断章 第6話 真説・丑御前の御本地
平安期の中盤から終盤に掛けて侍の一派である摂津源氏の総大将を勤めていた源頼光。同時に酒呑童子を討った伝説の侍でもあり、同時代最強格の武士でもあった。その招きにあったカイトは、とりあえずの社交的な会談を行っていた。が、それも宴も酣となった頃合いに、頼光が話の本題ということで一つの昔話を始める事にした。
「あれは・・・まだ金時が仲間に加わるよりずっと前か。まだ俺が源氏の棟梁を継いでおらず、父・源満仲が源氏の棟梁をしていた頃の時代だ」
頼光は今より一千年以上も昔の事である、と明言する。でれば、それは平安時代の事なのだろう。
「浄瑠璃は『丑御前の御本地』に語られる内容だが、一部は間違いではない。が、流石に親父殿が夢に見たわけでも、母が三年三ヶ月孕んでいたわけでもな。流石に、そこらは道理ではあろう」
頼光は少し笑いながら、当然の事として一部には脚色が加えられている事を明言する。ここらは自然な事で、いくら神の子だろうと魔族の子だろうと、勿論人間の子だろうと妊娠期間は変わらない。当たり前だ。本来、神の子だろうとなんだろうと、結局は生命体としては『人』の子なのだ。
流石に十月十日と言われる妊娠期間が変わる事は人の子である以上、何らかの異常、例えば胎児の段階で何らの処置――例えば人為的に成長させた、祖先帰りをさせた等――が無ければあり得ない事だった。そしてその処置とてよほど特殊な物でなければ、妊娠期間が短くなる事はあれど長くなる事はない。
なので長いように描かれるのは得てして、その者の異常さを際立たせる為の脚色と考えて間違いない。なお、念のために言っておくが同じ理由で生まれた時から髪が生え牙があり、という事もあり得ない事は明言しておく。
「まぁ、それは置いておくとしてだ。流石に親父殿が関係ないわけではない・・・あれは、俺が元服して少しの頃の話か。あの当時、少々の揉め事があってな・・・話は少し変わるが牛頭天王は知っているか?」
「祇園社に祀られている神の事か? あまりに情報が錯綜しすぎていて、流石にオレも詳しくは知らんが・・・」
「ああ、その通りだ。その牛頭天王の事だ」
カイトの微妙な反応を頼光が認める。何故カイトが知らない、と言ったかというと、彼の言うとおり情報が錯綜しすぎているからだ。神として見れば道教要素が強いわけなのであるが、実のところ中国の道教に牛頭天王という神は存在していない。
出身は須弥山の中腹にあるという豊穣国。が、この須弥山というのはそもそもインド神話の中心にあるとされる山の事だ。道教でもない。
その他スサノオの影響も見られているし、明治時代の国家神道の考え方から政治の影響も見られる。故に定説は定まっておらず、敢えて言ってしまえば良くも悪くも日本らしいごちゃまぜな神様と言える。
閑話休題。影響として道教の影響が強い為、ヒメの影響下にない道教の神になるようだ。変な話であるが、日本土着の神なのに道教に属しているわけである。
信仰に国境は関係ない。故に中国の道教であろうと、日本で生まれた神がそれに属する事は十分にあり得る。そしてそれ故、八百万の神々ではない為カイトも知り得ないというわけなのであった。
「まぁ、これを敢えて出したのは勿論、理由がある。その牛頭天王を降ろそうとした者達が居たのだ」
「神降ろし、という奴か?」
「そうだ。神降ろし。巫術の一貫であり、どこの国だろうと常に語られる呪法の一つ。数多の呪法があれど、おそらく最高位に属する物の一つだろう」
「まぁ・・・神を降ろすのだからな」
頼光の言い方にカイトは同意する。少し苦笑が混じっていたのは、過分に持ち上げすぎな様子があったからだろう。『神降ろし』と言えば御大層に聞こえるし相当難しいように思えるが、決してそうではないからだ。
