断章 第31話 冥界の終わり
崩壊を始めた『帰還する事のない土地』の中で、カイトは『名も無き剣』を操ってエレキシュガルが外に出られる様にしていた。
「『名も無き剣』よ。崩壊する『帰還する事のない土地』を更に切り裂き、この冥界の主人を解き放て」
今度は先程よりも抑えめに、カイトが斬撃を放つ。それで切り裂くのは、『帰還する事のない土地』とエレキシュガルの繋がりだ。
『名も無き剣』が断つのは、世界そのもの。理そのものだ。蘇芳翁が鍛えた<<朧>>とは違い、こちらは理そのものを切り裂いている。本来は断てぬ道理そのものを切り裂けるのだ。やろうとすれば、死という概念さえも切り裂いてしまうだろう。
「っ!」
エレキシュガルがかなり辛そうな顔で膝を屈する。己を構築する根幹の部分の契約が切り裂かれて、莫大なバックロードが訪れたのだ。
が、これにさえ耐えられれば、彼女は『帰還する事のない土地』を出て行ける普通の女神となる。耐えてもらうしかなかった。
「ふぅ・・・」
二度に渡る『名も無き剣』の使用により、カイトが少しだけ疲れた様な表情になる。当たり前ではあるが、幾ら最高効率で世界の理を切り裂けるからと言っても世界の理という本来は切り裂けぬ物を切り裂いている事には変わりがない。故に莫大な魔力を消費するのであった。
「こりゃ、連撃は無理だな」
「連撃出来ても困るだろう」
「それは・・・そうですね」
ギルガメッシュの言葉にカイトも同意する。こんな物を誰にでも使えて、更に連続で使用できれば世界としても有り難くないだろう。明らかに世界の理を見出しているのだ。
世界が認めた者だから使わせるのであって、そうでない者には使わせたくはないはずだ。となると、この程度の力量は兼ね備えろと言っているのだろう。と、そんなカイトへとエレキシュガルが少し申し訳なさそうに申し出た。
「あの・・・立てないのだけど・・・」
「・・・」
「おそらく、だが・・・根無し草と同じ状況だろうな・・・エア、違うか?」
カイトの視線を受けたギルガメッシュであったが、どうやら彼としても推測になっているらしい。彼としてもこんな事態は初だ。わからないのも無理はない。そうして問いかけられたエアは、一つ頷いて更に詳しい解説を開始した。
「そうですね。今のエレキシュガルですが、彼女はギルガメッシュの言葉に合わせれば草の根が絶たれている様な物です。存在の根幹が書き換わっている、と言えば良いのでしょう。それ故、魔力の流れが整っておらず、満足に動く事はしばらく出来ないでしょう」
「はぁ・・・ということは、誰かが連れて行ってやれ、ということね・・・まったく。世話の焼ける姉だことで」
イシュタルはそう言うと、己の手でエレキシュガルを支えてやる。それにエレキシュガルは少し照れくさそうにしていたが、受け入れる事にしたらしい。それに、一同が笑顔で頷いた。これで良いだろう。
「よっし。これで万事解決。ハッピーエンド」
カイトがぱぁん、と柏手を鳴らす。なんだかんだと終わってみればバッドエンドを覆して大団円だ。これで、後は『帰還する事のない土地』の崩壊を見届けて帰るだけだろう。
というわけで、一同は迷う事もなく脱出する事にする。もう何もここに用事は無いのだ。そしてここは物理的な意味で空気が悪い。何時までも留まっていたくはない。
「きれー」
「そうだねー」
カイトの肩の上で、モルガンとヴィヴィアンが和やかなムードで『帰還する事のない土地』の崩壊を眺めていた。そして、その感動は彼女ら二人だけではなく、カイトとギルガメッシュもまた得ていた。
「こんななんですね、文明の終わりって・・・」
「ああ・・・こう言ってはなんだが、実はオレも実際には見たことはなかった。何処かで、見たのかもしれんがな。今のオレの記憶にはない」
「あはは・・・そうですね。そう言う意味なら、オレの方が可能性は高そうなんですけど・・・オレも記憶に無いです」
