断章 第53話 エピローグ・2 率いる者達の会話
カイトが灯里達と共に車に乗って移動していた頃。ティナはというと、インドラに請われてカイトのエネフィア時代の経歴、それもティナが関わってからの話を行っていた。
「ふぅ・・・勇者カイトに王としての修練を施した、ねぇ・・・ま、元々才能はあったから足りない物を補った、ってだけなんだろうが・・・」
インドラは今日も今日とて酒瓶片手に書類仕事をしながらだ。が、その顔には盛大に呆れが滲んでいた。というのも、今日はその片手間に雑談をしながらだった。
「バカか?」
『わーっとるよ、んなもの・・・が』
「わかってるって。俺だって気持ちは分かる。あの原石だ。俺だって多分抑えられないだろうな」
ティナの言葉にインドラは確かに呆れたものの、即座に同意する。とは言え、呆れているのも事実だ。カイトがなぜ、皇都で何らかの重役――例えば軍の将軍等――に叙任されるではなく公爵という形ではあるが遠方の任地を与えられたのか。そんなものちょっと賢いのなら誰にだってわかる。居てもらっては困るからだ。
「要は、太公望の末路。斉と一緒だ。中央に居ると俺たちがでかい顔出来ないから適当に引っ込んでろって事だろ? しかも場所はもし万が一敵が北から攻めてきた場合の最激戦区。ガチ太公望と一緒じゃねぇか。奴だって斉の国を与えられた、ってのは体の良い言い訳。実際にゃあそこらは未開の地で莱って部族が居座ってた地だ。言ってみりゃぁ、隠居してもらう、って名分与えといて制圧してこいってだけの話だからな」
インドラは非常に呆れながら、地球で似たような逸話を探し出してそれを述べる。それにティナも非常に呆れ果てつつも同意した。彼女が知らないはずがないのだ。
『知っとると言うかわかった話じゃし、これがまぁ、最良の決着じゃったろうな。現にウィルの奴が大層とりなした結果じゃ。どんだけ暗殺の話が出回った事やら。あれは沽券に掛けて言わなんだが、相当数あったはずじゃぞ』
「はー・・・やれやれ。本当に嫌な話をしやがる」
インドラは大層顔を顰め、首を振った。無理もない。そんな幸運どこに転がっているのだ、と笑いたくなる話だ。
「普通に考えて一番自分がでかい顔したいだろう筆頭の皇子様がそれを食い止めた? どんだけだよ」
『わからぬではあるまい? あれにとってカイトこそが精神的な柱よ。失えば人として終わる』
「まぁなぁ・・・軍師ってか戦を机上で行う事になる俺たちはどうしても、人の命を数字で計算しなけりゃならない。が、俺たちだって人だ。精神が耐えられんし、それが過ぎれば魔道に堕ちる。そんな危うい獣を俺たちは心の何処かに飼ってる」
『と言うより、心の何処かにその獣を飼う事が帥としての第一歩。人の命を紙の上の数と見做す。それをなせねばならぬ。が、その獣には鎖を付けねばならぬ。野放しにすれば飼い主の心を食い荒らしよるからのう。先の柱は鎖というべきか』
「普通にあり得ねー」
インドラはもう笑うしかなかった。自分と対となり、本来なら蹴落とし合い追い落とすはずの存在を自分が人としてある為の首輪や鎖としてしまう。どんなバカだ、としか思えなかった。
が、それをしたのがウィルであり、カイトであった。似た者同士だからこその親友であり、同時にお互いがお互いに鎖であれたのである。だからこそ、この二人をしてエネフィアでは断金の交わりというのであった。
『まぁ、そうじゃろう。だから、こちらに帰ってきたわけじゃからのう』
「そりゃそうだわな」
インドラがティナの結論に思わず鼻白む。言われるまでもなく、そんなあり得ない状況は長続きしなかった。当人達が望めど、周囲が許さなかった。故にカイトが自ら身を引いたというわけだ。
彼自身が認めていたが、彼はやりすぎたのだ。あまりに性急に時代を変えすぎた。いや、自分が順応する為に世界を変えたとも言える。が、それ故にこそ、世界の側も反発を起こしたのである。
「はぁ・・・だがそりゃ、お前も責任の一端が・・・ああ、それでか」
『そういうわけじゃ。はっ、余がこの程度の鎖が解けぬわけがあるまい』
インドラが理解した話をティナが言外に認め、己の首に今もしっかり嵌っている目には見えない鎖を僅かに愛おしげに撫ぜる。
その鎖はかつて誤解によって起きた戦いの一つの結末。カイトの強力な力で仕掛けられた首輪だ。が、これを魔王と呼ばれた彼女が解けないはずがない。というわけで、ようやく話は本題に戻ってきた。
『が・・・お主もわかろう』
「さっきも言ったな」
『王であった者として、どうしても良き才を見つければ育てたくなるもの。王の原石を見て王として育てぬ道理はあるまい』
