断章 第17話 二度目の夏 ――開始――
遠く。遥か遠くの事だ。平安時代もまだ中頃の話。その日、二人の男達が酒を酌み交わし合っていた。
「酒でも飲むか、と貴様が言う程だ。名酒を持ってきたのだろうな」
「ああ。おそらく俺が持ってこれる中では最上の名酒を持ってきた」
酒呑童子の問いかけに対して、頼光が一つの酒の入った容器をお互いの間に置いた。そうして、二人は静かにそれを盃に注ぎ合う。
「・・・」
「・・・」
無言で二人は盃を呷り、中の酒を一気に飲み干した。そうして、僅かな余韻を楽しんだ後、先に口を開いたのは酒呑童子の方だった。
「ああ、良き酒だ。今までの一生涯の中で飲んだ中で最高の味だ」
「当たり前だ。無理を言い、伊勢神宮より貰った神の酒だ」
「くっ・・・」
思わず、酒呑童子が笑みを零す。この意味なぞもはや言わずとも理解出来た。この男は本当に律儀だ。酒呑童子は友であり宿敵であり、決して相容れぬ相手である頼光とこのような場が設けられて、ただただその幸運を噛み締めていた。
「はぁ・・・貴様は本当に律儀な男だ」
「・・・」
酒呑童子の言葉に頼光が目を伏せ無言で震える。これは帝よりの勅令であり、道長より命ぜられた事でもある。だから、京都の守護を司る彼に拒絶なぞ出来なかった。
「ははは。あぁ・・・良い酒だ。神の酒。名をなんという」
「名は神便鬼毒酒。鬼でさえ、一口に酔う酒だ・・・」
「そうか。鬼さえも一口に酔う毒酒か・・・うむ、毒酒のなんとも美味な事か。これは知らなかったな」
酒呑童子は涙を堪えた頼光の言葉に笑うと、静かに再び盃の酒を飲み干した。心は、穏やかだった。ここまでの男が心で涙しているのだ。嬉しさこそあれ、悲しさなぞあろうはずもない。
ならば鬼の長として、ただただ泰然とその宿命を受け入れるだけだ。今更逃れるつもりなぞない。わかっていたことだ。逃れては、ならないのだ。
「・・・良き酒だ」
「・・・ああ」
これが、頼光が酒呑童子と交わした最後の会話だ。頼光はこの光景とそこで交わした会話を永遠に忘れる事はなかったという。そうして、その夜。酒呑童子とその四天王達は頼光達により、ただ一人茨木童子を残して首を刎ねられる事になるのだった。
カヤを救い出し箱根の旅館にて一夜を明かした後。カイトは頼光の所へと赴いていた。
「おぉ、カヤ。久しいな・・・と言ってもお前には久しいという感は無いのだろうが・・・」
「兄様。全て、お聞きしました。兄様にも金時にも随分ご迷惑をおかけしたと・・・」
「ははははは。気にするな。元々親父殿より牛頭天王の生成りであるとは聞いていた。こういうこともあろう」
カヤの感謝と謝罪に頼光は気にする事はない、と大いに笑って全てを水に流す。
「とは言え、すまんと言うのは俺の方だ。すまぬな、この様な時代に目覚めさせることになってしまって・・・」
「いえ、カヤも初めて聞いた時にはびっくりしましたが、これもまた諸行無常という事なのでしょう」
「うむ・・・」
頼光が頭を下げたのに対して、カヤは慌ててそれに首を振る。別にあのまま封じていても良かったが、それを良しとしなかったのは頼光達だ。彼らの事情で封じて、彼らの事情で封を解いたのだ。申し訳なく思っていたらしい。
「それに、このような時代にならねば父様にも兄様心苦しい決断をさせていたでしょう。悲しくはありますが、これもまた必然だったのかと」
「そう言ってくれると助かる」
頼光は再び深々と頭を下げる。今度は謝罪ではなく感謝だ。というわけで、すぐに頼光も頭を上げた。それに対して、今度はカヤが慰めを送る。
「それより、兄様。その、酒呑様がお亡くなりになられたと・・・」
「・・・聞いたか」
「清明様より幾許かは。ただ、どうしても信じられず・・・」
カヤはどうしても、頼光が酒呑童子を討った事が信じられなかったようだ。それ故、僅かな不安を滲ませながら問いかけていた。それに、頼光は少しだけ沈んだ様子を見せた。
「仕方がなかったのだ、あれは。うむ、そうだ、仕方がない・・・」
頼光はカヤの問いかけに自分に言い聞かせる様に悔恨を語る。それに、カヤも残念そうだった。真実だと悟ったのだ。何があったかは、深くは問うつもりはなかった。
「そうですか・・・」
「まぁ、気にするな。奴は何時か、帰ってこよう。その時には、再び鉾を交える。それが、俺なりの奴への弔いだ」
頼光は気迫を漲らせる。何時か、酒呑童子が己の前に現れる。その時に鈍った身体では一息に食い殺される。そうならぬ為、だ。そしてその姿に、カヤは安堵を浮かべた。
「そうですか。兄様は変わられませんね。では、カヤもお手伝いさせて頂きます。清明様いわく、昔よりはるかに強くなっているとのこと。今度はお手伝い出来るかと」
「うむ。俺は変わらぬよ。っと、金時も帰って来たか」