二人は上を見上げながら、歩いて行く。『帰還する事のない土地』という異世界そのものを破壊したのだからガラガラと崩れていく様な感じかと思っていた一同であったが、実際にはまるで粉雪が舞うが如くにひらひらと光が舞い落ちるだけだった。
勿論この光は単なる光ではなく空間の崩壊する時に生まれる莫大なエネルギーの余波で生まれている物であるが、危険性は無いらしい。ただ、光が舞い踊る様に落ちるだけだ。
「・・・きれい・・・」
「ん?」
「最後まで私を苦しめていた場所だけど・・・こうして見ると、どうしてか愛着があったんだな、って・・・」
イシュタルは肩を貸すエレキシュガルの顔を見て、その目に涙が溢れていた事に気付いた。ただ辛いだけの場所だったと思っていた彼女だが、思えばナムタル達も居たし、かつては夫としたネルガルも僅かな間とはいえ居たのだ。様々な想いが去来していたのだろう。そうして、イシュタルが告げる。
「それに、存外悪くはなかったじゃない。薄暗いおかげで、こんな幻想的な姿が見えたのだから」
「・・・そうね・・・きれいな物は何もないと思っていたけど・・・『帰還する事のない土地』にも、最後はきれいなものね・・・」
エレキシュガルは最後となるこの牢獄をその目に焼き付けようと、イシュタルと同じく天を見上げる。薄暗いこの『帰還する事のない土地』が嫌いだったエレキシュガルだが、最後だけは、この薄暗さを受け入れた。天を見上げればそこにはオーロラの様に光が波打っていて、幻想的な光景を更に幻想的に照らし出していたのだ。
だが、それはあくまでも淡い光だ。薄暗いからこそ引き立つのであって、これが昼日向の中であれば逆に打ち消されてしまっていただろう。薄暗いからこそ、きれいだと思えたのだ。
「・・・見飽きたと思っていた薄暗い闇も・・・嫌になる様なこの塵にまみれた空気も・・・今はどこにも無い・・・ねぇ、勇者さま」
「ん? オレか?」
「・・・ありがとう。私をこの牢獄から出してくれて」
「どういたしまして」
エレキシュガルの微笑みに対して、カイトも微笑んで返した。これは己一人の成し得た事ではない。何より、イシュタルの行動が大きかった。だからこそ、カイトは心を動かされて、強く救いたいと思った。
そして実はカイト達も知らない事だが、この強く願った事が、『名も無き剣』を呼び寄せたのだ。『王』が誰かを救いたいと願った。それこそが、『名も無き剣』の目覚めを促したのである。
「と言っても貴方が何かしたわけでもないでしょ」
「ま、それはそれ、ということで。時にはこういう結末も有りだろ」
楽しげなイシュタルの苦言に、カイトも楽しげに返す。結局、今回は『名も無き剣』のお陰でバッドエンドを避けられた。そして、これは完全に幸運だろう。だがそれで良いのだ。せっかく神様がくれたハッピーエンドにケチを付ける程、この場の面々はきっちりとした性格ではない。ただ、それを享受するだけだ。
「さて・・・ん?」
「どうしたの?」
のんびりと帰るか、と言おうとしたカイトだが、そこでふと何かに気付いたらしい。思わず足を止めて立ち止まっていた。
「・・・えーっと、先生・・・は、ダメそうなんでエア殿」
「傷付くぞ」
「あはは・・・では、どうぞ」
エアは笑ってギルガメッシュへと対応を譲る。というわけで、カイトは改めてギルガメッシュに問いかけてみる事にした。
「じゃ、先生。これ・・・もしかしなくても出入り口ってあの果てっすよね?」
「そうなるな。崩壊が始まったとはいえ、転移術は禁止だ。歩いて出るしか方法は無い」
「ということは・・・もしかして、脱出するにはあそこまで行かないと駄目ですか?」
「そうだな・・・ああ、なるほど。そういうことか」
ギルガメッシュがカイトの言いたいことに気付いた。それはこのままではもしかして、脱出するよりも前に崩壊に巻き込まれるのではないか、と。そうして、彼はめんどくさげに説明を放り投げる事にした。
