断章 第63話 深きものども
ラバン・シュリュズベリイ教授達と合流したカイトは、ニャルラトホテプの拠点となっているという日本アルプスのとある場所にある資産家の私有地の地下にあるという世界的なシンジゲートの拠点への襲撃を行っていた。その様子は当然だが、襲撃されている側でも発覚されていた。
「ふむ・・・」
この作戦の一応の首謀者格であったニャルラトホテプは一時間程前と同じく、ソファの上で足を組んで膝の上に乗せた黒猫を撫ぜていた。が、そんな彼の聴覚はこの地下の至る所で響いている数々の荒々しい物音を捉えていた。
「はてさて・・・」
ニャルラトホテプは楽しげに笑う。まぁ、言わずともわかるかもしれないが、彼がここにカイトを呼び寄せたのは完全な独断だ。シンジゲートにさえ黙ってやっている。
勿論、カイトがここに来る事は彼が入れ替えた外の深きものどもの警備員達以外には教えていない。故に襲撃が始まって気付いたシンジゲートの構成員と顧客達が大慌てで逃げる用意をしていたのだ。
「まぁ・・・出迎えの一つも出来ぬ身の上だ。せめて一つは、詫びの印でも見せねばなりませんよねぇ・・・」
ニャルラトホテプは僅かな興奮を口にする。が、わずかなのは口だけだ。その顔には燃えるような三つ目が浮かび上がり、相当な興奮にある事を悟らせた。そして、それと同時。怒号混じりだった物音の中に、悲鳴と銃声、何かが破壊される様な轟音が混じり始める。
「あーっはははははは!」
ニャルラトホテプは声を大にして大笑いする。こんなに楽しい事はない。そう言わんばかりだった。
「やはり、良いものだ! 自分達の安寧が覆される様を見るのは! あっはははは!」
ニャルラトホテプは笑いながら、続く悲鳴を耳にする。この土壇場で、彼はシンジゲートを裏切ったのだ。どちらにせよ彼からしてみれば、シンジゲートなぞ単なる潜伏先の一つというだけに過ぎない。それが滅んだ対価にカイトの情報が得られるのであれば、万々歳だった。
そうして、カイト達が来るよりも少し前に、世界的なシンジゲートの日本支部は完全に沈黙する事になるのだった。
さて、少しだけ時は巻き戻り、襲撃を開始したカイトはというと、教授の申し出を受けて単独で深きものどもの扮した警備員の一人の前に躍り出た。
「よう」
カイトは一応の礼儀として、気軽に挨拶を試みてみる。が、どうやら応答してくれる事は無いらしい。カイトを見るやいなや、警備員はまるで魚人のような本当の姿を露わにした。体長は2メートル強。体躯は総じてカイトよりも二回り程大きかった。
「おぉう・・・こりゃまた・・・」
カイトはガタイの良い魚人を観察する。如何にカイトでも深きものどもとの戦いは初めてだ。何をしてくるかわからないのなら、油断すべきではないだろう。
「・・・ふむ」
カイトは深きものどもの様子を観察する。基本的な姿勢等は人間と同じだが、口には人間にはない鋭い牙があったり、目は飛び出ていたりと明らかに人ではない様子があった。敢えて言えばカエルの様な顔、クトゥルフ神話の物語の則るのであれば、インスマス面という奴だ。
まぁ、それ以前に肌には魚の鱗があるし、魚特有の青臭い臭いもしている。誰がどう見ても、人でない事はまるわかりだった。
(身長は2メーター20センチ程度・・・体重は110・・・いや、120キロはありそう、かな・・・)
カイトは地面の沈み込み具合から見て、おおよその体重等を割り出す。敵がどういう動きをしてくるのかは、それだけでも分かる。重要だった。そうして、彼は更に敵の観察を続ける。
(鱗は硬そうか・・・この様子だと確実に重火器は効かなそうだな・・・そりゃそうか。出来てりゃウチとの同盟を強固の推進したりはしねぇよな。何らかの他の対策もあると見るべきか)
カイトは今までの国同士の動きを踏まえて、重火器が無力である事をはっきりと理解する。鱗は水辺で濡れていないにも関わらず僅かに濡れており、何らかの特殊な液体で覆われている様に思えた。カイトや陰陽師達の熟練の領域にある攻撃ならともかく、ジャック達による斬撃が有効かどうかは不明だった。
「しゅぅうううう!」
「っと」
まるで空気の漏れる様な音と共に、深きものどもが地面を蹴ってカイトへと襲いかかる。その速度はガタイに見合わぬ素早さで、筋肉は相当に着いている様に思われた。
とは言え、この程度で追いつけるカイトではない。なので彼は今後の事も考えて、敵の武器をしっかりと理解しておくことにした。
