断章 第24話 お着替え
さて、富士山の山頂の聖域を脱したカイト達はというと、その後はすぐに『富士桜の姫』こと桜姫を連れ出して大阪にまでやってきていた。
東京ではないのは第一には下手に天道家に興味を持たれても面倒という所で、第二には彼女からしてみれば関東より関西の方が馴染みが深いからでもあった。更にはここにはカイトが設置したマーカーがあり、転移しやすかった事も大きい。
勿論、それだけではなく魔術的な守りであれば関西圏の方が遥かに優れている事もある。土地として、最も厳重な警戒が行われているのは関東ではなく関西だ。それは日本の歴史を考えれば当然だろう。連れ出すにしても、きちんと彼女らの身の安全も考えての事だった。
「ふわー・・・」
桜姫が物珍しげに周囲を見回す。彼女からしてみれば数百年ぶりの外界だ。見るもの全てが見知らぬも同然だった。特にこの百年で日本は一気に大きく変貌を遂げたのだ。まさに、別世界という感じさえあった。
「凄いわねー」
「でしょ? これが、今の日本よ」
驚いた様子の桜姫に対して、ヒメは笑いながらそう告げる。カイトはその二人に気ままに行動してもらう事にするつもりなのだが、その前にやっておく必要がある事があった。というわけで、彼はスマホを片手に何処かへと電話をしていた。
「ああ、うん。うん・・・うん、悪い。ん、じゃあすぐそっちに行くよ」
『わかった。待ってるわね』
カイトの言葉に応じたのは弥生だ。彼女はさきの事件が終了して早々に京都の神楽坂本店に戻っていたのである。どうやら今回の一件を受けて今後は裏にも関わる事になるだろう、とご先祖様にお目通りを願っていたらしい。お盆頃にカイトも一度お目通りをしてくれ、と頼まれていた。
「良し。とりあえず向こうも準備出来たって」
「そう。じゃあ、またお願いね」
「あいよ」
ヒメの申し出にカイトは頷くが、そんな二人に対して桜姫は首を傾げる。
「またどこかに移動? もう少しここ、見たいんだけど・・・」
「あはは。桜姫様。少々、周囲をご覧くださいますか?」
「?」
桜姫はカイトの言葉に従って、周囲を見回す。するとどこでも自分と視線が合う事に気付いた。
「皆こっちを見てくれてるわね」
ひらひら、とこちらに視線を向ける者達――男女問わず――に柔和な笑顔で手を振る桜姫であるが、やはりここら天然だった。カイトが言いたいのはそういう事ではなかった。
「い、いえ、そういうことではなく・・・勿論、お二人がお美しいというのは当然なのですが」
「あら、お上手」
「いえ、ただ見たままを・・・って、そうじゃなくて。どうも調子狂うな・・・」
「気にしてたら進まないわよー」
天然気味というかおおらかな桜姫にある意味では振り回されて頭を掻くカイトに対して、ヒメが笑いながら気を取り直す様に告げる。ここら、ヒメは長い付き合いなのだ。更には『騎龍の契約』も交わしている。わかりきった話という事なのだろう。
「ほら、お召し物を見てくださいますか?」
「お召し物・・・? そう言えば皆、昔とは随分変わった服を着てるのね」
「はい。今では洋服という西洋より伝来しました衣服を身に纏って居るのが一般的。桜姫様の様にお着物をお召しになる事は珍しいのです」
「へー・・・」
桜姫は再度周囲の若者達を見回しながら、たしかに自分と同じ着物を着ている者が見受けられない事を把握する。
「もしかして・・・目立ってるのかしら」
「ええ・・・いえ、桜姫様とアマテラス様のお姿ですのでそれで目立たぬという方が不思議のある事なのですが・・・お着物がその一因である事は否めません。それにせっかくですので、今の衣服という物も着てみたくはありませんか?」
カイトは柔和な笑顔で桜姫に問いかける。それに桜姫は僅かに目を見開いて、笑顔で頷いた。
「あ、それは良いわね。では、ぜひ」
「はい、では」
カイトは桜姫の手を引いて、再び『転移門』を作り上げる。そうして、三人は今度は京都へと移動する。向かった先はカイトおなじみの神楽坂本店だ。そしてそこは桜姫にも一瞬で理解出来たようだ。
「あら、ここ・・・神楽坂家ね。随分と変わったけど・・・うん、趣には昔からの名残りがある」
