断章 第48話 ギルガメッシュ叙事詩 ――第七版――
ギルガメッシュとエンリルの戦い。それは、海上で幾日にも、幾晩にも続いて行われた。そうして、敗者が、海へと墜落していく。
敗者は、ギルガメッシュ。数多宝具を、数多神具を、数多秘宝を使い、されど届かなかった。そうして、どぼん、という音と共にボロボロのギルガメッシュが落水する。
「神への反逆・・・傲慢な人形よ。ここで、その生命果てるが良い」
勝者は、エンリル。手傷が無いとは言わない。人類の必死の抵抗の証だ。人類の抗議の証でもある。だがそれでも、致命傷には程遠かった。
そんな彼が、右手をかざす。向ける先は当然、完全に意識を失いただ波間に揺られるギルガメッシュだ。彼は、神へと反旗を翻した。許されざる罪だ。問答無用に、消し飛ばすつもりだった。そうして、エンリルの力が放たれた。そして、閃光が巻き起こる。
「・・・どういうつもりだ、シャマシュ」
しかし、エンリルの攻撃は届か無かった。シャマシュが防いだのだ。すでに、旅路は終わった。エンキドゥとの約束は果たされた。ならば、ここからは彼も彼の思う所をするだけだった。
「・・・エンリル。我らは少し、やり過ぎたのだ」
「どういうことだ」
「我らは彼らを人形の如くに扱った・・・だが、気付いた。儚いだけで何が変わるか、と」
「言っている事が理解出来ぬ・・・我らは、世界よりこの世界の管理を預けられた。人とは違う」
ギルガメッシュを庇うように立ち塞がったシャマシュとエンリルが、問答を交わす。それは今までの神々と、次の時代の神々の問答でもあった。古き時代と、新しい時代の神の在り方を示した物でもある。そして、新たな時代の始まりを告げるものだった。それに、エンリルが断じた。
「・・・そうか。ほだされたか」
「そう思えば良い」
「勝てると思うか?」
「勝てぬ・・・だが、それでも」
戦いを挑もう。シャマシュがエンリルに対する様に、右手に灼熱の力を溜め始める。シャマシュがエンリルに勝てる道理は無い。神としての格が違う。負けしか見えない。
だが、それでも。この儚き人の子が抗った様に、自分もまた抗おう。だがそう考えているのは、彼だけではなかった。そうして、女神が舞い降りる。それは、金髪の美しい女神だ。
「イシュタル? なぜ貴様が、ここに来る」
「お兄様に協力する為に」
「なぜ貴様が」
エンリルが驚きを浮かべる。舞い降りたのは、イシュタル。ギルガメッシュを憎悪していたはずの女神。彼の憎悪の原因の一端でもあるはずの彼女が、なぜ。エンリルには理解が出来なかった。
「私が本当に惚れたのは人だけ、だからよ」
「・・・そうか。すまないことをした。貴様の婚姻・・・あれが、全ての原因だったか」
「何?」
己と同じ答えを得たらしいと理解したシャマシュの言葉に、イシュタルが無言で首を振る。それに対して、エンリルはただただ困惑するだけだ。理解が出来ない。なぜそうもこうも人形なんぞに肩入れするのか。しかもイシュタルなぞ言うに事欠いて惚れた、なぞ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
だがそれに対して、イシュタルの弓に魔力の矢がつがえられる。その濃度は、あまりに高密度。明らかに冗談では済まされない威力だった。そして、二柱の神とエンリルの間で、戦端が開かれた。しかししばらくするとそこに、雷が迸った。
「おっと・・・どうやら、間に合ったようだな」
現れたのは、インドラ。カイト達が出会った頃よりも遥かに若い頃のインドラだった。メソポタミアとは何の縁も由来もない神。それに、エンリルが思わず仰天する。
「何? 一体どういうつもりだ。貴様、どこぞの神であろう」
「ああ、神だ。インドラ、ってまあ、まだまだ若輩者なんだがね・・・」