「・・・エア。詳しい説明は任せた。あの説明を逐一するのは面倒なのでな。次の仕事の練習だろう」
「ははは。そうですね・・・では、私から。大丈夫ですよ。冥界はその下に地脈が通っています。そこに落とされるだけですね。そして崩壊に際して星もその巻き込まれる可能性も考慮に入れております。きちんと、脱出出来る様に手はずは整えてくれていますよ」
「ほっ・・・」
色々と考えてくれているのだな、とカイトが安堵の表情で胸を撫で下ろす。ちなみに、エアが知っていたのは彼が知恵の神でもあるからだ。こういうことも世界から与えられた知識の中に入っていたらしい。で、ギルガメッシュも今回の事を考えて計画を練った際に、彼から聞かされて理解していたらしい。
「ということは・・・貴方はそれ故、ここに留まっていたわけですか」
「ええ。ここが崩壊した後は地脈に乗って『名も無き剣』を星の中心へと送り届けようと考えていました」
カイトの問いかけを受けて、エアが笑いながら何故ここに留まっていたのかのもう一つの理由を語り始めた。
「勿論、あれが悪用されない為でもあります。あれは表に出れば争いを生みかねない・・・<<聖者殺しの槍>>と同じですよ。あれを持つ事こそが、王の証となりかねませんでしたからね。いえ、実際こちらはそうなのですが・・・」
「ん?」
「やれやれ・・・所有者と担い手は違うのだがな」
「それがわかるのなら、争いなぞ起きません」
カイトは何かに引っかかるもスルーされて、対してギルガメッシュの呆れを滲ませた言葉にエアも同じく呆れを滲ませる。それがわからない者が多かったからこそ、彼はここに『名も無き剣』を隠匿していたのだろう。これを巡って争いになりかねなかったのだ。
ここは最古の文明の冥界だ。しかもここにはエレキシュガルという『名も無き剣』の危険性を把握しながらこの『帰還する事のない土地』限定であれば神の如くに振る舞える守護者も居る。隠しておくには最適だったらしい。と、そんな二人に対して気のせいか、と思うことにしたカイトが問いかけた。
「・・・まぁ良いか・・・そう言えば・・・先生はこれ、使えないんですか?」
「ん? ああ、オレか。使えるぞ」
「良かったんですか、これ」
「ああ、そうだ・・・『真王の剣』は、『真王』にこそ相応しい。今から、覚悟を持っておけというオレからの言葉だと思っておけ」
「・・・はぃ?」
楽しげに、そしてどこかいたずらっぽく告げられた真相に、カイトが頬を引き攣らせる。そして、すぐに悟った。気の所為ではなかった、と。
「嵌めたなぁあああ!」
「あはははは! 相変わらず便利だからとぽんぽんとなんでも手にするからだ! よく注意しただろう! 何か新しい物を見付けた時は注意しておけ、とな! あっはははは!」
幾星霜の月日を経てなお変わらぬお互いに、ギルガメッシュが大笑いする。それこそ今が脱出の最中でなければ腹を抱えて笑っていた程だ。
「これから、ビシバシといくからな! ああ、廃棄は却下だぞ! 使いこなせば自動に戻ってくる用になっているらしいぞ!?」
「最低だ、この人! マジで嵌めやがったよ! ぜってーやんねーぞ!」
「「「あはははは!」」」
一人憤慨するカイトを見て、他の一同が楽しげに笑い声を上げる。そうして、カイト達はそんな和気藹々とした雰囲気で、『帰還する事のない土地』を脱出するのだった。
一方。笑っていたのはカイト達だけではなかった。崩壊していく『帰還する事のない土地』の彼方で、ニャルラトホテプもまた大笑いしていた。それはカイト達とは違い、どこか狂気と歓喜の滲んだ笑い声だった。
「あははははは!」
『帰還する事のない土地』の遥か彼方で、ニャルラトホテプが高笑いを上げる。『帰還する事のない土地』の中心で迸った力は、『名も無き剣』の力の奔流だ。
