は多い方だが、それ故に一度に身に着ける装備は多くない。が、逆に哪吒はそれらの大半を一身に身に着けていた。
そしてそのどれもこれも、あまりに有名過ぎる。とは言えそれ故に、カイトは今の哪吒にある武器、無い武器を把握していく。有名であればあるほど、彼からすれば情報が大量にあるに等しいのだ。
「太乙真人より与えられた<<陰陽剣>>は見受けられず……哪吒が欲しがったという<<九竜神火罩>>も無いが……これは無いとは思えんな」
カイトは更に哪吒の有名な武装を見つけるべく、観察を続ける。<<九竜神火罩>>は哪吒が太乙真人より貰ったもので、崑崙を下山する前に哪吒が欲していた物だ。敵を閉じ込め、九匹の竜に似た火で敵を焼き尽くす兵器である。これに閉じ込められれば厄介と言えるだろう。
「他は……西遊記に寄れば<<縛妖索>>等六種類の武器があるはずだが……」
どんだけ多いんだよ、とカイトは内心で呆れながらも、とりあえずはまだ見えぬ幾つもの武器がある可能性を警戒しておく。なお、これはカイトのあずかり知らぬ所なのであるが、実はこの六種類の武器は今回、持ってきていなかった。警戒するだけ無駄である。
というのも、今回太公望は仏門の托塔天王――李靖の事――の子・哪吒太子ではなく旧知の李哪吒として呼んでいる。故に哪吒太子として授けられた武器であるこの六種の武器は天界に置いてきていたのであった。あれはあくまでも太子元帥として授けられた武器なので、神軍の長の一人として戦う時しか使わない、と決めているそうだ。
「ふむふむ……本当に武成王を思い出すのう」
そんなカイトを見ながら、太公望は思わず感心していた。
「黄将軍、か。かの御仁も懐かしいのう。随分と昔になった様に思うのう……」
それに対して竜吉公主はどこか懐かしげだった。確かに、彼女の目にもかつて紂王との事故に近い軋轢により商を裏切り周に付いた一人の将軍が思い出されたのである。
「随分と昔じゃ。御身も儂も歳を重ねたというだけじゃ」
「お主……女性に平然と年取ったと言うか。まぁ、そうでなくてはお主ではないか。はぁ……かの将軍も常には豪傑なれど、一旦戦いに出れば氷なまでに冷静な目で戦場を俯瞰しておったな」
「うむ……あの御仁の武とその万里をも見通す目には何度も儂も輔けられたのう」
やはり共に戦場を十数年も駆け抜けた将軍となると、太公望の目にも懐かしさが浮かぶ。そしてそれ故、ふと思い出した。
「……かの将軍に足りぬのは王冠のみ。位人臣を極めるとはまさにこの事、の御仁であったのう」
太公望の相好が崩れる。懐かしさのあまり、という所だろう。そこにはどこかの苦笑があり、武将にありがちな周囲を振り回す気質に振り回された軍師特有の楽しげなある種の疲労感が滲んでいた。とは言え、それ故にこそ、太公望の顔が一気に引き締まった。
「かの武成王・黄飛虎。それに足りぬのは王冠のみ、と言われた豪傑にして全くの欠けたる事を知らぬ英傑であった。父としての愛。武人としての武。臣としての忠。将としての人徳。全てが備わったまったき英傑であった。もし妲妃めが迂闊にも黄氏と賈氏の二人を陥れねば、儂は商は攻め落とせなんだじゃろう」
太公望はかつての戦友に対して、掛け値なしの絶賛を評とする。そして彼をして、未だにこの武成王を超える『将軍』は知らないと断ずる。
黄氏とは黄飛虎の妹で紂王の側室、賈氏とは黄飛虎の妻の事だ。太公望の入れ知恵により黄飛虎と当時の商の宰相により眷属を討たれ復讐に駆られた妲妃がこの二人を陥れ、紂王の前で自害する事になったのが、七代に渡り商に仕え自身も鎮国武成王とまで言われた男の叛逆のきっかけだった。
そして暴君と知られる紂王をして、黄飛虎が居なくなった途端に不安に駆られる程の男だった。正真正銘、紂王の右腕と断じて良いだろう。その人徳は紂王をしてこの一件を謝罪し償いたいと言わしめる程で、それだけで彼がどれほどの男かは理解出来よう。
「……儂に見せてみせい。かつて忠臣・聞仲をしてかの武成王こそ王冠そのもの、と断ぜられし黄将軍。その黄飛虎に足らぬ物をお主が持ち合わせるか否かを」
太公望の声を聞いて、竜吉公主は知らず背筋が凍る思いがした。それは正しく、稀代の軍師が王の資質を見極めんとする極寒地獄さながらの冷たさがあった。が、そこに滲むまた別の感情を、彼女は見抜いていた。故に、背筋を凍らせながらもその顔には笑みが浮かんでいる。
「そうかそうか。そこまで買うか」
「買うとも。儂はこの数千年。武成王の人徳と姫発殿の仁徳を兼ね備えし者を探し回った。この数千年……西へ東へどれほどの戦が起きた? どれほどの民の血が流された? 両の指なぞではあまりに足らぬ」
太公望は冷酷な眼差しの奥に宿るやりきれぬ怒りを口にする。それが、彼の性根を何よりも露わにしていた。
「争いを治める王が必要……いや、致命的な争いを為さぬため、どうしても王が必要じゃ。王とは自身も争いを起こせど、同時に王故に仲裁者にも成り得る。民に決定権を委ねる民主主義の限界じゃろう。民は民故に、誤つ。愚民なぞとは言いたくはない。ないが、多くの民が賢者では無いのは事実よ。民とは千差万別。それでこの星が滅びればお終いよ。誰にも流されず、自身の覇を以って民の流れをも一身に食い止めうる王が、どうしても人類には必要じゃ」
太公望は僅かな悲しさと共に、自身の考えを述べる。彼とて可能であれば民主主義、つまりは民達が自分で決めて自分で自分で動く事を望んでいる。リンカーンの言う人民の人民による人民のための政治だ。
が、それが失敗の可能性を孕んでいる事も、彼は知っていた。民主主義の名の下に幾つの戦争が起きたのか。幾つもの戦争の根が大国の都合により偽装されたのか。民主主義のメッカたるアメリカ一国だけでも枚挙に暇がない。この100年を見るだけで、十分過ぎる程だろう。
そして彼は軍師としてはあまりに性根が優しすぎた。人類が滅びるかもしれない、という可能性に気付いては見ていられなかったのだ。故に、暴走の危険を孕んだ民主主義に対する抑止力としての『王』を求めていたのである。
「……」
太公望は、一度瞑目し黙する。此処から先はまだ、口にするつもりはない。彼は策士。当然だが、人を操ってこそだ。それ故、言うべき事、言うべき時を見定めていた。彼自身の望みの為にも、である。
(赦せよ)
太公望は何も知らぬかつての仲間達に対して、内心で密かに謝罪する。これが彼女を大層傷付ける事になるのは、彼も承知の上だ。が、それでも、それをせねばならないと判断したのだ。
彼は決して、この戦いを竜吉公主が見定める為の物としていたわけではなかった。その更に裏に、インドラさえ気付かなかった別の思惑があったのである。インドラが警戒するのも、無理はなかった。彼はそれほどの男だったのである。
「始め!」
太公望が合図を告げる。それと共に、相対する三人の英傑達が一気に間合いを詰めていく。そうして、ついに幾つもの思惑の絡んだ戦いが始まるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