「とは言え、それは少々持ち上げすぎだろう。あれは敢えて言ってしまえば難しい降霊術と大差がない」
「情緒もへったくれもないな」
「が、事実は事実。神とて人の一種。親を世界として、そして世界に近い存在というだけだ。更に言ってしまえば親を世界とする、というのは第一世代・・・例えばイザナギ殿やイザナミ殿らぐらいなものだ」
カイトは頼光の苦笑に首を振って道理を説く。ここらは分かってはいるがやはり神と捉える頼光と、所詮神族という一つの種族と捉えるカイトの差だろう。
やはり、人と神。どうしても敬ったりするのは英雄達とて一定数以上には存在している。平然と関わるのは月の女神を恋人として神様が普通である事を身に沁みて理解しているカイトや、玉藻や茨木童子らある程度の反骨心を持つ者達ぐらいなものだろう。
なお、一応言及しておくが頼光の言う『へったくれ』というのは方言で、『ヘチマ』の事だと思えば良い。が、カイトも関西圏出身であるので普通に通じていた。
「そしてまぁ、神だけではないが魂には分け御霊という概念がある。神様はそもそもが魂のみで構成された生命体のようなものだ。そして神といわれるようにその権能故、己の存在、いや、力を分け与えやすい身体構造にはなっている。神降ろしはそこまで難しい技量とは、言えないな」
「ははは。そうではあるな」
カイトの言葉に頼光は深く頷いた。神降ろしはさほど難しい技量ではない、と二人は同意したが勿論それでも難しい事には変わりがない。相手は強大な力を持つ神。世界の末端だ。それを呼び出すだけでも莫大な力が必要となる。
それを彼らに最適な彼らの自身の肉体以外の身体に降ろすのだから、制御等を考えればとんでもない技量が必要である事は間違いない。敢えて言うのであれば、二人が言いたいのは星有数の才能ではなく国有数の才能で事足りる、という程度の話だろう。程度の問題だ、という事らしい。
「まー、言ってしまえば『神降ろし』とは降霊術の純粋な意味での奥義、という所か。国に数人修めている奴が居た所で不思議の無い技法ではあらぁな」
「そうだな・・・そして、それ故の話なのだ」
どうやら、決して無関係故にこの話題になったわけではないらしい。頼光はそれ故、と明言しておく。
「かつて、牛頭天王を降ろそうとした者が居た。いや、これはこの時に限って言える話ではないな。どういうわけか、牛頭天王を呼び出そうとする者は多かった。そうして生まれたのが、いわゆる牛鬼だ」
「牛鬼・・・牛鬼とも言われる鬼の一種か。確か女人の形で化けて出るという話だったはずだが・・・申し訳ない。あまり詳しくは無い。牛鬼という妖怪が居る事は知っていても、関わった事がない」
「その、牛鬼だ。まぁ、珍しいのも仕方がないだろう。生まれた理由が理由故にな」
カイトの謝罪に頼光は首を振る。そしてそう言う理由であれば、伝承で各地に残るのも理解出来る。神降ろしを為し得た者は歴史上一人や二人では事足りない。おそらく陰陽師達に伝わる公的なだけでも二桁に登るだろう。
であれば、非公式な者も含めれば今までに日本だけでも三桁は存在していたと考えて良い。特に日本は世界的に見ても異端の地だ。稀有な才能や有能な才能を持つ者は多かったはずだ。
それはともかくとして、その者達の多くが実際に神降ろしを行おうとした時、まず考えるのはどの神を降ろそうかという所だろう。となると、有名所を降ろそうと考えた者は少なくないはずで、そうなると必然、祇園社の牛頭天王は候補に入っていても不思議はないだろう。そうしてそこらの認識のすり合わせを行っておいて、頼光は続けた。
「生成り、という者達は知っているか?」
「いわゆる取り憑かれた者達の事か? 物語に語られる・・・」