彼はもしかしたら程度で来たらしいのだが、まさか本当にカイトが『真王の剣』を手にできるとは思ってもいなかったのだ。
「遂に! 遂に遂に! 地球文明が『人王』を迎えられた! アトランティスの失敗を経て! ムー大陸の滅亡を経て! レムリアの崩壊を経て! ついに、この星にも『人王』が誕生した!」
ニャルラトホテプが大笑いする。実はギルガメッシュは『名も無き剣』が『真王』が手にする剣だと言っていたが、それ以外にも『人王』と呼ばれる者もまた使えた。そしてニャルラトホテプはカイトはこの『人王』と呼ばれる者だと思っていた。
まぁ、これは仕方がないとしか言いようがない。『人王』も『真王』もさほど変わらない。統べる規模が違うだけだ。『人王』は星や星系を統べる者。『真王』は更に上。『人王』達さえも含めて、世界全てを統べる者だった。全てを統べる者こそ王の中の王、真の王者だろう。故に、『真王』なのだ。
「これは私もお祝いの一つもしませんと、まこと神の名折れとなってしまいましょう!」
高笑いするニャルラトホテプは半ば躁状態に陥っていた。この『人王』を待つ為だけに、彼らは数千年もの間地球人類の中に潜み続けていたのだ。待ちわびた相手が遂に現れれば、こうもなろう。
そうして、崩壊していく『帰還する事のない土地』の中で、ニャルラトホテプの高笑いが響き渡る。
「さぁ! さぁさぁさぁ! 地球最古の女神の一人よ! 『帰還する事のない土地』の最奥より更に奥に封ぜられし原初の地母神よ! 彼らが母なる神よ! 御身の目覚めは今! 遂にメソポタミアが崩壊したこの時こそ、御身の目覚めは相応しい!」
ニャルラトホテプが笑いながら、崩壊していく『帰還する事のない土地』の更に奥に座する女神の目覚めを告げさせる。と、そんなニャルラトホテプに、別のニャルラトホテプが接触した。
「・・・勝手に試練をしないでもらいたいな」
「や・・・これは失敬。ですが最適な試練を課せたと思うのですが・・・」
元々いたニャルラトホテプが高笑いを収めて後から来たニャルラトホテプに謝罪する。もう一人のニャルラトホテプは、これまた褐色の肌を持つ美男子だった。
が、顔立ちは異なっている。ギルガメッシュの担当だというニャルラトホテプがどこか理知的な風があったのに対して、新たに現れたニャルラトホテプはどこか遊び人の風があった。
「いや、わかっているさ。だから、止めるつもりはない」
「おや・・・これは先客さんがたくさん」
「おや。教授の方はよろしいので?」
更にまた、別のニャルラトホテプがやって来たようだ。今度は女のニャルラトホテプだ。彼女は白衣を着て、どこか研究者の様な風があった。彼女の潜伏先はラバン・シュルズベリィ教授の近くらしい。それ故、学究の徒として白衣着用を心がけている、との事だった。
「ああ、彼の方はしばらく動きを見せそうにない・・・というか、洞窟探索の準備に手一杯の様子でね。まぁ、お客様が来られるんだ。仕方がないさ。そちらが終わるまで、こちらはお休みにしておく事にしているよ」
「なるほど。では、そちらはその通りに。この次に彼はそちらへ向かわれるのですからね」
一人いれば、山ほど居る。それがニャルラトホテプだ。気付けば、いつの間にかこの地球で活動する数多のニャルラトホテプ達が集っていた。
「「「さぁ、では新たな王へと試練を開始しよう」」」
ニャルラトホテプ達が斉唱する。神として、人の子に試練を授ける。それは神として普通の事だ。それ故、ニャルラトホテプもそれをするだけだ。彼らとて神。何ら不思議な事ではない。
そうして『帰還する事のない土地』の管理人であるエレキシュガルさえも知らない『帰還する事のない土地』の更に奥底から、一人の女神が緩やかに目覚める事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




