断章 第3話 出会いの物語・出会い編1
翌朝。ソラが目を覚まし、逃げ出そうとすると、ほぼ全ての出入口に見張りが居た。
「坊っちゃん。何処へおいでですか?」
最後の手段として考えていた窓からの脱出も、天城家に昔から仕える老使用人に見つかり、あえなく失敗する。彼はソラが幼いころから面倒を見てくれていた老執事だ。如何に実家と不仲になっているソラといえど、彼にだけは強く出れない。だからこそ、ソラの父親は彼に最後の脱出ルートの見張りをさせたのである。
「坊っちゃん。ここは私の顔を立てて、本日だけは、どうか・・・」
「・・・ちっ。」
古い使用人に言われ、ソラはしぶしぶそれに従う。元々出かけようとしていたので、着替える必要は無い。転校先の学校は私服登校可能な学校らしかった。大方あの父親の事。今日だけでなく他の日にも逃げ出した所で、途中で補足できれば無理矢理にでも登校させるつもりで、私服の学校を選定したのだろう。
「では、行ってらっしゃいませ。」
ソラは古くからの使用人に見送られ、しぶしぶ車に乗り込む。逃げられないように、とわざわざ車で見送らせるあたり、彼の父親らしかった。
「あの、ソラくん?」
そうして、学校に着く直前。ソラの父親から登校の監視を言いつかった若い秘書官が、口を開いた。
「・・・なんすか?」
ソラはぶっきらぼうに答える。彼にとって、父と、父に従う秘書官達はまさに天敵。最も気を許してはならない相手だった。
「あの、1回先生・・・お父さんときちんとお話したら」
秘書官の男性がそこまで言った段階で、学校の前に到着する。そうして即行でソラは車のドアを開いた。
「別に、その必要は無いっすよ。どーせ、あいつもおんなじこと言うでしょうし。」
聞きたくない、ソラの無言の拒絶であった。
「あ・・・」
バタン、ソラはそれなりに勢い良く、ドアを閉めたせいで、大きな音が響いた。そうして、ソラは振り返る事無く、新しい中学校の校門をくぐる。
「ちっ・・・まぁ、しゃーね。」
そうして、グラウンドを歩きながら新しい中学校を少し物珍しげに周囲を観察していると、そんなソラに因縁をつけられてはたまらない、と生徒達の若干怯えた様子が見て取れた。ソレを見て若干不機嫌になるも、仕方がない、と思った。自分はこんななりだし、良からぬ噂も付き纏う身だ。さっきからの一件で不機嫌さが顔にありありと浮かんでいるのだろうと、自分でも分かっていた。
秘書官の男性はそんなソラを見届けて、溜め息を吐いた。彼が命ぜられた仕事はこれで終わりだ。後は、帰ってソラの父親に報告すれば本当に終わりである。
「結局、些細な行き違い、なんだけどなぁ・・・」
彼は律儀にソラが校舎に入ったのをきちんと見届け、車を走らせる前に呟いた。ソラの言って事は事実だ。彼の父親も、必要がない、と言って対話をしなかった。
「先生は口下手だし、ソラくんはソラくんでそれに気付いていない。まぁ、僕みたいな秘書が考える事じゃないんだろうけどねぇ・・・」
ソラの父親の職業柄、口下手なのはどうかと思うが、無駄に多くを語らず、重要な所だけを語る姿勢が力強い、と評価されているので、どうしようもない。
「先生はホント、必要な事しか喋らないんだから・・・まあ、きちんとした立場で聞けば、教えて貰えるんだけどね。」
ソラの父親の公私を知る彼でさえ、これに気付くまで2年近く掛かった。それほどまでに、彼の行動には無駄がない。最近、父親に『私』を殆ど見せて貰えないソラでは、もしかしたら、赤の他人と同程度にしか今の父親についてを理解出来ていないのかもしれなかった。
「必要がない、か・・・まあ、父親じゃなければ、そうっちゃそうなんだけどね・・・」
必要ならばどんなことだろうとやる。成すべき事とは、必要な事に他ならない。それがソラの父親の信条だ。それ故に、彼は必要でなければ、やることは殆ど無い。そして、今回の場合は、今のソラが強く求めていないが故に、ソラの父親は語る必要は無いと判断してしまっている。
お互いに、同じ結論を別の考え方から導き出してしまっていたのだ。ソラは父親と話してもどうせ同じ答えしか返ってこないと思うが故の諦めから。ソラの父親はそんなソラが聞かぬが故に。最近のソラの父親側に殆ど『私』の時間が無い事も、悪い影響を及ぼしていたが、やはりお互い語らぬ事が、最もの原因だろう。