「その生成りだ。あれは謂わば降霊術を使った結果の失敗の様な物と考えれば良い。鬼を降ろそうとして鬼の生成りとなる、という感じか。多いのが鬼故、鬼を例に上げたが他の生き物でも生成りは生まれる。まぁ、人間と人間だと身体的変化が現れぬ故に生成りになっていてもわからんだろうが」
「それは分かる。異世界でもそう言う事例は幾度か報告されているし、降霊術に長けた驕った魔術師が陥りやすい失敗の一つでもあると聞いている」
「そうか。ならば、詳細は語る必要はあるまいな。兎にも角にも生成りは降霊術を行い、それが制御出来なくなった結果の一つと思えば良いわけだ。対象、もしくは術者に僅かに適性があった結果、自己崩壊が避けられるも自己を見失う、という所か」
「らしいな」
頼光の一応の説明にカイトは応ずる。とは言え、実のところここらは彼にとって専門分野に近い。なので言われるまでもなく、それこそ頼光よりも知っていただろう。が、飛空石の一件があるように日本ではエネフィアと単語の意味が違っている可能性もある。なので念のため、認識のすり合わせをしておいたのであった。
「ということは・・・牛鬼というのは」
「うむ。そういうことと捉えてもらって構わない。牛頭天王を降臨させ、その生成りとなった者達。知っているだろうが、生成りとなった所で凶暴化するのは稀だ。勿論、自我が崩壊していく過程で暴れる事もあるだろう。あるだろうが、その程度だ。制御出来れば自然収まりもする」
「が、牛頭天王は知っての通り暴れ者でも有名。そして神だ。生半可な適性や才能では御しきれない、か。それに影響され、ということか?」
「そういうことだ」
己の言葉から答えを類推したカイトの問いかけに頼光ははっきりと頷いた。そしてであれば、と話を続ける。
「・・・先の話に戻るが、私が元服した頃の話だ。牛頭天王を降臨させようとした者達が居た。知ったのは清明殿から時の帝に奏上があったそうでな。即座に下知が下り父や元服したばかりの俺と綱、綱の父を筆頭とした源氏の武士達が討伐に向かう事となった。が、如何せん敵は相当な策士であった。準備万端、こちらへの備えも十全に行った、という所。それはまぁ、酷い有様だった」
頼光はその時の苦境を思い出していたのか、非常に苦い笑いを浮かべていた。如何に源頼光と言えども当時はまだ元服したばかり。異世界へ転移したばかりのカイトと同年代だ。それで並み居る怪異や朝廷に仇なす者達を倒せるはずもないだろう。後に彼曰く、あの時ばかりは心底肝を冷やしたそうだ。
「そこでほうほうの体で逃げ帰った父は即座に時の帝へ奏上し、策を頂く事にした。が、まぁ・・・良い意見は出んでな。にっちもさっちも行かない状況に追い込まれた。そんな時、少々故あって会議には参列していなかった清明殿に父が意見を伺いに行った。すると、こう言われたのよ・・・神降ろしとは本来、繊細な技術。故にもし何か一つでも不備や誤差があればそれだけで術者の思い通りにはならぬもの、と」
頼光はその当時の清明の言葉を語る。そしてこれは降霊術を使う者であれば、誰もが常識として把握していることだ。一歩間違えば魂の混濁により自己の崩壊が常に付き纏うし、もし術の中に誰かが入り込めばそちらに憑依先が移ってしまう可能性もありえる。万全の準備を整えるのは当然であった。
「それを持ち帰り、父は藤原家の者達や時の帝との間で話し合いを持った。そこで陰陽庁の者達が言うには、もはや儀式の妨げは不可能だろう。であれば、降ろす対象をこちらに移し替えてしまえば良い、と言ったわけだ。まぁ、至極当然な話ではあった。すでに牛頭天王の降臨まであと僅か。後は星辰が整うのを待つだけという状態だ。それも、あれよあれよと後数日。今更兵を集め遮二無二突撃したとて術は壊せぬ・・・ならば、答えは一つしかあるまいな」
