断章 第2話 姜子牙・天帝と会合す
今日からはしばらく、前回の断章の続きからお送りします。
カイトがある意味日本最大級の祭典を終えて遅めのお盆ということで大阪へ入っていた頃。インドラの下には、中国の歴史上最大にして最強の名を恣にした大軍師・姜子牙こと太公望が来訪していた。
その彼が告げた、『封神演義』。それの名を聞いてインドラは青ざめていた顔に血の気を取り戻し、一気に覇気を漲らせた。
「……」
「ははは。これはこれは。流石は英雄を好む軍神インドラ。かような覇気を出されるとは。随分と入れ込んでいらっしゃる」
雷を迸らせ神としての格を隠す事のないインドラに対して、太公望は至って泰然としていた。それはまさに、彼こそが一つの歴史の中で最高と言われる軍師の格を知らしめていた。
彼は王ではないが、王を輔け軍を動かす者。しかも彼は数多の英傑に神仙達が集った軍を動かした。その中には今では太子元帥と呼ばれる哪吒太子さえ、含まれていた。他にもインドラの実子、竜吉公主等枚挙に暇がない。
その覇気を受けてなお、彼は十全に軍を動かしたのだ。それ故に喩え神々の王の覇気だろうと、彼は一切色めく事はなかった。が、そんな泰然とした太公望に対して、インドラはあくまでも忠告として告げた。
「……おい。封神演義と言いやがったな。まぁ、別に。元始天尊と大喧嘩した貴様が今更になり仲良しこよしと再び弟子になってようがどうでも良い。だがな……もし奴を封神するというのであれば、話は変わる。奴はてめぇら仙界の領域ではない。よしんばアマテラス達の領域で無くとも、仏教、つまりは俺の領域だ。別にてめぇの所の道士達が裏から表の奴らを操ってようと構わねぇ……が、仙界がヤツを殺そうってんなら、話は別だ。俺達天界の者達も存分に関わらせてもらうぞ」
封神演義。それは確かに小説としては歴史に名高い一大スペクタクルであるが、まぁ、その実態は仙界による暗躍と陰謀と言っても大した問題はない。
暴君・紂王により荒れ果て始めた商王朝の崩壊のついでに殺戒を行おう、ついでに目障りな通天教主率いる截教派の者達を始末してしまおう、というものだ。まぁ、これは確かに日本のとある作家の勝手な解釈や注釈なのであるが、大凡これは間違いではないらしい。
いや、念を入れて言うがたしかに間違いではある。そこまで過激な事はしていないし、考えてもいない。が、どちらにせよ元始天尊にとって通天教主が目障りだった事には変わりない。どうにかしたい、と思っていた事は事実だそうだ。
妖怪すなわち悪とされるので悪の親玉と言われているが、実際には原典をしてさえ通天教主は穏健派の常識人として書かれている。と言うより、通天教主からしてみれば天命故仕方がない、というお題目を受けて巻き込まれただけだ。堪ったものではない。インドラ達他から見れば十分に元始天尊達の方が悪かった。が、これは彼らの考え方故、手出し口出しは無用にしている。言い始めればキリがないからだ。とはいえ、今回は話が違う。
「そもそも、てめぇの物語では俺達神々がまるで命数を決めてるかの様に語られてるが、んなわきゃねぇ。そもそも天命? なんだそりゃ。ああ、たしかに天命ってのはあるんだろうさ。だが、俺達が定めた絶対の法ってわけじゃねぇな。てめぇらは運命ってのを自分の都合の良い様に戦を起こし、それを利用して殺戒を終わらせようってだけの腹だ。隋唐の王朝交替だってそうだろう。随分と元始天尊が漢代の混乱を嘆いたって聞いてんぜ」
「ははは。それについて言われると、我ら仙界の者は立つ瀬がない。とは言え、そこら儂は大揉めしておるから、あんまり責めんで貰いたい」
「……まぁ、そりゃそうか。すまん」
