断章 第32話 冥界の成り立ち
『帰還する事のない土地』からの脱出を続けたカイト達だが、幸いな事に『帰還する事のない土地』の崩壊はどこかで一気に加速する、という事はなかったらしい。まるで花が枯れていく様に、緩やかに崩壊していっていた。
なので一同は少し警戒しながらも休息を取れると判断して、カイト達が一夜を明かした場所に野営する事にしていた。
「あと少しか・・・まだ慣れないか?」
「・・・もう少しだけね・・・」
エレキシュガルがカイトの問いかけに頷いた。流石に身体の根幹部分が切り離された為か、彼女が満足に動ける様になるにはしばらくの時間が必要だったらしい。今はようやく歩けるようになった、という程度だ。
休息を取ったのも、彼女の為だ。イシュタルが肩を貸していたとは言え、彼女も歩いていたのだ。疲労の蓄積は考えられた。折角救ったのに無理をしても問題だろう。
「それで、どうかしら」
「・・・うん。やっぱりな。魔力の流れが普通とは違う流れをしているいるらしい。まぁ、神としての在り方に差が出てしまったから、という所だろう」
「もう名ばかりの神になるのだけどもね」
エレキシュガルが柔和に微笑む。どうやら、出られるとわかったからか精神的な余裕が出て短気さが失われて、単に少しダウナーで物静かなだけの女神になっていた。
ちなみに、カイトが何をしていたのかというとリーシャとミースから習った診察用の魔術でエレキシュガルの調子を見ていたのである。今までは脱出の為に歩き続けていたが、止まれるのなら一度きちんと診ておこう、となったわけであった。
「良し・・・この様子なら、来週には普通の生活を送れそうかな。どれだけの力が残っているのかは不明だけどな。まぁ、なんとかなるだろう」
カイトは診察を終えて、とりあえずの見立てを告げる。流石に医者ではないのだ。大凡の見立てを立てるのが精一杯だし、この場では誰もそこまでは求めていない。
「ありがとう」
「ん」
カイトはエレキシュガルのお礼に応ずると、立ち上がる。そうして、空気を大きく吸い込んだ。
「・・・空気が水気を含んでるな・・・空間そのものが外と繋がりが出来始めているか・・・埃っぽさもない・・・緩やかに外の世界と一体化していってるのか・・・ということは、しばらくすればここは砂の中になっちまうのかね・・・」
カイトは風の流れを感じながら、この『帰還する事のない土地』の崩壊を肌で感じる。とはいえ、彼の言うことは道理といえば道理だろう。幾ら空間が終焉を迎えるからと言っても、これはあくまでも自然現象として起きる終焉を人為的に引き起こしてやっただけだ。
そして一気に崩壊しては周囲にどんな異常が巻き起きるかわかったものではない。なので周囲の空間との調和を保ちつつ崩壊していく様に、そもそもの空間が出来ていたのだろう。
「とはいえ・・・やはり8大元素は全て乱れているか・・・」
カイトは魔術を使おうとして、あまりまともに使えない事を把握する。幸い最早魔物さえ顕現出来ない状態になっているので何も問題は無いが、使える魔術は己の魔力由来の、それも先程エレキシュガルの診察に使っていた様な低レベルの魔術ぐらいだろう。
攻撃向けの大魔術になってくると、世界のバランスが崩れていて使い物にはならないだろう。魔術は世界を改変して使う物だ。改変すべき世界が混沌としていれば、流石にその改変そのものが即座に改変されてしまう。これで使えるのはおそらくティナクラスの並ではない超魔術師と言えるクラスだろう。
「ま、戦闘は無いし魔物はこの乱れで消し飛んだだろうし、のんびりするかね」
カイトは別に気にする必要もなし、と考えると、そのまま台所代わりのキッチンスペースに移動する。
「食材は大量だからー・・・うん、適当に作っとくか」
そうして、カイトはとりあえず全員分の食事を作ることにして、この日は何事も無く終了するのだった。
その翌日。カイト達は再び歩き続けて、昼過ぎには『帰還する事のない土地』の出入り口から脱出する。その直前。一応普通に歩ける程度にはなったエレキシュガルが、最後に振り向いた。
「・・・さよなら、私の牢獄にして、私の国・・・いままでありがとう」