「ええ、神楽坂家です。今では・・・と言っても昔は知りませんが服屋を営んでおりますので、彼女らにお召し物を頼もうかと」
「あら、そういうことなのね」
なるほど、と桜姫が納得する。なお、今年は流石に皐月は店番に立つ事は無いとの事らしい。受験生なので家――と言ってもこちらには来ているらしい――で勉強しているとの事で、睦月さえなんとかなれば別にカイトが普通に出入りしても問題無い状態だった。
「ええ・・・では、こちらへ」
「はい」
桜姫がカイトに促され、神楽坂本店の戸を潜る。と、それとほぼ同時にヒメが不満げに声を上げた。そろそろ拗ねる頃合いだったようだ。
「・・・と言うか、私も構いなさいよ」
「いや、悪い悪い。では、お姫様もこちらへ」
「はい、よろしい」
「あらあら」
ころころと楽しげに桜姫が笑う。これはヒメに笑っているというよりも、コロコロと変わるカイトの態度を笑っているという所だろう。と、そんな二人を見ていて、桜姫が思い立った。
「あ、そうだ。カイト」
「はい、なんでしょう」
「その口調、止められますか?」
「はぁ・・・可能ですが」
そもそもこの口調は桜姫が祖先故に敬っているだけであって、年齢が離れていようと大抵の相手にはヒメに対する様なタメ口で通している。直せと言われれば直せるのである。
「じゃあ、それでお願いします。せっかくだもの。たまには、ね」
「あ、それは良いわね。カイト、私からも命令よ」
「はぁ・・・やれやれ。はいよ、お姫様方」
桜姫とヒメからの命令に、カイトは肩を竦めながら頷いた。それがお望みとあれば、カイトはそれを聞き届けるまでの事だった。と、そんな一幕を終えた所で、とりあえずカイトは本題に入るべく店員の女性に声を掛ける事にする。
「いらっしゃいませ」
「神無さんはいらっしゃいますか? 予約していた葵なのですが・・・」
「ああ、伺っております。少々、お待ち下さい」
そもそもここらは桜姫を連れ出す前に準備を整えていた為、即座に動ける様になっていたようだ。というわけで、カイトの求めを受けた店員が内線を使って店の奥へと連絡を入れる。
そうして、少し待っていると着物姿の神無と弥生が姿を表した。下手に店外で待っていられると目立つので、裏に引っ込んでおいて貰っていたのである。
なお、二人は来たのが天照大御神と『富士桜の姫』という事は知らない。さる神様、とだけしか言っていない。先の一件で会った事のある弥生はともかく、神無が下手に緊張されても面倒だからだ。
「お待ちしておりました」
「この子、お願いできるかしら」
「かしこまりました。ご用意を整えてまいります」
ヒメの言葉に神無と弥生が頭を下げ再び店の裏に引っ込んでいく。唐突ではあったが裏からカイトが手を回して幾つかの衣服については購入出来る様にしており、それを持ってきてくれる事になっていたのである。そうして、即座に神無が幾つかの写真を持って帰って来た。
「こちらの中からお選びください」
「へー・・・今の子達ってこんなの着てるのね・・・」
桜姫が興味深げに今の女の子達が着用する衣服を選ぶ。と言っても、見ているのは写真だ。流石にここで衣服を広げるわけにもいかないので、写真を撮って後で持ってきてもらう事にしていたのであった。と、それをヒメと共に見る一方で、弥生がこそこそとカイトへと問いかける。
「誰なの?」
「ああ、天照大御神だよ。ほら、ヒメちゃん」
「え? でも・・・」
「ちょっと色々とあってな。体躯はこの状態らしい。ほら、太陽の活性化とかってニュース、見てないか?」
「ええ、聞いた事はあるけど・・・」
「太陽神だから、影響出てるんだってさ。で、肉体が成長してるっぽい」
弥生が首を傾げたので、カイトは少しだけ事情を説明しておく。ここら、まだまだ彼女は関わって少しだ。こういう事が起こり得るとイマイチ認識しにくかったようだ。
「・・・まぁ、それならそれで良いのかしら。あ、そうだ。カイト。それで貴方に似合いの衣装を、とヨミさんに言われたお母さんが見繕ったんだけど・・・どうする?」
「似合いの?」
「ええ・・・ちょっと楽しいと思うわよ?」
弥生は少しいたずらっぽい顔でカイトへとそう告げる。というわけで、カイトはその言外の意図を察する。ヨミの言葉ということは着る様に、とこちらにアドバイスをしたということだ。従った方が得策という事なのだろう。