少し変に誘導しすぎたか、と自嘲し反省する太公望の抗議の声に、インドラも少し強すぎた、と謝罪して敵意を収める。元々天界と仙界は別世界だ。それは今でもそうだし、そもそも封神演義の時点でそう語られている。そしてそれ故に中国にはインドラは強く影響力を行使出来ないわけだ。
中国は道教の国。つまり、仙界の領分だ。故に彼らが中国で何かをするというのなら、それが天界に迷惑が掛からない限りは問題視出来ないというわけだ。
とは言え、この謝罪はまた別だ。封神演義では元始天尊の弟子として掛かれ封神を全うする太公望であるが、そして真実元始天尊の弟子であった太公望であるが、実は現在では元始天尊と大喧嘩の末に下山しており、今の所属は崑崙山脈ではないのだ。そこの理由があった。
「隋代と唐代の間で起きた再度の封神。それに際して大喧嘩したんだったな」
「うむ」
気を取り直したインドラの再度の明言に太公望は一切の迷いなく頷いた。ここら、当時は大いに裏世界を賑わわせた話だった。
「確か……なぜ天命を避けられぬのか、との論議になりただただ全ては物の道理と言う元始天尊に予てから腹に据えかねる物があったお前が大激怒。天変地異の大喧嘩の末に楊戩らを引き連れて出て行った……それが、貴様らの蓬莱山の発端だろう」
「ははは。恥ずかしいのう」
太公望は己の過去を言われて楽しげに笑う。まぁ、こういうことらしい。太公望は封神演義の主役として、そして殷周革命の立役者として影に日なたに数多の陰謀に関わった。
が、この男。あれだけ壮絶な笑みを見せながら、そして史上最強の軍師の名を恣にしながらも、根っこは全くの善良だったらしい。なぜ殺戒を避けられぬのか、と遂に元始天尊へと問いかけたそうだ。
が、これが揉める原因になった。仙人達は大凡物事を物の道理と諦めに近い形で受け入れている。しかしその在り方が、封神を経て今で言う『英雄』に近い考えを得た太公望にはどうしても受け入れられなかった。
かつてヘラクレスもカイトも断じたが、英雄とは良くも悪くも子供っぽく諦めが悪いのだ。そこで物の道理を諦めきれず覆そうとする太公望と、仙人のトップとして物の道理を受け入れる元始天尊は大喧嘩する事になったのである。
太公望との戦いは如何に元始天尊といえども安々と勝ちを得られず、しかし、太公望も何らかの確信を得ていたらしく一切譲らなかったそうだ。そうして幾日も戦いは続いたそうだが、遂に見るに見かねたある道士の執り成しを受けた太上老君の仲裁で戦いを終わらせ、太公望が元始天尊の弟子を辞して崑崙を去る事で決着したのであった。
その後は、殷周革命を経て太公望の思想に賛同した楊戩を筆頭として多くの道士達が崑崙山脈を去る事になったらしい。その彼らが移動した先が、道教において語られるかの蓬莱山というわけであった。
それ故、彼らは今では『蓬莱山』、もしくは仙人の本流ではない事を自嘲し『外道派』というのである。後の徐福が蓬莱山を知っていたのは、この門弟の一人だったからだそうだ。というわけで、そこらを知るインドラが太公望へと問いかけた。
「で? その様子だと元始天尊と仲直り、ということは無いんだろう?」
「まぁのう……流石にあれはもう師とは思えんわ」
太公望はかつての師である元始天尊に対して、そう吐いて捨てる。そこには一切の嘘はなく、心底呆れ果てた様子があった。それこそ見下げた風さえある。
一時とは言え恩師だ。それに対してこれなのだから、相当な怒りを抱えていたのだろう。そしてそうであれば、とインドラは今度こそ本当に神々の王としての覇気を解いた。
「なら、良い。ってことは封神に協力して奴を封神する、とかいう事じゃないんだろう?」
「ははははは。一度は考えたがのう。御身の入れ込み様をみれば、それは下策と悟った」
インドラの問いかけに太公望は隠すこと無く一度はカイトを殺す事を考えたと明言しながら、それを取りやめたと明言する。実は敢えて太公望があまり何も言わずにインドラの誤解を促したのには、そういう裏があったのだ。