去来する想いは何だったのか。一筋の涙が流れて、それが頬から零れ落ちるとほぼ同時に彼女は振り向いた。そうして、涙の雫が砂に塗れた岩盤の上に流れ落ちると同時に、彼女はそれだけを残して次の一歩を踏み出して『帰還する事のない土地』を後にする。
「・・・懐かしいわ・・・」
エレキシュガルが自らを出迎えた青空を見る。幾星霜、それこそメソポタミアの神々の間でエレキシュガルを『帰還する事のない土地』へ留める事を決めた時以来の太陽が彼女を出迎えていた。
「・・・ふふ・・・この不快ささえも愛おしい・・・」
エレキシュガルは自らの肌を焼く灼熱の太陽と熱砂の大地に嬉しそうに倒れ込む。熱いことこの上ないが、彼女からしてみればそれこそ気が遠くなる程の月日の果ての外だ。どんなものでも良いと感じられたのだろう。
とはいえ、流石にそんな感慨を何時までも抱かせるわけにもいかない。これは普通にまずい熱さだ。幾ら神で彼女が心地よさげだろうと、当人が不快だと言っているのだ。放置も問題だろう。
しかも服装は誰がどう見ても現代風ではない。と言うか、素肌の露出が多いのでイスラム教が支配的なここらで見られれば碌な事にならない。ということで、カイトが即座にフォローに入った。
「おーい、倒れるのも良いけど、とりあえずこれ着てくれ」
「これは?」
「とりあえずの防塵装備。砂口の中に入ると不快感がひどいし・・・後は、ここらの文化風習として女性が顔晒してると面倒な事になりかねん」
「イスラム・・・ほら。大昔の一神教の分派がここら一帯を支配してるのよ。で、そこは教義じゃ女は顔隠せ、だから・・・晒すと面倒な事に巻き込まれかねないの・・・って、あんたパンツも穿いてないじゃない! って、当然よね。ずっと引きこもってたんだから・・・」
イシュタルはふと見えた太ももと言うかお尻が何も覆われていない事に気付いて慌てるも、それはそうだろう、と思い直す。そして彼女は即座に、予備の下着を探し始めた。
「えーっと、替えのパンツは・・・」
「カイト、持ってたよね。確かモルに貸してあげてたし・・・」
「ここで言うな! あるけどな! はい、これ!」
「え、あんた・・・」
ヴィヴィアンの指摘にイシュタルが非常にドン引きしつつも、カイトから女性物の下着を受け取る。と、それと同時にカイトが事情を説明した。
「はぁ・・・盗賊が出る様な、地球の中世とさほど変わらない世界で旅してたんだ。100年も戦争中のな・・・これぐらいは、な」
「っ・・・ごめん。変に疑って・・・ほら、エレキシュガル。これ穿いて。ブラは・・・とりあえずなんとかやってみましょう。ごめん、ヴィヴィとモルガンも手伝って。一応男居るから、布で覆わないと」
「うん」
「じゃ、そっち持ってー」
「はぁ・・・面倒・・・」
エレキシュガルはめんどくさそうにとりあえずイシュタルから下着を受け取ると、ヴィヴィアンとモルガンが持った布の内側へ引っ込んだ。その一方で、カイトはギルガメッシュとこの後を考える事にする。
「先生。とりあえずエレキシュガルの装備はこれで大丈夫かと。どうにせよ街に戻る間だけですからね」
「そうか・・・とりあえずウルクに戻るか」
「ええ・・・って、先生はどうやって来たんですか?」
「ヴィマーナだ。インドラ神より一隻譲り受けてな」
ギルガメッシュはそう言うと、インドラから譲り受けたというヴィマーナを写したらしいスマホの写真を見せる。どうやらこれで来たのだろう。インドラと彼の関係を考えれば別に不思議はないし、カイト達のすぐ後に来ている事を考えればカイト達の出発の後すぐに出たとしても普通の飛行機では間に合わない。
何らかの魔道具を使ったか、出入り口を知っていた上で転移術での移動しかないだろう。後者はイシュタルが見付けた時の事を考えると難しい事は想像に難くない。ならば前者しか答えは残っていなかった。
「じゃあ、これで帰れそうですね」
「ああ。小規模の物だが問題はない」
ギルガメッシュはスマホを仕舞いながらカイトの問いかけに頷いた。大きさは彼ら全員が乗れる程の大きさだ。これなら、問題なくウルクへと戻れるだろう。
「良し・・・では・・・うん?」
ではエレキシュガルの着替えが終わったら行くか、と告げようとしたギルガメッシュが周囲を見回す。地面が揺れている様な感じがしたのだ。そしてそれはカイトも気付いていた。
「『帰還する事のない土地』の崩壊の余波・・・ですかね」
