断章 第5話 平穏な日常
灯里と共に一度三柴邸に向かったカイトだが、実はそこはカイトの家から徒歩数分の距離だった。と言うか、普通に隣にあった。
ここらは天道財閥の系列のゼネコンが建築して纏めて買い上げている所で、それ故に社割りの様な感じでかなり格安で買えるらしい。彩斗が若いながらも一軒家が買えるのには、そこらの事情があった。彩斗は己の親に言われて親にお金を借りて一括で支払っているので、ローンではないそうだ。
で、別に三柴は当時の役職を考えれば別にそんな社割りにこだわる必要もよほど高額でなければローンを考える必要も無かったのだが、周辺に天道財閥系列の社員も多かったことと娘の利便性――高校の事――を考えた結果、ここで新築一戸建てを新たに買う事にしたらしい。大阪に居た頃の家は天道財閥の系列会社に管理を任せて賃貸にしているそうだ。
「お・・・重い・・・」
「ほら、頑張れ。見せ筋じゃないんでしょ」
というわけで、その隣家までカイトは両手に抱える程の荷物を運ばされていた。重いのは当然で、ついでだからと灯里がのたまって光里の為の画材まで運ばされていたのである。
まぁ、どちらにせよ画材を買う時はカイトが駆り出されるか、灯里の運転する車にカイトを乗せて、となる。結局カイトが行かされるので一緒だった。と、そうして三柴邸にたどり着いて扉を開けた途端、黒髪ロングの美女が出迎えてくれた。
「お帰り」
「たっだいまー」
「あ、光里さん。お久しぶりです」
「いらっしゃい」
黒髪ロングの美女は、灯里の妹の光里だ。が、活発な灯里に対して、光里の方は大人しいというか、どちらかと言えば暗い様な印象があった。あったが、彼女の場合はそれが儚さに感じられる様な形になっている。
スタイルは姉と母に似て良いのだが、黒を基調としたゆったりとした衣服を身に纏っているからかやもすれば暗い印象も受ける。性格としても良く言えばダウナー、悪く言えば少し暗いのでそれが正しいだろう。
「画材は?」
「あ、それならこっちに。コンテとスケッチ・ブック、その他幾つかで良いんだよな?」
「ありがとう・・・ええ、あるわね」
光里はカイトから荷物を受け取ると、中身を確認して頷いた。コンテというのは主にスケッチに使うパステルの様な物だ。少々やりたい事があるので、新たに買う事にしたらしい。
で、海外にも伝手のある恵比寿に発注を依頼していたそうだ。かなりニッチな海外メーカーの物が欲しいらしいのだが、学校では伝手が無いから、と断られたらしい。それで自主的に購入したそうだ。
「これ、代金。お釣りは取っといて」
「はいよー。で、カイト、これお駄賃」
「うっす」
光里が支払った代金は丁度灯里が文具店に支払った代金だった為、初めからそれを見越していた灯里はカイトへとお釣りを渡す。手伝ったお小遣い、という事だった。
というわけで、カイトはありがたく頂いておく。表向きは中学生だ。色々と入用な感を出しておかねばならないだろう。何時も通りの光景だった。なお金額は千円ちょっと、という所だ。これから数日世話になる事を考えれば、妥当といえば妥当な範囲だ。
「じゃ、とりあえずオレ、一度家帰って荷物取ってくる」
「あれ? ジャージ置いてなかったっけ?」
「・・・この間人のパンツ取ってって履いてたの誰だよ」
「あー。ごっめーん。あれそのまんまだったっけ?」
「そのまんまだよ! この間パソコンの設定した時入ってませんでしたよ!?」
あははと悪びれる事のない――ちょっとは悪びれてる――灯里は笑いながら頭を掻く。まぁ、こういう関係なのでカイトの衣服が寝泊まり出来る軽めの衣服が客間に設置されたプラスチックのタンスに入っている。そこから一つカイトのパンツを強奪されていたのであった。ちなみに、エロ目的とかではなく、面倒なのでそこにあった下着を手に取った、というだけだ。