(武器は・・・このかなり尖そうな爪か。当たれば痛いじゃあ済まないだろうな)
カイトは振るわれた貫手を回避しながら、唐突に20センチ程の長さに伸びた鋭い爪を観察する。こちらの強度はかなりの物と見て良いだろう。普通の刀とも普通に鍔迫り合い出来そうだった。
(筋肉も見せかけではないし・・・取っ組み合いとなれば人類側は遥かに不利か。いや、普通に熊みたいな体躯の奴と取っ組み合いとか馬鹿だけど)
カイトは続いて振るわれたなぎ払いの一撃を屈んで回避して敵の下に潜り込みながら、敵の巨体が見せかけではない事を把握する。
そうして、彼は試しにアッパーカットの様に深きものどもの腹と思われる部分に一撃を打ち込んでみた。やはり鱗で覆われた身体でも腹の部分には鱗は無く、狙うならここか、と思われたのである。
「おらよ!」
どごん、という音と共に、深きものどもの巨体が僅かに浮かび上がる。それで牙の生えた口から青い血が僅かに溢れた。
「うげぇ・・・血、青いのかよ・・・」
カイトは青い血に顔を顰めながら、とりあえずくの字に折り曲げた深きものどもと距離を取る。一応、普通の人間なら確実に昏倒する威力で打った。どの程度のダメージがあるか見たかったのである。
「ふむ・・・」
カイトは深きものどもの姿を油断なく観察する。やはり腹に一撃というのは深きものどもも生物である以上、効果的ではあるのだろう。苦しそうな様子があった。
「・・・が、決定打ではない、と」
カイトは深きものどもの様子を見て、そう呟いた。確かに苦しそうではあるし、一時的な足止めにはなっている。が、決してこれで倒せるかというと、そうではなかった。
カイトも触れて分かったが腹の部分には鱗と同じ僅かにぬめり気のある妙な液体が塗布されており、打撃の威力を緩和されている感もあった。それなりに強力な一撃を打ち込むしかないだろう。
そして、斬撃もいまいち有効とは思えない。ぬめり気があり、よほどの熟練でもないと滑ると思われたのだ。とは言え、攻略法を見出だせぬカイトでは無かった。
「ふむ・・・では、あそこか」
カイトは首筋にある鰓に注目する。あの数瞬の接触で彼は深きものどもの顔には鼻が無い事に気付いていた。そして殴った時、空気が漏れる音が口ではなく首筋からしたことに気付いたのだ。
そこから昏倒している深きものどもを観察して、その首筋に魚と同じく鰓があることに気付いたのであった。とは言え、それは自然な事だ。彼らの生息地は本来は海底だ。鰓があっても不思議はない。
「教授! 拳銃を借りれるか!」
「ああ、良いとも! 中身は君の望みどおりの弾丸だ!」
カイトの求めを受けて、教授はまさに我が意を得たり、という満面の笑みでカイトへと軍用の拳銃を投げ渡す。それはジャック達は護身用として渡されている物だった。ただし、弾丸に関しては教授が一手間加えていたが。
「さて、よく見ていたまえ。そんな物騒なおもちゃは必要ない。あんな物でも、しっかりと敵を理解すれば深きものどもは倒せてしまうのだ」
教授は笑いながら、ジャック達へとカイトの動きを注目しておく様に告げる。もうすでに彼の目には深きものどもがカイトに調理されるだけのまな板の上の鯉にしか見えていなかった。故に、彼は何も気にする事なく、カイトの動きを語る事にした。
「深きものどもと呼ばれる生き物だが、これは我々の間では最も対策の取られた生き物だ。故に、君たちでも余裕で相手にする事が出来る程度でしかない。今では我々は奴らは逃げる必要の無い相手、としか捉えていない。かつては出逢えば水辺を避けて逃げろ、と言われていた相手はすでに、水辺から引き上げれば逃げるより戦え、と言われる程度でしかないのだ」
教授はジャック達へ向けて、自分達が長い間戦う為の知識を蓄え続けていた事を明言する。これが、彼らの持ち味だ。彼らは長い間クトゥルフと戦い、その知識を蓄えてきた。そしてその知識を伝える事に躊躇いがない。故に、最早深きものどもは恐れるに足らず、と断言するのである。
「奴らの動きは確かに、素早い」
教授はカイトに振るわれる深きものどもの再度の貫手を一同に見せながら、そう断言する。だが、と更に彼は続けた。
「だが、諸君らも知っての通り奴らの生息地は海底。地上ではない。故に地上では二足歩行の動物としての速度しか出せない。水中ではサメにも匹敵するだろう危険生物にも関わらず、地上では腕力に優れた世界一のスプリンターが強固な鎧を身に纏ったと同程度でしかないのだ」