「仲が悪くなってもう1年、だっけ・・・まあ、あれは先生が悪いんでも、ソラくんが悪いんでも無いけど・・・」
切っ掛けはどちらかがほんの僅かに歩み寄るだけで良いのだ。しかし、お互いがお互いの心情から、それが出来ていない。ソラはもう一度勇気を出せれば、ソラの父親はもう少し語る事が出来れば。それだけで、不仲は自然と解消されるだろう。
「まったく・・・あいつらももう少し、子供相手だ、ってわかってれば・・・」
一人となって暇な事で、彼の口は良く動いた。それは、不仲の原因に対する愚痴だ。
「そこまで、この国が力を得る事が不満かなぁ・・・」
ソラの父親が変えた事は、秘書の見立てではこの国の歴史に残る事だ。その日、彼は秘書官としてその場に立ち会えて感極まった事を、今でも覚えている。それほど、歴史が動いた実感が彼にはあったのだ。
だが、そうであるが故に、反発も大きかった。それを快く思わないソラの父親の敵が、ソラの父親ではなく、ソラに嫌がらせを行ったのだ。
「まったく・・・わざわざソラくんしか居ない時に攻撃しなくても・・・犯罪スレスレだろうに。」
攻撃、といっても物理的な物ではない。ソラに父親が成した事のデメリットとなり得る事を、なるべく最大限不安となるように、どれだけ悪い物なのか、と語ったのだ。
その時まで、ソラにとって父親は誇りであった。しかし、たったそれだけで、疑心が生まれた。この点は彼も不満ながら、敵ながらあっぱれ、と言うしか無かった。たった一度、それだけで子供の心に極大の不信感を抱かせたのだ。
「まあ、先生がそれを知ったのが、一週間後だった、っていうのが最悪だったんだろうけどね。」
不安になったソラは父親に、何故それを進めたのか、と聞いた。ここでソラの父親もその攻撃を知っていたのなら、語る必要を知り、詳しく語って聞かせただろう。
しかし誰も知らぬが故、彼はいつも通りに、必要だったからだ、としか語らなかった。何時もならばソラはその力強い父の背に満足し、父親を誇りに思ったのだ。その当時、ソラの父親は膨大な議論の果で、疲れていた事もあった。それ故、碌に確認せずに、彼はこの時も自分を慕うソラには理解してもらえた、と思ってしまった。
尚もソラは問い直したが、帰ってきた答えは同じだ。当たり前だ。ソラが改めて確認した、程度にしか思われなかったからだ。そうして、たったそれだけのことで、父親に対する不信感は極限にまで高まったまま、解消されなかった。その後、ソラの父親は海外へと出張に出かけ、ソラの不信感が凝り固まってしまう。
ソラの父親が日本に居ない事で、その敵が根回ししてお茶の間にも賛同を募ったのも、いけなかった。実際に少なくない抗議が起きてしまい、それはソラの不信感を薄めること無く、強めてしまったのだ。
その後は不信感があるが故、今までの全てが裏切られる事を恐れて、ソラは一歩を踏み出せなくなる。ソラの父親は、ソレがわかった後はソラに避けられ、それを弁明する機会が無いまま、今に至る。おまけに、ソラが反発心からグレた所為で、ソラの父親はソラに辛く当たるしか無くなってしまった。それが余計、お互いの歩み寄りを困難にさせてしまっていた。
「何か良い切っ掛け、あるといいんだけど・・・」
そう言って、彼は車をソラの実家のガレージへと、車庫入れする。当然、今の言葉は全て彼の独り言。ソラもソラの父親も知らない、彼だけが思う事なのであった。
「おぉ、君が天城先生の息子さんかね。私はこの学校の校長の仙崎だよ。何かあったら、是非私の所に来なさい。」
校長が笑みを浮かべながらわざわざ最上の席までやって来て、ソラに挨拶していた。彼はソラの顔に浮かぶ不機嫌が見えていないのだろうか、というほどにご機嫌であった。対するソラはゴマをする校長の態度がいたく気に入らず、少し直っていた機嫌がマッハで急降下し、今は地面スレスレを低空飛行していた。
「あのー、校長先生?あまり時間を取られますと、この後の授業に・・・」
なおも続く揉み手に、最上がさすがに助け舟を出す。そもそも、未だに担任である自分さえ自己紹介が出来ていないのに、この校長は自分の売り込みを行っていた。
「ん?おぉ、そうだったね。では、何かあったら是非、私を頼りなさい。」