「そこらは、本当に面倒な話だ」
インドラは王としての二重の苦悩に思わず笑う。一方は、良き才能を見つければそれを育て上げたい。それは王として、君民のためを想えば当然の考えだ。優秀な人材を登用するというのは古今東西王の最たる仕事の一つと言える。
が、他方。王として考えれば、そのような者は出来ればさっさと殺しておきたいというのも王としての考えだ。大輪の花は二つも要らぬ。天上に浮かぶ太陽は一つで十分。遠ざけるなり殺してしまうなりして、万が一に自分に歯向かわれた場合に備えておきたい。どちらも、未来を見据えれば当然の考えだ。
『余はその点すでにあの時点で・・・叛逆され、封ぜられて王としての資格は無いものと考えておった。故にまぁ・・・うむ。カイトに輿入れし、ゆくは魔王となってもらおうとも考えておった』
「なるほどね・・・良い考えだ」
インドラはティナの方策を良しと認めた。勇者カイトが魔王となる、と言えば妙に聞こえは悪いが実際の魔王なぞ魔族の王というだけだ。もしティナが輿入れした上で禅譲という形を取れば魔族達は諸手を挙げて賛同するだろう。これもまたある種の物語的ではある。
民達は好むだろうし、皇国としてもカイトがそういう形で即位すれば拒めない。皇国の民とて自分達を脅かした魔族を勇者カイトが抑えるのだから万々歳だろう。もちろん、これはティナが後を任せたクラウディアも了承した話だった。と言うより、本来はこちらの筈だったのが、カイトがドタバタ騒動を引き起こした所為で即座には出来なくなってクラウディアが引き継いだだけの話であった。
『じゃが、それ故に王として育てた責任が余にはある。故に、余はあれとはもはや片時も離れぬよ。あれが死ぬ時は、余はその仇を討ち死のう』
「・・・」
インドラはティナの言葉に内心で思わず敬服し、彼女らカイトの妻を称する者達は決して口説かぬと心に決める。ティナは別に内助の功というわけではない。単に自分で責任を取ると言うだけだ。そして彼女は彼女の言う通り、もしカイトが敵に殺される事があれば敵を討ち果たして死ぬだろう。
慰み者になるという未来は、決して有り得ないと断じて良い。それだけの武力と覚悟を今の彼女は持ち合わせている。
だが、それを為せる者がどれだけ居るのか。インドラは数多の英雄とその妻達を見てきているからこそ、ティナの覚悟の程が理解出来た。これを口説くのは英雄を好むインドラの在り方では決してなかった。その気になれば他人の女だろうと口説く女好きの彼だが、それ以上に彼は英雄を好むのだ。雷帝にして軍神なればこそ、だ。
その英雄の妻の筆頭たる彼女がこれだ。それが同じく妻と認めたのであれば、それは彼の妻足り得る資質を持っているということだ。インドラという神の沽券に掛けて、英雄の妻を口説くなぞという無作法が出来るわけがなかった。
「・・・すげぇな」
ティナとの暇つぶしの会談の後。インドラはカイトへと絶賛を述べる。彼の妻がこの器だ。それはつまり、彼の器がそれほどに巨大だという事でもある。が、それは少しの苦味に変わった。それはそれ故の事でもあった。
「あれに比する姫となると、もはやウチじゃ行かず後家しかいねぇか・・・が、どうやって動かすかね・・・」
インドラは少しだけ、悩みを見せる。それはここ最近ずっと彼の頭を悩ませている事だった。これはカイトが並外れた英雄であるという事の証明であり、同時にそれ故の悩みでもあった。
とは言え、それはすぐに楽しさに変わる。英雄と関わるということは、こういった頭の痛くなる事と表裏一体だ。この頭の痛みこそ、カイトが英雄である証明の様なものだった。
「かー! だから、英雄を見るのはやめられねぇ! カルナの時も、こんな頭痛に悩まされたんだっけか! どうやりゃ、あのタカビーを動かせるかねぇ! 天命ここに至れりってな!」
インドラはただただ楽しげに、そして美味そうに酒を呷る。仕事なんぞほっぽり出した。ここまで美味い酒が飲めるのは滅多に無い。数百年に一度あるかないかだ。
彼の趣味は、英雄を図る事。そして、英雄を測る事だ。奇しくもティナからカイトの器が見れたのだ。こんな美味い酒の肴がたまさか手に入ったというのに、仕事なんぞしていられるわけがない。
「『真王』として育てる、か」
インドラはふと、ギルガメッシュが遥か過去にそう述べていた事を思い出す。あれが誰なのか、というのはついぞわからなかったが、今ならわかった。あれほどの器量の女が侍る男だ。その資格は十分にあると彼も思えた。