「まぁ、どっちにしろ最近夏は作務衣にハマってるから、それ取りに行く」
「しぶっ!?」
「作務衣・・・ほう」
作務衣に嵌っているというカイトに灯里が驚き、光里が興味を持つ。若いのに作務衣を好んで着る者はさほど居ない。絵の参考になるかも、と思っているらしい。と、そんな光里だったが、そこでふと気付いた。
「あれ? 待って。どういうこと?」
「あ、お父さん今日唐突に出張だってー」
「聞いてない」
「今言った」
「ちょっと待って。猶予を頂戴」
「「何に?」」
光里の言葉にカイトと灯里は二人で首を傾げる。こんな事は良くある事だ。で、一応言えばカイトとてなんらかの理由で光里の部屋に入る場合、ノックはする。相手の返答も待つ。そして灯里がカイトを赤ちゃんの頃から知っている様に、光里もカイトが赤ちゃんの頃から知っている。
今更部屋が汚れていようが気にしない。そして灯里の部屋はともかく、光里の部屋はとある理由から整理整頓がしっかりとされている。猶予を求める意味がわからなかった。が、ふと灯里が思い当たる節があったのでそれを口にする。
「まぁ、どっちにしろ一度荷物取りに行くんだから、しばらく時間あんでしょ。あ、何? また客間に画材とか置いてた?」
「え、ええ。当分出張は無い、って言う話だったから・・・」
「ああ、なるほど・・・まぁ、散らかってても気にしないけど流石に大学の画材触ると拙いか。じゃあ、横に退けておくなりしておいて。もし人手必要なら手伝うから」
「ええ、その時は頼むわね・・・急がないと・・・でもカイトの作務衣・・・うぅ・・・悩むわね・・・」
カイトの申し出を光里は受け入れる。実のところ彼女は自室以外にもう一つ仕事用の部屋という事で部屋があり普段はそこに大学で使う画材一式を置いているわけなのだが、時々国外から輸入した画材を買い溜めして荷物が増える事がある。一括で購入した方が安いかららしい。
で、置き場所に困るので客間に画材道具を置いておく事があるのであった。今回も国外からの輸入品を買っていた所を見ると、そういう事なのだろう。唐突な出張でカイトが来る事になって、というわけだ。
というわけで、そそくさと客間に向かった光里に対して、灯里は靴を脱いで食材を台所に運ぶ事にして、一方のカイトはそのまま自宅に戻る事にする。
「と、いうわけでちょっくら数日留守にする」
「へー・・・」
「ふーん・・・」
家に帰ったカイトはとりあえず綾音に事の次第を告げて用意を整えると、モルガンとヴィヴィアンに事の次第を告げる。彼女らがどちらに来ても問題はないが、とりあえず同居人に一言告げておかなければならないだろう。
「どうする?」
「んー・・・どっちにしろ私達ってドールハウスで生活してるから、どっちでも良いよね」
「カイトが持ち運んでくれれば良いからね」
モルガンとヴィヴィアンは顔を見合わせてどうしようか考える。彼女らもここ数ヶ月国外に出っぱなしでご近所づきあいは知らなかったが、別にこれなら転移術でお隣に乗り込んでもなんら問題はない。流石にマナー等の問題からやらないだけで、彼女らにしてみればここで寝るのも隣で寝るのも大差は無いのだ。
「んー・・・じゃあ、私達はとりあえずカイトと一緒に居て、寝る前ぐらいに帰ろっか」
「だね。いちいち持ち運んでなんかあったら面倒だし」
「あいよ」
ヴィヴィアンの提案をモルガンが受け入れる。別に会おうとすれば会えるし、転移術を使えば行き来は楽だ。ドールハウスを持ち運んで問題があった方が不便だ、と判断したのであった。
というわけで、カイトは二人に手伝って貰いながらとりあえず夏場の着替えを用意する。灯里と光里に言った様に、作務衣だ。最近のお気に入りらしい。鞍馬に会いに行った時に清掃のバイトをしていた総司が作務衣を着ているのを見て興味を持ったそうだ。