道理だな、とカイトは頷いた。もしカイト達だったとてその状況に置かれればその決断を下しただろう事は想像に難くない。
牛頭天王の力を持つ何者かが現れるのはこの日本にとって厄災だとしか言い得ない。それが朝廷に反旗を翻す意思を持つ者であれば、尚更だっただろう。誰か一人を生贄にして、多くを救おうとするのは政治の話として、至極当然の結論であった。おそらく、もし最悪の場合はカイトとて同じ決断を下しただろう。
「そこで、大急ぎで清明殿に頼み込んで儀式を妨害する為の祭壇を拵えてもらい、我らは京をほうぼう探し回る事となった。なったのだが・・・」
「どうした?」
「これがな。幸いな事に即座に見付かった。流石に父も兼家殿も大いに驚かれていた」
頼光は笑いながら、特に苦労はしなかった、と明言する。まぁ、これは笑いたくなるのも無理はないだろう。本来は本当に京都中どころか日本全土を探しても見つかるかどうかのレベルだ。それが一両日中に見付かれば、笑い話の領域だ。
「内裏にな。少々具合の悪いという姫がおられた。やんごとなきお方だ。当時はまだ御年五つという所の幼子よ。これには時の帝も大いに嘆かれておられたのだが・・・姫君の具合を診ていた清明殿曰く牛頭天王の降臨に合わせて体調を悪くしているのだ、と」
「適性があった、と?」
「うむ。雷を纏い、誰にも近寄れぬ有様であった。どうやら、奴さんは贄だか依代だかに男子を選んでいたそうでな。陽の気、陰の気というだろう。陰気であれば女が長ける。その姫君の方が、適性があったわけだ」
「ふむ・・・」
カイトは頼光の言葉に道理を見る。牛頭天王はスサノオと同一視されると共に、インドラとも同一視される事がある。であれば、雷を纏うのは道理だろう。おそらく当時の清明の見立て通り、牛頭天王の降臨に伴って肉体的な相性から影響を受けていたのだと推測される。
とは言え、その程度で済んでいたのは適性の問題だろう。身体が順応出来ていなければ、その余波で儀式が始まった時点で雷に打たれていても不思議はない。そうなれば、まず命はない。相当な適性があったと思われる。
「なるほど。確かにそれは適性がありそうではある」
「うむ。もはや事ここに至りては賭けに出るしかなかった。故に父へと再び下知が下った。と言って今度は総大将は父ではなく、清明殿だ。姫を輿に乗せて清明殿が同行し術を妨害し、その隙に賊共を討ち取れ、とな」
「なるほど・・・確かに可能か。清明であれば、もし牛頭天王が本当に降臨されたとしても抑えきれるだろう。そして術後の隙を突いて突撃を掛ければ、勝てる可能性はある」
「うむ。この策はものの見事に成功した。流石に神降ろしの後とあって術者達も疲労困憊の様子であった。となると、後は父や俺達だけで方は付く」
この討伐はカイトが敢えて聞くまでもなく、本当に楽勝と言える戦いだったのだろう。なにせ神降ろしだ。どれほど繊細な儀式だったかは、察するに余りある。
それを行った後は本来ならば、術者達は牛頭天王の法力を得た者の庇護に守られる予定だったのだろう。が、それが無いのだ。一方的な虐殺にも近かっただろう。とは言え、これで終わりには、カイトには思えなかった。故にカイトが問いかける。
「とは言え、それでは終わらぬのだろう?」
「ああ・・・ここからが、厄介な話だった」
頼光はカイトの問いかけを認める。そもそもここで終われば今カイトを呼び寄せる理由がない。そして牛鬼はどこにも出てきていない。というわけで、頼光は一つ頷いて更にこの話の続きを話し始めるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