インドラの対応如何では、本当に太公望は元始天尊に協力してカイトを殺す方策を立てていたのである。が、それはたった今、インドラの反応を見て避けられたというわけだ。どちらにせよ彼とて元始天尊と組みたくはない。なのでこれは彼にとっても幸運だった、という事なのだろう。
「神の王よ。かつて周に仕えた軍師・太公望が拝聴したい。彼の者は良き王か、悪しき王か」
「良い王だ。いや、この言い方は違うか。良い王になれるだろう。少なくとも妲妃の類は居ないだろう」
「それは良きことじゃ」
太公望はインドラの返答に非常に満足げだ。妲妃とは彼の宿敵に近い相手だ。紂王に取り入って殷王朝をめちゃくちゃにした傾国の美女。それが入れないということはすなわち、カイトの身持ちは安全であるという事だ。妲妃の悪行を知る彼にとってそれは朗報と言えただろう。
「さて……それで? どういう目的でここに来た? 一つはわかった。が、それだけではないだろう」
「うむ……実は人を借りたい」
インドラが本題に入ったのを受けて、太公望は椅子から下りて頭を下げてインドラへと願い出る。相手は神だ。一応ここまでは英雄として遇されていたので座ってやり取りをしたが、やはり筋を通す必要があった。が、この言葉にインドラは首を傾げた。
「人を? おかしな事をいう。お前の下には楊戩や申公豹を筆頭に武人にも近しい英傑達が揃っている。それで事足りるだろう」
「いや、事足りぬ。我らにも確かに武人に近しい者は多い。が、それでも基本は戦う者ではない。事足りぬ」
「ふむ……」
何をするかはわからないが、太公望ほどの人物が人を借りたいというのだ。少なくとも話を聞いてからでも可怪しくはないな。インドラはそう考えて、試しに誰を望むか聞いてみた。
「誰が欲しい。事の次第に応じちゃ、応じてやらんでもない。お前は天下に名立たる太公望。天界と仙界の違いはあれど、その威名はこの天界にも鳴り響いている。俺とてその名には敬意を表する。それに用立てるのであれば、俺とてその実吝かではない」
「かたじけない……と言うても、別におかしな人材ではない。貸りたいのは、かつて儂の下に居た李・哪吒。御身の下で太子の名を得た哪吒太子じゃ」
「哪吒を?」
哪吒太子。それは封神演義に語られて同時に西遊記にて斉天大聖と戦った戦士の事だ。そしてこの口ぶりであれば元々は仙界に属する者だったのが、後代になり太公望らと似たように崑崙山脈を去りインドラの所に来たという事になるのだろう。
「うむ……それと、もう一つ。御身に献策したく、ここに参った次第」
「献策、ねぇ……言ってみろ」
僅かに眉を顰めながら、インドラは太公望に先を促す。太公望の献策だ。無下には出来ないし、聞いておく必要は十分にあると言える。
「かたじけない……御身が先に嘆いた公主殿の事よ。あれを、お目付け役として頂きたい」
「公主……竜吉の事か?」
「うむ。竜吉公主。アルジュナ殿の妹御にして、純血の神。それを貸して頂きたい」
「なぜあいつまで。それにお目付け役?」
太公望の意図が理解出来ず、インドラが首を傾げて理由を問いかける。この竜吉公主なのであるが、これもまた封神演義に記された者だ。
一応封神演義の物語の都合上仙人として描かれているが、両親は天帝と西王母、つまりはインドラ――天帝でもある為――とその妻というわけだ。根っからの神様なのである。そしてそこがあれば、物語に反して行かず後家というのも理解出来る。
当たり前だが天界に属する彼女をもし仙界主導で婚約させていれば、それは仙界と天界が大揉めする事になる。なにせインドラの娘だ。それが彼の許可もなく結婚すればインドラの面子は丸つぶれだ。
更には相手は英雄ではなく捕縛された者だというのだ。そのような事があればインドラは大激怒して、封神の儀を無茶苦茶にしていただろう。