「噂には聞いている・・・だが、これはメソポタミアの問題。神々の領分を犯す気か」
「そこの小僧にはでかい貸しがあってな・・・その返済が終わってねぇんだわ。それ返す前に殺されちゃ、俺の面子に関わる。まあ、すでに無い様にも思えるんだが・・・兎にも角にも、こっちの面子にも関わる。助力、させてもらうぜ」
エンリルの問い掛けに対して、インドラが雷を纏う。そうして、更に。次々と神々が集い始めた。それは、メソポタミアの神だけではない。インドラの様にインドの神軍もいれば、ゼウスらの所に所属する神も居た。そして、彼女もまた参加していた。
「全く・・・せっかくの有給だというのに、こんな大海のど真ん中で神々に混じって殺し合いとはな」
「! 異界の姫君よ! 汝も敵に回るというのか!」
「ああ。いい加減に貴様ら神々のやんちゃにも飽き飽きしていた頃だ。この時代、一番やんちゃをしている貴様らを締め上げれば、少しは動きやすくなる。信徒の調略もし易いだろうからな」
現れたのは、6対12枚の白の翼を背に羽ばたかせる天使達の長。それも、四大天使達まで一緒だった。彼女らは、まだお人形さんだ。だが、それでも。感情の萌芽が、ここへ導いたのだ。
「ああ、後ろは気にするな。何故か付いて来ただけだ」
「「「「・・・」」」」
「が・・・油断するなよ。こいつらは私が教えている。並の神であれば、十分に勝ちを得られるぞ」
天使長ルシフェルの参戦。それにより、一気に趨勢が傾き始める。幾らこの当時有数を誇ったエンリルでも、数多の神々から攻め立てられれば勝ち目は無かった。そうして、一本の剣が飛来する。それが決着の合図だった。
『使いなさい、異界の姫よ。それは地球において、最初の剣とされる天と地をわかった剣。エンリルさえ、滅ぼしましょう』
「ほう・・・」
誰かはわからないが、ルシフェルの頭に声が響く。どうやら助力してくれているらしい。そうして、ルシフェルがその剣を手に取った。
「それは!」
「何かは知らんが、相当に強力な武器らしいな」
「貴様か! エアァアアアア!」
何度も人類の根絶を邪魔してきた仇敵の名を、エンリルが叫ぶ。水の神にして、知恵の神エア。幾度となくエンリルの人類根絶の計画を邪魔してきた、人類の庇護者。
ルシフェルの持つ剣は、その彼が持つこの地球上最強の剣。一つの星の全人類文明、全人類史において、ただ一つしか生まれない神の剣。後に勇者の手に渡り、世界を切り開く事になる天地開闢の概念そのものだった。そうして、エンリルが光の中に消える。それで、終わりだった。
「あなたの敗因は私の権能の上で戦った事ですよ、エンリル・・・いいえ、それ以前に。人を人形と見た事そのものが、敗因だったのかもしれませんね」
遠く。メソポタミアの地から、エアが告げる。エアが司るのは海。エンリルが司るのは大地。大地から遠く離れ、大海原の上で戦った。それこそが、エンリルの最大の敗因だった。大地からのバックアップを受けられなかったのだ。
つまりこの戦いの最大の戦功は、ギルガメッシュと言えた。彼の意地が、人の意地が、ついに神を下したのである。そうしてそのギルガメッシュへ向けて、イシュタルが告げる。
「さよなら、好きだった人。あなたの事は諦めるわ。あなたやっぱり、私が思う人では無かったもの。神に向けて弓引くなんて、なんて不遜。私好みじゃないわ」
「良いのか?」
「ええ・・・それと、今の全ての人は解き放つわ。飽きちゃったもの」
「そうか」
イシュタルの言葉に、シャマシュが笑う。素直ではない。そう思った。そして、彼が勧めた婚姻は全て解消させよう。そうも思った。これからは、彼女が本当に好きになれる人を探せば良い。そう、思ったのである。
「エア殿。感謝致します」