深きものどもの動きは確かに素早い。だが決して、ジャック達の様に鍛えた軍人が対応不可能な領域ではなかった。それを、ジャックははっきりと理解する。
「・・・やれる」
「そうかね」
「ええ・・・」
「力は、程々に抜きたまえ。何をするにしても、今の君は力が入りすぎている。理由は、わかるがね」
教授は笑いながら、ジャックへとそう告げる。彼の手には、僅かではない力が込められていた。そんな彼へと教授が問いかけた。
「怖いかね?」
「・・・恐怖から逃げる為に、必死で訓練してきました。6歳の時・・・教授と会ったあの日から、何度も夢に見た。怖さはありません」
「そうかね・・・では、見ていたまえ。人類の叡智がすでに奴らを上回ったという事を。今の君ならば、勝てるという事を」
教授はそう言うと、己もカイトの観察に戻る。そんなカイトは、その視線を感じ取ったわけではないだろうが反撃に転じようとしていた。
(ふむ・・・直線的だな)
カイトは繰り返される突進と貫手の連続を回避しながら、敵の行動パターンを理解する。基本的な話として、どうやら深きものどもはあまり賢くは無いらしい。
攻撃は直線的だし、相手と自分の力量差を悟れてもいない。一応強靭な肉体があるのでそれでも大抵は勝ちを得られてきたのだろうが、それ故に自分達以上に出会った時の戦い方が学べていなかった。そうして、カイトは繰り出された深きものどもの貫手を半身をズラす事で回避する。
「ここだ!」
カイトは半身をズラして回避すると、そのまま深きものどもの腕を引っ掴んで腕を地面へと突き立てる。その腕は鋭い爪も相まって、深々と地面へと食い込んでいた。と、そうなると当然、深きものどもの身体は大きく前のめりになり、鰓のある首筋ががら空きになっていた。
「じゃあな」
「ぐぎゃ!」
カイトは腰の位置まで下がってきた深きものどもの鰓に教授より借り受けた拳銃を強引にねじ込む。流石に鰓だけは堅牢な鱗に覆われる事はなく、非常に柔らかかった。ここばかりは、呼吸の為に柔らかくしておかねばならないのである。
そうして、強引に鰓の中に拳銃をぶち込んだ彼は、そのまま何ら容赦なく引き金を連続で引いた。銃声は深きものどもの体内で炸裂した事もあって、ほとんど聞こえなかった。
「・・・ふぅ」
どしゃり、という音と共に倒れた深きものどもの死骸をカイトは見下ろしつつ、動かない事を確認する。どうやら、完全に死んだらしい。
まぁ、体内でワンマガジン分の銃弾が炸裂したのだ。どう考えても生きてはいられないだろう。そうして、カイトは銃口に付着した血を使い捨てのハンカチで拭い、教授へと拳銃を返却する。
「良し・・・教授、感謝する。これはお返ししよう」
「ああ、お見事だった」
「拳銃に炸裂弾を装填か。えげつない事をするもんだ」
カイトは拳銃を返却すると、そこで使われていた弾丸についてを言及する。撃った時に気付いたのだが、どうやら教授の拳銃の弾頭はショットガン等と同じ炸裂する類の銃弾だったらしい。アーカムで独自に開発されている対深きものども使用の弾丸だった。
「やはり、気付くか。そうだ、その通りだ。覚えておきたまえ。何でもかんでも高威力の物を持って来れば良いというわけではない。このように、弱点を狙い撃てばこんな小さな拳銃でも奴らは仕留められる・・・勿論、きちんと装備もそれ用に開発せねばならないし、腕も磨く必要がある。先程のあれは、合気道という奴だな?」
「ああ。貫手が直線的だったし、フェイントも無い様子だったからな。止まる瞬間を狙って腕を軽く引っ張ってやっただけだ」
教授の問いかけにカイトは己がやった事を明言する。それに教授が満足げに頷いた。そうして、彼は続けた。
「今見てもらった動作は全て、君たちにだって練習すれば出来る物だ。決して奴らは勝てない相手ではない。あのように態勢を崩してやり、鰓に拳銃をねじ込めば良い。勿論、動きを翻弄して首筋に取り付いてナイフを突き立てるのもアリだ。それだけで奴らは殺せる。私はこの拳銃の弾丸にはショットガンと同じく炸裂する弾頭を仕込んでいる。これならば、鰓に突っ込んだ拳銃の一発で奴らを仕留められる」
教授は更に続けて、拳銃を指し示す。これでも戦える。力だけが全てではない。知識を付けろ。そういう風に、彼は述べていた。そうして、そんな彼の教示の下、ジャック達はカイトの戦いから魔力を使った戦い方を学ぶ事になるのだった。
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