なにせ竜吉公主その人がその婚姻の話を聞いてなぜこの様な悪縁で、と嘆いたほどなのだ。あり得るはずがなかった。同様に封神のリストに名が乗っているなぞという事もありえず、流石の元始天尊も彼女だけは武王以上に絶対に死なせない様にと太公望に厳命していた。もし殺されれば仙界と天界で大戦争だ。それは元始天尊とて困る。
「まぁ……こう言っちゃあなんだが……あいつは相当プライドが高い。俺に対してさえズケズケと物を言い、アルジュナでさえあいつが来るとなれば縮こまるほどの女傑だ」
「んん……父上」
「わり……が、そうだろ?」
「……まぁ」
インドラの問いかけにアルジュナは言外に同意する。一応言えば竜吉公主は年齢としては千歳近くも年下の妹らしいが、アルジュナと違い完全に血統からして神だ。しかも片方は神々の王だ。それ故に、その誇りはとてつもないものだそうだ。
アルジュナが妹自身から聞いた話では虜囚となった男と婚約させられるぐらいなら道理に背いてでも毒蛇に肝を食わせ炮烙を抱いて自害してやる、と断ずる程であった。そのぐらいではあるらしい。
それ故、誰も近づけずに婚姻する事もなく、だそうである。封神演義にある洪錦と結婚なぞあり得るはずもなかった。もちろん、似たような理由で楊戩と一夜を共に、なぞあり得ようはずもない。
まぁ、当人も有象無象と婚約させられるぐらいなら独り身の方が良いと笑って気にも留めないので、インドラが嘆く以外には問題はほとんど無いそうだ。
「ははは。公主殿は相変わらずか。いやさ、それ故に儂も頼みたい。是非ともこの場に呼んでは頂けぬか」
「ふむ……まぁ、良いか。おい」
「はっ!」
インドラはとりあえず竜吉公主の名が出た以上は、と神官に命じて彼女を呼びに行かせる事にする。彼女の名がこうやって出ている時点で彼女を呼ばねば後で何を言われるかわかったものではない。下手に断れば後で延々嫌味を言われるのだ。流石にそれはインドラもアルジュナも堪ったものではなかった。
そうして、しばらく。つややかな長い黒髪を持つ一人の美女が、一同の前に現れた。しかし顔は伏していて見える事はなかった。
「竜吉公主。罷り参った。父にして神王、天の帝よ。妾に如何なご用命か」
「おぉ、来たか。今日も相変わらず美しいな。その美しい顔を良く見せてくれ」
「有り難きお言葉」
インドラの賛辞に竜吉公主はようやく頭を上げて挨拶を礼を述べる。その顔立ちは、神話に伝えられる通りだ。美女の一言で良い。
敢えて言葉で表すのなら艶やかな長い黒髪には艷があり、顔立ちは非常に凛として整っている。立ち振舞いは威風堂々としていて、一切の淀みがない。まさに、天帝の娘。誇り高き公主だ。
見た目と在り方だけであれば、インドラが自分の至宝と断ずる娘だった。と、そんな彼女に太公望が気軽に挨拶を行った。
「竜吉公主、久しいな」
「おぉ、誰と思えば。随分と久しいな。前に元始天尊の爺と揉めて以来か」
「お主とは……それぐらいになるかのう。前の封神の折りにも出会わんかったか」
太公望に対して竜吉公主は笑顔を見せて、親しげに言葉を交わしていた。竜吉公主も太公望の事は軍師として――男として、ではない――一流の男と認めているらしい。故に気軽に彼には言葉を交わすらしい。
「そうじゃ。お主といえばかよう楽しげな事を妾に隠れて……まぁ、良いわ。それで、お主が呼んだか。如何な用じゃ」
「うむ……実は御身に一つ頼まれてもらいたい事が出来たので、話を持ってきた」
「聞こう。述べよ」
竜吉公主が太公望の言葉の先を促す。そうして、太公望はインドラ達へ向けて、彼の思惑とインドラ達への依頼を語り始めるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