「その可能性はあり得ます。異世界の崩壊。それも星の内部に位置する異世界です。多少の揺れがあったとしても不思議はありません。すいません、ここは私も流石に詳しくは・・・」
「ふむ・・・なら一応連絡は入れておくか」
エアの言葉にギルガメッシュはスマホを取り出すとどこかへと連絡を入れ始める。後に聞いた所によると、自分が保有する会社の重役達らしい。ついでにそこから中東の国々に属する魔術師達に事情の説明をするつもりだそうだ。
「ああ・・・ああ・・・ああ。『帰還する事のない土地』が崩壊した。ああ。これで被害は出る事はないだろう・・・ああ・・・」
ギルガメッシュは懇意にしているイラクの魔術師達との間で連絡を取り合う。実のところ彼らとしても何時『帰還する事のない土地』へ向けて『守護者』が現れるか気が気でなかったらしい。
ギルガメッシュが大丈夫だと伝えていても、やはり信じられるわけはない。崩壊そのものについては非常に有り難く思っている様子ではあるが、やはり異変があるかもと少し詳しく話を聞かれている様子だった。
「ふむ・・・」
「どうしたんですか?」
「いえ・・・にしては、何か変な感じがするな、と・・・」
カイトからの問いかけを受けて答える際にもどこか周囲を注意深く観察するエアは何かの違和感を感じているらしい。確かに、崩壊している以上はこの程度の揺れが起きても不思議はない。不思議はないが、どうしても違和感が拭えないらしい。
「カイトさん。一つお聞きしたいのですが・・・」
「なんでしょう」
「この揺れ・・・出て来た時から感じていましたか?」
「え・・・いえ・・・出て来た時にはまだ・・・」
エアからの問いかけを受けて、カイトはこの振動が何時から感じられるようになったかを思い出す。
「・・・そうか・・・そういう可能性なら・・・もしや・・・」
どうやら、エアが何か思い当たる節があるらしい。急に顔付きが険しくなった。そうして、何かに気付いたらしい彼は電話を終えたばかりのギルガメッシュへと即座に問いかけた。
「ギル。確か貴方はここに来る際にニャルラトホテプが何か罠を仕掛けてくるだろう、と聞いたと仰っていましたね?」
「ああ・・・それがどうした?」
ニャルラトホテプが何かしてくるだろうというのは、帰り道に全員に伝えておいた。もう隠す必要も無いからだ。カイトが『真王』の力を手にしていれば、あとは己も始祖の王として彼の下に集った一人として戦いに参戦する。それだけの事だからだ。
「・・・これは我らメソポタミアの神の中でも更に古い話なのですが・・・ティアマトという神はご存知ですか?」
「ティアマト・・・原初の地母神。貴様らメソポタミアの最高神達の生みの親の更に生みの親、その更に生みの親にあたる本当に原初の神か。アプスーとティアマト、アンシャルとキシャルのどちらが貴様の生みの親かは知らんがな」
「答えは前者ですが・・・我が母の末路はご存知ですか?」
エアは再度ギルガメッシュへと問いかける。勿論、ギルガメッシュとて知っている。彼は神話の時代にメソポタミアの神々より王位を授けられ、それらと相対していた王だ。知らないはずがない。
「確か、貴様の入れ知恵でマルドゥクが討伐したのだったな・・・神官共がうるさかったのを覚えている」
「その後は?」
「天地創造に使ったと聞いたが?」
「そうです。その通りです・・・まぁ、これは地球という母体がある以上これはある種の言い回しと言うべきですが・・・」
ギルガメッシュの言葉に、エアが少しだけ歯切れの悪い言い方に変わる。天地創造の神話なぞどこの世の中にも溢れかえっている。
とはいえ、流石に地球そのものを作れるわけがない。流石にそこまでの権能は得られない。彼らが元を辿れば『星』から生まれた神である以上、星を作るには権能が違いすぎるのだ。が、やはりこれにも一部の真実は含まれているらしい。
「我ら神々が星より授けられし神界から外に出る時、まず始めに何をすると思いますか?」
「知らん」
「でしょうね」
ギルガメッシュの返答を聞いて、エアも頷いた。ここらは流石のギルガメッシュでも思い付かなかったらしい。彼とて何でもかんでも知っているわけではないのだ。そうして、そんなギルガメッシュの顔を見て、エアは次いでエレキシュガルを見た。
