断章 第2話 頭首襲名編 夏の近いある日
全ての発端は、カイトが由利の父・幸人に伝言を頼んだが故だったのかも知れない。後にカイトは全てを把握して、そう述懐する。その始まりは、とある会議の後に起きた。
『と、言うわけです。』
天神市にある警察署の大きめの会議室の一室に、警視庁第一課課長の園山の声がマイクから響いてきた。蘇芳翁襲撃から一週間と少し。襲撃の実行犯だった男の緊急逮捕から数日が経過して、7月に入った頃の事だった。この日天神市警察署第一課の面々に加えて、同第四課、警視庁第一課、第四課、その他関係者一同が集まって事件の進捗状況を話し合っていた。
数日前までは様々な事件が連発した所為でぴりぴりとしていたこの場の面々だが、予想外の事態により犯人逮捕が為されたことでかなりリラックスしたムードが漂っていた。
『鑑識班、その後の進捗は?』
『はい、えー・・・あ、天神署鑑識の杉下です。とりあえずガスですが、管理会社に確認した所、数日前まで更に上層階で使用している部屋を確認しました。該当のマンションは若干古めの建造物ですので、何らかの事情で残留していたガスに引火した可能性があります。』
『そうですか。ガイシャの容態は?』
『安定してません。廃人状態と言っていいです。ガス爆発による外因性の精神障害が疑われます。』
そう言うと、マイクを置いて杉下が座る。
『分かりました。次、四課の皆さんはどうですか?』
『警視庁四課課長園部です、同マンションに誘拐されていた三枝家のご令嬢ですが、救出者については不明。ただ、犯人の男については目撃していない、だそうです。また、もう一人囚われていた少女については見たことが無い、何処に行ったのかもわからない、だそうです。』
園部が魅衣から聞いたとした調書の写しを見ながら一同に報告する。さすがに警察も動いている以上、魅衣に事情聴取が取られないという事はあり得ない。数日が経過して警察との間で表に出せるシナリオが出来上がったので、名目上は聴取に応じたのである。
『犯人の男を目撃していない?』
『おそらく別室に待機していたのかと。』
警視庁第一課課長・園山の問い掛けに、園部が答える。ここらも警視庁と三枝で作ったシナリオだ。あまり魅衣の誘拐を大事にしたくない三枝家が、先の状況での誘拐事件という警察の不手際を見過ごす代わりに魅衣と事件を関係づけない事で手を打ったのだ。
『わかりました。それで、誘拐したとされる組については?』
『関与を否定しています。既に破門した面々がやった事だと。ただ、ウチの捜査官が数日前に組の代紋付けた奴と容疑者たちとの会談を目撃していますので、今その線で洗っています。おそらく、組への復帰を餌に誘拐を持ちかけたんだと。』
天神市の警察署の面々と警視庁の面々は今、更に暴力団組織の摘発に動こうとしていた。根っ子に巣食う問題を彼らが起こした物にすることによって、今までの失態を挽回しておきたかったのである。なので話題はそちらに移って行く。そうして、1時間ほどで会議が終了した。
『では、これで定例会を終了します。』
園山がそう言うと、会議に出席していた警察官達が立ち上がり、自分の持ち場に戻っていく。だが、由利の父・幸人はそんな波に逆らって園山の所に歩いて行く。
「小鳥遊さん?どうしたんです?」
「ああ、ちょっとな。」
幸人の同僚の風海の怪訝な声が幸人の耳に響く。そうして二人――風海は幸人の相棒なので流れで一緒になった――は園山の前に辿り着く。
「ああ、小鳥遊に風海か。何か用か?」
「あ、天草さん。いえ、ちょっと園山さんに用事が・・・」
「ああ、俺か。何のようだ?」
「はい、伝言だそうです。」
「伝言?誰からだ?」
当たり前だが、園山には心当たりが無い。なので園山は幸人に問い掛けたのだが、そこで幸人に異変が起こる。
「次、いらねえ事したらマジでてめえらを潰す。警察だ国だとでけえモンの影に頼ってんなら、相手間違えんじゃねえ。オレはあいにく警察がバックだろうと国がバックだろうと気にはしねえよ。そこんとこ、覚えとけ・・・」
それは、幸人の声でありながら、幸人の声では無かった。そうして伝言を伝え終えると、まるで糸が切れる様に幸人の首がこくん、と下を向く。と、そうして完全に沈黙した小鳥遊に、いきなりの事態に呆けていた風海が大慌てで声を掛ける。
「・・・あ、小鳥遊さん!?」
「・・・ん?あれ・・・風海・・・あ、天草さんに園山さんも・・・どうしたんですか?」
「・・・いや、なんでもない。こっちから出ようとしたんだろう。」