「良し。とりあえず二泊三日だから・・・こんなもんか」
「あ、カイトー! 向こう行くなら灯里ちゃんに聡里さん遅れるから、晩御飯私作りに行くよー、って言っておいてー!」
「あ、おーう! ってことはついでに全員で食べる感じー!?」
「さっきティナちゃんもメールでオッケー来たから、多分そうするー! 後は灯里ちゃんの判断と浬ちゃん次第かなー!」
用意を整えたカイトに対して、一階から綾音が大声でカイトへと伝える。幸いまだ17時で、晩御飯の支度はしていなかったらしい。というわけで、どうせだから、と一緒にご飯を作る事にしたようだ。
「良し。じゃあ、とりあえず行こっと」
「わーい」
「楽しみだね、お隣さんちって」
小さめのカバンに着替え一式を入れたカイトの肩に、モルガンとヴィヴィアンが座る。どうにせよ後1時間は彼女らも動けないのだ。カイトと一緒に暇つぶしでもしているのが最適だろう。というわけで、カイトは即座にとんぼ返りで三柴邸へと戻っていた。
「おじゃましま~す」
「あいよー」
「あ、灯里さーん。母さんが聡里さん遅れるってさー。で、晩御飯一緒に食べよーって」
「あー・・・またなんかごたついたかー。帰ったら愚痴ひどそうかなー。うん、じゃあお言葉に甘えよっかなー・・・こっちからメールしとくねー」
灯里はリビングからため息混じりにスマホを操作する。カイトはそれを横目に勝手知ったる人の家、という事で客間へと向かう事にする。と、その道中でモルガンが問いかけた。
「聡里さんって?」
「ああ、灯里さんのお母さんだ。弁護士さんだそうだ。得意分野は離婚とか調停とか、らしい。次点で事故なんかの示談も引き受けてるそうだ。民事が多いらしいな」
「うっわぁ・・・じゃあ遅れてるのって・・・うっわぁ・・・」
「多分どっかの家族が大揉めしてんだろうなぁ・・・」
モルガンの何処か引きつった声に、カイトも半ば笑いながら同意する。やはり不倫など痴情の縺れによる揉め事だ。どう考えてもドロドロとした印象しかない。一度揉めれば相当時間は掛かるだろう。
なお、その結果彩斗は完全に浮気が出来ない事を悟っており、結婚後かなり経つが不倫も浮気も一切匂う事も無いそうだ。というのも、結婚式の当日に綾音に対して彼女が言った一言が、とんでもないそうだ。どちらにせよ当人達が未だにバカップルなので不要ではあるのは、良い事なのだろう。
「カイトも気を付けてね?」
「はーい」
ニコニコと笑うヴィヴィアンの殆ど思ってもいない忠告に、カイトも殆ど棒読みで返事を行う。どうにせよカイトの場合はハーレムだ。浮気云々が存在し得ない環境だろう。始めから引き込めば良いだけだからだ。と、そんな事を話しているとすぐに客間にたどり着いた。が、中ではまだ物音がしており、どうやら光里が居るらしい。
「おーい、光里さーん」
「あ、ちょっと待って! 未完成の作品だけは仕舞わせて!」
カイトがノックをした所、光里が慌てた様子で声を返す。まぁ、いわゆる美大生だ。失敗作や未完成の作品を見られたくないという気持ちがあるのだろう。アーティストではないカイトはわからないが、だからといって無視して良いわけではない。
「じゃあ、リビングで待ってるから、それ仕舞ったら呼んでくれー」
「ええ、すぐに隠すわ!」
光里はそう言うと、更に忙しそうに動き回る。というわけで、カイトはもう一度三柴家のリビングへと引き返す事にした。
そこには灯里がカッターシャツとパンツだけで平然とソファに座っていた。カッターシャツはところどころボタンが空いており、ブラは丸見えおへそも丸見えという状態だった。それに、カイトががっくりと肩を落とした。
「あ、カイト。光里まだだって?」
「おい・・・もうさ、オレは何も言わないけどさ・・・海瑠来るからせめてズボンは履いてやろう?」