「王の条件はただ一つ。徳を持つ事のみ。それで、王と成り得る」
インドラは彼が考える王の条件を口にする。王とは率いる者だ。それさえあれば、最悪は事足りる。武も知も共に部下達が満たしてくれるからだ。が、もし。王自身もそれを満たせれば。
「誰しもの前に立ち刃を振るう英雄。平時に民をまとめ上げる英雄。覇王と賢帝。それを完全に備えれば・・・」
それこそが『真王』なのではないか。インドラは密かにそう考えていた。武の英雄でありながら、知の英雄でもある。それこそ誰もが思い描く完璧な王の姿だろう。真の王と言うに相応しい。そしてニャルラトホテプは現にそれに最も近い者であるギルガメッシュをこの地球上で最も重要視している。
「・・・」
どうなるのか。インドラはそれを想像して、酒を飲む。楽しくて、そして酒が美味くて仕方がない。どんな王に至るのか。ギルガメッシュが目指す先が、カイトの至る先が素直にインドラは見たかった。
事と次第に応じては、それこそ自分さえ傅かせるかもしれないのだ。どれほどの器なのか、と気にならないはずがなかった。見たこともない器だ。心惹かれないはずがない。が、そんな神様の王様の愉悦は、長くは続かなかった。大音を上げて扉が開いたのだ。
「はぁ・・・はぁ・・・インドラ様!」
「なんだ?」
インドラは楽しみを邪魔されて、わずかに顔を顰めながら慌てて駆け込んできた神官の一人に先を促す。そもそも仕事はサボっているだけだ。本来は、仕事中である。なので神官は決して悪くはない。敢えて言えば間が悪いというだけだ。
「それが、その・・・」
「さっさと言え。言っとくがあまり機嫌良くねぇぞ」
「っ・・・その・・・」
神官はインドラの不機嫌さを理解して、意を決してとある名前を口にする。それに、インドラは大きく目を見開いた。
「奴が・・・来た?」
その名はおそらく、東洋の知識人であれば知っていなければならない名前だ。知らなければ無知を罵られても仕方がない。西洋の知識人だって知っている者は少なくない。それほどの名だ。ビッグネームと断言して良い。が、それ故にインドラは一気に酔いが覚め、神王としての風格を一瞬で取り戻した。
「通せ。が、こちらに来る前にアルジュナとカルナの二人を呼び寄せておいてくれ。当然、奴の名は出せ。会議中だろうと稽古中だろうと、即座に来る様に命じろ」
「はい」
神王としての風格を取り戻したインドラの命に、神官は急いで行動を開始する。インドラが警戒する名は当然、彼もまた知っていた。故に事の大きさは彼にもわかっていたのである。
そうして、その名が二人の所にも届いたからだろう。即座にアルジュナとカルナという今の彼の二枚看板が、天界とも神界とも言われる所に帰ってきた。
「父上。彼が来ていると?」
「ああ・・・側に控えていろ。何かしてくる奴ではないが・・・こちらも万全の体制だけは整えておく」
「かしこまりました。カルナ、お前は左側に」
「わかった」
アルジュナの指示にカルナが従って、インドラより下賜された黄金の鎧と槍を片手に侍る。一方のアルジュナはその援護を行う為、弓を背負い父たるインドラの右側に侍った。どちらも、英雄としての風格を隠す事はない。相手は自分達より僅かに後の時代の者で別種の英雄だが、油断出来る相手ではなかった。
そうして、準備が整えられると同時。インドラの宮殿の謁見の間の扉が開いた。入ってきたのは、一人の男だ。年の頃は20代という所で、飄々とした印象を受ける。顔立ちはまぁ、上の下と言う所。が、身に纏う風格は決して彼が只者ではない事を万人に示していた。
「これはインドラ神。随分と仰々しい出迎えではないか。儂はそこまで警戒される相手かのう」
飄々とした男は笑いながら物々しい雰囲気のインドラへと問いかける。アルジュナにカルナというマハーバーラタ最大の英雄を前にして、彼は一切怯む様子がなかった。そんな彼は笑いながら、更に続ける。
「実に一千と五百年という所かのう。少々、本能的に戦の匂いに興奮してのう」
「冗談はやめろ。そりゃ、日本のある小説家が勝手にお前ら仙人に書き加えただけの話だろう。実際にゃ避けられぬ天数、殺戒を犯す天命だ、つってるじゃねぇか」
「ははははは。まぁ、ある意味では正解ではあるのであながち間違いというわけではないがのう。殺さねばならぬという宿業というが、そんな御大層な物ではない。仙人とて人。人が持ち合わせる闘争心を捨てきれぬ未熟者故に、それを発露させねばならんのじゃ。そして捨てられては人では無うなる。それを発露する機会と定めたのがその1500年に一度の殺戒。が、そんなもんは仙人共が殺戒なぞという御大層な名を付けておるだけじゃ」