「え?」
園山の言葉に、風海が目を見開いて驚く。今の不可思議な現象は園山も見ていたはずなのだ。だが、彼は先ほどまで浮かべていた苦々しい顔を引っ込めると、笑って告げる。
「ああ、そうだ。小鳥遊はちょっと第3資料室から俺のデスクにまでこれ持って来てくれ。風海、お前ちょっと残れ。」
「あ、はい。」
天草の指示を受けて、一同のおかしな表情に怪訝な顔を浮かべつつも幸人が駆け足気味に去って行った。そうして残された風海に対して、何処か真剣な顔で園山が告げる。
「風海。今見たのは誰にも言うな。」
「は?」
「何があっても他言するな。忘れろってことだ。」
園山の言葉を継いで、その場に居た園部までが苦々しい表情を浮かべて告げる。
「え?」
「もう行っていい。小鳥遊の仕事を手伝ってこい。」
天草は許可に近い口調だったが、そこには有無を言わさぬ圧力があった。それを受けて、風海は何か本当に危ない一件に触れたのだと把握する。そうして、風海も去って行った後。再び天草が口を開いた。
「そっちの本家はなんて言ってる。」
「はぁ・・・それどころじゃない、だそうだ。」
「なっ・・・」
「そうなりたいのはわかる・・・」
天草が絶句したのを見て、園山が溜め息を吐いた。この警告を伝えない、と言う事は有り得無い。何せ、自分に貼り付けられた監視が見ているからだ。
「くそったれ・・・何が裏世界の警察だ・・・また荒れるぞ・・・」
忌々しげに園部が呟く。その言葉を示す様に、数日後から日本の全てを巻き込んだ大騒動が再開されるのであった。
さて、一方その頃の天神市第8中学校はというと、一つのビッグ・イベントを迎えていた。俗に言う一学期の期末試験であった。それが返却されていたのである。
「あ・・・あはは・・・」
「う・・・うふふ・・・」
「しゃあ!」
2年A組の室内に、少女二人の絶望を伴った苦い笑い声と一人の少年の歓喜の声が響いた。
「由利も魅衣も若干時間が足りんかったのう。」
「こんなのが何の役に立つのよ・・・」
「ウチこんなの知らない・・・やってない・・・」
少女二人は魅衣と由利だ。二人共学校に復帰し始めたのは良かったものの、復帰して試験まで一週間程度しか無かったのが悪かった。勉強が一切間に合わず、赤点の連続だったのだ。
「へへへ!俺は赤点回避したぞ!」
そんな二人に対して、ソラが嬉しそうにテストの答案を突き出す。そこに書かれた点数は確かに赤点では無かった。まあ、決して他人に誇れる点数でも無かったが。
「・・・36点・・・はっ。」
「おい!てめえら赤点だろ!それにおりゃ英語はきちんと取ってんだよ!」
何故か由利に鼻で笑われて、ソラが怒鳴る。まあ、確かに五十歩百歩だが、確かにぎりぎり赤点は回避出来ていた。
「おい、天音!マジで助かった!お前のおかげで夏休み補習が回避出来たぜ!」
さすがのソラも夏休みが消えるのは嫌だったらしい。素直にカイトの助力に感謝して、手を差し出した。ちなみに、カイト達が通う中学校では夏休みの補習は赤点が4つで補習が掛かる。カイトの講習のおかげもあって、なんとかギリギリ3つで赤点を終わらせられたのである。まあ、英語を除く殆どの科目は先の様に赤点すれすれを低空飛行していたのだが。
「お、おう・・・そりゃ良かったな。」
カイトが苦笑してソラの握手に応じる。点数としてはあまり感心の出来た物で無かったが、当人が喜んでいるのならそれに水を差す必要は無いだろう。ちなみに、カイトとティナは当たり前の満点である。
「おう!これで親父にとやかく言われないで済むぜ!」
「そうか・・・」
「おーい、全員着席してくれー。」
と、そこに最上が入ってくる。授業はこれで終わりだったのだ。後残す所はホームルームだけであった。
「先々週から事件やらなんやらで忙しかったが、今日からまた部活が再開される。で、再来週からは短縮って言ってもまだ授業は続くんだから、気を抜くなよ。」
最上はそう言うが、そう言っても無駄である事は他ならぬ彼自身が理解していた。なにせ中学2年の夏だ。学校に一番慣れた頃で、尚且つ多くの生徒たちにとっては受験にはまだ遠い。これほど気を抜く時期は無いだろう。なので既に教室はざわめいていた。
「はぁ・・・おい!少し静かにしろ!」
ざわめく教室に向けて、少し大きめの声で最上が告げる。そうして少し鎮まった教室で、ようやく最上が本題に入る。
「たく・・・まあ、分かるけどな。でだ。既に知ってる奴も居ると思うが、来週から教育実習生が来る事になってる。期間は終業式まで。まあ、わかってると思うが、あんまり迷惑は掛けるな。」