「あー・・・流石に小学生相手にこの格好は駄目だねー」
「中学生相手も駄目だわ! 間違っても海瑠の前に素っ裸で出てくんなよ!?」
「はーい」
はっとなった様子の灯里に対して、カイトが怒鳴る。流石にこの格好を小学生の海瑠に見せるのはご法度だろう。というわけで、灯里は立ち上がって渋々部屋に戻っていった。
「す、すごい女の人だね」
「いや、あんたも割りとおんなじよ?」
思わず頬を引き攣らせていたヴィヴィアンに対して、モルガンがツッコミを入れる。ヴィヴィアンも部屋では良くてあんな感じだ。カイトの前とかだと素っ裸も良くある。同類といえる。と、そこでふとモルガンが気付いた。
「・・・あれ? そう言えばなのになんでカイト、ヴィヴィアンには焦ってたの?」
「うん?」
「いや・・・自宅素っ裸って聞いた時驚いてたよね?」
モルガンが首をかしげる。確かに思えば、カイトはヴィヴィアンが自宅だと素っ裸だと聞いた時大いに驚いていた。が、実のところ灯里もさほど変わらないだ。
「ああ、それ? 灯里さんは基本は親父さん居ない時しかやんないし、流石に自宅で薄着は良しだろ。この家、三柴のおじさん除けば男居ないし」
「いや、カイトは」
「・・・うふふ・・・おしめしてる姿から小学校高学年まで素っ裸見られてたんですよ・・・完全にそのノリでやられてるんだと・・・」
カイトがずーんと落ち込む。簡単に言えばカイトは男として見られていないのである。流石にカイトは記憶の摩耗がありわからないのだが、下手すれば中学生に入っても一緒にお風呂に入っていた可能性がある。
勿論、カイトが入ろうとしたわけではなく、このノリで灯里が突撃してきた方が大きいだろう。一応帰還後に何も起きていない所を見るとしていない可能性はあるが、中学一年生の頃は不明だ。が、流石に確認も出来ないのでしていない。やったら勢いだけで入ってくる可能性があるからだ。と、そんな風に落ち込んでいると、灯里がジーパンを履いて帰って来た。
「・・・何やってんの?」
「あぁ? あんたが何時も通りだから落ち込んでる」
「なんで?」
「いや・・・なんでオレの前じゃ普通にあんな格好なのかな、と」
「そりゃ・・・今更でしょ」
灯里が笑ってソファに寝っ転がる。そうして、彼女は面倒くさそうに続けた。
「それこそさー。あんたのイチモツが小指の先ぐらいの時からあんたの裸見てて? 最期に一緒に入ったのってこないだ・・・あれ? もう一年ぐらいお風呂入ってないっけ? あ、今日も一緒に入る?」
「なわけねーよ!」
「ま、どっちにしろあんたも私の裸見慣れてるでしょ。アベレージ月に二~三回泊まってるんだから」
「はぁ・・・と、いうわけです」
「「あはは・・・」」
うだー、と寝っ転がって猫の様に伸びる灯里を横目に、カイトの深い溜息とモルガンとヴィヴィアンの引きつった声が響いた。とどのつまり、見慣れてるし見慣れ慣れているのでいいよね、という事なのだろう。
もうカイトも怒り疲れていたので、逐一注意する気力も無かった。と、そんな疲れたカイトに対して、光里の声が聞こえてきた。
「カイトー! ちょっと手を貸してー!」
「あいよー!」
「あ、これ私見たかった奴だ」
「あ、ホントだ。カイト、私達こっちでテレビ見てるね」
ヴィヴィアンとモルガンはどうやら、灯里がいつの間にか点けていたテレビでやっている番組が見たかったものだと気付いたらしい。こちらに残る事にしたそうだ。
「あいよ。時間、忘れんなよ・・・じゃ、灯里さん、ちょっと行ってくる」
「はーい・・・あはははは!」
光里に呼ばれたカイトはヴィヴィアンとモルガンを残して録画していたテレビを見て爆笑する灯里の声を背に、光里の所へと向かっていくのだった。
お読み頂きありがとうございました。