是非、を強調して、握手を求める様に右手を差し出した校長だが、ギロッ、とソラから睨まれて、一瞬怯えを見せて、そそくさと退散した。牙を剥いた狂犬、それが、最上が初めてソラを見た時の印象であった。
「あー、俺は天城の担任の最上だ。担当は現代社会。まあ、それ故に、君のお父さんなんかも扱うと思うが・・・」
「・・・そっすか。」
ぶっきらぼうに答えたソラに、最上は睨まれなくてよかった、と思う。既に幼さが殆ど消えた野性味のある顔立ちに、自身と同程度の身長、体躯は自分よりも遥かに良い少年に睨まれれば、教師としてではなく、一個人として、怯えてしまっただろうことがわかったからだ。
「あー、じゃあ、案内するから。付いて来てくれ。」
なるべく平常心を心掛け、最上は自席を立ち上がる。実は彼は既にソラと同じようにグレた生徒は3人目だ。さすがにもう怯えを表に見せる事はなくなっていた。そうして、二人は2年A組へと到着し、教壇の前に立った。その瞬間、ざわめきと悲鳴に似た声が上がる。悲鳴に似た声はソラを見知っていた生徒達の悲鳴で、ざわめきはソラの格好に怯えた生徒たちからのざわめきだ。彼らからは、等しく怯えが見えた。
今のソラの格好は、明らかに染めていると分かる茶髪に、髑髏などのガラの悪そうなシルバーのアクセサリーを大量に身に付け、身嗜みも着崩していた。おまけに野性味のある顔立ちであった所為で、不機嫌な表情がまるで機嫌を損ねて牙を向いた肉食獣かの様な印象を与えていた。一目で明らかにガラの悪そうだ、と分かる容姿だった。
「あー、彼はとある理由で今日から転校してきた天城 空だ。仲良くしてやってくれ。席は、天音。昨日頼んでおいた用意は出来てるか?」
「はい、既に。」
カイトはクラス委員等の役職には就いていないが、こういった場合に確実に最も上手く手筈を整えてくれるので、最上が日直という言い訳で申し渡したのであった。彼は昨日、偶然図書室に居たカイトを見つけ、本当に最後の最後に幸運が回ってきたと感謝したらしい。
「じゃあ、席はあそこだ。まだ、席替えをやってなくてな。」
そうして指さしたのは、カイトの前。あましろ、あまね、で続きである。
「別に仲良くする必要はねーよ。どーせ、殆ど来ねーし。言いたいことは一つ。関わんな、だ。じゃあな。」
とは言え、ソラはそんなことを一切お構いなしで顔見せだけやると、鞄も置かずに出て行こうとする。
「あ、おい、天城。」
さすがに教師としての職責を感じたからか、最上がソラを止めようと、肩を掴んだ。
「あ?なんか文句あんのか?」
先ほどから不機嫌であったソラは、ついそのままの不機嫌さで最上を睨む。
「ひっ。」
これは、本当に致し方がない。最上とて、教師である前に人間だ。いくら三人目といえど、恐ろしいモノを見れば、おのずと悲鳴も上がる。更に、そんなソラに睨まれたわけではないが、その横顔を見た生徒達が怯え、小さく悲鳴が上がる。それに、余計ソラは不機嫌になった。
「んじゃ、行くぜ。」
最上の手を振り払うと、ソラは今度こそ出ていこうとするが、その前に、声が上がった。
「おい、せめて鞄は置いていけ。休みと思われるぞ。サボるならサボるでせめて授業だけにしとけ。」
「あ?」
その声には、一切の怯えも、一切の震えも無かった。それは、ソラに睨まれても、変わらなかった。
「来た、ってことは一応出席だ。早退するならいいが、サボりなら鞄は置いて行った方が良い。ウチは別に授業に出ているかは加味されないからな。ただ、鞄が無いと帰ったとされても仕方がない。帰ったのなら帰ったとして早退記録が付く。放課後にでも取りに来れば、きちんと出席にはなるだろ。」
「あん?・・・ちっ。確かにそれもそうか。」
カイトの言がお小言でもなく単なるアドバイスであった事に気付いたソラは、少し意外に感じつつも少しだけ考え込んだ。早退した事になると、確実に家に連絡が行き、またお小言を言われる事は確実であった。それを判断したソラは、カイトの言葉に従うことにした。そして、ソラは鞄を机の横に掛けて、今度こそ、教室を出て行った。
これが、カイトとソラ、のちに親友となる二人のファーストコンタクトであった。
お読み頂きありがとうございました。