『いいえ・・・ああ、シャマシュ。ギルガメッシュを、このまま西へと運びます。彼の旅路は、まだ終わっていない』
「わかりました」
どうやら、まだ旅路は続くらしい。シャマシュは海を動かし始めたエアの言葉に従って、再び隠れてギルガメッシュを見守る事にする。そうして、ここから。神話にも記されない地へと赴く事になるのだった。
エアによって、ギルガメッシュは西へ西へと運ばれていった。そうして、とある海原で、打ち上げられる。
「・・・う・・・」
ギルガメッシュがうめき声を上げる。身体の節々が痛む。が、まだ生きている事を、実感する。
「ぐっ・・・」
うつ伏せだった身体をなんとか動かして、仰向けに変わる。とりあえず、地面にキスしていたくはなかったらしい。エンリルは大地の神。それとキスしている様な感じになるからだ。せめて海か空にしてくれ。そう考えたのである。
と、そうして目を開いて、一人の少女と目があった。どうやら彼女が少し心配そうにこちらを覗き込んでいたらしい。キレイな白い太陽の様な目の少女だ。顔立ちは抜群に愛らしい。が、服装は奇妙としか言い表せない。少なくとも、世界中を巡ったと豪語するギルガメッシュの記憶には無かった。
「・・・あ」
「ぐっ・・・」
ギルガメッシュが何かを言う前に、少女が消える。それに、ギルガメッシュは仕方がないと思う。なにせここまでボロボロなのだ。少女に怯えるな、という方がどだい無理だ。
「・・・負けた・・・のか・・・」
動けない程にボロボロの身体。なぜ見過ごされたかはわからないが、敗北した事は理解した。そして流れたのは、涙だ。亡き友に誓ったのだ。人の手に歴史を取り戻す、と。しくじった自分が情けなかった。そんな彼へと、再び先程の少女が、問い掛けた。どうやら逃げたわけではないらしい。
「え・・・っと・・・何処か痛いんですか?」
「っ・・・ああ、いや・・・そういうわけ、ごほっ! ごほっ!」
もともとボロボロだったのだ。数日に及ぶ戦いで喉は渇いていたし、飢えも感じていた。なのでギルガメッシュは涙を拭える事もなく、みっともなく咳き込む。そんなギルガメッシュに、少女が水を差し出した。
「あの・・・これ・・・飲めますか?」
「っ・・・」
ギルガメッシュは少女から差し出された水を、なんとか飲み干す。生き返った気がした。そうして、なんとか立ち上がろうとする。が、出来なかった。なので、せめてもの礼を尽くす事にした。
「あ・・・」
「・・・逃げろ。ここにはもうすぐ、怖い神様が来る」
「怖い・・・神様・・・?」
何のことだかわかっていない。仕方がない。この少女はまだ本当に年端もいかない少女だ。神様がどういう存在なのかわかっているはずも無かった。
「えっと・・・怖いって・・・お父様みたいにですか?」
「くっ・・・もっと、もっと怖いぞ」
少女の物言いに、ギルガメッシュは少し茶化す様に告げる。そして、なんとか手を動かして背中を押して、少女をその場から離脱させようと試みる。
「行け」
「あ・・・」
「行け!」
出せる精一杯の声で、ギルガメッシュが少女を逃がす。死ぬのは自分一人だけで良いのだ。もうすでに覚悟は出来た。最後に人の温かみに触れられた。これほど満足な事は無い。
が、待てど暮らせど、一向にエンリルは来ない。その代わりに、先程の少女が父親らしい男性を連れて帰って来た。
「こっち!」
「! あれは・・・君。大丈夫かね」
父親は、厳格だが優しそうな男だった。髪の色は黒。神の気配は感じない。ギルガメッシュは、安堵した。そして、それが引き金だった。彼の意識は、そこで失われた。
「あ、おい! 君!」
最後に聞いたのは、自分を呼ぶ男の声。そして、ギルガメッシュの意識は、生と死の境目へと、落ちていくのだった。
お読み頂きありがとうございました。