頼光は嬉しそうにカヤの言葉に頷くと、丁度その頃合いを見計らったかの様に庵に来客が入ってくる。頼光には足音で金時と分かった。そうして、彼らはその日はただただ色々な事を話し合うのであった。
さて、そんな過去の嘆きの一つが拭われた頃。カイトは今は邪魔すべき時ではないとカヤを引き合わせると同時にその場を遠慮すると、一人富士山の麓の信綱の庵――当たり前だが彼にも家はある――へとやってきていた。
「そうか。丑御前・・・椿姫が目覚めたか」
「はい。とりあえずは事もなく」
信綱の問いかけにカイトが頷いた。丁度休憩に入った事もあり、ここ数日の事を語っていたのである。
「そうか。まぁ、良い事だ」
「は・・・」
「うむ・・・良し。とりあえずは馳走になった」
「ご満足頂ければ何よりです」
信綱の言葉にカイトは笑顔で頷いて茶を差し出した。実のところ茶飲み話として話していたのであるが、その際にお茶請けとしてカイトが京都で買って来た土産を提供していたのである。と、そうして休憩を終えるか、と思った信綱であったが腰を上げる直前に動作を止める事になった。
「・・・ああ、そうだ。そう言えばすっかり忘れていた」
「どうされました?」
「うむ。アマテラス様の事だ」
信綱は座りなおすと、その話し忘れていた事とやらを話し始める。
「ヒメちゃんがどうか?」
「うむ・・・お前、確かこの間の事件の折り、ツクヨミ様にアマテラス様の事を聞いていたと聞いたが」
「ええ・・・少々、故あって月よりかぐや姫に語られるかぐや姫こと輝夜、月の女神である姮娥、月の星霊たるルトの三名を連れ戻りまして。その際出迎えると言う話でした彼女はそこにおらず、となり訝しみ・・・」
「らしいな」
そこは聞いている、と信綱も頷いた。この通り信綱とカイトの関係性を考えれば、日本の神でカイトに繋がりやすいのはヒメ達三人を除けば彼が一番適任となる。
なのでここらの話を聞いていても不思議はない。更にはここの性質上、騒がしくなる事が無いので静かにしたい神様が来る事は良くある。なのでここ数日の間で誰かが話していても不思議はないだろう。
「その件で話がある、と近いうちに高天原へ顔を出す様にツクヨミ様より先ごろ連絡が入ってな」
「近いうち? 今からとかではなく、ですか?」
「ああ。遅くとも二両日中には、だそうだ」
「わかりました。では、明日の朝一番には向かわさせて頂きます」
「そうしておけ」
カイトの応答に信綱が頷いた。幸い頼光の案件は終わったし、彼からまた何か頼みがあったとしてもそれは今回の様に長時間出る事の無い話――例えば政府との交渉の口添え等――だろう。
「さて、では再び修練に入るか」
「はい」
信綱の言葉に従って、カイトは立ち上がる。そうして、その後はほぼほぼ修練に費やす事となり、夕暮れまでカイトは富士山の麓に滞在する事になるのだった。
と、富士山の麓から帰還した後。カイトはある意味ではいつも通り自室でのんびりとしていた。とは言え、状況としてはのんびりと全員で並んでゲームしていたわけであるが、口は明日の予定について話し合っていた。
「と、言うわけで明日ちょっと高天原まで出かけてくる」
「んー、一人で?」
「ああ、一人で。信綱公を通したということはオレ一人で来いって話なんだろ。流石に全員一緒で良いのならネットで話を通すだろうからな」
モルガンの問いかけにカイトは頷いた。基本的にヒメにせよヨミにせよスサノオにせよ、ネットを通じて話し合いが出来る。なのでカイトを呼び出すのであれば、人を通す必要なぞ無いのだ。
ティナが構築したサーバを使えば政府機関にもバレないし、わざわざ人を通すと言う手間を噛ませる必要もない。それをしなかったということは、何らかの理由があっての話というわけだ。であれば、確認が取れるまでは一人で行くべきだろう。
「じゃあ、今回はしっかり残留だね。長くなりそう?」
「どうだろ。そこまで真剣味は無かったんだが・・・」
カイトは信綱の話から、そこまで剣呑な話ではないと考えていた。更には前の時もヨミ曰く唐突に始まった、という話があった。
「どういうお話なんだろ」
「さぁ・・・最近姿を見せないのも、気になるんだが・・・」
カイトはモルガンの言葉に僅かな不安を覗かせる。カイトはネットを介して神様達とよく話をしている。特に時差の関係や土地の関係でヒメ達日本の神々とはよく話す。
が、ここ当分はヒメは一切参加せず、疑問には思っていたのだ。更には同じ内容の事を綾音も言っており、特に彼女が心配していた。どうやらカイトが学校等に行っている間によくネットで集まっているらしい。最近連絡が取れないので気にしている様子だった。
「まぁ、とりあえず行ってから考える」
「そっか。まぁ、それはおまかせで」