「はーい。」
既に一学期のビッグイベントは全て終わっているので、生徒達は機嫌良く、そして興味津々に答える。まあ、どんな教師が来るのかは興味の的だろう。
「さて・・・誰が来るかは俺もまだ知らない。まあ、今回は一回目のが半分だから、あんま迷惑かけてやるなよ。」
最上が興味深そうに自分の言葉を待っていた生徒達に、苦笑しながら告げる。ちなみに、彼が一回目と言ったのには理由がある。教育制度改革の煽りを受けて、教育実習制度についても改変されたのだ。それ故教師となる大学生には二回計3ヶ月以上の実習が行われる事になっていたのである。
そうして、ホームルームも終わると、生徒達が一斉に動き始めた。最近の様々な理由から放課後の自由はかなり制限されており、今までの鬱憤を晴らすかの様な活発さだった。
「おっしゃー!今日から遅れ取り戻す!」
翔が気合を入れていた。それもそのはずで、大会が近いのにずっと練習禁止だったのだ。自主練は怠っていなかったらしいのだが、それでも本格的な練習は出来ていなかった。
「っと、そうだ。カイト、これ、サンキュ。」
と、そうして部活に出発しようとした所で、翔が取って返してカイトの所を訪れた。その手には一冊のノートがあった。カイトがメモを取ったノートである。テスト勉強に困った翔がカイトに貸してくれる様に頼んだのである。
「悪かったな。テスト中借りっぱなしで。」
「いいぞ。別に無くても困らなかったからな。」
「げ・・・お前マジでいつの間にんな勉強してやがったんだ・・・」
なんら謙遜もなく答えたカイトを見て、翔が引きつった顔で問いかける。
「さてな・・・まあ、先輩たちを送り出す最後の大会なんだろ?頑張ってこいよ。」
「おう!じゃあ、ありがとな!」
翔はそう言うと、足早に去って行った。そうしてそれを見計らったかの様に、相変わらず上機嫌なソラがカイトに問いかける。
「なあ、おい天音。たまにゃゲーセン行かね?よく考えたらこの間お前にガンゲーで負けたまんまだ。」
「ん?まあ、いいか。じゃあ、行くか。」
「しゃぁ!こっちもこの調子でリベンジしてやるぜ!」
ティナを少し見て彼女が頷いたのを見て、カイトが了承を示した。それを受けて、ソラが大急ぎで携帯ゲーム機以外何も入っていないかばんを引っ掴む。
「久しぶりに実力の差を思い知らせてやるよ。」
「ほざいてろ!」
そうして、二人は明らかにゲームをしに行く様な雰囲気では無いオーラを漂わせながら歩き去って行った。
「ねえ、やっぱり天城ってヤンキーっぽく無くなるとかっこ良くない?」
「あ、やっぱそう思う?」
そうして二人が去ったら、ソラの噂話に女子生徒達が楽しげな声を上げる。
「天音も最近落ち着きが出た、っていうか大人びたって感じだから、悪くは無いよね。」
「あー、なんか妙にじじ臭いけどね。」
そんな楽しげな声を聞きつつ、ティナは魅衣と由利に個人教習を開始していた。
「な、夏休みはサボりたい・・・」
「う、ウチもそうしよ・・・」
「ならんぞ?特に由利は父君から頼まれておるからのう。迎えに行くぞ。」
「うぐぅ・・・」
由利の悲しげな悲鳴が風に乗って消える。というのも、幸人はいたくティナを見込んだらしく、前の遭遇以降実家まで招きあげていた。その結果は上々で、ティナは既に由利の継母とは仲良くなっていたし、元々面倒見が良いので弟とは言わずもがなだった。その際に幸人から由利を時々迎えに来てくれ、と懇願されたのであった。
「これで武術の腕も抜群なんだから腹立つ・・・」
「ふふふ・・・何時でも受けて立つぞ?」
魅衣の言葉を受けて、ティナが不敵な笑みを浮かべる。だが、攻撃を仕掛けるつもりは無い。なにせ、やっても勝てないことは既に承知しているのだ。無駄な事をやるつもりは無かった。
しかも悪い事に彼女の方はカイトという理由があるので逃げるに逃げられない。二人共、もう学校をサボタージュ出来なくなってしまっていたのである。
「さて、では今日の授業じゃな。今日の授業は・・・副教科で行くかのう。二人共そこが悪かったしのう。」
「こんなのが何の役に立つの・・・」
「知らない・・・」
ティナから逃げられない二人は、唯々諾々とティナの教えを受けていく。ちなみに、彼女らが何の役に立つのか、と不満気な理科等の勉強はその数年後に役に立つ事になり、その時になってティナに大層感謝したのであった。
お読み頂きありがとうございました。