「はぁ・・・わかったよ。とりあえず着れば良いんでしょ、着れば」
「そういうこと」
とりあえずこの日本有数のお偉方の目を逸らす役割もカイトにはある。特に桜姫はカイトがある意味では強引に連れ出した立場だ。身の安全だけは確実に確保しておく必要があるだろう。であれば、偽装の一つもしておくべきだった。
「おーい、オレちょっとヨミがなんか手配してたらしいから行ってくる」
「あの子が?」
「らしい」
首を傾げるヒメにカイトは肩を竦める。少なくとも碌な予感はしないが、とりあえず着替えに向かうべきだろう。というわけでカイトは従業員用の更衣室へ向かって、そこで従わなければ良かったと思う事になった。
「・・・弥生さーん。ごめん、ちょいとスマホ取ってー」
「あらあら」
弥生が笑いながらカイトの望みに従う。実は衣服を渡したのは彼女なので、中身は知っていたのである。
「・・・」
『・・・お掛けになったでん』
「んなの良いわ!」
わざわざ自声で電話会社の登録している自動音声ガイダンスを流そうとしたヨミの言葉を遮って、カイトが声を荒げる。
「この服、どういうわけだ!」
『お似合いですよ』
「まだ着てねぇよ!」
『おや・・・やはり<<八咫の鏡>>は使っておくべきでしたか』
どうやら、今回は覗き見はしていなかったらしい。ヨミがうっかり、という具合に扇子で額を叩く音が電話に入り込んでいた。
「やらんでええ・・・はぁ。で? この燕尾服のロメオ君の様な衣服の意味は」
『そのままですよ。ほら、今の姉上だと多分ナンパはひっきりなしでしょう?』
「まぁな。オレでも思わず声を掛けるさ」
『あっははは。まさか。貴方、道端の女性をナンパしたことないでしょう? それはさておき。どんな男とて横に燕尾服の執事が一緒であれば声なぞ掛けられないでしょう。サングラスのSP、怖いですからね』
「そりゃそうだ」
ヨミの言葉にカイトも思わず即座に納得する。どんなにチャラいと評される男だろうと、横に執事が一緒のお嬢様をナンパなぞ出来ようはずもない。まさに物語の存在の様な感じだからだ。
どんなナンパ男達とてそこまでの度胸があるわけではないだろう。後は万が一の場合には式神ででもガタイの良いSPを出せば、安全だろう。流石にどんなナンパ男だろうと、サングラスの明らかにヤバそうな方々に囲まれてはすごすごと引き下がるしかないだろう。
「つってもこのご時世にどこまでそんな護衛を引き連れたお嬢様が居る事やら・・・」
『意外と多いですよ、護衛を連れた上流階級のお嬢様は。知らないだけで』
「ほーん・・・で、これに身を包んで良いように使われておけと?」
『得意なのではないですか? 貴方意外と』
「やれと言われれば、やってみせましょう」
カイトは笑いながらヨミの挑発に応ずる。確かにお嬢様二人に単なる男一人で居るより、お嬢様二人に執事一人の方が人は遠ざけられる。逆に注目の的になる可能性はあるが、それはそれだ。逆説的に考えれば注目の的になれば相手も手を出しにくいという事でもある。利用できる。
「しゃーない。やりますかね」
カイトは蒼い髪を黒に染めると、そのまま一気に燕尾服に袖を通す。そのまま更に手早くネクタイを締めて親友と揃いの懐中時計を取り出すと、それを上着のポケットに仕舞っておく。そうして、更衣室のカーテンを開けて恭しく一礼した。
「お待たせいたしました」
「あら、やっぱり似合うわね・・・でも、出来れば今度はネクタイぐらい締めさせてくれないかしら」
「おっと・・・お嬢様。これは失礼を」
カイトは弥生の苦言の様な言葉に恭しく手を取って一礼する。どうやら、弥生は自分でネクタイを締めたかったらしい。そうして、一度執事っぽく振る舞ってからカイトは素に戻った。
「ま、それは結婚後のお楽しみに取っておいてくれ」
「~~~」
「あはは。じゃ、後の始末はよろしく」
「もうっ」
顔を真っ赤にした弥生がカイトに嬉しげに不満の声を漏らす。結婚云々はやはりまだ恥ずかしいようだ。そうして、カイトは外に出てお嬢様方の下へと向かう事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