インドラの苦言に男は若干の辟易を滲ませながら歩を進める。その姿は、あまりに泰然としていた。二人の英雄に神々の王を前にして、この胆力。物凄い胆力と断じて良い。
そして、当然だ。この男はおそらく、中国においては最大の英雄の一人と断じて良い。かの諸葛孔明さえ、実績を考えればこの男以下になってしまう。
諸葛孔明は劉備より託された中原に覇を唱える事は出来なかった。それに対して彼は、自分が仕えた国に天下を取らせた。更には幾つかの有名な軍略書も残している。彼は正真正銘のキングメーカー。裏世界では西のマーリンに対して東の彼と言われる程の軍略家だった。
インドラが最大の警戒をするのも、無理はない。この男が本気で動けば地球の歴史が変わる。他ならぬ自分の娘が、そう明言していた。同時に本気で動く事は滅多に無い、とも。そして、その名をインドラが告げた。
「それで・・・かの太公望。姜子牙殿が何の用事だ。ウチの娘なら、こっちにゃいないぞ。あれだけは心から嫁に行って欲しいんだがね。相も変わらず行かず後家だ」
「ははは。公主殿は相変わらずか。いやいや、よく似合う。っと、面と向かって言えば打ちのめされるので、兄君達も今のはなかった事に」
太公望。それは殷周革命において周の軍師として名を馳せた男だ。封神演義には主人公として語られ、後世には中国最大の知恵者として漢の張良と並び立つ大軍師だった。
そして今も生きているからには、真実封神演義に語られる通り仙界の道士だったのだろう。その男はインドラに勧められて、笑いながら彼の対面の席に腰掛けた。
「とは言え・・・今日は天帝殿に用事じゃ。いや、公主にも無いとは言わんがのう。まぁ、主題はの。元始天尊様らは千五百年の周期が巡ってきたというのでのう」
「ああ、それでさっきのセリフか。代々ウチと仲の悪い仙界の事だし、大昔だからすっかり忘れてたぜ。前は・・・隋と唐の頃か。あの頃は悟空もいなくて平和だったなぁ・・・」
インドラは太公望の指摘にそう言えば、と思い出す。封神演義では仙人達には千五百年ごとに生き物を殺さねばならないという宿業があるとされている。有名な小説家は人として持ち合わせる生き物を殺したくなる衝動と描いたが、原典では逃れ得ぬ宿業と言われている。二人の言う殺戒と呼ばれる業だ。
そして二人の今までの口ぶりを聞けば事実、それはあるらしい。それを考えれば、西暦2000年頃というのは若干の誤差はあるがその周期に当てはまる。
封神演義の舞台は殷周革命。西暦で言えば紀元前1100年頃だ。これが人の性質に基づく物である以上、厳密に千五百年周期というわけではあるまい。若干の誤差は生じても不思議はない。
百年程度であれば一割にも満たない誤差だ。十分、誤差の範疇と言える。が、その逃れ得ぬはずの宿業に対して、インドラは訝しむ。
「だが、それがどうした? 今更、貴様が元始天尊に様付けなんぞして。楊戩らと共に外道派を称する貴様らに関係は・・・」
「父上?」
「インドラ殿?」
何かに気付いた様に、インドラが青ざめる。それに対して中国においては最古にして、最大の知の英雄の一人である太公望が笑みを深めて明言する。
「ははは。流石軍事の神。気付かれたようじゃのう・・・そうよ。また始めようかと思うてな・・・封神演義を。仙界の逃れ得ぬ宿業を」
中国最大の英雄にして中国最大の知恵者である太公望が、己が描かれているはずの物語の名を告げる。その笑みは寒々しいほどに、恐ろしい。
これこそ、地球最大最強の軍師が何かを図っている時の笑み。恐ろしいまでの魔物を飼いならす帥の笑みだった。そうして、カイトの地球での物語は遂に中国の神話をも巻き込んで行く事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。以下に封神演義を触れる上でどうしても触れねばならない事があるので、それを記させて頂きました。
※注釈
作中で出た有名な小説家というのは『安能務』という方です。藤崎竜先生の漫画・封神演義の原作者と言えば今だと分かりやすいでしょうか。
丁度現時点で深夜にアニメやってますしね。あれへの論評と批判は置いておいて、ですが。
まぁ、それはさておき。とりあえずこの件については幾つかの誤解等を生みかねない為、今週末の活動報告にて幾つかの説明とお詫びをさせて頂く事になるかと思われます。
お詫び、と言ってもご理解を頂きたいだけの事なのですが・・・これについては、その時にでも。長くなるのでここでの執筆は取りやめました。