神様から呼ばれたのだ。であれば、立場上それはまずカイトが単独で行くべき事で、その後もし可能ならば二人も同行すれば良いだけの話である。イシュタルの時と同じ――と言ってもあの時は単なるお目通りなので一緒でも問題はなかったが――だ。基本的には、カイトが行うべきなのである。
「で・・・当分はどうするの?」
「とりあえず当分予定は無いかなぁ・・・アメリカ行きも半月先だし・・・お盆に大阪向かうぐらいかなぁ・・・」
カイトはゲーム画面を見ながら、今後の予定を考える。基本的に急ぎの用事はすでに全部終わっている。今のところで後なすべき事は半月先の対外なる神との戦いに向けた調整ぐらいだ。
「あ、私も伏見稲荷の千本鳥居見たい!」
「あ、それは確かに楽しみ」
「あー・・・そう言えばお前ら前に伏見稲荷行った時には居なかったんだっけ」
そう言えば、とカイトは思い出す。去年のことはすっかり忘れていたが夏にはまだ彼女らは居なかった。過去世の記憶があるのでずっと一緒の様な気がしたが、実際に一緒なのはまだここ数ヶ月の話だったのである。
「あー・・・なんかお前らとずっと一緒に居る気がするんでなぁ・・・」
「どの時からだっけ」
「思い返せば長いよねー、この付き合いも」
三人は並んで笑う。どんな時も一緒に、というわけではなかった。一緒でなかった時もある。ただ一人でカイトが苦しんだ事もある。が、それでも最後には一緒だったし、今はこうだ。今こそ全て。過去なぞ過去だ。気にしてもいられない。
「そう言えば・・・本当にずーっとずーっと疑問だったんだけど。ヴィヴィ」
「何?」
ゲーム画面から視線を外さないモルガンの問いかけに、同じくゲーム画面から視線を外さないヴィヴィアンが首を傾げる。
何気に秘密にしている事が多いのが彼女だ。それは現世に限った話ではなく、それこそかなり昔から秘密にしている事は多い。故に腹黒妖精なぞと評されるのであるが、それ故古い知り合いであるモルガンであっても知らない事は多かった。
「あんた、結局何だったわけ?」
「何が?」
「一番最初の頃よ。あんたが、一番古い訳でしょ?」
「まぁね」
モルガンの問いかけをヴィヴィアンが認める。一番古い相棒という意味であれば、それは彼女だ。彼女自身もカイト自身もそれを認めている。勿論、モルガンも今はここに居ないユリィもそれを認めている。現世は逆順になっている、と言う言葉からもそれは現れていた。
「お尻から降ってきたんだっけ。懐かしいなー」
「きゃあ! 今それ言わないで! ああ、ミスった!」
ヴィヴィアンのニコニコとした言葉にモルガンが悲鳴を上げる。どうやら、事実らしい。そしてその焦った隙を突かれて、どうやら負けたようだ。
「あはは」
「くっ・・・だからあんた腹黒なんて言われんのよ・・・」
「モルガン、昔に戻ってるよ」
「いーの! 今はこっちの性格の方が! あっちだと包容力あるけど闘争心こっち高めだから! と言うか、どんだけ転生しようが性格殆ど変わんないあんたが可怪しいんでしょうが!」
「あはは。変わらない物もあるんだよ」
大昔の性格が表に出ている事を指摘されたモルガンはムキになってコントローラを握り直し、一方のヴィヴィアンはそれに笑ってゲーム画面に集中し直す。
「・・・あー・・・はぐらかされてら」
そんな二人を見て、カイトがボソリと呟いた。いい具合に話を逸らされていたのだが、モルガンはそれに気付いていない様子だった。
まぁ、それも良い。カイトはそう思う。もっと昔のヴィヴィアンを知っているのは、この世でカイトただ一人だ。カイトと出会う前のヴィヴィアンは彼以外誰も知らない。ヴィヴィアンがその思い出を大切に箱の中に仕舞っていたいのであれば、それもまた良いのだろう。何時か語るかもしれないが、それは彼女に任せる事だ。
「んー」
「どしたの?」
「何?」
唐突に手を止めたカイトにモルガンとヴィヴィアンが訝しむ。と、そんな彼はふと思い、二人を同時に抱き寄せてそのまま背中から倒れ込んだ。
「「わっぷ」」
「うん、幸せ。うん、幸せだ」
「「・・・」」
ただ穏やかな表情で幸せを噛みしめるカイトに抱き寄せられた胸の上。モルガンとヴィヴィアンは一瞬目を丸くするも、同じ高さにあった相手と視線を交わす。そうして、同時に笑顔を浮かべた。
「やれやれ。これでも良いけど、ユリシアの場所はどうするのやら」
「あはは。今は居ないから考えなくて良いんじゃないかな」
二人が笑う。その顔はやはり、幸せそうだ。これで良いのだろう。そうして、そんな形でカイト達の夏は本格的にスタートする事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。丑御前編終了。次からはまた大筋が変わります。