「冥界を作るのですよ。人の魂を浄化する為の・・・冥界を創れて初めて、我ら神々は神々と認められる。創世神話とは即ち、生と死を明確に区別させる事に他ならないのですよ」
「待て・・・ということはまさか・・・」
ギルガメッシュがエアの言いたいことに気付いた。彼はメソポタミア神話に語られている範囲であれば、大凡を把握している。知らないのはそこで語られない事かあまりに微細な事だけだ。
「まさか・・・ティアマトの遺体を下に、『帰還する事のない土地』を創ったということか?」
「そういうことです」
ギルガメッシュの言葉をエアが認める。そうして、彼は理論を説いた。
「我々は侃々諤々と冥界の創造についてを語り合っていました。それを煩く思われたのが、父であるアプスーです。そこでいくつかの行き違いがあり、私が彼を討ち、更には我が子マルドゥクがティアマトを討つ事になるのですが・・・これは今は置いておきましょう。重要なのはこの後です」
エアは一通りメソポタミアの創世記である『エヌマ・エリシュ』に語られる内容を話すと、今度はそこから離れたまた別の創世神話の話を始める。
「その後、私エアや貴方の仇敵たるエンリル、エレキシュガルとイシュタルの父であるアヌらと共に話し合い、ティアマトの遺体を冥界の土台とする事が考案されました・・・簡単に言えば、我が母の死という概念を利用し人々の魂を星の内部へと送る事にした、というべきでしょうか」
「神は死ねば星の内側へと送られて再誕の時を待つ・・・それを利用したのか」
「ええ。母が死ねば星の内部へ送られる事になるはず・・・ならば、その引き寄せる力を応用して、冥界と星を繋げば良いのではないか、と考えたのです」
「世界に対して影響力を行使出来る神だからこそ、出来た事か」
「ええ。概念を僅かにでも操れる我らなればこそのやり方です」
ギルガメッシュの推論をエアもまた認める。今からすれば母を殺した挙句その遺体を使うなぞ道義的にどうなのだ、と言われる事であるが、それは所詮今からすればの話だ。数千年、下手をすれば数万年前の道義なぞその常識に当て嵌めてはならないだろう。
「知ってた?」
「・・・知らなかった・・・」
ここら更に古い神話は、どうやらイシュタルやエレキシュガルさえ知らない話だった様だ。特にエレキシュガルは今まで治めておきながら知らされていなかった事実に何時もはあまり見開かれていない目を大きく見開いて驚いている様子だった。
「まぁ、それはそうでしょう。貴方達二人が生まれた時にはすでに『帰還する事のない土地』は存在していましたからね」
エアが二人の女神へと微笑みながら告げる。別に教えていなくても運行に支障をきたす事は無いし、エアとて数万年の月日の中で語ったのは初めてらしい。知らないのも無理はないのだろう。と、そこまで語れば、どれだけ察しが悪かろうとこの場の全員が察する。
「ということは、です。まぁ、あり得ぬ話と思っていたので放置していたのですが・・・」
「『帰還する事のない土地』の崩壊により、ティアマト神が目覚める、と?」
「可能性は非常に高いかと」
ギルガメッシュの問いかけをエアが認める。彼は今まで崩壊すれば後はティアマトの遺体は星へと送られてそこで再生を待つか滅びる事になる、と思っていたらしい。が、曲りなりにも冥界の更に奥だ。星の内側との境界線とも言えるのだろう。
「本来は肉体の蘇生は終わっていたのかもしれません。ただ、まだ境界線に居たので眠っていただけかと。そして、もしニャルラトホテプという神が何か手を打ってくるとするのなら、これでしょう。全てが終わって安堵しているそのタイミングこそ、彼らにとっては最高のタイミング。こちらが去った後ならばティアマトにより周囲の街は破壊され、留まっていたとて緩みきっているこちらへと奇襲を仕掛けられる・・・でしょう?」
「ご明察! いやいやいや! そこまで完璧に見通されるとは! さすがは原初の知恵の神! や、大声を上げるとはこれは失礼を。始まりの『人王』様、そして次の『人王』様」
エアの言葉を聞いていたかのように、ニャルラトホテプが手拍子を鳴らしながら現れる。そして、それと同時。まるでそれが正解だというように、一人の女神が熱砂の大地を割って、現れたのだった。
お読み頂きありがとうございました。




